mapio's STREETS OF MOVIE

観た映画の感想とそれから連想したアレコレ(ネタバレ有)。

ソウ3  SAW3

2008年01月04日 | Weblog
監督:ダレン・リン・バウズマン
製作総指揮:ジェームズ・ワン 
        リー・ワネル 
        ピーター・ブロック 
        ジェイソン・コンスタンティン 
        ステイシー・テストロ 
        ダニエル・ジェイソン.ヘフナー
製作:マーク・バーグ 
    オーレン・クールズ 
    グレッグ・ホフマン
脚本:リー・ワネル
音楽 チャーリー・クロウザー
撮影:デヴィッド・A・アームストロング
編集:ケヴィン・グルタート
出演:ジョン/ジグソウ:トビン・ベル
    アマンダ:ショウニー・スミス
    ジェフ:アンガス・マクファーデン
    リン:バハール・スーメキ
    ケリー:ディナ・メイヤー
    エリック:ドニー・ウォルバーグ
    アダム:リー・ワネル
2006/米/108mins. ☆☆☆

 斬新なアイデアと巧みなストーリー展開が話題を呼び、世界的大ヒットを記録したサスペンス・スリラー『ソウ』シリーズ第3弾。密室に監禁された者たちが凄惨(せいさん)なゲームに翻ろうされ、究極の恐怖を体感します。『ソウ』監督・脚本を手がけたオリジナル・チームのジェームズ・ワンと、リー・ワネルのコンビが原案と製作総指揮を務め、ワネル自身が脚本を執筆、 『ソウ2』に引き続きダレン・リン・バウズマンがメガホンを取っています。そのあまりの残虐性にアメリカの映画審査機関MPAAでは5回中4回「NC-17指定(17歳以下鑑賞禁止)」になり、様々な削除・修正を加えた結果、最終的にR指定(17歳未満は成人保護者の同伴必須)での劇場公開となりました。日本でもR-18に指定される予定でしたが、配給会社と映倫との協議の結果、問題の4つのシーンの画面を暗くする(カットは無し)ことでR-15指定での劇場公開となりました。発売中のDVDには、日米で上映を禁じられたオリジナル・バージョンが収録されています。原点からの謎の解明と展開、究極の“ソリッ ド・シチュエーション=状況設定”はさらなる進化を遂げ、ジグソウの謎とアマンダの秘密が明らかになります。
 前作まではジグソウの“死のゲーム”を無理強いされた登場人物が生き延びられるかどうかを描いていましたが、今回は少々趣向が異なります。ジグソウとその弟子アマンダによって食肉工場に閉じ込められたのは、最愛の息子をひき逃げ犯に殺されてしまった悲運の中年男です。そんな彼が恨みある目撃者や裁判官らに“死をもって償わせるか、それとも赦しを与えるか”がゲームの焦点となります。このシリーズはラスト10分間の情報量が異様に多く、そこで一気呵成に明かされる“意外な真実”が最大の見どころとなりますが、命懸けのトリックを遂行したジグソウの驚くべき真意には、唖然とするほかはありません。動くこともままならないガン末期のジグソーが、なぜあんな殺人を犯すことが可能だったのか?何故、あんな長時間死んだ振りをすることが出来たのか?この男が良かれ悪しかれ、いかに常軌を逸した怪人だったか、思い知らされることになるでしょう。まさに狂気の天才犯罪者にふさわしい異常なフィナーレです。 
 女刑事ケリーは、小学校でおこった殺人現場に呼び出される。鎖に繋がれた死体は爆弾で飛び散っていた。死体が行方不明となっていたエリック刑事ではなかったことに、ケリーは胸をなでおろす。でも、ジグソウはもう動けないはずなのに、これらの仕掛けはいったい誰がやったのか?しかも、今までのジグソウのパターンとは違うようだ。その日の夜、ケリーは何者かに拉致され、気が付くと、どこかの地下室に監禁されていた…。ジグソウの捜査を担当する女刑事も惨殺される中、夫婦不和のストレスを不倫で解消する女性外科医リンを、ジグソウを師と仰ぐ元麻薬患者のアマンダが拉致、その目的は、末期ガンで余命僅かのジグソウに最期の被験者の行動を見届けさせる為の延命処置だった。ジグソウの延命に失敗すれば即座にアウトを宣告されるリンが奔走を余儀なくされる中、ジグソウに白羽の矢を立てられた男が見知らぬ食肉工場の一室で覚醒した。その被験者となったジェフは、息子の命を奪いながらも僅か半年の刑事責任に逃れた交通事故加害者への復讐を誓っていたが、そんな彼が息つく間もなく目の当たりにしたのは、刑事裁判を理不尽な結末に導いた関係者たちに対して復讐の機会を与えられると云うものだった…。ジグソウとアマンダによって復讐の機会を与えられた男ジェフが「被験者」として見定められると云うシナリオだが、実は後継者たる共犯者アマンダこそがジグソウ最期の被験者だったと云う脚本については、ミステリーとしても申し分のない構成です。ただ、その「実験」を正当化しようとするジグソウの理屈には只々絶句させられます。自身が制作設計した究極の惨殺拷問アイテムで人々を「テスト」する中、多大な犠牲を払う事で罪の垢を洗い流せとほくそ笑むジグソウと云う男ですが、そもそもそんな行動に駆られたきっかけが、死の宣告を受けた事で生の有難みを人々に思い知らせてやろうとする嫉妬にも近い動機によるもの。究極の恐怖を与えるレクチャーだけに止まらず、死にも至らしめてしまう と云う本末転倒な行為は、余命僅かな自身の道連れを作っているようにしか映りません。手足の関節はもとより頚椎も捻じ曲げて犠牲者を死に至らしめる拷問アイテムを「最高傑作」と称していたジグソウですが、彼が提示していた犠牲者を助ける為の条件も、ライフルの先端に設置された拷問アイテムの開錠キーを取る為には、無実のジェフに命を犠牲にしなさいと云う理不尽な要求。加えて、拷問アイテムの脅威に晒された犠牲者たちを端から助ける気もなかったアマンダをジグソウが諭し「後継者失格」の太鼓判を押すのに至っては我侭大王そのもの。「そもそもが殺人行為など軽蔑し、誰も殺害していない」などとシラを切るジグソウですが、この辺りのキャラ性こそがこのシリーズの真骨頂と言うべき所でしょう。正しく想定外の屁理屈と云った所も稀代の犯罪者のトレンドなのかもしれません。エンドクレジットを飾る挿入曲「ディス・コーリング」は、マサチューセッツ出身の「オール・ザット・リメインズ」の3rdアルバム「ザ・フォール・オブ・ア イディールズ」の1曲目。あの3連バスドラにはフツーにビックリします。3連でバスドラ連打するって事はつま先でロールやるような技術なので、ある意味これはフィジカルの限界に挑むような行為だそうなので、この映画にぴったりかも。
 残念だったのは、リンとジェフの行動選択が等間隔で交互に描かれているので、カットインが入る度に個々の場面で高めていた緊張感が毎回トーンダウンしてしまうので、中盤辺りはストーリー展開がやや弛めになってました…。しかし、終盤が近付くにつれ三部作の総集編というか、前二作のタネ明かしが描かれて、人は生まれ変わる事が出来るという信条の"ジグソウ"の意思であり、ルールでもあり、今作のテーマ(?)ともなっている"赦し"を、人は変わる事が出来ないと信じ切っているアマンダは受け継ぐ事が出来ないでいる事が次第に明確になっていき、だからこそ彼女がゲームを担当した「2」や今作冒頭シーンでは選択肢が一つしかなかった理由が分かり、前作は今作の為の序章でしか無かったのかと思って、けっこう感動を受けました。そうかと思うと、先程も記した"赦し"がジェフだけに選ばせていたものではなく、アマンダにも選択をさせていて、被害者→被疑者へと転身した筈の彼女は、"ジグソウ"としての意思を汲み取れなかったが故に結局は被害者となってしまい、壮大なゲームに組み込まれていたのだという事が分かり、土台は作るけれど、直接手は下さずに"生"を真っ当するよう改心させようとする「1」でのジグソウ節が、ここに来て再び生きてきてシナリオに感心しました。ジグソウこと、ジョンを演じたトビン・ベルは、顔を始めとして躯体を痩せ衰えさせて、もうすぐ死の床にあるという役柄を体現すると同時に、病気であるが故に声に覇気はないものの、淡々とした物言いの中にも、かっての気迫を思わせる雰囲気を見事に携えていました。それから、ジョンの弟子アマンダを演じたショウニー・スミスは、愛するジョンの指示を理解出来ず、苛立ちを募らせていく感情型な役柄を、怒りを露にして鋭く睨み付けた好戦的な眼差しと、心の余裕の無さが感じ取れる早口な強気の物言いで熱演していました。新たな被害者ジェフを演じたアンガス・マクファーデンは、据え膳された復讐すべき人々を目の前にして"赦し"を行うべきか否かで葛藤していく役柄を、心の苦痛を表した苦悩で歪んだ表情で、迷い悩む様子を見事に演じ切っていたし、腕が立つ故にジグソウ・アジトへと連れてこられた医師リンを演じたバハール・スーメキは、理不尽な状況に立たされて恐怖に打ち震えつつも、医師としての役割を果たそうと努力する役柄を、恐怖心がまざまざと感じ取れる不安定な瞳の表情と物言いで表現しつつも、医師としての顔は誠実さが感じ取れる真摯的で力強い物言いで好演していました。

グラスハウス THE GLASS HOUSE

2008年01月03日 | Weblog
監督:ダニエル・サックハイム
製作:ニール・H・モリッツ
   マイケル・ラクミル
脚本:ウェズリー・ストリック
出演:ルビー:リリー・ソビエスキー『ディープ・インパクト』『ロード・キラー』『愛ここにありて』
エリン・グラス:ダイアン・レイン
テリー・グラス:ステラン・スカルスゲールド
アルビン・ベグレイター:ブルース・ダーン
ナンシー・ライアン:キャシー・ベイカー
レット・ベーカー:トレバー・モーガン
デイブ・ベーカー:マイケル・オキーフ
ジャックおじさん:クリス・ノス
2001/米/106mins. ☆☆☆★

 しっとりとした美しさの大人びた魅力で、第二のジョディ・フォスターとも目される知性派次世代スター、リリー・ソビエスキー主演のサスペンス・スリラーです。思春期の少女特有の不安と恐怖感が絶妙にミックスされ、2001年9月14日付の全米週末興行成績トップ10入り以来、三週連続でランクインを記録しました。共演には、ソビエスキー同様に、当時若くして大人びた雰囲気を漂わせ『リトル・ロマンス』でデビューした美人女優ダイアン・レイン。子役時代から現在まで、その演技カで常に観客を魅了し、本作でも優雅で陰のある(しかもジャンキー!)グラス夫人役でヒロインを震え上がらせます。夫のグラス役にはスウェーデン映画界の演技派、『ベオウルフ 』『奇跡の海』『グッド・ウィル・ハンティング』のステラン・スカルスゲールドが熱演してます。また、弟役には『リメンバー・エイプリル』『ジュラシック・パークIII』のトレバー・モーガン。遺産管財弁護士には『ブラック・サンデー』『すべての美しい馬』のベテラン個性派ブルース・ダーン。実の父役には『パパ』でオスカーの最優秀助演男優賞にノミネートされたマイケル・オキーフ。福祉局調査員は『ライトスタッフ』『シザ一八ンズ』のキャシー・ベイカーが演じ、次世代スターから個性派、実力派のベテランまで豪華スターの共演で、『グラスハウス』は極上のサスペンスを醸し出す事には成功しています。
 監督には、これが劇場長編デビュー作となる、『X-ファイル』や『NYPDブルー』等TVシリーズのベテラン、ダニエル・サックハイム。演出ぶりは平凡で、スリラー演出にも冴えたところがありませんが。脚本はマーチン・スコセッシ監督の『ケープ・フイアー』、フィル・ジョアノー監督の『愛という名の疑惑』等、スリリングなサスペンス・スリラーの第一人者ウェズリー・ストリック。製作のニール・H・モリッツは『ワイルド・スピード』『クルーエル・インテンションズ』『ラスト・サマー』等、若い観客の好みのテイストを知り尽した若き敏腕プロデューサー。製作総指揮には『愛しのロクサーヌ』『コーンヘッズ』等のマイケル・ラックミルがあたっています。撮影は『オーロラの彼方へ』や『シンプル・プラン』で注目を集めたアラー・キヴィロが・光の反射するガラスの家での難しい撮影に挑みました。この大理石とガラスから出来ている超リッチなグラス邸も大きな見どころの一つで『クルーエル・インテンションズ』『アメリカン・ヒストリーX』のプロダクション・デザイナー、ジョン・デイリー・スティールが美しく、エレガントに手掛けています。編集には青春サスペンスの隠れた傑作『リバース・エッジ』のハワード・E・スミスが、衣裳にはジェット・リー主演のSF映画『The One』のクリシ・カルヴォニデス・ダシエンコが、音楽には気鋭のクリストファー・ヤングらが起用され、新世代のサスペンス造りに貢献しています。

 16歳の女子高生ルビー(リリー・ソビエスキー)は、ある晩友人とスプラッタ・ホラー映画を楽しんで遊んで帰宅するとそこには警官が。両親が交通事故で亡くなったと告げられ、11歳の弟レット・べイカー(トレバー・モーガン)と二人途方に暮れる。弟と二人きり、残された姉弟のもとに、母の弟である叔父のジャック(クリス・ノス)らが弔問に訪れる。遺産管財弁護士アルビン・ベグレイター(ブルース・ダーン)も姿を見せ、二人には400万ドルの遺産が残された事、そして昔の隣人であった十年来の知人グラス夫妻(ダイアン・レイン、ステラン・スカルスゲールド)が養父母となってくれるという両親の遺言を伝えた。そして両親の遺言に従い、かつて隣人として親しくしていたグラス夫妻に引き取られる。姉弟には両親から残された莫大な遺産があるが、姉弟が成人するまではグラス夫妻がふたりの後見人となる取り決めだ。しかし、住み慣れた家を後にし、グラス夫妻のマリブ・ビーチにある美しいガラス張りの家へ引越した直後から、ルビーは夫妻の言動に違和感を持ち始める。それは両親の死で神経が高ぶった少女の妄想に過ぎないのか。グラス夫妻の家は大理石とガラスで建てられた素晴らしい豪邸で、ブランド・ファッションもプレステも自由に与えられ、食事もジャンク・フードではない、おいしいイタメシ。二人の哀しみを忘れさせるには充分に思えた。また、両親の遺産もあり、姉弟の将来に不安はない、はずだった――!?ルビーは母の事故死の悪夢で目が覚めた。その時以来、何か嫌な予感に襲われる。広大なグラス邸で、着替えをすれば覗かれているような、電話をすれば盗み聞きされているような……。眠れぬまま深夜、プールで泳いでいたルビーに、養父のじっとりとした視線がからみつく。ルビーは夫妻の激しい口論の現場を見てしまう。二人は私たちの事で言い争っているのだろうか……。ある夜は、レストランの帰途、猛スピードで飛ばす酔った養父が車中でルビーに迫った。あれは本当に、シーベルトを締めるためだけだったのだろうか……。どうやらグラス氏は事業で資金繰りに苦しんでいるらしい。グラス夫人は薬物中毒のようにも見える。グラス氏はそれを「商売ではよくあること」「妻は糖尿病で注射していたのはインシュリンだ」と言うのだが、ルビーの疑惑はどうしても晴れない。やがてルビーは両親の死にもグラス氏が関わっていたのではないかと考えはじめる。ルビーは相談のために弁護士のもとを訪ねる。一応話は聞いてくれるものの、彼女が帰るとすぐに、どこかに電話連絡を入れたようだ。養父の会社“グラス自動車送迎社”にも行ってみた。会議室で、養父は何者かとモメているようだった。さらに不思議 だったのは、そこに両親の車、サーブがあった事だ。福祉局の調査員というナンシー・ライアン(キャシー・ベイカー)がやって来た。養父母としての資格条件をまっとうしているかを調べるためだ。何事もないと帰って行ったが、ルビーはゴミ箱の中から、ルビーの入学取消による3万ドルの小切手返送書類や、シカゴの叔父からのハガキが捨てられているのを発見した。もう、この家にはいられない!ルビーは弟をたたき起こし、雨の中を、習いたてのおぼつかない運転で逃げるのだっ た。しかし検問にひっかかり、追って来た養父母に連れ戻される。“あんたが両親を殺したんだ”“違う、二人の結婚記念日にサーブに替えてMWを貸しただけだ”激しい言い争いのうちに、養母はルビーに鎮静剤を打つのだった。女医である養母、会社社長の養父。風光明媚でリッチなマリブのグラス邸に、いったい何が起きているのか?ルビーの疑惑は当っているのか?ガラスの家の中には、恐るべき結末が潜んでいた。もう、誰も信じられない――。

 本作は、金に困った夫婦が資産家の夫婦を殺し、その子供を引き取ることで自分たちに金が入るように仕向けるという筋立てを、子供の視点から描いています。映画の中ではシェイクスピアの「ハムレット」が盛んに引用されていますが、子供が自分の親の死に疑惑を抱き、今は自分の保護者となっている者に復讐するという話の構成は「ハムレット」と同じです。ただし翻案というわけではありません。これは財産目当ての殺人事件という古くさい物語にシェイクスピア劇という更に古典的な衣装をまとわせることで、 映画全体としてはモダンなものに仕立てようという工夫でしょう。「ハムレット」の引用は、この映画がシェイクスピア劇と同じ構成であることを観客へ親切に教えているのです。それも含めて意図は非常によくわかる映画です。ただ、それが過ぎて、話の展開を先回り出来てしまい、スリラー映画なのにスリルが殆どありません。たぶん脚本が貧弱なのと、それぞれのシーンの作り方に問題があるのでしょう。個々のシーンはそれほど悪くなく、丁寧に作られているのですが、全体として機能しないのです。ざーんねん!