腎臓がん物語 桜が舞い散る頃までは…

2015年5月末日、左腎細胞癌発覚
8月手術、同年11月多発肺転移。
バツイチ独り暮らし46歳

親知らず抜歯で入院だと?

2015-09-25 11:16:07 | 日常の事・体調など

最近、ブロ友さん達の親知らずの事がUPされているが、
とうとう自分も限界がやってきたみたいだ。

昨日から、埋没逆さま右下親知らず
が痛い!腫れまくっている!

退院時に貰ったカロナールを服用して様子を見ていたが、腫れが収まる気配がないので、掛かり付けのクリニックに予約なしの飛び込みで行ってきた。


いきなり口腔外科には行けないので、
紹介状を書いてもらう為と、応急処置をしてもらう為。

とても親切丁寧な先生で、優しい人柄。

その先生の顔が険しくなり、

「この最後に残った親知らずは、ちょっと厄介なんです」

「全身麻酔で入院する可能性があるかも?」





な、なんですとーーー!!

入院!? 全身麻酔!?




最悪の場合でしょ? 可能性でしょ?


昔、左下も同じような生え方で、全く平気で抜いてきましたやん?





なにがどうなのか説明してくれたけど、普通の親知らずの処置と同じだったような…?


腎臓を片方取った事を言ったが、
鎮痛剤はボルタレンが出てきた。


あまりキツいのは飲みたくないので、
余っているカロナールで耐える予定。

来週、腎がんで入院していた病院の口腔外科を受診してくるが、どうなる事やら…

もう入院はイヤだよぉ。

全身麻酔はもっとイヤだよぉ。

 

追記:  「鎮痛剤カロナール」は、妊婦さんでも飲める身体に負担の少ない優しい痛み止めのようです。

その分、ロキソニンやボルタレンのような強い鎮痛効果は期待出来ないと思いますが、自分の場合、体質的なモノなのか?わかりませんが、良く効きます。


手術当日の浣腸からの失神

2015-09-23 05:14:20 | 入院~手術

以前、手術当日のグリセリン浣腸注入後にトイレで失神したとブログ内で書いたが、事前に注意も何もなかったので、これから手術前浣腸や大腸内視鏡等をする人は気を付けて欲しい。

自分は倒れる時に、トイレの壁に頭をぶつけ幸いコブくらいで済んだが、打ち所が悪かったり、失神したまま気付かれずに放置されたら、堪ったもんじゃない。

なお、市販の浣腸でも同じ事が起こるので注意しましょう。



以下、古い記事だが、ご参考に。


発現する低血圧など体調不良について、安全対策を検討することになった。医薬品や医療機器そのものに起因する医療ミスの防止策を検討する厚生労働省の「医療安全対策検討会議」医薬品・医療機器等対策部会が、その対策が必要と認めたことを受けたもので、今後、医薬品医療機器総合機構と具体策を検討する。

 このケースは、日本医療機能評価機構が収集したもので、調査の結果、対策が必要だとして、厚労省を通じて対策部会に報告した。

 それによると、手術当日の患者に対し早朝にグリセリン浣腸120mLを施行したところ、トイレで排泄注に倒れた。その時は血圧は70mmHg台で、返答もできなかったという。また、他のケースでは、排便後、立ち上がった直後に「何か変だな」と言い、壁にもたれるように尻餅をつき、意識朦朧、顔色不良、冷や汗が認められたとのこと。

 総合機構側は「グリセリン浣腸に限らず、浣腸による強制排便時には、迷走神経反射による血圧低下、ショックが起こる可能性がある。浣腸という手技に伴う有害事象と考えられ、注意喚起が必要と考えられる」と分析。対策部会は追認した。

 同省医薬食品局安全対策課は、グリセリンそのものに起因するものなのかどうかを検討した上で、必要な対策を打ち出す方針。

 グリセリン浣腸の添付文書には、強制排便により衰弱状態を悪化させ、ショックを起こすおそれがあるとして「全身衰弱の強い患者」は禁忌。副作用には「血圧変動」の記載がある。

今年103月の医療事故は271件‐薬剤関連は15件

2007年07月03日

浣腸の実施に注意喚起‐「医療安全情報」第3号

2007年02月26日

厚生労働省医薬品医療機器総合機構


朝から又、もの想いにふける

2015-09-21 08:55:10 | 日常の事・体調など

朝食前にウォーキングにいってきた。



なんとも見事な、

ひつじ雲?
いわし雲?
ウロコ雲?

なんでもええか(笑)

歩いている途中で休憩する為に東屋に入った。

どうもみぞおちの一番下の肋骨にズキン!と痛みがくる。

手術の1ヶ月前くらいからだから、もう2ヶ月くらい痛い事になる。

この様な僅かな身体の痛みなどには、
他のブログのみなさんも気にするみたいだ。

脳裏に「転移」という二文字が浮かぶから、仕方ない。

自分の病理結果にあったG2>G3の、
G3の中には紡錘細胞癌が含まれている。一番悪性度の高い癌種だ。

よく7.8センチの多きさまで転移しなかったなと思う。

また、この紡錘細胞癌は、転移してからの増殖スピードも早いと聞いている。

でも、ある程度の覚悟は出来てきた。
転移したら分子標的薬もやるし、
なんとか諦めないでニボルマブの保険適用まで俺の身体よ持ってくれ。



こんな空を、これからもずっと眺めていたいなぁ。


風邪をひいたかな?

2015-09-18 01:44:54 | 日常の事・体調など

一昨日の起床時に、喉が痛かった。

風邪か?やっちまったなぁ~!

微熱が出てるんだが…



ここ数年、春と秋があまりにも短くて、
「あっつい!」から、いきなり
「さむっ!」という感覚で、

一応気を付けているんだが、季節の急激な移行に身体が付いていかないみたいだ。



腎がんが発覚する1ヶ月前に糖尿病が発覚した。

自分で言うのは忍びないが、
そこから食生活を180度変えて努力した。

めちゃめちゃ努力した!

血液検査の値だけを見たら、もはや糖尿病患者ではない。

食生活に関してはかなりな優等生になったと思う。



なのにだ、風邪をひいたみたいだ。

やはり免疫力が低くなってるのか?




一時期、サプリメントに走りそうになった事はあるが、今は興味がない。

自分は肝臓にも疾患があったので、
身体に良さそうなサプリでさえ、
医師に止められていた。

肝臓に良いとされるサプリでも、肝臓に余計な負担がかかり、結果、肝機能が低下する場合もあるそうだ。

普通の食事からでも、これは良いから!と、それだけを過剰摂取するのもあまり良くはない。
やはりバランスが重要らしい。









いやいや、本題は風邪なんだが、
片腎になった人はどう対処しているのか?だ。


以前だったら気軽に市販の風邪薬を服用し、ビタミン剤とスポーツ飲料でも飲みながら治癒するのを待っていたが、今は残った腎臓に負担は賭けたくない。

熱が38度を越えるくらいになったら病院に行くが、微熱くらいでは行く気にはならない。

片腎の皆様、市販の風邪薬飲みますか?

腎臓に余計な負担を賭けない為には、
無闇に市販の風邪薬は飲まない方が良いですかね…

気にし過ぎかな?

頭も痛くなってきた…

 

あ、退院時に売る程貰ったカロナールを飲むかな。


末期の癌の方達…

2015-09-14 03:19:53 | 日常の事・体調など

病理結果が言い渡されたのは9月4日。

主治医も腸に浸潤している思っていた。

結果は浸潤ナシで経過観察に入った。


俺の中では浸潤、転移は壮絶な闘病生活のうえの死という印象が強い為、ただただ恐怖だった。

抗がん剤治療も、身体をボロボロにして体力も奪い、そのあげく死んでいくというイメージが強く、どうせ死ぬなら抗がん剤なんかやりたくない!と思っていた。



それがどうだろう、自分がT2というステージで経過観察になったにも関わらず、癌の悪性度がグレード4という最悪の異形度とわかったとたん、

「なんで腎がんには、予防的にする抗がん剤はないのか!?」

と、いう考えに変わってしまった。



辛い抗がん剤はやらなくて済むよ?
3ヶ月に一度のCT検査でいいよ?


なのにだ…

ただの経過観察というのが不満に思ってしまった。

今の健康体を維持したい!
だから再発、転移をしない為の辛い抗がん剤でもやりたい!




なんて幼稚な考え方の変わり様…

なんて浅ましい思考なのか…

書いていて自分でも嫌になるが、
後に自分のブログを読み返す時に、
自分への戒めとして書いておく。










腎がん以外の癌の方のブログも拝見させて頂いている。

主に自分も参加しているブログ村の記事だが、上位にあるのはどれも転移、末期での闘病中の方が多い。


余命宣告をされている方も多いが、
明るく前向きな姿勢でブログを書いておられる。


勿論、見えない所での辛さ、痛さ、苦悩は大いにあるだろう。

しかしそれは、そうなってない自分にはわからないのが正直な気持ちだ。

コメントをして応援したいが、
なんて書いたらよいかもわからない。

「頑張って下さい!」
「お辛いと思いますが負けないで!」


こんな上部だけとも取れてしまうコメントは出来ない。


自分にはあの辛さはわからない。
転移して末期と言われ、全身に激痛が出始め、

余命を告げられるまでは…


それでも思う事は、


痛さを取ってあげたい。
苦しさを和らげてあげたい。
楽にしてあげたい。


もちろん思うだけで、自分には何も出来ない。


末期の癌と闘っている方々、
俺のブログなんか見る事はないと思いますが、
あなた達の命懸けの記録はちゃんと見てます。
あなた達の生きた証しを1日でも長く残せる事を望みます。

上部だけに聞こえるかもしれませんが、やっぱり応援しています。

 


怪物並みの癌患者さん 後編

2015-09-13 01:43:06 | 手術~退院まで

騒がしい事この上ない、
木村さん(仮名)との入院生活は始まった。

ちょっと木村さんの話しを聴く事にしてみよう。


まず、80歳くらいと思っていたが、まだ65歳だった。

ガリガリのシワシワなのだ。

生まれながら腎臓が1つしかない。
(意外とこういう方は多い)

残った腎臓に癌が見つかった。

他の病院で腎臓全摘を言われたので、
透析になるのが嫌だと拒否した。

この病院に来て、部分摘出でよい事になり、手術した。

創立者と知り合いというのは謎(笑)



手術は、正中切開、プラス横切りの大開腹。

まだこの病院でも、アナログ部分切除は大開腹になるらしい。

傷口を見せて頂いたが、目を背けたくなるくらい痛々しい。

手術から4日目。



!! 4日目ーーーーっ!!


なんでっ!!痛くないの?木村さん!


「痛いよ?」

さりげなく言う…

なんでスタスタ歩けるん!!

手術前かと思ったわ!!


「はよ歩かんと退院させてくれへんやんけ」

そ、それにしても、その傷で…

なんやったら手術前の俺より歩くの早いやん…


担当看護師のTちゃんに聞いてみた。

俺「木村さん、術後、何日目から歩き始めたん?」

T「2日目から」

俺「ええっ!あの開腹傷で2日目でーー!?」

T「凄いやろ…?」

俺「それって、普通にある事?」

T「いや…ちょっと…あんな凄い人は見た事ない…」


改めて言うまでもないが、普通、アナログ部分切除手術は、丸1日絶対安静のはずだ。

まだドス黒い尿が出てるし、腹部ドレーンの袋にもドス黒い廃液が出ている。

硬膜外麻酔のドレーンは見当たらないが、首に針が刺さっている。


俺「木村さん、首の針は何?」

木村「知らんっ!」



そうですか…そんな感じなんですね…



痛くないの?と聞くと、「めっちゃ痛いよ」と笑顔で答える。



この木村さん、ただの話好きのじじぃではなかった。

同室の患者さんの不安を聞いてやり、
応援する存在なのだ。

すっかり仲良くなり、

「歳食ってるから痛み感じんようになってるんでしょ?」

と、軽口を叩いてやったが、

「アホ!めちゃめちゃ痛いわ!ムカつくから痛みと我慢比べや!」


世の中には凄い人がいるもんだ。

 



俺が地獄の48時間を味わってる時も、

「俺でも辛抱したんや!兄ちゃんも辛抱せいよ!」

と、励ましてくれた。

この怪物的強さを見せつけられてたので、俺は耐えたのかも知れない。


「痛いの取られへんねんやったら、もう殺してくれ!」

と叫んだ事は皆さんご存じだと思う。

全然耐えてないよね(笑)

 



木村さん、手術から6日目の昼で退院していった。

退院当日に全ての抜鈎を済ましたばかり。

前日まで腹部ドレーンと尿道カテーテルの袋は、まだドス黒かったが、ほとんど強引に退院していった。

 





その足取りは、とても軽かった。


怪物並みの癌患者さん 前編

2015-09-11 22:00:04 | 手術~退院まで

過去の自分のブログを読んでて、
書くといいながら、書いてない事が結構ある事に気付いた。


その1つに、もの凄い患者の木村さん(仮名)がいた事を書いてみよう。



雨上がりの空。



木村さんと出会ったのは、
俺が入院初日、まだベットの準備が出来ていないからというので、デイルームで待っていた時だった。


やたらとデカイ声で会話しているオッサンがいる。

なんて元気な入院患者だよ?
と思いながらチラッと見る。


見た感じ80歳くらいのおじぃさん。

嫌でも話しは聞こえてくる。

どうやら隣に座っている御婦人に病気のアドバイスをしているらしい。


「ワシなんかね!こんな病気で、こんな感じで、今はこんなんやのに!そやからおかぁさんは大丈夫やて!」


あ…出た…病気自慢のオッサン(笑)


「この病院の創立者を知ってるから、なんやったらワシが言うたりますわ!」


へぇ…凄いなーおじぃちゃん(笑)
でも、御婦人が苦笑いしてるよ?


何気におじぃちゃんの点滴タワーが目線に入った。


…あれは尿道カテーテルの袋やな…?
スゲー色!どす黒いやん…
なんの病気なんやろ…?

もう1個ぶら下がってる小さい袋はなんやろ…?あれにもどす黒い液体が…?



ともかく、このおじぃさんのターゲットになったら厄介やな…
同室の人は可哀想かも?


なんて思ってたら、ベットの用意が出来たとの事。

 



病室は6人部屋の真ん中…
最悪のポジションじゃないか。

皆さんカーテンを閉めきっているので、御挨拶も出来ないけど、ま、また後で…



担当看護師のTちゃんに病院での過ごし方等の説明を受けていると…



「看護師さん!隣の兄ちゃん何の病気なん!?」


カーテン越しに聞こえてきたドデカイ声は…


「あのじぃさんっ!」


参った!同室の!しかも隣っ!

しかも、なんてデリカシーのない質問だっ!




T「えと…それは…私からは言われへんし… 自分で直接聞いたら?」



Tちゃんも困っているし、仕方ない。

ハッキリ言って黙らしてやろう。
癌だと聞いたら少しは大人しくしてくれるだろう…



俺「腎臓癌ですっ!」



どやっ?聞いたらあかん事を聞いた気分やろ?






「ワシと同じやんかっ!!」






やってもた…

これは正に、火に油を注ぐ…という奴だ…


じぃちゃんのボルテージはMaX



「ワシは、あーで、こーで、あれで、
ほんで、創立者と知り合い(略)」






もう、こんな感じだったので、
木村さん(仮名)との初対面の印象は

最悪の「やってもたっ!」だったのだ。





このタイプの人は、俺の一番苦手とするタイプだ。



しかし、この後、退院後も一緒にお茶をするまでの仲になる。

強靭な強さを持った「怪物じじぃ」だったのだ。


つづく…


もの想いにふけってみた。

2015-09-09 20:40:33 | 日常の事・体調など

一気に涼しくなりましたね?

いや、今日なんか寒いくらいで、
部屋着に長袖のスウェットで過ごしています。

片方になった腎臓に負担をかけないよう、風邪には気を付けないと。








さて、振り返れるという事は、
少し落ち着いたのかも知れない。



まさか癌になってしまうとは。


日本では二人に一人が癌に罹患する時代だが、友人、知人には一人だけ。


父方にも母方にも、直接血が繋がっている親戚には癌患者はいない。


なので癌とは、自分にとって関心が薄い病気だった。



それがある日、自分が発症数の少ない腎臓癌だと?

うそだろ?そんな訳…

あったのだ…










腎臓が片方無くなった。

痛い思いをした手術だったが、
未だに片腎になった実感はない。




糖尿病の数値は正常範囲に収まっている。

(HbA1c  6.2)

高血圧だったが、ちょっと低くなり過ぎて薬の量を減らしてもらった。(103/63)



術後1ヶ月経ち、血液検査の表からHとLが無くなったのはここ10年くらいで初めてだ。

完全なる健康体じゃないか。

でも腎臓は1個しかないけどな。



長年頑張ってくれた左腎臓は、他の悪いものも一緒に持って行ってくれたのかな。

スマン、俺の左腎臓よ。

残ってくれた右腎臓には負担をかけない様にしなくてはならないが、

カロリー制限と減塩くらいしかない。

生きている間はなんとか耐えてほしいな。






そういえば、主治医が術前説明で、

「癌の悪性度が高い場合、予防的抗がん剤投与をやります」

と言ってたが、病理結果報告の時、何も言わなかったな?

グレード4だぜ? 最悪だぜ?

いったい何を考えて話をしてるのか、全くわからない。

イマイチ信頼出来ないうちの主治医。

というか、チーム医療のはずなので、
泌尿器科医師達自体が怪しくなってきた。

病院変えた方がいいかも?
でも今更感もあるしなぁ…




なんか、ただのボヤキになってしまった。


改めて 病理結果 報告

2015-09-05 15:57:29 | 病理結果

手術からちょうど1ヶ月後の、2015年9月4日に病理結果を聞くためだけに外来に出向いた。

採血と採尿がある事を事前に知っていたわりには遅めの到着。

悪い結果が出た時、ショックでどうなるかわからない。

なんせ最悪の印象を入院中に医師から言われている。

退院後、
「俺は、精神的に壊れるかも知れない」
と思うほどの1ヶ月だった。

心配する弟と彼女が付き添ってくれた。


胃が痛い…


泌尿器科外来前の待合室。

相変わらず自分と同年代の人はいない。

弟と彼女には悟らねない様にしていたが、不安からくる緊張は極限状態だ。

ステージ4と言われるのが濃厚な為に、
まるで死刑判決を言い渡される前の被告人になったような気分だ。

でも、俺は何も悪い事はしていない。

なんでこんな目に合わされるのか…



しばらくして診察室から呼ばれた。
久しぶりの主治医の声。


診察室のドアに手をかけるが、
開けられない。

入りたくない…怖い…

しかし、ここまできて逃げる訳にはいかない。弟と彼女が後に並んでいる。



ドアを開ける。

「makotoさん、こんにちはぁ」

医師の笑顔の挨拶。


俺は、医師がまだ結果報告を言わないように、あの時の事を抗議した。

俺「先生!術後にゲロタ筋膜を越えて腸に癒着してたなんて言うから、この1ヶ月どんだけしんどかったわかりますか!?」

主治医「いや、それは聞かれた医者としては嘘を言う訳にはいかない」


俺「え?俺が聞いたんですか?」


主治医「そう。先生の見た印象はどうでしたか? と」

主治医「それだけを言ったんじゃないけど、makotoさん悪いとこしか覚えてないでしょ?」


俺「は…い…」



主治医「まぁ、でも結果が良かったしね。pT2aです」





!!…力が抜けた…




安堵感で崩れ落ちそうだった。


主治医「癒着が固かった(癒着が広範囲にひどい事の意味)から実際、腸に浸潤してる印象だったんですよ。でも良かったです」


とりあえず、ラッキーだったらしい。

当初、本当にヤバかったみたいだ。


俺「嚢胞性だった?」

主治医「いや、淡明細胞癌です」


当初の診断は、左嚢胞性腎細胞癌といわれていた。

嚢胞性は三種類の分類があり、どれも予後が良いと言われる。

しかし、調べていくうちに嚢胞があるというだけで、嚢胞性とは限らない事がわかっていた。


「嚢胞を有する、左腎臓淡明細胞癌」

結果 pT2a N0 M0 G2>G3




もう、これだけで万歳だ。

 

 



最悪ステージ4が濃厚だったのだ。

しかもその場合、単純な転移ではなく、
ゲロタ筋膜を越えていたとしたら、それは癌が全身へ飛び散っている事を示唆していた。

 




ただし、安心は出来ない。

病理結果の表にあるように、
癌の異形度の総合評価は、最悪のグレード4。

紡錘細胞癌という一番異形度が高い、所謂、顔つきの悪いのが混ざってしまった。


しかし、この大きさの悪性度の高い癌なのに、現時点で転移が見つかってないのは奇跡だ。



みんなの願ってくれた想いか?

ブロ友さん達も本気で願ってくれた。




再来月の11月、最初の3ヶ月検査がある。

造影CTでの検査だ。

早い人はここで転移が見つかる。

しかし、そんな事を考えていたら普通の生活は出来ない。

なんとか精神状態を保つ生き方が必用だ。


でも、ホントに疲れた1ヶ月だった。



願って頂いたブロ友さん、友人、家族、本当にありがとうございました。


感謝の気持ちで一杯です。

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明日が病理結果

2015-09-03 15:16:47 | 日常の事・体調など

一昨日と昨日、うつ状態になっていた。

誰とも話したくないし、誰とも会いたくないし…

何もやる気がしなかった。


だが今日午後から少し落ち着いてきた。
なのでブログを書いておこうと思った。






そもそも、何故こんな精神状態になったのか?

普通、病理結果報告を聞きに行くとなったら癌細胞のグレードが気になったりすると思うが、自分の場合はステージに不安要素が多い為、とんでもないくらいの恐怖に襲われていた。

手術前の診断は、

「癌の大きさは、T1bかT2a。
転移は見つかっていない。
ゲロタ筋膜は越えていない。
なので早期です」

という事で手術に挑んだ。


それが術後、全身麻酔の影響でまだ意識朦朧としている時に主治医が、

「ゲロタ筋膜を越えて腸に癒着していた。一部ステージ4」

と、ベッドの上に横たわっていた自分に言った。


後に、全身麻酔影響下なら、錯覚か聞き間違えではないか?と考えもしたが、

手術終了を待っていた家族が主治医に呼ばれ、摘出した腎臓を見せられながら言われた言葉は、

「ステージ2ですが、病理の結果、この膜を越えてたらステージ4となり厳しいです」

と、言われたらしい。


素直にステージ2とだけ伝えればよいだけだろう?

わざわざ、膜を越えてたら…

なんて付け加える必用はないのではないか?



そういう事もあり、自分が術後すぐに聞いた主治医の言葉は、聞き間違えではなかったのであろうと思っている。


先の記事にも書いてあるが、何故入院中に主治医に再確認しなかったのか?

精神的にも身体的にも弱りきっていた為、怖くて最悪の診断を聞く覚悟がつかなかった。


がん相談支援センターの看護師が、
病理結果の詳細を聞きに行く前に、
「一部ステージ4」という意味を主治医に聞いてくれるというので一度お願いしたが、病理結果がもうすぐなので、結局断った。


明日、9月4日(金)の外来には、
がん相談支援センターの看護師が同席を申し出てくれた。

今後の事も考えて、センターの看護師にも同席、病理結果を聞いてもらっておいた方が良いだろう。

勘違い等で後で悩まなくて済む。


泣いても笑っても、明日で一旦一区切りだ。


大人しく明日を待とう。