腎臓がん物語 桜が舞い散る頃までは…

2015年5月末日、左腎細胞癌発覚
8月手術、同年11月多発肺転移。
バツイチ独り暮らし46歳

怪物並みの癌患者さん 後編

2015-09-13 01:43:06 | 手術~退院まで

騒がしい事この上ない、
木村さん(仮名)との入院生活は始まった。

ちょっと木村さんの話しを聴く事にしてみよう。


まず、80歳くらいと思っていたが、まだ65歳だった。

ガリガリのシワシワなのだ。

生まれながら腎臓が1つしかない。
(意外とこういう方は多い)

残った腎臓に癌が見つかった。

他の病院で腎臓全摘を言われたので、
透析になるのが嫌だと拒否した。

この病院に来て、部分摘出でよい事になり、手術した。

創立者と知り合いというのは謎(笑)



手術は、正中切開、プラス横切りの大開腹。

まだこの病院でも、アナログ部分切除は大開腹になるらしい。

傷口を見せて頂いたが、目を背けたくなるくらい痛々しい。

手術から4日目。



!! 4日目ーーーーっ!!


なんでっ!!痛くないの?木村さん!


「痛いよ?」

さりげなく言う…

なんでスタスタ歩けるん!!

手術前かと思ったわ!!


「はよ歩かんと退院させてくれへんやんけ」

そ、それにしても、その傷で…

なんやったら手術前の俺より歩くの早いやん…


担当看護師のTちゃんに聞いてみた。

俺「木村さん、術後、何日目から歩き始めたん?」

T「2日目から」

俺「ええっ!あの開腹傷で2日目でーー!?」

T「凄いやろ…?」

俺「それって、普通にある事?」

T「いや…ちょっと…あんな凄い人は見た事ない…」


改めて言うまでもないが、普通、アナログ部分切除手術は、丸1日絶対安静のはずだ。

まだドス黒い尿が出てるし、腹部ドレーンの袋にもドス黒い廃液が出ている。

硬膜外麻酔のドレーンは見当たらないが、首に針が刺さっている。


俺「木村さん、首の針は何?」

木村「知らんっ!」



そうですか…そんな感じなんですね…



痛くないの?と聞くと、「めっちゃ痛いよ」と笑顔で答える。



この木村さん、ただの話好きのじじぃではなかった。

同室の患者さんの不安を聞いてやり、
応援する存在なのだ。

すっかり仲良くなり、

「歳食ってるから痛み感じんようになってるんでしょ?」

と、軽口を叩いてやったが、

「アホ!めちゃめちゃ痛いわ!ムカつくから痛みと我慢比べや!」


世の中には凄い人がいるもんだ。

 



俺が地獄の48時間を味わってる時も、

「俺でも辛抱したんや!兄ちゃんも辛抱せいよ!」

と、励ましてくれた。

この怪物的強さを見せつけられてたので、俺は耐えたのかも知れない。


「痛いの取られへんねんやったら、もう殺してくれ!」

と叫んだ事は皆さんご存じだと思う。

全然耐えてないよね(笑)

 



木村さん、手術から6日目の昼で退院していった。

退院当日に全ての抜鈎を済ましたばかり。

前日まで腹部ドレーンと尿道カテーテルの袋は、まだドス黒かったが、ほとんど強引に退院していった。

 





その足取りは、とても軽かった。


怪物並みの癌患者さん 前編

2015-09-11 22:00:04 | 手術~退院まで

過去の自分のブログを読んでて、
書くといいながら、書いてない事が結構ある事に気付いた。


その1つに、もの凄い患者の木村さん(仮名)がいた事を書いてみよう。



雨上がりの空。



木村さんと出会ったのは、
俺が入院初日、まだベットの準備が出来ていないからというので、デイルームで待っていた時だった。


やたらとデカイ声で会話しているオッサンがいる。

なんて元気な入院患者だよ?
と思いながらチラッと見る。


見た感じ80歳くらいのおじぃさん。

嫌でも話しは聞こえてくる。

どうやら隣に座っている御婦人に病気のアドバイスをしているらしい。


「ワシなんかね!こんな病気で、こんな感じで、今はこんなんやのに!そやからおかぁさんは大丈夫やて!」


あ…出た…病気自慢のオッサン(笑)


「この病院の創立者を知ってるから、なんやったらワシが言うたりますわ!」


へぇ…凄いなーおじぃちゃん(笑)
でも、御婦人が苦笑いしてるよ?


何気におじぃちゃんの点滴タワーが目線に入った。


…あれは尿道カテーテルの袋やな…?
スゲー色!どす黒いやん…
なんの病気なんやろ…?

もう1個ぶら下がってる小さい袋はなんやろ…?あれにもどす黒い液体が…?



ともかく、このおじぃさんのターゲットになったら厄介やな…
同室の人は可哀想かも?


なんて思ってたら、ベットの用意が出来たとの事。

 



病室は6人部屋の真ん中…
最悪のポジションじゃないか。

皆さんカーテンを閉めきっているので、御挨拶も出来ないけど、ま、また後で…



担当看護師のTちゃんに病院での過ごし方等の説明を受けていると…



「看護師さん!隣の兄ちゃん何の病気なん!?」


カーテン越しに聞こえてきたドデカイ声は…


「あのじぃさんっ!」


参った!同室の!しかも隣っ!

しかも、なんてデリカシーのない質問だっ!




T「えと…それは…私からは言われへんし… 自分で直接聞いたら?」



Tちゃんも困っているし、仕方ない。

ハッキリ言って黙らしてやろう。
癌だと聞いたら少しは大人しくしてくれるだろう…



俺「腎臓癌ですっ!」



どやっ?聞いたらあかん事を聞いた気分やろ?






「ワシと同じやんかっ!!」






やってもた…

これは正に、火に油を注ぐ…という奴だ…


じぃちゃんのボルテージはMaX



「ワシは、あーで、こーで、あれで、
ほんで、創立者と知り合い(略)」






もう、こんな感じだったので、
木村さん(仮名)との初対面の印象は

最悪の「やってもたっ!」だったのだ。





このタイプの人は、俺の一番苦手とするタイプだ。



しかし、この後、退院後も一緒にお茶をするまでの仲になる。

強靭な強さを持った「怪物じじぃ」だったのだ。


つづく…


手術から6日目 お食事中注意

2015-08-30 19:07:11 | 手術~退院まで
実はこの日まで、便が出ていない。



手術日を入れて、5日間もまともに食ってないから当然か。

ガスは術後すぐから出始めてるから
問題ないのだけど、それでもお腹が張ってくる。

そろそろ下剤を飲むべきか考えはじめた。

しかし昼食後やっときた便意!

スタコラとトイレに行くが、
「俺は奈良の鹿かっ!」
というくらいの量。


気持ち良い散歩をする為、また病棟を抜け出し太陽の光を浴びる。

病棟入口からかなり遠い場所まで来た時に、いきなり切迫感のある便意が!

普通に歩けるようになったとはいえ、早歩きはまだ無理。

ヤバイ(;゜0゜)と思いながら1階の一番近いトイレに駆け込む。

なのに、ほんの小量。

危なかった。シャレにならんとこだった。

病室に戻ったらまたきた!

もうこれは確立変動フィーバーに入ったなと思った。



が…確立変動は3回で終わった。

汚い話だが、ここは重用項目。



それと、もうこの日から、ベッドから起き上がったり、立ち上がるのに、なんの躊躇もなく出来るようになった。

だいぶ腹筋に力が入れられる様になったので、歩くのも階段の昇り降りも全然平気になってる。

お風呂は3日目だか、補助椅子等は一切使わなくても足の裏まで洗えた。

もう今日で普通に生活が出来る自信がついた。

この日から8月11日の退院日までこれといった事はなかったので割愛させて頂きたい。



後は 入院中の書き忘れてた面白いエピソード等を書けたら良いなと思ってるが、9月4日の病理結果が目前に迫ってるので不安で精神的に辛くなっている。

俺の精神状態はどうなる事やら…

手術から5日目 実感!劇的回復

2015-08-30 09:52:42 | 手術~退院まで
起床。

身体が軽い。昨日の目覚めより劇的に調子が良い。

昨日一旦しんどくなってしまったが、
無問題!

ベッドから起き上がるが、なんと腹筋を使える!

簡単に起き上がれる。

試しに廊下を歩いてみたが、

「ぬぅぉぉ!普通のスピードで歩ける!」

自分の事ながら劇的回復力だな。

これが現代医学というモノかぁ……



本当はダメなんだけど、お外に出よう。




良い天気!というか暑っ!

やはりシャバの空気はいいなぁ…

病棟に帰る時、近道をする秘密の階段があるんだけど、昇りきってから気付いた。

「?俺、手すりも持たんと普通に上がってきたよな?」

そう、無意識に昇りきっていた。


よし、これなら退院後も大丈夫!


なんせ、 地獄の48時間を経験していたので、普通の人より回復が遅れている。

当初は短い入院予定期間に不安を感じていたが、この分ならなんとか帰れそうだ。







よく、手術前に他の方のブログを見ていた時、「辛いのは術後3日間」
という言葉を目にした。

それを見て、
「具体的にどう辛いのだろう?」
とやきもきしたものだ。

だから自分は、どう辛いのか具体的に書いてやろうとしたが、ご存知の通り地獄の48時間があった為に書けない。

ただひとついうなら、
「身の置き所がない」
という気分は具体的な表現が出来る。

それは、
寝ていても、座っていても、立っていても、歩いていても、

「無意識にどこかに力が入って、ホッと出来ない」

「身体がダルくてリラックス出来る姿勢がない」

「呼吸が浅くしか出来なくて深呼吸出来ない」

くらいだろうか?

勿論、人それぞれだからあくまでも参考程度にして頂きたい。


とにかく半日毎に自分の体調が良くなっていくのが実感出来る時期だった。

痛み止めを飲みながら、とにかく歩く事が大切だと思った。

そうすれば苦痛から開放される時はかなり早くなる事間違いない!



2日目の入浴タイム。

夕食後の20:00くらいに入るようにしていた。


立ったままで全身シャワーを浴びれるかな?


でも、初日は補助椅子に座りながらしか無理だったが、

今日は下半身を洗う時だけ椅子を使った。

傷口にボディーシャンプーを泡立てて流す。

やはり怖くてまだ触れない。


部屋に戻るが暑いっ!

夏場、大部屋に入院する人は団扇は必須アイテム!

手術から4日目 なんだかなぁ…

2015-08-28 02:54:56 | 手術~退院まで
AM06:00起床

目覚めてから体調がかなり良い。

最後の点滴は夜中のうちに終わっており、身体には何も付いてない。


ってか、なんじゃこりゃあーーー!


これがウワサの手術中にやられる、動脈注射の跡。

なんかの罰かと思うくらいの内出血や。





気を取り直して、試しにベッドから起き上がる。


「あれ?傷口があまりつっぱらない」

昨日まで、呼吸が浅くしか出来なかったが、お腹をかばいながらだが、深呼吸が出来る!

ああ、だいぶ楽だ。気持ち良い。


よし、どんどん歩こう!


朝食が来る前に廊下を歩く。

もう普通に歩けるはずなんだが、
元来の性格がビビりなもんで、傷口をかばいながら歩くから早く歩けない。

やはりお腹が重く感じるが、痛みはあまり感じない。



退院後に心配なのが、家の階段だ。

退院までに階段を昇り降り出来なければ生活が出来ない。

独り暮らしなので、基本、身の回り事は全部自分でするしかない。


「階段チャレンジしてみるか…」


早朝なので、何かアクシデントがあっても誰にも気付いてもらえない心配がある。

ナースステーションで誰かに声をかけてから行こうと寄ったが…
誰もいない…

この日の夜勤看護師は、わずか4人。

痴ほう症の患者さんのナースコールで走り回っている。

泌尿器科に入院してる患者さんは、
100人近くいるんじゃないか?



こんな看護体制で良い訳ない。

看護師不足なのはよくわかっているが、看護してもらう立場からすると、不安で仕方ない。

これから時代が進めば、この看護師不足は、更に深刻な問題になるだろう。




仕方がないので、誰にも何も言わず、薄暗い階段に向かう。


傷口は左側。手すりは右側。

右腕に力を入れて昇ると…

あら、意外とすんなり昇れる。


踊り場を通過して、1階分昇りきった。

さて、次は降り。

左側が傷口。今度は逆に、左腕で手すりを握りながら降りて行く。

あ、傷口のある方の腕に力を入れるのはキツいなぁ。

でも、このくらいなら退院までになんとかなりそうだ。たぶん…


ちょっと疲れたので、朝食までベッドに横になっていたんだが…







…今思い出しても悲しくなる事が起きた…

ある看護師が両手に二人分の朝食のトレーを持って現れた。


看護師「ちょっと携帯どけてくれる!」

いきなりキレた!


備え付けのテーブルの真ん中に携帯電話を置いていた為、トレーを置く事が出来なかったのだ。

あまりにものとっさの出来事だったので 、

「ちょっと待ってな…」

と、痛い腹部をかばいながら起き上がろうとした。

看護師「あーもうええわ!」


と、隣の患者さんの方に一つを置いて 、開いた手で携帯電話をどけ、朝食を置いて病室を出て行った。

キレまくっとる。


この看護師の態度、みなさんどう思うだろうか?

「忙しいので仕方ない」

「看護師も人間なので、つい感情的になっても仕方ない」

そういう人もいるかも知れない。


でも、俺が弱っていなかったら、ただでは済まさない。
こちらも感情剥き出しになって、
この看護師の胸ぐらを掴んで怒鳴りまくっていただろう。

自分は気が短く、カッとなったら自制心が働かなくなる場合もある。


しかし悲しいかな、精神的にも体力的にも弱りきっている。なので、その体力も感情的爆発もしなかった。



「たった4人で100人ほどの朝食を配り、その間も痴ほう症の方の押すナースコールは鳴りっぱなし」

「仕方ない、我慢しろ俺…」

自分にそう言い聞かせた。

情けなくて、涙が出そうになった。


自分が終末期、もっと弱り何も言えなくなった時には、どんな看護や治療をされるのだろうか?

想像するだけで恐ろしい……








さて、話を変えよう。


歩き過ぎたか?身体が重い。

しんどくなってきた。

熱は術後から、37.0℃~37.4℃くらいで問題ナシ。



本日、入浴の許可が出た。

と言っても、まだ入浴するのが怖い。

バックレてやろうかと思ったが、

ある医師の口癖が、

「傷口の為には消毒より洗浄!」

とにかく、シャワーで洗えと口うるさい。



PM08:00 渋々、浴室に入る。

恐る恐る鏡で腹部を見てみる。

「うぉー!俺の傷口の本命はここにあったんかっ!」

腹筋に力が入らないので、お腹の脂肪が垂れ下がり見えなかった。

反対側にある盲腸の傷跡と対になってしまった。



頭や他の部位は洗えたが、傷口のある左側腹部は軽くシャワーを当てるだけ。

まだ、さすがに傷口を触る事は恐くて無理だ。

ただ、周りを触ってみたが、皮膚の感覚は麻痺している。

この時、初めて補助用の手すりや、補助椅子の有り難さを知った。

バリアフリーは偉大だった。


シャワー浴びるだけでもこんなに疲れる。帰宅後、本当に大丈夫だろうか?


この日からは点滴が抜けてるので、痛み止めが飲み薬に代わっている。

ずいぶんこれにはお世話になった。


それと、退院後も飲んでた抗生剤。


手術から3日目 午後 もうひとつの想定外

2015-08-25 06:36:27 | 手術~退院まで

激痛から解放された事で、楽になった。

点滴に付いてるのは、栄養剤、抗生剤、痛み止め。



イレウス菅も入れないで済んだし、
バルーンカテーテルも抜けてる。

腹部ドレーンも午前中に抜いてもらったし、血栓予防のソックスはまだ履いているが、想定していたマッサージ機?みたいなモノは自分の場合はしなかった。

お昼ごはんが運ばれてきた。


マジか!?
おいおい!常食が出てきたぞ!
(写真は四日目の夜に出てきたモノ)

お粥じゃないのか?

さすがに、これは間違いだろ?
と思い担当看護師のTちゃんに確認して貰う。

T「うん、間違ってないよ、常食のオーダー出てた」

「うちの病院はmakotoさんと同じ手術した人は始めから常食出すよ?」


ひつこいがイレウス怖いんですけど…


と言っても、全く食欲がない。
なんせ、手術当日から今日の午前中まで、
「死んだ方がマシ!」
という激痛に襲われてたんだから。


でもデザートにスイカが付いてきた。
「スイカだけ食べてみるか…」

口当たりがよく美味しい!

試しにおかずを一口だけ食べる。


!!なんじゃこの味っ!!


溶かしたビニールみたいな味がする!

米や他のおかずも口に入れてみる。


!!ペッペッペッ!!


食い物じゃない!なんだこれ?




後にわかったんだが、味覚障害ではなく、手術中にした笑気麻酔が鼻に残ってるんだろうという事。
(本当に笑気麻酔したのかは確認してない)

しばらく、他人の体臭や水でさえ臭いがして嫌だった。

何故かお茶だけ臭わなかった。


この症状のせいで4食分ほど食べれなかった。

これが想定外の出来事の二つ目。



ただ、朝のパンだけは匂いがしなくて食べれた。


ただし、牛乳やゆで卵は無理!



夕方近くに一番下位の医師が来た。

「硬膜外麻酔のカテーテルを抜きましょうか?」

俺「抜いたら痛みが強くなるんじゃ?」

医「もう中身空っぽなんですよ」


使いきってたんか…そりゃ何回もポンプ注入してたもんなぁ…

医「じゃ、抜きますから前に屈んでくださいねぇ」


座位から前屈させられる。

脊髄近くに入ってるんやから、痛いやろなぁ~と思ってたら、

医「はい、抜けましたよ~」

俺「え?もう終わったんですか?」

俺「なんも痛くなかったです」

医「それはラッキーでしたね(笑)」

通常は痛いのだろうか?



こうして3日目で点滴以外の全ての管は抜いてもらった。ハァースッキリ。


すかさず、担当看護師のTちゃんが、
「後で歩く練習するから覚悟決めといてねニヤリ」

覚悟かぁ~ じゃあその前に自力でベッドから立ち上がってやろうじゃないか!

お、いけた!


腕の力だけで立ち上がってやった。

それを見たTちゃん。
「キャーmakotoさん、凄い!凄い!」

喜んでくれた(笑)


俺は誉めると伸びる子だ。


そして点滴タワーを杖代わりにして、この廊下を往復した。


T「この勢いで髪洗いに行こうか?」

俺「お、おう…」

更に洗髪室まであるくが、使用中だったので病室でお湯を使って身体を拭いてもらった。

気持ち良かったー!生き返った!



この後の夕食もパスし、眠りについた。

久しぶりに寝れた。

点滴にアタラックスという、
比較的軽めの眠剤を入れてくれたらしい。

朝まで爆睡!


【腹部ドレーン 激痛】原因解説

2015-08-23 06:56:48 | 手術~退院まで
腹部ドレーンを抜いた瞬間から痛みが嘘の様に消えた。
多少、胸には痛みが残るものの、
スッと手を当てると気にならなく程度の痛み。



ここから痛みの原因や、他にもこんな痛みを訴えた患者はいるのか?

医師や看護師に聞きまくる事を始める。

自分のがんが進行性で、又、開腹や開胸の手術をしなくてはならなくなった時に、またドレーンを入れて、同じ様な「死んだ方がマシ」と思ってしまう程の激痛は二度と嫌だからだ。当たり前だ。


まず聞いたのは看護師1年目のHさん。
「見たことないですぅ」

だめだ、話しにならない。


次に聞いたのが3年目になる担当看護師の頼りになるTちゃん。
「痛みの強弱はあるけど、あるから!大丈夫!」

Tちゃんらしい答だが、こんなモノでは満足出来る訳はない。


次に泌尿器科病棟の看護師長。
「痛みは人それぞれだから…」

ためだ、これも話しにならない。

看護師はドレーン管理の教育は出来てるはずだし、俺はなんだか看護師連中が原因を言いたくないのか?
と疑い始めてしまった。


次に後期研修医の副担当女医。
相変わらず何を言ってるのか理解できない。

俺の気のせいだと思ってるのか?と勘ぐる。

最後に女医は、
「後は整形外科に外来受診してもらうとかしかないですね」

うぁ、俺が一番信用出来ない医師の一言を言いやがった!

要するに他の科への丸投げだ。
考えれる原因くらい知識にあるだろ!
ダメだこの女医。


次っ!

下から2番目、医師になって二年目のヒラ男性医師。

「もうドレーンを抜いた後なので、正直に言ってわかりません」

こいつもだめだ…


主治医は毎日手術だからなかなか会えないのだ。
会えてもこの事に関して話をしてる暇がない。

自分の主治医はやり手バリバリ、なんせ忙しい。



この件に関して初めて専門的な解説をして貰えたのは退院後だった。

先に記事にした、
「がん相談支援センター」の看護師だ。

「それは間接痛と言います」

「腹部ドレーンというのは細かく分類すると入れる場所が左右で9箇所あります」

「腹部ドレーンというモノは、比較的、神経の鈍感な場所に入ってるんですが、軽い痛みのはずですが何かの拍子に全然関係ない場所に激痛が飛ぶ事があるんです」

「痛み止めが効くはずもないですから辛かったでしょうね…」


やっとわかってくれる人がいた。

しかし、その看護師さえも、
「側にいなかったのでどういう処置がベストだったかはわかりません」

とりあえず、わかってくれてるだけで今回は十分だ。
やはりあるんだな。少し安心した。



もう最後の頼み。知人の脳外科医。
果たして脳外科医に腹部ドレーンの事がわかるのだろうか?

俺「退院しました!傷見たいですか?」

脳医「見せてもらいましょう」

腹腔鏡の傷や開腹箇所を見ただけで、
どういう術式だったかを当てた!!
当たり前といえば当たり前か(笑)


そして一通りドレーン痛の事を話した。

ここからは脳外科医の解説。

「それは 関連痛 といいます」

「心筋梗塞で肩に激痛がくるのは有名です」

「所謂、脳の錯覚なんです」

「だから痛み止めは殆んど効きません」



じゃあ本当はどこが痛かったんでしょうか?

「ドレーン創からするとmakotoさんの場合、
左横隔膜下という教科書通りの場所」

「なのでドレーンが触れて痛みの原因となった箇所は横隔膜だと思います」

「ただし、刺さってしまう事はなく、触れてるだけ」

「そのわずかに知覚した神経痛が脳の錯覚により、
胸の痛みに増幅して突き刺さる様な疼痛になったと考えられます」

「痛み止めが効く場合と効かない場合があります」

「ただし、その場に居たわけじゃないから全て推測です」


では、自分の様に痛み止めが効かない場合、その時の処置としては、原因となるドレーンを抜いたり、位置をずらしたり、意識レベルを下げるという事は出来ないんですか?


「これも、その場に居たわけじゃないから何とも言えませんが…」

「医者としては術後しばらく、血圧、酸素濃度、脈拍が異常でない限り、ドレーンは抜きたくない」

「しかし、ドレーンの位置をずらしたりする事は出来たかも?」

「術後しばらくは患者の意識レベルを下げる事はしたくない。それは術後の合併症を患者の様子から早期に発見したいから」

「意識レベルを下げる事は、せん妄によってドレーンを自ら抜いてしまう危険性がある。それが一番怖い」


と、いう事らしい。

「ドレーン 関連痛」で検索すると結構出てくる。


自分は今回の事で、主治医を責めるつもりはない。

ただ、もし次に事が起こった場合はもっと適切に処置してほしい。なので次回の外来で話し合うつもりでいる。


最後にもう一度言っておくが、このレベルまでの痛みは、そうあるものではない。

腎臓摘出手術では聞いた事がない。

ただし、他の疾患で1名だけ、
「竹槍を刺される痛み」
と表現しているブロガーさんがいた。

他にもドレーンの痛みで調べたが、殆んどが痛みというより、「違和感」と表現している。

痛みの強弱はあるものの、やはり人それぞれだ。

術前にこの記事を見て恐怖心を与えてしまった人がいれば、それは申し訳ないと思う。

でも、自分の身に起こった事実を書いている訳で、
これから手術をする方は、事前に主治医と話し合って、自分の様に痛みを放置される事なく、しかるべき処置をしてもらえるように確認しておくと良いと思う。

手術から3日目 地獄の48時間 (2)

2015-08-21 23:59:38 | 手術~退院まで
手術2日目から3日目に移ろうとしていた。

相変わらず痛みで唸っている、叫んでいる。

何をしても痛みが収まらない。

気絶してしまえば楽になるんだろうが、いつまで経っても気絶はしない…地獄だ。何かの罰なのだろか?朦朧とする意識の中でも 考える。




ひとつ、少し楽になる方々があった。

尿瓶に尿を出すと腹部圧迫が引いて、胸の痛みがマシになる。

だが、そんな何回も尿が出る訳もないし、出した後の数分だけ痛みがマシになるだけだ。

しかし俺は唯一楽になるその行為に執着してしまった。

夜中、先に出た性格の悪い例の看護師が、
「規則で尿瓶は一回ごと処理しなくてはならないので持って行きます」

もう、この看護師、悪魔にしか見えない。嫌いというレベルではなく、怖いのだ。

精神的にも弱りきっているので、文句が言えない。だからこの悪意があるとしか思えない行動や言動の数々は、この時の俺には恐怖でしかなかった。


そして又もや襲う胸の激痛。

もう嫌だ!頼むからどうにかしてくれ!

やはり排尿をしたら楽になると思ってるので、もうヤケだ!

手術後からしているオムツの中にしてやる!

いや、してもいいのだが、そこは自尊心が働く。

無理矢理出す為、少量しか出ない。
その為にあの悪魔看護師をいちいち呼びたくない。

なのでオムツの中に出そうと上から膀胱を押すが…
…出ない?出ない!出ない!出ない!

胸が痛い! 更に痛みは増していく。

ナースコールを押しまくる。
返ってくるスピーカー声はクールだ。

「どーされましたぁー?」

俺「助けてっ!」

やがて病室にくる例の看護師。

「makotoさん、どうしてあげる事も出来ないんですよ~」

俺「わかったから先生を呼んでっ!」


看「先生が来ても何も出来ませんよ?」

お前が決める事じゃない!

俺「尿を出したらマシになる事がわかったんやけど、どうしても出ないから、もう一回カテーテル入れてもらってっ!」

普通に会話してる様に感じるかも知れないが、俺は息絶え絶えだ。

看「カテーテル抜いてって言ったの、makotoさんですよ?」

俺「わかってるから!わかってるから、先生呼んで!」


こう書いていると、このターミネーターみたいに感情を表に出さない悪魔看護師、ごくマトモな事を言ってるなようにも思えるが、この時は痛みに苦しんでいる俺を見て、喜んでいるとしか思えなかったんだ。


しばらくして、超美人の副担当女医登場。ただし、後期研修医で、ホントに頼りなかった。

俺の訴えを看護師から聞いてカテーテルを再導入してくれる事に。

いくら激痛で意識朦朧としていても、生意識で尿道カテーテルを入れる痛みは凄まじいモノがある。

人生で2回目、更なる痛みに覚悟する。
そうまでしても、楽になる事を望んだ。

俺「ヴグググッ!ガァァァァッ!」


術前検査で念のために膀胱内視鏡を突っ込まれたが、
ジェル麻酔剤が先に注入されていたし、
痛みは、ある部分を通過する時の一瞬だけだった。

それに比べ、この尿道カテーテルは先から膀胱内に入るまで、凄まじい激痛だ。

もう二度と意識がある時の尿道カテーテルはごめんだ。

ただ膀胱まで入ってしまえば痛みはない。


少しだけ出たみたいだ。


女医「殆んど貯まってない」

女医「普通のスケジュールでも明日カテーテルを抜く予定だったから、もう留置しませんよ」

そう言ってカテーテルを抜かれた。


一通りやれば俺の気が済むだろうと思ってやってくれたんだろうが、
この女医も悪魔看護師も、人間味があるところは1度も見なかった。
弱りきっている時には勘弁してほしい。


女医も看護師も病室を出て行った。

胸の痛みがマシになった訳ではない。



朝が来るまで何回もナースコールを押しただろう、何人もの看護師を巻き込みながら、痛み苦しみは続く。

ある時、 悪魔看護師にとうとう言ってしまった…

「痛み取られへんねんやったら、もう殺してくれ!」

あの時の俺は、悪魔看護師だから殺してくれるとでも思ったのだろうか?

まぁ、それくらいの激痛だったのだ。





朝のかなり早い時間に又ポータブルレントゲンがきた。

傷口の痛み等は何も感じない。
ひたすら胸が痛い。

首の筋肉と、脚の筋肉を使って自ら腰を上げて協力した。

想定内通り腰下に板を入れて、
2枚程レントゲンを撮って帰っていった。


午前9時頃、主治医がきた。

俺「先生、お願いやから痛み取って!」

「ドレーンが突き刺さる痛みやねん!」

主治医「朝のレントゲンでも異常はないし、ドレーンが刺さってる事はないから」

「でも、腹部の廃液も全然出てないからドレーン抜いてあげる」


少しお腹の皮膚が引っ張られる違和感はあったが無痛。

主治医「はい、抜けたよ。お昼のごはんも出すから食べてね。で、午後から歩いてみましょうね」

そんな事出来る訳な…い…?


……胸の痛みが消えた?
もう…痛くないぞ?マジか!

俺「先生!痛みが消えたよ!」

主治医「ドレーンが腹膜に触れて痛みが胸に飛んでたのかも知れない」


俺「先生、腹部ドレーンって、長さどれくらいお腹に入ってたんですか?」

主治医「これくらいやで?」


主治医が両手で現した長さは20センチくらい。

そんなモノなの? それが何故?


ひとまず、やれやれだ…



この後に、
「ドレーン 激痛」というタイトルで、
痛みの原因を解説します。

手術から2日目 地獄の48時間 (1)

2015-08-20 20:36:59 | 手術~退院まで
まず最初に、今から書く事は、手術前の方にはショッキングな内容である。

しかし、自分の場合は極々まれなケースであるという事と、医師や看護師にしても経験上、首をかしげるケースだという事を念を押しておきたい。

そして一通り書いた後にこの事象を解説するので最後まで見てもらいたい。






それは、手術当日の夜から始まった…らしい…

らしいというのは、時間の感覚がないので後から医師や看護師、身内に聞いたので後に時間的背景が判明したのだ。


まず、これは自分的にショッキングな事が起こった。
手術後間もない時にベッドに主治医がきて、

「部分的にゲロタ筋膜を越えて腸と癒着してた。一部ステージ4」

俺「やばいやん…俺、やばいやん…」

主治医「大丈夫!大丈夫!」

そう言いながら俺の肩をポンポンと叩いて病室を出ていった。


ただ、その時、全身麻酔の影響もあって思考がしっかりしていない。

「俺、長くないな…」

それだけは思った記憶がある。

その時は、家族も側にいなかった為、
医師が発した言葉は未だ謎だ。

先の記事にも書いたが、

主治医に「入院中は何も言わないでくれ!今は病状を受け止めれる精神力はないよ!」

と言ったのだ。全くデリカシーがない。


そもそも「一部ステージ4」とはどういう意味合いがあるのか?

これは退院後に、がん相談支援センターの看護師が主治医に聞いてくれると言ってくれたが、本日現在センターからは連絡はまだない。

病理結果報告の9月4日の外来まで何の連絡もないんじゃないかと思うようになっている。




さてさて、話しは手術当日の夜だ。

実は術後しばらくしてからずっと胸辺りに違和感を感じていたのかも知れない。(当日撮ってもらった写真は、どれも胸に手を置いている)


突然、胸に物凄い激痛が起こった!

強烈な痛さでマトモに息が出来ない。
ナースコールを押しまくっていたに違いない。

看護師がきて何やらやってる。しかし…

血圧正常。
酸素濃度正常。

看護師が出来る事は、
点滴からの鎮痛剤、ボルタレン座薬、硬膜外麻酔のポンプ注入。

当番医師はこない。なんでだ?

痛み止めは全く効かない。絶望感が自分を襲う。

「痛い!痛い!死ぬって!」

まるで胸に矢が刺さっていて、さらにその矢を手でグリグリ掻き回されてる様な激痛なので叫び声があがる。

一晩中喚き散らしていた…らしい…

二日目の朝を迎えるが痛みはマックス100のまま。

自分が思うに、お腹に入ってるドレーンの先が、
心臓と肺にズコズコ刺さってるんじゃないのか?

それを看護師に訴えるが、
そんな事があるはずもなく看護師も俺をなだめるしかない。

朝の回診で主治医登場。
もう、痛くて苦しくて、ほとんど何を主治医に言ったか覚えてない。覚えてる事は、

痛みの原因じゃないないか?と思ってる腹部ドレーンはまだ抜く事は出来ないのは知っている。
ヘタに知っているものだから、それが言えない。

ならせめて尿道カテーテルを抜く事は出来ないか?
主治医に懇願する。すると名前も知らない看護師が、

「カテーテル抜いたら歩いてトイレに行かなくてはいけませんよ?」

それは無理だ。この看護師の言い方に腹がたったが、怒る気力なんかない。

しかし主治医が、

「歩けなくても尿瓶で用をたしてもいいから」

すかさず言ってくれた。

この腹がたつ看護師の話しは次以降も度々出てくるかも知れない。
たが美人で若い子なんだ。いつか泣かしてやろうと復讐を考えている(笑) だがまた泌尿器科病棟に入院する事になったら、更に仕返しされる。仲良くするしかないか…



結局尿道カテーテルを抜いてもらった。

これで激痛から解放されるのか?


いや、全く収まらなかった。

いつまで続くかもわからない、この痛み。


痛み止めも一切効かない。

目を開けても見えるのは幻覚。

なんだか覚えてないが、おかしなモノが見えてた。


だが、今思い出すと、ずっと痛みマックス100ではなかったみたいだ。


こんなに痛みで叫びまくっているのに、
術後二日目の午後という事で水分がOkになった。

家族にはかなり八つ当たりをしたらしく、冷たいお茶では満足出来なくて、氷を入れてくれとしつこく頼む。

後に聞いたが、わざわざ病院内のレストランに行き無理を言ってたった3つの氷を貰ってきてくれたらしい。

ごめんよ…

まだ水分500ミリリットル制限なので気を付けて飲んだが、100ミリリットルも飲めてなかったらしい。

凄く冷たくて美味しかった。

しかし、また発作的痛みが襲う。



家族が居ない時にポータブルレントゲンがきた。

噂には聞いていたが痛み苦しんでるのにマジか!?


この時、担当看護師のTちゃんが側にいて、

「患者さん、今こんな状態やしドクターの許可も下りてないのに無理です!絶対ダメですから!」

と追い返したのだ(笑)

この担当看護師のTちゃん、すごく優しく、時には厳しい事も言うのだか、まるで子供を諭すかの様に自分をなだめてくれた。

下手したら自分の娘でもおかしくない年頃なのに。

Tちゃん、君は素晴らしい指導看護師になれるよ。医学知識も豊富だし、まだ三年目なのに看護主任並の頼もしさだったよ。本当にありがとう。


二日目の夜になろうとしている。
が、しかし、地獄の痛みは まだまだつづく…

この後(2)を書いた後、痛みの原因と仕組みを解説します。



手術後の御報告

2015-08-06 20:27:12 | 手術~退院まで
去る8月3日に左腎臓を腹腔鏡下のみで、無事に全摘手術、終了しました。

コメントで応援して頂いたかたがた、
本当にありがとうごさいます!

自分は痛みに極端に弱い方だと思いますが、
術後、耐えれない痛みは感じませんでした。
(実は嘘でした)

まぁ、定期的に痛み止めを点滴静注してもらっていましたが。



この後、ルートを抜いてもらったので、点滴の代わりに全く同じの成分の錠剤鎮痛剤を処方してくれてまして、
もうだいぶ前から「痛みは我慢させない」が医学の現場の常識ですね。

でも、今回も医師と病棟ナースの申し送りに、カルテ記載されてない事が多く、
イライラさせられた。
ナース「医師に聞いてないので…」
俺「また、それか!もう!
○○先生に今すぐ確認とって!」

これでも自分は限界まで痛みを我慢している。
イチイチ日勤・夜勤の交代の度に
ナースに説明するという。

痛みや、苦しみで我慢してる人間は
ギリギリまで我慢している事も多いと思う。

申し送りの中でちゃんと医師にも伝えて、
カルテに記載してもらえてないからこうなる。
元々メモもしないで、さらに医師にも確認取ろうという事もしないで自分で決めつけるんじゃない!
このユトリ世代め!(笑)

てな感じの術後3日目のmakotoでした。
本編で又、1日目から書いていきます ので、宜しくお願い致します。