私事で恐縮ですが、先月、私の祖母が100歳の誕生日を迎えました。百年ひと昔、と言いますが、百年という時間はなかなか実感しずらいものです。
私の祖母。中央の写真が曾祖父母に抱(いだ)かれている100年前の祖母の姿。両側の写真がそれから100年後。右側の写真に売っているのが現在50歳の私。
中央の男性が私の曾おじい様。髪型もモダンで、とても100年前(大正3年)の男性とは思えません。赤ちゃんだった祖母もきちんと洋服を着ています。あと、大きなお人形さんも素敵ですね。
祖母が生まれた大正3年(1914年)。ヨーロッパでは第一次世界大戦がはじまり、日本では東京駅が落成しました。同じ年に生まれた人は、前畑秀子さん、霧島昇さん、笠置シヅ子さん、宇野重吉さん。皆様、お亡くなりになられましたけど....
初孫の私が誕生したのは、100年前と100年後のちょうど中間。つまり祖母は、今の私とちょうど同じ齢に私と出会いました。
それから50年。私の人生は祖母と共にありましたが、私は祖母の人生の前半分を見ておらず、後半しか知りません。つまり私は、私がこれまで生きてきた50年間分の祖母を知っておらず、後半50年が私の知る祖母のすべてです。
仮に100歳まで生きることができたなら、この写真の右側に50年後の私の写真が置かれることでしょう。そして、これまでの私の50年間の人生を全て白紙化してイチからスタートしても、後半には後半のドラマがあります。
右の写真に写っている私が、私の記憶のなかにある50年前の祖母と重なり、さらに50年後の私の顔に思いをはせるのですが、人生まだまだこれからですね。