母は心の中で生きてる

母が難病(原発性アミロイドーシス)と診断を受け、母の性格を考え告知せず、母の生との別れの後の家族の生活

9月23日

2006年09月23日 22時16分05秒 | Weblog
今朝は 8時起床。
母は起きていたが、布団に横になっていた。

朝食を聞くと、やっぱり お粥 が良いと言う
でも 食べないよりもはるかに良いので お粥を作った。
お茶碗で 半膳 のお粥を完食。

母は 顔が浮腫んでいる気がする と言う。
見た目 私には分からない。
何となくだが、手が大きくなった?? 指が太くなった?? 気がする。
と言うよりも、人の手ってあまりじっくり見たことも無いので、元からなのかもしれない。

お昼は やっぱりお粥だ
しかも、昨日も今日も食事は 母の布団の上での食事だ
お茶碗半膳のお粥を完食。

お通じが無い と言うので、少し固形物を食べるように勧めた。
11時頃 梨を半分食べた。

母に頼まれていた本を探しに、近くの百貨店の本屋に行ったが、3冊頼まれたうち、1冊しか取扱していなく、1冊しか買えなかった。
だが、あまり、本を買いたくない。
無いとは思うが、その本に病名が書かれていたら・・・と思ってしまうのだ。

夕飯は 普通の白米を半膳食べた。
食卓に 色々出したのだが、海苔の佃煮 を冷蔵庫から取り出したかったらしく
母は冷蔵庫の器を出そうとしたら、手が効かなかったらしく、器を落とし割ってしまった。

私がショックなのは、決して器を割ったことではない、手が効かない と言う事を器を割ったことによって母が再確認してしまう事だ。

気を取り直して、バカなふりをし、食卓に行き御飯を食べ始めた。
夕飯を無事に食べ終わり、母は入浴した。
シャンプーもしたらしい。

物が二重に見えるので、片目をふさぐ様に母に伝えた。
物が二重に見える=両眼視機能が衰えたのだと思う。

横浜の叔母から 母に電話が有った。
結構長話をしていた。
その後、母から呼ばれ、母の所に行くと、受話器を渡された。
叔母と話すが、母が隣に居るのであまり深刻な話をする事は出来なかった。

夜8:50 父からメールが入った。
9時の電車に乗ったらしい。
駅まで迎えに行かなくてはならない。

昨日よりも 身体を起こしている時間は増えた。
掃除をしている間ソファーに座っていたので、30分~40分は座っていたと思う。

明日は 車でスーパーへ買い物に行くのだが、母は行けるかなぁ・・・。
今日まで寝ていたから 難しいと思うが、誘ってみるつもりだ。

百貨店の食品街で、パイナップル入りのヨーグルトを発見した。
あまり見たことが無いパインのヨーグルトやゼリー。
ゼリーは見たこと有ったが、ナタデココが入っているので母は好きじゃないから素通りだったのだ。
試しに1つ買っておいた、すんなり食べられるように いつも梨を剥いてタッパーに入れておいたり、あんみつも器に入れておいたり、杏仁豆腐にパイン缶をたっぷり入れ冷蔵庫に入れておいたりしているが、ここ数日は全く食べていない。

お通じも出ないし、いつもゲップをしていたりする。
決して良い状態では無い。
体調に波はあるが、その波は徐々に降下しながらの波だ。

パパからメールで 親戚とかは来ないの?
と言われる。
これまた難しい話で、バタバタと親戚が来たら母も感づいてしまうだろぅし、今のほぼ寝たきり?? の様子を見られる事はイヤなのかも知れないし。
と返答した。
疲れてしまっても、会って話を出来る充実感も有ると思うから、母が行くことはムリなので、来て頂けるのであれば来て貰いたいっておもう。
母がちゃんと話を出来るうちに、まだ座って話が出来るうちに。

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