marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(557回)労働の終わり、思考の始まり(この国の時代の区切りにあたり、そして僕の・・・)

2019-05-22 06:44:26 | 日記
 
世界のベストセラーを読む(371回目)脱線:工場生活(S・ヴェーユ)と お気に入り文庫本の紹介

  ブログの更新が途絶えている。要は疲労で言葉が途絶えているということ。 無論、彼女が入り込んだ工場の労働条件とは比べようもなく現代は文句なく善い。  しかし、昼休みの一......
 

◆人間社会のあらゆる事柄が進んでいき、人々が細部にわたり言葉を習得するようになって行くとき、それは、普遍的なひと生き物のありかたを考える言葉の収穫化にもなるわけなのだと思う訳なのだが、当時のヴェーユの過酷すぎる労働環境からの彼女の言葉、「労働は意識を奪う」、「労働を通して、人間は物質になる・・・労働は一種の死のようなもの」との内容は、現代では更に細密に人という生き物について、僕の関心のある(神が創造された)肉体、つまり人についての分析がよりなされていくのではないかと思われる。

◆言葉の意味合いは時代に制約されている。当時の「労働」という言葉の定義は、現代の被労働者から見た場合、その肉体へのダメージの面から意味合いが当然といえるほどに変わってきている。彼女の用いた労働という言葉は、雇用者と被雇用者の後者の方で、ズバリ肉体へのダメージに関するものである。歴史の中でもともと奴隷制度が普段に行われていて、比較的恵まれた奴隷もいたのだから。この国の歴史の中で、卑賤な労働と見られた人々や、詰まり問題などという問題もくすぶっていたのだが、この辺は話が大きく僕もよく分からない。当時の彼女の言葉、「労働は意識を奪う」は今の中学生あたりでも次のように分析するかもしれない。肉体の疲労が、主体的に行動する自分の脳の前頭葉を刺激する神経系が過剰にオーバーフローし始めた時、脳への神経系が遮断され、肉体(疲労)の作業を強いて保持、維持しなければならない外圧に対して、自己を確認する脳の思考停止が生じ、肉体の疲労が逆に個の主体性を奪おうとする。「労働は一種の死のようなもの」・・・と彼女は言ったが、それがそもそも丈夫では無かった肉体を持つ彼女から出てくる言葉の限界なのではないだろうか。ここで肉体優位の排他性で人を蹴落とすような者も居たのだろうが頑強な体を持つ人はそれでもいつかは変わらなければならない、変わるであろうと信じて家族の為に、将来の僕らの為にその境遇でも神に感謝して働き続けた多くの人々がいたからこそ、今の光のもとの社会はできあがってきたことを信ずるものである。きっと彼らは今で言えば、当時の神との会話、祈りともいえるマインドフルネスを行い、労働に耐えて毎日を過ごしたことだろう。

◆今は、人という生き物についていの医学生理学的な解析が進み、さらにその抽出されたシステムとしての「AI」(人工知能)が人にとって変わろうとしているけれど、その労働という言葉の意味合いももっと詳細に人の肉体(脳も含めた)に関してより、詳細な分析がなされていくことだろうと思う。僕も令和という時代に入り、労働から解放された。・・・


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