marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(363回目)「異論の妥協でもない真のデモクラシー」 ピューリタン 近代化の精神構造 Ⅴ(雑感)

2017-06-10 00:39:29 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教
 先の続き。歴史が進んできた現在の有り様は、聖書の基盤、特に神学的にその歴史を学んで、実際に神はこの世をどのように変えられたかという光の面(あえてこう書く)の「天におけるごとく地にもなさせ賜え(主の祈り)」と奮闘した人類の歴史の面から見れば、その結果であるとという見方もできるということである。僕らはその終末にその時代を生きているのであると。
◆ピューリタンの時代の人々の考えは、今までの人間の生活の基盤ともなしてきた統べたのもの(精神的に拘束してきた宗教制)を土台から全く超越している聖書の神の位置からの変革を迫り、それを実行して全人類に普遍性のもつ仕組みの一端をもたらす(神の摂理)ものと言えるものだったろうと思われる。
◆ブログで以前、聖書の神は「脱出と前進」と書いたが、ここで「脱出と契約」、新たなる神との契約思想が、人間社会にも適応される契約思想へと変じて光をもたらされた時代であったと言えると思う。モーセの紅海が、ピューリタンの大西洋と置き換えられた時代であったということだ。・・・しかし、時代は今に降り、まさに今そのスピリットはどうなのか・・・、人間という生き物の精神的遍歴は、新大陸にいようとも旧約の時代に人々の精神遍歴、これはかの時代に守り抜いてきたイエスの神への人間の精神性へと改めて回心し確認しなければ(つまり旧約聖書を読みなさいということ)「終わりの始まり(イエスによって人類に永遠の命か死かの神の摂理の開示)」が「終わりの終わり(終末、人類の審判)」に近づいてきた様相を世界は提示し始めていると言えるのではないだろうか。
◆マタイ伝の荒野の試練の中でイエスがサタンとの会話がある。サタンはいつも自分の出番を待っている。そして、隙ある魂の人間に入り、死を蔓延させようと狙う。時代が降り、イエスの言葉が世界に行き渡りつつ、それが人間の手中に取り込まれ、これまた腐敗が始まらんとする歴史を我々は感じてきた(あえて言葉で明確に書かない)。イエスが来られて、人間の終わりの始まりが起こり、世界の終末時計が残り少なくなってきて、彼の言葉により、常に改めて新しき人を創世しつつ、次の時代(再臨待望の時代)を整えつつあるに、闇も行き所がなくなってきていると見なされる。とすれば、これだけ情報が瞬時に行き渡りつつある時代だからこそというべきか、光と闇のその事件が瞬く間に世界を駆け巡る中において、我らは、永遠の命への言葉をすべてのまとわりつくものを捨てて自分のものとしなければならないのではないか。「イエスの言葉を信ぜよ」ということは、悪魔と会話した内容も、まさかそこだけ聖書記者の創作物語という訳にはいかないだろう。
◆先の回の課題、それではクロムエルが語る矛盾はどう解決されるべきか・・・。本来、民主的な討論(意見の相違)はその討論が実になり有効性を持ち実行力をもつ、つまり議論が議論で終わらぬためにも、真に我ら人類を創造せし、神に向かう栄光なる精神(あえてこう書く)に前進するというスピリットを持ち維持し、自ら変革し続けるという人々でなければ最終なしえない事であると思われる。つまり、聖書的に言えば、地上の肉的思いというしがらみにまとわれ、それにも気付かず、まして脱却しようとさえ思わない人々にとっては、非常に困難なことではないかと思われる。・・・ 続く 

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