marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(187回目)脱線 ティヤール・ド・シャルダン&スピノザ

2016-11-28 19:18:23 | 日記
◆風邪ひいた。 わずかでも僕の日記ブログを読んでくれる人がいるんですね!意識レベル高いです。もっと意識レベルも高くなるけど完全オタクのように採られることは全く意に反するのね。もと東京神学大学の近藤勝彦先生の「組織神学の根本問題」、K・バルトさんやその他神学者の方のいろいろこと書いてみたいくらいなの。でもそこまでいけば完全オタクだなと・・・どのように書いたらいいのだろうと、ブロークンの言葉にしたらええか? 方言まき散らしたらええのかなど苦労してんのというわけでも無いけれど、本当に世界の終わりはだんだん近くなってきているような。だから、いつ何時、お隣の国の原子力発電が壊れました(韓国にも中国にも沢山)、放射能拡散しましたなんてことがあれば黄砂やpm2.5でどうのこうのの日本はおしまいよと思っているんだ。(おそらくニュースでは狭小の出来事しか報じないだろうけど)だからいつこの世とおさらばしても確実に天国参りましょうということを語っているのだね。新約聖書の「約」は契約の「約」な訳。だから、イエスを信じ生涯を終えた人には確実に天国(パラダイス)に行けて永遠に生きることができると天地を創造されたイエスの父なる神が申されているのでありがたくちょうだいし僕は信じている訳なの。教会に行けば献金はあるだろうけど、総じてこれを手に入れるのは無料なのね。囓り掛け少し堅いかも、でも自分の言葉で噛んでいくとすごい世界が広がっているのよ・・・。
◆パウロさんが書いたローマ人への手紙 第1章20節「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。」から、・・・ということは、被造物を知ると神の永遠の力と神性は明らかに認めることができる(前と後ろをひっくり返しただけなんだけど)ということですね。
◆もともと僕は理系頭なんだけど、一時、昔ね宗教(キリスト教)と科学はどう関わるかなどの議論があったのだ。で、そのとき、カトリック司祭で哲学者、自然科学者としてのティーヤールを知って目から鱗だったのだ。みすず書房から全集が出てたんで購入したのだね・・今から36年も前の話。著名なのは「現象としての人間」。人類進化(ダーウィンのではない)への見方で地質学的な編年体系の中に配列して人類進化全体の流れを広い視野に立って統一的に把握する仮説的な見通しを立てようとしたこと。生物学を囓ったことがある人は分かるだろうけどちょうどバクテリアから始まって上に行くに従い分岐していく生命の樹という奴、お金の成る木のような形の生命進化の図だ。最後に霊長類がある例の奴。それは彼によれば最終、Ω点に向かって中心思想は進化していくということなのだ。そう考えざるを得ないと。現にそれは今も光を待ち望んで向かっているということになる。つまりそのΩ点はキリストということになるの。(ここでいきなりキリストかよ! と思われた方は、まずはすべてのしがらみを捨てきらないといけませんね。特に先理解のない僕らこの国の人は。キリストというだけでもそれは深い深い思想が流れて来ているので、まあそうなのか、植物が光に向かうように我等人をも含めてすべての神につくられし被造物はすべてその光(キリスト=Ω点)に向かって前進しているということなのだとご理解ください。)彼は科学者の目線で、そのように考えたのね。精神現象学を書いたヘーゲルさんの科学版かなと一時思ったりしたが、なぜか数十万年単位の長い目線の中で書かれているのでなぜが壮大な神の見取り図の一端を見せられたような思いにさせられた訳なのでありました。
◆で、テヤール・ド・シャルダンは このようなお顔立ちです。鼻筋がとおってこの写真はいい顔してます。で、なにせ宇宙間における一貫性についての思索だから、天地創造来、人間は進化の軸であり宇宙の中で踏みとどまっている一分子ではなく、自分の中で生きようとする普遍的な意志が一点に向かって集中し人間完成への道を上りつつあるというのである。最終は、人類はキリストの体であるという一点に向かって。一見、楽観論だなと思われるかも、しかしイエスが十字架にかかったとう信仰が土台にあることが当然ベースにあるのです(むろん、悪についての考察もあります)。・・・ Ω 

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