腎臓がん物語 桜が舞い散る頃までは…

2015年5月末日、左腎細胞癌発覚
8月手術、同年11月多発肺転移。
バツイチ独り暮らし46歳

11月27日(金)に入院します。

2015-11-25 20:48:49 | 転移発覚から
やっとこさ親知らず抜歯の場所の抜糸をしました!

今回は流石に長期に痛かった!
逆さ親知らずを舐めてた!

抜歯より8日目まで痛み止めを服用していました。





さて、ついに、化学療法が始まります。

週3回のインターフェロン注射の為の教育入院です。

予定は1週間の入院。

…という事は…3回しか打てない。



インターフェロンの注射器は、インスリンポンプの簡単な注射器とは訳が違う。


画像検索すると、かなり本格的な注射器…


マジ、あれ自分で打てるのか?
自分で注射打つなんて勇気いるで…

根性なしの痛がりやのに。







でも、makoto元気やねん!








でも体内ではがんが増殖中…



実は、最初の病理結果で、
「一部紡錘細胞癌アリ」と告げられた時点で、

「遠隔転移したら死ぬの早いな」

と思ってたんですよね…





主治医は、「そんなの関係ない」と言ってたけど、

知り合いの脳外科医は、
「一般的に悪性度の高い癌は進行スピードが早いし、抗がん剤も効きにくい」と、言ってたしね。




個人の差はもちろんある。
あくまで一般的な話しである。




楽には終わらなそうだなぁ。

痛いの、苦しいのヤダなぁ。







こんな事を書いているが、以外と精神的には元気です。



ただ怖いだけ。見えていない闇が怖いだけ。






経過観察の人も定期検査の度に、少なからず怯える。

でも数回体験したら、精神的には、ある程度慣れてくるらしい。


経過観察のみなさん、誰でも当たり前に不安になるからね!怖いに決まってるんやから。





本文に関係ないけど、白浜とれとれ市場。















がんになって、人の優しさに触れた。
同病のブロ友さん達だ。


いつもありがとうございます。


俺は最後まで頑張ってみる。

でも弱音は吐きます絶対に!(笑)

最後まで見ていて下さいね。








カミングアウトするか、しないか?

2015-11-22 17:42:47 | 転移発覚から
前回の記事は、あまりにも暗すぎたので、UPした後に「こりゃダメだ」と思い削除しました。




実は俺、とある業界でちょっとした有名人なんです。(自分で言うな (笑))

どこかの芸能プロダクションに所属しているわけではないのでプロのカテゴリーには入ってないんですが、
その、とある分野では、俺の事を知らない人はいないんじゃないかな?


さっき、SNSで事実上の引退宣言をしました。


がんだとも告白していないし、転移した事ももちろん言ってません。

一部の関係者は知っていますが、
所謂、ファンだと言ってくれる方々には隠しています。


手術から活動を休止していますので、病名は言わず病気休養とだけ言ってあります。

昨今、がんを告白し、亡くなった方や、闘病に入ってる芸能人が目立ちますが、本当に多いですね。


告白して憐れみをもらうのは嫌だし、
名が通っていると、少なからず心ないコメント等が入ってきますしね。

やはり言わない方がいいだろうな。





さて、今月末くらいの入院になると思います。インターフェロンの自己注射の為の教育入院ですが、予想では、数ヶ月もしないうちに分子標的薬に切り替わるでしょう。


副作用怖いですね…

やはり心のどこかで、

「分子標的薬をやってもどうせ無駄なのに、なんでワザワザ辛い治療をしなければいけないのか?」

という、逃げの想いが出てくるんです。

(近藤誠さんの話しは全く支持していませんので、誤解なきようにお願いします。)


怖いのです。逃げたいのです。


まだまだ現実感がないんですよね…
空想の中での恐怖なんです。


人生最大の試練を迎えようとしてるんですね。

まとまりのない文章でホントすみません。

治療方針が決まりました。

2015-11-14 20:54:09 | 転移発覚から
現在は多発肺転移だけなので、
治療法はインターフェロンになりました。

インターフェロンなんて、今時?
なんて思ってましたが、肺転移に限局している場合は結構効くらしいです。


本当は今の心境でブログを書き込みむのは避けたいところでした。

やはり「転移」という現実の破壊力は相当なもので、自分の心がどこにあるのかもわからないでいます。


でも、ショックは日に日に薄れてくると思います。
インターフェロンを何ヵ月続けられるかわかりませんが、とりあえずやってみようと思っています。

ただ、この先、転移が肺に限局してくれるなんて甘い事は思っていないので、やはり怖いです。


ほら、こんな時にブログを書くと、こんな事しか書けない(笑)


あ、今日は茶屋町キャンサーフォーラムでした。
僕も行くつもりでしたが、行く気力が出なくて家に一日中引き込もっていました。

お会いする予定にしていた方々には申し訳ありませんでした。

しばらくしたら気力も戻って、笑えるようになると思いますので、その時はまた宜しくお願い致します。

術後、初の3ヶ月検査で多発肺転移してしまいました。

2015-11-07 19:50:42 | 転移発覚から
みなさん、ご無沙汰しております。


なんとなく書くことがなく、

CT(造影)検査に行ったらなんか書けるだろうなぁ~と

思っていました。

で、昨日11月6日(金)に朝から初の3ヶ月検診に行ってきました。



実はなんか嫌な予感はしてたんです。

どこが痛いとか、苦しいなんて症状は皆無でしたが、

ともかく嫌な感じがする・・・大丈夫と思いながらの湧いて出てくる嫌な感じ。



でも気のせいだろう、ナーバスになってるだけだろうと思い直し、

一通りの検査を終え、元気よく診察室のドアを開ける。


主治医「makotoさん、調子はどうですか?」

「痛い所とかないですか?」


俺「先生、お疲れ様です!何もないですよ~至って元気です!」


主治医「ちょっとリンパ触らせてくださいね~」



・・・はて? こんな丁寧にする医者だったっけ?この主治医?



主治医「はい、大丈夫ですね、リンパに異常はないです!」



俺「先生、CT画像どうです?転移してます?」余裕の俺…


主治医「じゃ、下から見ていきましょう」



主治医「肝臓も綺麗ですし、腎臓を取った所の局所再発もないです~」




その後、肺の画像の所を素早くスクロールして流す主治医。


俺「先生!ちょ、ちょっと待った!今の影なに!?」

主治医「あ~これね…恐らく転移ですね~makotoさん良く判りましたね?」

俺「判りますよ!前はあんなのなかったですもん!」

主治医「凄いなぁ~僕の必要ないじゃないですか。笑」


呼ぶ前に主治医は判ってたんだろうな。

どう切り出そうか考えていたんだろうな。

そりゃそうだな。


自分の目で左右の肺に何個か確認したので、


俺「先生、これ多発肺転移って奴ですよね?」

主治医「はい、そうです。4~5、6個かな?

大きさは、大体2mm~3mmのが見えますね」



「早い人は術後の3ヶ月検査で転移が見つかる」という頭があったので、

さほどショックはなかった…というか自分の事だという実感がない…


俺「多発性だから…手術はしない…というか、出来無いですよね?」

主治医「しないと思います」


俺(画像を見ながら)「さて・・・先生、何から行きます?」(分子標的薬の意)

主治医「前回CTしてから・・・丸5ヶ月ですよね~?」

「それでも他に転移が見られないから、肺だけに留まってると思うので…」


主治医「インターフェロンで行きたいです」

俺「えっ!今時インターフェロンっ!?」


俺「インターフェロンの奏効率って15%くらいじゃないですか?」

主治医「いえ、肺に限局してる場合、40~50%のエビデンスがあります」

(帰ってきてから調べたたら、インターフェロンとインターロイキンの
併用なら、確かに 38.5%の奏効率が出てるが、単剤ならやはり12~15%程)


主治医「分子標的薬の副作用、辛いですよ?」

俺「知ってます。辛いでしょうね…」


ここで、俺がニボルマブの治験の紙が貼ってあるのに気付く。


俺「先生!ここでニボルマブの治験やってるんですか!ニボルマブは?」

主治医「治験の段階だし、どんな副作用があるかよく判ってないので、

使うの怖いんですよ…」

俺「・・・・・・・・・」


主治医「makotoさん、一度、泌尿器科のチームでカンファレンスしますので、

来週の金曜日来れますか?それまで待って頂けませんか?」

俺「分かりました、ニボルマブの事も含めて検討してみて下さい」

(どっちが医者だかわからない会話)笑




みんな最初は言うけど、「実感」なんかありはしない。

痛くも、痒くもない、初発肺転移だ。

「実感」はないが、「不安」と「恐怖」が出てくる始末。


どこまで精神的不安を抑えれるかも課題だな。IFNの副作用で「うつ」もあるし。



まぁ、でも、闘病ブログをやっているおかげで、ステージ4の人は

周りに沢山いて知っている。何も俺だけ特別ではない。


亡くなる間際までブログを書いてくれている人も大勢居てくれた。

副作用をいかにマシに過ごせるかのヒントも沢山残してくれている。


ただ、俺、独り者なんだよな・・・どこまで独りで出来るんだろ?

これから、makotoの本当の意味での闘病生活が始まります。


まずは「心という自分との闘い」です。