marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(559回)その2:「人殺しである悪魔」 だから善悪の判断は不明なのである

2019-05-30 21:00:00 | 日記
 
世界のベストセラーを読む(95回目)アカウンタビリティー:Accountability

◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 今回は脱線、雑談入ります。今、僕は公の仕事の休暇中、いわゆる盆休みにある。理系頭だがだいぶ文系頭になっている。海外(中国<具体的には上海、厦門、......
 

◆上、添付は3年前の記事であるが、ブログ(551回)に関連して。掲載の言葉は死んでからの最後の審判に自分の行いもろもろの説明を問われる、説明責任があるということ。日本で言えば、死んでから閻魔大王の前でしでかしたもろもろの罪の申し開きをするということがアカウンタビリティーということである。

◆しかし、この国にはあの大戦開始においても、結局、時勢や感情に飲み込まれただけで、実に多くの国民の命が犠牲となったのである。今、山口県と秋田県にイージス・アショアなるものが適地として導入されようとしている。「適地」との判断だそうだ。目が点である!来日、トランプ大統領のゴルフ外交でにわか返事の結論を提示したものだろう。

◆この国の為政者は分かっていない。否、もうすでに敗戦後から光を背後に抱えた悪魔に抵抗することは、かえって身の危険と知っているのだろうか。でも、僕ら国民は、最終、命に対する誠実さをどこまでも持って、真摯に抵抗することだ。

◆第二の沖縄のように税金が偽りの安全、人命と引き換えに寄生虫のように吸い取られていくのだ。福島原発の導入からも同じでないか。あれも元々不完全なものだった。僕は学生時代、原子炉隔壁の試験を某会社で行ったことがあり、知人の地質学科の知人から断層には木を植えてあるいた話も聞いた。当時、反対した役人は足を引っ張られて汚名を着せられたし、あの導入と同じである。この国の為政者は何も分かっていないか、少なくともその導入には関しては内実のところ売国奴であると言っても過言ではない。導入に関して、導入後の維持に関して、実際に使用されての事後についてと諸々、疑念が払拭できない。誰が責任をとるのだろうか。組織とは何か、責任とは何か?

◆「我らの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのである。」

                                           (エフェソの信徒への手紙6:6:12)    ・・・ 

 


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