◆世界のベストセラー聖書を読む◆
本当にすべての人に”永遠に至る命の言葉”を読み、自分のものにして欲しいと僕は願っているわけ。んで、砕けた言葉で書いてきたけど、どうしてもというか気づいた時は堅くなってしまっているのよね。特に、いわゆる「そうでございますか」と読む者が聞くしかないような上からの言葉について、それはまさに「アーメン(確かにその通りございます。信じます)」という返答しかできないところ。
◆ヨハネ伝第10章でとても足踏みをしている。前からそうだが、イエスが話す相手がユダヤ人、つまり先祖伝来の歴史の由来がはっきりしており、その専門家もおり、また、現代でもイエスご自身がその用い方(?:パリサイ人が手段と目的を転倒してしまったところなど)を否定されたとしても、そのエッセンスは決してご自身も否定はされず、むしろその成就であると宣言されたことの内容をしっかり律法として守ってきた当のその相手に対して話される章になると、とたんに足踏み状態になってしまう。第10章などまさにその箇所。
◆来年はM.ルターさんの宗教改革500年に当たることは何度か書かせていただいた。彼が、一生涯をかけて、命の言葉を神が自分の似姿に創造された最高傑作の人間に対して「私を信じなさい」とイエスは言われた。そして、そのことを維持するために、その歴史の中で頑固なユダヤ人を選ばれ、他の民族にその歴史を示され、私は生きているということを”わざ”と示されてきたということになる。僕の願いはどうしたらみんなが、聖書を読むだろうかということだった(教会に行くかではなくですよ)。むろん素直に行かれて信じられることを生涯維持できれば、とてもイエスは喜ばれるであろうということになるだろうけど。実のところ、初回の方に書かせていただいた若松英輔さんの言わんとするところはとてもよく分かる訳です。写真再掲載「イエス伝」(若松英輔:中央公論新社)、「キリスト者の自由、聖書への序言」(M.Luther 石原 謙訳:岩波文庫 BOOK OFF \105)
◆きっと、皆さんもそうだと思う。宇宙工学か神学かというくらいこの一冊の聖書の研究はなされているのね。ですから、いいか悪いか宇宙開発に並行してというかとんでもなく聖書が僕らの歴史の中で解剖分析されてきている訳です。ですから、普段の人が何気なく書店のノウハウ本を読むのはよいとしても並んだ専門書を開いたとすれば、”はしか”にでもかかったように、これはいけない、こんなに土足で踏み込んだように解析してもいいんかい!とびっくりするような(神様になんと失礼な!)というような本にもぶつかる訳。・・・次回つづく
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