腎臓がん物語 桜が舞い散る頃までは…

2015年5月末日、左腎細胞癌発覚
8月手術、同年11月多発肺転移。
バツイチ独り暮らし46歳

手術から6日目 お食事中注意

2015-08-30 19:07:11 | 手術~退院まで
実はこの日まで、便が出ていない。



手術日を入れて、5日間もまともに食ってないから当然か。

ガスは術後すぐから出始めてるから
問題ないのだけど、それでもお腹が張ってくる。

そろそろ下剤を飲むべきか考えはじめた。

しかし昼食後やっときた便意!

スタコラとトイレに行くが、
「俺は奈良の鹿かっ!」
というくらいの量。


気持ち良い散歩をする為、また病棟を抜け出し太陽の光を浴びる。

病棟入口からかなり遠い場所まで来た時に、いきなり切迫感のある便意が!

普通に歩けるようになったとはいえ、早歩きはまだ無理。

ヤバイ(;゜0゜)と思いながら1階の一番近いトイレに駆け込む。

なのに、ほんの小量。

危なかった。シャレにならんとこだった。

病室に戻ったらまたきた!

もうこれは確立変動フィーバーに入ったなと思った。



が…確立変動は3回で終わった。

汚い話だが、ここは重用項目。



それと、もうこの日から、ベッドから起き上がったり、立ち上がるのに、なんの躊躇もなく出来るようになった。

だいぶ腹筋に力が入れられる様になったので、歩くのも階段の昇り降りも全然平気になってる。

お風呂は3日目だか、補助椅子等は一切使わなくても足の裏まで洗えた。

もう今日で普通に生活が出来る自信がついた。

この日から8月11日の退院日までこれといった事はなかったので割愛させて頂きたい。



後は 入院中の書き忘れてた面白いエピソード等を書けたら良いなと思ってるが、9月4日の病理結果が目前に迫ってるので不安で精神的に辛くなっている。

俺の精神状態はどうなる事やら…

手術から5日目 実感!劇的回復

2015-08-30 09:52:42 | 手術~退院まで
起床。

身体が軽い。昨日の目覚めより劇的に調子が良い。

昨日一旦しんどくなってしまったが、
無問題!

ベッドから起き上がるが、なんと腹筋を使える!

簡単に起き上がれる。

試しに廊下を歩いてみたが、

「ぬぅぉぉ!普通のスピードで歩ける!」

自分の事ながら劇的回復力だな。

これが現代医学というモノかぁ……



本当はダメなんだけど、お外に出よう。




良い天気!というか暑っ!

やはりシャバの空気はいいなぁ…

病棟に帰る時、近道をする秘密の階段があるんだけど、昇りきってから気付いた。

「?俺、手すりも持たんと普通に上がってきたよな?」

そう、無意識に昇りきっていた。


よし、これなら退院後も大丈夫!


なんせ、 地獄の48時間を経験していたので、普通の人より回復が遅れている。

当初は短い入院予定期間に不安を感じていたが、この分ならなんとか帰れそうだ。







よく、手術前に他の方のブログを見ていた時、「辛いのは術後3日間」
という言葉を目にした。

それを見て、
「具体的にどう辛いのだろう?」
とやきもきしたものだ。

だから自分は、どう辛いのか具体的に書いてやろうとしたが、ご存知の通り地獄の48時間があった為に書けない。

ただひとついうなら、
「身の置き所がない」
という気分は具体的な表現が出来る。

それは、
寝ていても、座っていても、立っていても、歩いていても、

「無意識にどこかに力が入って、ホッと出来ない」

「身体がダルくてリラックス出来る姿勢がない」

「呼吸が浅くしか出来なくて深呼吸出来ない」

くらいだろうか?

勿論、人それぞれだからあくまでも参考程度にして頂きたい。


とにかく半日毎に自分の体調が良くなっていくのが実感出来る時期だった。

痛み止めを飲みながら、とにかく歩く事が大切だと思った。

そうすれば苦痛から開放される時はかなり早くなる事間違いない!



2日目の入浴タイム。

夕食後の20:00くらいに入るようにしていた。


立ったままで全身シャワーを浴びれるかな?


でも、初日は補助椅子に座りながらしか無理だったが、

今日は下半身を洗う時だけ椅子を使った。

傷口にボディーシャンプーを泡立てて流す。

やはり怖くてまだ触れない。


部屋に戻るが暑いっ!

夏場、大部屋に入院する人は団扇は必須アイテム!

手術から4日目 なんだかなぁ…

2015-08-28 02:54:56 | 手術~退院まで
AM06:00起床

目覚めてから体調がかなり良い。

最後の点滴は夜中のうちに終わっており、身体には何も付いてない。


ってか、なんじゃこりゃあーーー!


これがウワサの手術中にやられる、動脈注射の跡。

なんかの罰かと思うくらいの内出血や。





気を取り直して、試しにベッドから起き上がる。


「あれ?傷口があまりつっぱらない」

昨日まで、呼吸が浅くしか出来なかったが、お腹をかばいながらだが、深呼吸が出来る!

ああ、だいぶ楽だ。気持ち良い。


よし、どんどん歩こう!


朝食が来る前に廊下を歩く。

もう普通に歩けるはずなんだが、
元来の性格がビビりなもんで、傷口をかばいながら歩くから早く歩けない。

やはりお腹が重く感じるが、痛みはあまり感じない。



退院後に心配なのが、家の階段だ。

退院までに階段を昇り降り出来なければ生活が出来ない。

独り暮らしなので、基本、身の回り事は全部自分でするしかない。


「階段チャレンジしてみるか…」


早朝なので、何かアクシデントがあっても誰にも気付いてもらえない心配がある。

ナースステーションで誰かに声をかけてから行こうと寄ったが…
誰もいない…

この日の夜勤看護師は、わずか4人。

痴ほう症の患者さんのナースコールで走り回っている。

泌尿器科に入院してる患者さんは、
100人近くいるんじゃないか?



こんな看護体制で良い訳ない。

看護師不足なのはよくわかっているが、看護してもらう立場からすると、不安で仕方ない。

これから時代が進めば、この看護師不足は、更に深刻な問題になるだろう。




仕方がないので、誰にも何も言わず、薄暗い階段に向かう。


傷口は左側。手すりは右側。

右腕に力を入れて昇ると…

あら、意外とすんなり昇れる。


踊り場を通過して、1階分昇りきった。

さて、次は降り。

左側が傷口。今度は逆に、左腕で手すりを握りながら降りて行く。

あ、傷口のある方の腕に力を入れるのはキツいなぁ。

でも、このくらいなら退院までになんとかなりそうだ。たぶん…


ちょっと疲れたので、朝食までベッドに横になっていたんだが…







…今思い出しても悲しくなる事が起きた…

ある看護師が両手に二人分の朝食のトレーを持って現れた。


看護師「ちょっと携帯どけてくれる!」

いきなりキレた!


備え付けのテーブルの真ん中に携帯電話を置いていた為、トレーを置く事が出来なかったのだ。

あまりにものとっさの出来事だったので 、

「ちょっと待ってな…」

と、痛い腹部をかばいながら起き上がろうとした。

看護師「あーもうええわ!」


と、隣の患者さんの方に一つを置いて 、開いた手で携帯電話をどけ、朝食を置いて病室を出て行った。

キレまくっとる。


この看護師の態度、みなさんどう思うだろうか?

「忙しいので仕方ない」

「看護師も人間なので、つい感情的になっても仕方ない」

そういう人もいるかも知れない。


でも、俺が弱っていなかったら、ただでは済まさない。
こちらも感情剥き出しになって、
この看護師の胸ぐらを掴んで怒鳴りまくっていただろう。

自分は気が短く、カッとなったら自制心が働かなくなる場合もある。


しかし悲しいかな、精神的にも体力的にも弱りきっている。なので、その体力も感情的爆発もしなかった。



「たった4人で100人ほどの朝食を配り、その間も痴ほう症の方の押すナースコールは鳴りっぱなし」

「仕方ない、我慢しろ俺…」

自分にそう言い聞かせた。

情けなくて、涙が出そうになった。


自分が終末期、もっと弱り何も言えなくなった時には、どんな看護や治療をされるのだろうか?

想像するだけで恐ろしい……








さて、話を変えよう。


歩き過ぎたか?身体が重い。

しんどくなってきた。

熱は術後から、37.0℃~37.4℃くらいで問題ナシ。



本日、入浴の許可が出た。

と言っても、まだ入浴するのが怖い。

バックレてやろうかと思ったが、

ある医師の口癖が、

「傷口の為には消毒より洗浄!」

とにかく、シャワーで洗えと口うるさい。



PM08:00 渋々、浴室に入る。

恐る恐る鏡で腹部を見てみる。

「うぉー!俺の傷口の本命はここにあったんかっ!」

腹筋に力が入らないので、お腹の脂肪が垂れ下がり見えなかった。

反対側にある盲腸の傷跡と対になってしまった。



頭や他の部位は洗えたが、傷口のある左側腹部は軽くシャワーを当てるだけ。

まだ、さすがに傷口を触る事は恐くて無理だ。

ただ、周りを触ってみたが、皮膚の感覚は麻痺している。

この時、初めて補助用の手すりや、補助椅子の有り難さを知った。

バリアフリーは偉大だった。


シャワー浴びるだけでもこんなに疲れる。帰宅後、本当に大丈夫だろうか?


この日からは点滴が抜けてるので、痛み止めが飲み薬に代わっている。

ずいぶんこれにはお世話になった。


それと、退院後も飲んでた抗生剤。


手術から3日目 午後 もうひとつの想定外

2015-08-25 06:36:27 | 手術~退院まで

激痛から解放された事で、楽になった。

点滴に付いてるのは、栄養剤、抗生剤、痛み止め。



イレウス菅も入れないで済んだし、
バルーンカテーテルも抜けてる。

腹部ドレーンも午前中に抜いてもらったし、血栓予防のソックスはまだ履いているが、想定していたマッサージ機?みたいなモノは自分の場合はしなかった。

お昼ごはんが運ばれてきた。


マジか!?
おいおい!常食が出てきたぞ!
(写真は四日目の夜に出てきたモノ)

お粥じゃないのか?

さすがに、これは間違いだろ?
と思い担当看護師のTちゃんに確認して貰う。

T「うん、間違ってないよ、常食のオーダー出てた」

「うちの病院はmakotoさんと同じ手術した人は始めから常食出すよ?」


ひつこいがイレウス怖いんですけど…


と言っても、全く食欲がない。
なんせ、手術当日から今日の午前中まで、
「死んだ方がマシ!」
という激痛に襲われてたんだから。


でもデザートにスイカが付いてきた。
「スイカだけ食べてみるか…」

口当たりがよく美味しい!

試しにおかずを一口だけ食べる。


!!なんじゃこの味っ!!


溶かしたビニールみたいな味がする!

米や他のおかずも口に入れてみる。


!!ペッペッペッ!!


食い物じゃない!なんだこれ?




後にわかったんだが、味覚障害ではなく、手術中にした笑気麻酔が鼻に残ってるんだろうという事。
(本当に笑気麻酔したのかは確認してない)

しばらく、他人の体臭や水でさえ臭いがして嫌だった。

何故かお茶だけ臭わなかった。


この症状のせいで4食分ほど食べれなかった。

これが想定外の出来事の二つ目。



ただ、朝のパンだけは匂いがしなくて食べれた。


ただし、牛乳やゆで卵は無理!



夕方近くに一番下位の医師が来た。

「硬膜外麻酔のカテーテルを抜きましょうか?」

俺「抜いたら痛みが強くなるんじゃ?」

医「もう中身空っぽなんですよ」


使いきってたんか…そりゃ何回もポンプ注入してたもんなぁ…

医「じゃ、抜きますから前に屈んでくださいねぇ」


座位から前屈させられる。

脊髄近くに入ってるんやから、痛いやろなぁ~と思ってたら、

医「はい、抜けましたよ~」

俺「え?もう終わったんですか?」

俺「なんも痛くなかったです」

医「それはラッキーでしたね(笑)」

通常は痛いのだろうか?



こうして3日目で点滴以外の全ての管は抜いてもらった。ハァースッキリ。


すかさず、担当看護師のTちゃんが、
「後で歩く練習するから覚悟決めといてねニヤリ」

覚悟かぁ~ じゃあその前に自力でベッドから立ち上がってやろうじゃないか!

お、いけた!


腕の力だけで立ち上がってやった。

それを見たTちゃん。
「キャーmakotoさん、凄い!凄い!」

喜んでくれた(笑)


俺は誉めると伸びる子だ。


そして点滴タワーを杖代わりにして、この廊下を往復した。


T「この勢いで髪洗いに行こうか?」

俺「お、おう…」

更に洗髪室まであるくが、使用中だったので病室でお湯を使って身体を拭いてもらった。

気持ち良かったー!生き返った!



この後の夕食もパスし、眠りについた。

久しぶりに寝れた。

点滴にアタラックスという、
比較的軽めの眠剤を入れてくれたらしい。

朝まで爆睡!


退院2週間目 傷口がっ!

2015-08-24 23:29:38 | 日常の事・体調など
夕方から買いものに行ってきた。

糖尿病になってからずっと食ってる物がある。

それは「オールブラン」


あ、これは病院にいたネコさん。

オールブランの写真が…ない…

それに豆乳を入れて、ヨーグルトをかけて、バナナを1本入れて、シナモンを振りかけて、ちょっとふやかしてから食べる!

もう、これが美味しくって毎食これでも良いくらい。


糖尿病といっても、もう血糖値やらは正常だから

インスリン注射や薬を飲む必要はない。



ただ又、悪化する事があるので食べ物には気を付けている。

それらと野菜を買いに行った。


ちょっと遠出して、Japanese people がマラソンをしている公園に行く。


一周、約3キロの外周コースをウォーキングしようと思って。

ホント秋っぽさが出ていて、哀愁がある風景だ








早歩きをしていたらよくわかるのだか、
腹部の麻痺は殆んど無くなっていて、
唯一、メインの開腹創辺りにシコリがある。

それが歩く度に ズシンと、まるでお腹の中に重りがあるみたいに響く。

痛くはないんだが、重苦しい。

ペースが上げられないので、ジジ・ババに抜かされていく。


情けない!


最近のジジ・ババはなんて元気なんだ!

自分はあの歳まで生きられるのかな?

なんて事を考えながら一周歩ききる。



良い汗をかいた。


帰宅してシャワーを浴び、
素っ裸でクーラにあたりながらバスタオルで体を拭いていると、


「痛っ!」


腹部に痛みが走った!



よく見るとドレーンが入っていた傷の

かさぶたが取れてる。


ん?

改めてよく見るとかさぶたがぶら下がってる?

んん??????


抜糸したはずなのに、かさぶたの固まりが

糸に繋がってる…


取り残しか…?


引っ張ってみる。


取れないし…力を入れて抜く度胸はない…



仕方ないので、かさぶたと引っ付いている糸の根元を

ハサミで切った。


更に改めてよく見てみる…



なんか、傷口開いてるんですけどーーー!!


わかるだろうか?

なんかピンク色の中身が見えてる!


だ、大丈夫なのか?

どうする?俺!?


追記:病院に電話して傷の症状を伝えたら、

「見たいので来て下さい」

との事なので行ってきました。

医者「糸は中の糸が出て来ただけなので問題ないよ~」

お、中も縫ってあるんかぁ。
抜糸すると言いながら抜けなかったで放置(笑)

医者「傷口も大丈夫。又かさぶたが出来て、その内に目立たなくなるから大丈夫~」

そうだと思ってたけど一応ね(笑)

お騒がせしましたぁ~( ̄▽ ̄;)



【腹部ドレーン 激痛】原因解説

2015-08-23 06:56:48 | 手術~退院まで
腹部ドレーンを抜いた瞬間から痛みが嘘の様に消えた。
多少、胸には痛みが残るものの、
スッと手を当てると気にならなく程度の痛み。



ここから痛みの原因や、他にもこんな痛みを訴えた患者はいるのか?

医師や看護師に聞きまくる事を始める。

自分のがんが進行性で、又、開腹や開胸の手術をしなくてはならなくなった時に、またドレーンを入れて、同じ様な「死んだ方がマシ」と思ってしまう程の激痛は二度と嫌だからだ。当たり前だ。


まず聞いたのは看護師1年目のHさん。
「見たことないですぅ」

だめだ、話しにならない。


次に聞いたのが3年目になる担当看護師の頼りになるTちゃん。
「痛みの強弱はあるけど、あるから!大丈夫!」

Tちゃんらしい答だが、こんなモノでは満足出来る訳はない。


次に泌尿器科病棟の看護師長。
「痛みは人それぞれだから…」

ためだ、これも話しにならない。

看護師はドレーン管理の教育は出来てるはずだし、俺はなんだか看護師連中が原因を言いたくないのか?
と疑い始めてしまった。


次に後期研修医の副担当女医。
相変わらず何を言ってるのか理解できない。

俺の気のせいだと思ってるのか?と勘ぐる。

最後に女医は、
「後は整形外科に外来受診してもらうとかしかないですね」

うぁ、俺が一番信用出来ない医師の一言を言いやがった!

要するに他の科への丸投げだ。
考えれる原因くらい知識にあるだろ!
ダメだこの女医。


次っ!

下から2番目、医師になって二年目のヒラ男性医師。

「もうドレーンを抜いた後なので、正直に言ってわかりません」

こいつもだめだ…


主治医は毎日手術だからなかなか会えないのだ。
会えてもこの事に関して話をしてる暇がない。

自分の主治医はやり手バリバリ、なんせ忙しい。



この件に関して初めて専門的な解説をして貰えたのは退院後だった。

先に記事にした、
「がん相談支援センター」の看護師だ。

「それは間接痛と言います」

「腹部ドレーンというのは細かく分類すると入れる場所が左右で9箇所あります」

「腹部ドレーンというモノは、比較的、神経の鈍感な場所に入ってるんですが、軽い痛みのはずですが何かの拍子に全然関係ない場所に激痛が飛ぶ事があるんです」

「痛み止めが効くはずもないですから辛かったでしょうね…」


やっとわかってくれる人がいた。

しかし、その看護師さえも、
「側にいなかったのでどういう処置がベストだったかはわかりません」

とりあえず、わかってくれてるだけで今回は十分だ。
やはりあるんだな。少し安心した。



もう最後の頼み。知人の脳外科医。
果たして脳外科医に腹部ドレーンの事がわかるのだろうか?

俺「退院しました!傷見たいですか?」

脳医「見せてもらいましょう」

腹腔鏡の傷や開腹箇所を見ただけで、
どういう術式だったかを当てた!!
当たり前といえば当たり前か(笑)


そして一通りドレーン痛の事を話した。

ここからは脳外科医の解説。

「それは 関連痛 といいます」

「心筋梗塞で肩に激痛がくるのは有名です」

「所謂、脳の錯覚なんです」

「だから痛み止めは殆んど効きません」



じゃあ本当はどこが痛かったんでしょうか?

「ドレーン創からするとmakotoさんの場合、
左横隔膜下という教科書通りの場所」

「なのでドレーンが触れて痛みの原因となった箇所は横隔膜だと思います」

「ただし、刺さってしまう事はなく、触れてるだけ」

「そのわずかに知覚した神経痛が脳の錯覚により、
胸の痛みに増幅して突き刺さる様な疼痛になったと考えられます」

「痛み止めが効く場合と効かない場合があります」

「ただし、その場に居たわけじゃないから全て推測です」


では、自分の様に痛み止めが効かない場合、その時の処置としては、原因となるドレーンを抜いたり、位置をずらしたり、意識レベルを下げるという事は出来ないんですか?


「これも、その場に居たわけじゃないから何とも言えませんが…」

「医者としては術後しばらく、血圧、酸素濃度、脈拍が異常でない限り、ドレーンは抜きたくない」

「しかし、ドレーンの位置をずらしたりする事は出来たかも?」

「術後しばらくは患者の意識レベルを下げる事はしたくない。それは術後の合併症を患者の様子から早期に発見したいから」

「意識レベルを下げる事は、せん妄によってドレーンを自ら抜いてしまう危険性がある。それが一番怖い」


と、いう事らしい。

「ドレーン 関連痛」で検索すると結構出てくる。


自分は今回の事で、主治医を責めるつもりはない。

ただ、もし次に事が起こった場合はもっと適切に処置してほしい。なので次回の外来で話し合うつもりでいる。


最後にもう一度言っておくが、このレベルまでの痛みは、そうあるものではない。

腎臓摘出手術では聞いた事がない。

ただし、他の疾患で1名だけ、
「竹槍を刺される痛み」
と表現しているブロガーさんがいた。

他にもドレーンの痛みで調べたが、殆んどが痛みというより、「違和感」と表現している。

痛みの強弱はあるものの、やはり人それぞれだ。

術前にこの記事を見て恐怖心を与えてしまった人がいれば、それは申し訳ないと思う。

でも、自分の身に起こった事実を書いている訳で、
これから手術をする方は、事前に主治医と話し合って、自分の様に痛みを放置される事なく、しかるべき処置をしてもらえるように確認しておくと良いと思う。

手術から3日目 地獄の48時間 (2)

2015-08-21 23:59:38 | 手術~退院まで
手術2日目から3日目に移ろうとしていた。

相変わらず痛みで唸っている、叫んでいる。

何をしても痛みが収まらない。

気絶してしまえば楽になるんだろうが、いつまで経っても気絶はしない…地獄だ。何かの罰なのだろか?朦朧とする意識の中でも 考える。




ひとつ、少し楽になる方々があった。

尿瓶に尿を出すと腹部圧迫が引いて、胸の痛みがマシになる。

だが、そんな何回も尿が出る訳もないし、出した後の数分だけ痛みがマシになるだけだ。

しかし俺は唯一楽になるその行為に執着してしまった。

夜中、先に出た性格の悪い例の看護師が、
「規則で尿瓶は一回ごと処理しなくてはならないので持って行きます」

もう、この看護師、悪魔にしか見えない。嫌いというレベルではなく、怖いのだ。

精神的にも弱りきっているので、文句が言えない。だからこの悪意があるとしか思えない行動や言動の数々は、この時の俺には恐怖でしかなかった。


そして又もや襲う胸の激痛。

もう嫌だ!頼むからどうにかしてくれ!

やはり排尿をしたら楽になると思ってるので、もうヤケだ!

手術後からしているオムツの中にしてやる!

いや、してもいいのだが、そこは自尊心が働く。

無理矢理出す為、少量しか出ない。
その為にあの悪魔看護師をいちいち呼びたくない。

なのでオムツの中に出そうと上から膀胱を押すが…
…出ない?出ない!出ない!出ない!

胸が痛い! 更に痛みは増していく。

ナースコールを押しまくる。
返ってくるスピーカー声はクールだ。

「どーされましたぁー?」

俺「助けてっ!」

やがて病室にくる例の看護師。

「makotoさん、どうしてあげる事も出来ないんですよ~」

俺「わかったから先生を呼んでっ!」


看「先生が来ても何も出来ませんよ?」

お前が決める事じゃない!

俺「尿を出したらマシになる事がわかったんやけど、どうしても出ないから、もう一回カテーテル入れてもらってっ!」

普通に会話してる様に感じるかも知れないが、俺は息絶え絶えだ。

看「カテーテル抜いてって言ったの、makotoさんですよ?」

俺「わかってるから!わかってるから、先生呼んで!」


こう書いていると、このターミネーターみたいに感情を表に出さない悪魔看護師、ごくマトモな事を言ってるなようにも思えるが、この時は痛みに苦しんでいる俺を見て、喜んでいるとしか思えなかったんだ。


しばらくして、超美人の副担当女医登場。ただし、後期研修医で、ホントに頼りなかった。

俺の訴えを看護師から聞いてカテーテルを再導入してくれる事に。

いくら激痛で意識朦朧としていても、生意識で尿道カテーテルを入れる痛みは凄まじいモノがある。

人生で2回目、更なる痛みに覚悟する。
そうまでしても、楽になる事を望んだ。

俺「ヴグググッ!ガァァァァッ!」


術前検査で念のために膀胱内視鏡を突っ込まれたが、
ジェル麻酔剤が先に注入されていたし、
痛みは、ある部分を通過する時の一瞬だけだった。

それに比べ、この尿道カテーテルは先から膀胱内に入るまで、凄まじい激痛だ。

もう二度と意識がある時の尿道カテーテルはごめんだ。

ただ膀胱まで入ってしまえば痛みはない。


少しだけ出たみたいだ。


女医「殆んど貯まってない」

女医「普通のスケジュールでも明日カテーテルを抜く予定だったから、もう留置しませんよ」

そう言ってカテーテルを抜かれた。


一通りやれば俺の気が済むだろうと思ってやってくれたんだろうが、
この女医も悪魔看護師も、人間味があるところは1度も見なかった。
弱りきっている時には勘弁してほしい。


女医も看護師も病室を出て行った。

胸の痛みがマシになった訳ではない。



朝が来るまで何回もナースコールを押しただろう、何人もの看護師を巻き込みながら、痛み苦しみは続く。

ある時、 悪魔看護師にとうとう言ってしまった…

「痛み取られへんねんやったら、もう殺してくれ!」

あの時の俺は、悪魔看護師だから殺してくれるとでも思ったのだろうか?

まぁ、それくらいの激痛だったのだ。





朝のかなり早い時間に又ポータブルレントゲンがきた。

傷口の痛み等は何も感じない。
ひたすら胸が痛い。

首の筋肉と、脚の筋肉を使って自ら腰を上げて協力した。

想定内通り腰下に板を入れて、
2枚程レントゲンを撮って帰っていった。


午前9時頃、主治医がきた。

俺「先生、お願いやから痛み取って!」

「ドレーンが突き刺さる痛みやねん!」

主治医「朝のレントゲンでも異常はないし、ドレーンが刺さってる事はないから」

「でも、腹部の廃液も全然出てないからドレーン抜いてあげる」


少しお腹の皮膚が引っ張られる違和感はあったが無痛。

主治医「はい、抜けたよ。お昼のごはんも出すから食べてね。で、午後から歩いてみましょうね」

そんな事出来る訳な…い…?


……胸の痛みが消えた?
もう…痛くないぞ?マジか!

俺「先生!痛みが消えたよ!」

主治医「ドレーンが腹膜に触れて痛みが胸に飛んでたのかも知れない」


俺「先生、腹部ドレーンって、長さどれくらいお腹に入ってたんですか?」

主治医「これくらいやで?」


主治医が両手で現した長さは20センチくらい。

そんなモノなの? それが何故?


ひとまず、やれやれだ…



この後に、
「ドレーン 激痛」というタイトルで、
痛みの原因を解説します。

手術から2日目 地獄の48時間 (1)

2015-08-20 20:36:59 | 手術~退院まで
まず最初に、今から書く事は、手術前の方にはショッキングな内容である。

しかし、自分の場合は極々まれなケースであるという事と、医師や看護師にしても経験上、首をかしげるケースだという事を念を押しておきたい。

そして一通り書いた後にこの事象を解説するので最後まで見てもらいたい。






それは、手術当日の夜から始まった…らしい…

らしいというのは、時間の感覚がないので後から医師や看護師、身内に聞いたので後に時間的背景が判明したのだ。


まず、これは自分的にショッキングな事が起こった。
手術後間もない時にベッドに主治医がきて、

「部分的にゲロタ筋膜を越えて腸と癒着してた。一部ステージ4」

俺「やばいやん…俺、やばいやん…」

主治医「大丈夫!大丈夫!」

そう言いながら俺の肩をポンポンと叩いて病室を出ていった。


ただ、その時、全身麻酔の影響もあって思考がしっかりしていない。

「俺、長くないな…」

それだけは思った記憶がある。

その時は、家族も側にいなかった為、
医師が発した言葉は未だ謎だ。

先の記事にも書いたが、

主治医に「入院中は何も言わないでくれ!今は病状を受け止めれる精神力はないよ!」

と言ったのだ。全くデリカシーがない。


そもそも「一部ステージ4」とはどういう意味合いがあるのか?

これは退院後に、がん相談支援センターの看護師が主治医に聞いてくれると言ってくれたが、本日現在センターからは連絡はまだない。

病理結果報告の9月4日の外来まで何の連絡もないんじゃないかと思うようになっている。




さてさて、話しは手術当日の夜だ。

実は術後しばらくしてからずっと胸辺りに違和感を感じていたのかも知れない。(当日撮ってもらった写真は、どれも胸に手を置いている)


突然、胸に物凄い激痛が起こった!

強烈な痛さでマトモに息が出来ない。
ナースコールを押しまくっていたに違いない。

看護師がきて何やらやってる。しかし…

血圧正常。
酸素濃度正常。

看護師が出来る事は、
点滴からの鎮痛剤、ボルタレン座薬、硬膜外麻酔のポンプ注入。

当番医師はこない。なんでだ?

痛み止めは全く効かない。絶望感が自分を襲う。

「痛い!痛い!死ぬって!」

まるで胸に矢が刺さっていて、さらにその矢を手でグリグリ掻き回されてる様な激痛なので叫び声があがる。

一晩中喚き散らしていた…らしい…

二日目の朝を迎えるが痛みはマックス100のまま。

自分が思うに、お腹に入ってるドレーンの先が、
心臓と肺にズコズコ刺さってるんじゃないのか?

それを看護師に訴えるが、
そんな事があるはずもなく看護師も俺をなだめるしかない。

朝の回診で主治医登場。
もう、痛くて苦しくて、ほとんど何を主治医に言ったか覚えてない。覚えてる事は、

痛みの原因じゃないないか?と思ってる腹部ドレーンはまだ抜く事は出来ないのは知っている。
ヘタに知っているものだから、それが言えない。

ならせめて尿道カテーテルを抜く事は出来ないか?
主治医に懇願する。すると名前も知らない看護師が、

「カテーテル抜いたら歩いてトイレに行かなくてはいけませんよ?」

それは無理だ。この看護師の言い方に腹がたったが、怒る気力なんかない。

しかし主治医が、

「歩けなくても尿瓶で用をたしてもいいから」

すかさず言ってくれた。

この腹がたつ看護師の話しは次以降も度々出てくるかも知れない。
たが美人で若い子なんだ。いつか泣かしてやろうと復讐を考えている(笑) だがまた泌尿器科病棟に入院する事になったら、更に仕返しされる。仲良くするしかないか…



結局尿道カテーテルを抜いてもらった。

これで激痛から解放されるのか?


いや、全く収まらなかった。

いつまで続くかもわからない、この痛み。


痛み止めも一切効かない。

目を開けても見えるのは幻覚。

なんだか覚えてないが、おかしなモノが見えてた。


だが、今思い出すと、ずっと痛みマックス100ではなかったみたいだ。


こんなに痛みで叫びまくっているのに、
術後二日目の午後という事で水分がOkになった。

家族にはかなり八つ当たりをしたらしく、冷たいお茶では満足出来なくて、氷を入れてくれとしつこく頼む。

後に聞いたが、わざわざ病院内のレストランに行き無理を言ってたった3つの氷を貰ってきてくれたらしい。

ごめんよ…

まだ水分500ミリリットル制限なので気を付けて飲んだが、100ミリリットルも飲めてなかったらしい。

凄く冷たくて美味しかった。

しかし、また発作的痛みが襲う。



家族が居ない時にポータブルレントゲンがきた。

噂には聞いていたが痛み苦しんでるのにマジか!?


この時、担当看護師のTちゃんが側にいて、

「患者さん、今こんな状態やしドクターの許可も下りてないのに無理です!絶対ダメですから!」

と追い返したのだ(笑)

この担当看護師のTちゃん、すごく優しく、時には厳しい事も言うのだか、まるで子供を諭すかの様に自分をなだめてくれた。

下手したら自分の娘でもおかしくない年頃なのに。

Tちゃん、君は素晴らしい指導看護師になれるよ。医学知識も豊富だし、まだ三年目なのに看護主任並の頼もしさだったよ。本当にありがとう。


二日目の夜になろうとしている。
が、しかし、地獄の痛みは まだまだつづく…

この後(2)を書いた後、痛みの原因と仕組みを解説します。



退院8日目 開腹創

2015-08-18 19:15:26 | 日常の事・体調など

昨日の痛みはなくなった。
まぁ、痛みというより重苦しい感じなんだが。

8月3日の午後1時に手術が始まり、
午後4時に終わった。

そして8月5日の午後に術後初めて歩いた。

この辺りは、また詳しく書くのでしばしお待ちを。



今日は買いものに出掛けるのに、自転車に乗ってみようと思った。

家から下り坂を…
オゴゴゴッ!振動がっ!

うそうそ、全然平気だった。無問題。

スーパーに到着。


食材を買い込み、帰路へとつくのだが、行きが下り坂という事は、帰りは登り坂。

さて、登り続ける事が出来るのだろうか?


結果…最後の心臓破りの坂まで自転車に乗ったまま登り切れた!

短時間の体力は戻ってる。



夏から秋に季節が変わっていくのが、
雲を見ればわかるな。


ここで 、手術から2週間経った傷口を見てみよう。

まずは全体


風呂上がりなので多少赤みがかってる。
下の横に切ってる傷が、
腎臓を取り出した開腹創。

腹腔鏡等を入れた穴が3つあるはずなんだが、ドレーンを入れてた穴を入れても2つしかない?

もう1個はどこなんだろうね?

確実な腹腔鏡の穴とドレーンを入れてた傷口。


開腹した場所は溶ける糸で内部で縫ってあって、接着剤で引っ付けてあるので抜糸やホッチキスの場合の抜鈎の必要はない。

ドレーンの傷は入っている時から縫ってあるので一針だけ抜糸した。

腹腔鏡の傷とドレーンの傷は内部で縫ってある。


お腹が脂肪でボヨンとしてる様に見えるかもしれないが、それは違う。

開腹した左側の部分だけ、術後すぐから腫れているのだ。
始め脱腸かと思ったくらいだ。

いまでも左側腹部だけポコッと出ていて熱をもっている。

腫れは次第に収まってくるので問題ない。

だが、このポコッと出ている部分が、
まるでお腹に砂袋を下げてるみたいに
重苦しいのだ。これが結構不快である。

と、まぁ、私生活には全然問題はない。なんだったら走れるし。

気持ちのもちようで、どうにでもなる術後2週間目でした。


退院7日目 痛い!

2015-08-17 22:30:57 | 日常の事・体調など
痛いと言っても激痛ではない。

何故か取り出した左腎臓があった場所が痛い。

背中側と腹部側、両方痛い。

内部が時折、ズキンっと痛む。




それと、開腹創が痛む事は術後から昨日までまったくなかった。

それは左側腹部の表面が麻痺したままだったから。

それが徐々に麻痺が取れてきたもんだから、腎臓を取り出した14センチくらいの開腹創も時折チクッチクッと痛む。

「ヴッ」とはなるが痛み止めを飲むレベルではない。

退院時に売るほどの痛み止めを渡されいる。
軽い痛み止めと、激痛の時に頓服する二種類。

幸いまだ痛み止めを飲む事にはなってないが、退院してから1週間も経ってから痛みを意識するとは思っていなかった。

ガスや便は順調に出ているので、
イレウス(腸閉塞)の心配はしていない。

腎臓を取り出したスペースには、大腸がはまりこむと聞いているので、恐らく腸の移動による関連痛だと思う。


こういう時には術前に調べまくって得た知識が役立つものだ。

とは言え、痛みは不快なので軽い痛み止めの方を飲んで眠りにつく事にしよう。

追記:結局痛み止めを飲む事なく寝ました。

御礼参りに行く

2015-08-15 18:10:33 | 日常の事・体調など
まずは奈良県 大神神社(三輪神社)へ

参道と手水舎




自分の一番好きな神社だ。

和魂神社に上がる階段


弁財天


奥宮にあたる
狭井神社は荒魂神社になる。

御神体山に登る参道入口
ここが一番パワーを感じる場所だ。

御神水(ごこうすい)と読む。


パワーを体内へ頂く。

自分はその辺りのパワースポット好きではなく、歴史好きの神道崇敬者である事を言っておきたい。

今回の手術の御礼参りにきた。

祝詞も、何も見ないで奏上出来る。



その後、大化の改新の最初の舞台となった、談山神社へ。





神社のくせに拝観料がいるので、ここまでしか入らない。



中臣鎌足と中大兄皇子が、
蘇我入鹿を暗殺する事を、
談らった(かたらった)場所であるから談山神社という。

血生臭い場所であるんだが。

涼を求めて近くの滝へ


ちょっと曰く付きか?


夜に来たら怖いと思う(笑)

そんなこんなの1日でした。
うん、ブログらしいブログになった。

退院3日目 がん相談支援センターに行く

2015-08-13 20:12:00 | がん情報
とにかく不安要素が多すぎる。

あまりにも精神的に辛いので、

がん相談支援センターに予約を入れた。

因みに、患者本人が行かなくても、患者の家族の不安や相談も聞いてくれるので、ご家族の方も是非とも利用してくださればと思う。

本日午後2時に訪問した。



このセンターの役割は、予め知識に入っていたつもりだったが勘違いしている部分があった。

まず、医師や看護師を通してからしか行けないと思っていたのでタイミングがとれなかった。

しかし、それは間違いでここは一応、病院から独立している組織だ。

がんと診断された時点から外来とは別に相談支援が受けられる。



自分の入院してた病院は、地域のがん治療拠点病院なので、
そういう病院には、がん相談支援センターが設置されている事はみなさんもご存知だと思う。

朝から用意して、気分転換がてらに街に出てお昼ごはんを食べる事にしたが、バスの時間が過ぎてしまった。

市内循環のコミュニティバスなので1時間に1本という運行。

仕方なく最寄り駅まで歩く事にしたが、その距離1.3キロ 退院直後の歩く距離にしては、この暑い日に無理がある。

が、あえて無理してみようじゃないか。



結果、余裕で歩ききった。

以外といけるもんだな…


ま、そんなこんなで、病院内の
がん相談支援センターに到着。

出迎えて頂いたのは、センター担当の看護師さん。

「なんでも話して下さいね」
と言ってもらったので、まず、
自分の病理結果に対する不安。

そこいらの心理カウンセラーより良く話しを聞いてもらった。

さすがにわかってらっしゃる。

やはり精神的不安はみな同じなんだろう。
これは経験がものをいう職種だな。

そして、自分が、もし抗がん剤治療を行うにあたって、一番不安な事は、
「独り暮らしで、どうやって辛い副作用を乗り超えていけるのか?」だ。

看護師の言葉をそのまま書くなら、
「まず、makotoさんにエリアマネージャーをこれから付けます。」

「そして、あらゆる問題に対してこのマネージャーに動いてもらいます」

「自分で動ける時は、私達がなにもかも相談や不安を聞き、makotoさんの治療に関係する全てをフォローします」

「ここは大学病院ですから、副作用が強くても入院は出来ませんが、独りで何も出来なくなった時には、その常態でも入院出来る病院があるので、心配はいらないです。私達が動きます」

「makotoさんが望むなら、マネージャーとセンターと主治医とでしっかり連帯をとり、
makotoさんにとって最善のサポートをしていきます」



その他、色々1時間にわたって話しをしたが、看護師の発する言葉は余裕と自信に満ちていて、決して営業トークではない事を感じた。

最後に、
「どんな事でも気にしないで、不安や相談があれば来て下さい。来れない場合はこの直通電話に電話してきて下さい」

と言われた。


がん相談支援センターの看護師との面会の感想だが、

「そこまでしてもらえるのか?」だった。


まぁ、まだ実際何もしてもらってないので、全て順調にいくかは定かではない。

しかし、この看護師の力強い公的サポートの言葉は涙が出そうなくらい頼もしく感じた。

まず、何をしてくれるかだが、

主治医に連絡を取って頂いて、
自分が不安に思っている病理結果の件を聞いてもらう。(少しややこしい)

*追記を加える。

何故病理結果を急ぐのか?
いや、急いでいる訳ではない。

実は手術直後にステージUPを告げる様な事を、
主治医が言ったのだ。
自分は手術直後にそれを受け止める精神力なんか
持ち合わせてはいない。

だから入院中は何も言わないでくれ!
と、主治医にお願いをした。

しかし主治医がうっかり?言った事は脳裏から
消える事はない。

それを改めて聞きたいと思ったのは退院後。
外来予約を入れてまで聞く事じゃないかも知れない。
病理結果はまだ出ていないのだから。
なのでセンターから主治医に聞いてもらう事にしたのだ。
(結果、俺の精神状態が落ち着いたので、病理結果を聞く予約日まで知らないまま過ごした)





それと、エリアマネージャーを決める件。
(結果、まだ必用ない)

この2つの件に関して、報告・決定を電話にて連絡をくれるそうだ。



とにかく安心感を頂いた。
ブログ上には書けなかった色々な話しも出来た。

なんせ、がん専門看護師だ。
マニアックな話しが通じる。

不安や質問にも全て答えてくれた。

これ以降の別件についての相談は有料になる。
といっても1回につき200円弱らしい。
(有料なのは、本格的なサポートになる、
緩和ケア外来での事だと後に知った)




普通の患者支援センターとも連帯するので、金銭面の相談も出来る。


あなたも不安があれば、
是非、あなたの街の病院にある、

がん相談支援センターに足を運んでみると良いと思う。

入院3日目(手術日)後編

2015-08-12 22:26:16 | 入院~手術
PM12:30 オンコールで中央手術室へ

実は病室から手術室前までの記憶があまりない。


エレベーターに乗って記念撮影 したらしい。

手術室前で記念撮影      したらしい。

写真や動画が残ってるので確かなんだが、

やはり緊張してたのかな?と思う。



だが、不思議なモンで、手術室内準備室の事はちゃんと覚えている。

続々やってくる男女の手術室担当の看護師や、

麻酔担当医。挨拶してくれるので、気軽に会話してた。


男看護師の誘導で第9手術室に入る。


想像してたより狭い。

でも、カッコイイ! ・・・俺はバカか?

手術台の上にはお馴染みのあのライト。ガンダムに出てきたドムの目と同じ。



手術台の上に仰向けに寝るよう指示されて「よっこいしょ」と。

まずは心電図やらが取り付けられる。


麻酔医「では硬膜外麻酔を背中に入れるので横を向いてください」

俺「こんな感じですか?」 ダンゴ虫の姿勢をやってみせる。

麻酔医「そうそう!上手!」 褒められた(笑)

麻酔医「じゃあ先に痛み止めの注射を皮膚に打ちますね~」


チクッ ズーン! チクッ ズーン! チクッ ズーン!


け、結構痛いじゃないか、この野郎っ!!


筋肉注射や他の麻酔と一緒で、チクッだが、液が入ってくるのがズンと重苦しい。


麻酔医「じゃ、硬膜外麻酔入れますね~」

チクッ ズーン! ズーン! ズーン!

お、同じ痛さじゃないか、この野郎っ!!


麻酔医「痺れはありませんか?痛くないですか?」

俺「痺れはないですが、痛いです」

麻酔医「おかしいなぁ?痛いはずないんだけどな?」

麻酔医「じゃあ、もうちょっと痛み止め打ちますね~」


おおぃ!すまん!本当は大して痛くないんだ!怖さからつい痛いと言っただけだ!

チクッ、 ズーン チクッ ズーン チクッ ズーン

おお!もういい!俺が悪かったからヤメテくれ!(笑)


麻酔医「ではまた硬膜外麻酔入れていきますね~」

ズーン ズーン ズーン 

もう痛くない。好きにしてくれ・・・


ここ、麻酔液を入れてるだけではなく、細いカテーテルを入れてるから

確かに皮膚麻酔をしてなきゃ、そりゃ痛いだろうな。


てっきりこれを研修医がやるんだろうと思ってたが、後で調べてみると

上から4番目の麻酔医講師の先生だった。

(まぁ、声だけ講師で、やってるは研修医かも知れないが・)


ところで、俺の主治医はどうした!? いないじゃないか!

俺「主治医先生はどこですか?」

女看護師「まだみえてないです」


おーーーーーい!まだ昼飯食ってるのか!早くこーーーーい!


麻酔医「じゃ、麻酔終わりましたから、仰向けになって下さい」


ここで知ってるのにわざと言ってみた。

俺「硬膜外の管が背中に刺さってるのに仰向けになっていいの!?」


一同「大丈夫!大丈夫!ほそーーーい管だから」

みなさんすみません、ただ言ってみたかっただけなんです(笑)


遅れて主治医登場

俺「先生やっときたかぁ」

主治医「すみません、makotoさん頑張りましょうね!」


さて、カウントダウンはいつだ?


俺「もう俺、寝かせますか?」

麻酔医「まだでぇ~す」


俺「・・・もう寝かせます?」

麻酔医「まだですよ~」


いったいいつカウントダウンするんだ・・・?











・・・夢を見た。すごく幸せな夢だった・・・







「makotoさんわかりますかぁ、手術終わりましたよ~」


大きく深呼吸をした。 「あ~~めっちゃ気持ちええ~~」

俺の第一声だった。 とにかく気持ち良かった。





・・・あ・・・れ・・・? 


また意識が失くなる。



ガラガラガラ  ストレッチャーで移動しているようだ・・・



意識はハッキリしないが、家族の声が聞こえてた。

弟「アニキようがんばったな!」

俺「おう!めっちゃ気持ち良かったで」

こんなやりとりをしたような気がする。




どうやら元居た病室に戻ってきてるらしいが、

麻酔の影響で、思考や見えてるモノがよくわからない。

スーハー スーハー

あ、酸素マスクをしてるのか・・・

スーハー スーハー

うん、中々気持ち良い。



痛みや不快感は全くない。むしろやたらと気持ちが良い。


ただ、自分がどういう状況下にいるのか?そこがハッキリしない。

何か問いかけられると、ちゃんと返答するらしいが。



この後、家族が面会時間を少し超えてくらいまで居てくれたらしいが、

覚えていない。 ほぼ目を瞑っていたという事を後に聞かされた。


全工程4時間の内、

硬膜外麻酔の準備等が30分  

回復室で30分

手術時間 3時間(予定通り)




・・・家族が皆帰って行った後くらいから、壮絶な48時間が始まる・・・


退院2日目の午後なのです

2015-08-12 17:50:19 | 日常の事・体調など
昨日退院して、今日は出歩いてない。

一度起きて朝食を食べたが、その後また寝てしまって

起きたら午後4時・・・ 

いかんなぁ、歩かないとまだまだイレウスが怖いんだけど、

疲れてるわぁ。
 

入院時のブログ話は保存しながら書いてます。


昨日は楽しい事があった。

以前から交友していた人達と話せた。

ネガティブモードがだいぶ上がった。

不安や心配事は、中々身内には話せないものだ。

知人や友人にもしかり…

そんな時に話せる仲間って有り難い。


体調はというと…無問題!

4階の我が家にも重い荷物を持って平気で上れる。

手術から8日目が退院だったけど、

今思えば5日くらいで余裕で帰れたと思う。

身体的不安は心からくるモノだったから、

自分がもう少し強い人間だったら帰っていただろうなぁ。


入院中に出会ったおっちゃん、怪物的強さがあった。

この人のナースも驚くべき回復力と精神力については

手術~退院までのエピソードの中に織り交ぜる予定。


さ、夕方になって少し涼しくなったみたいだから、

散歩がてら買い物に行ってこよう。

明日退院です。

2015-08-10 10:05:35 | 日常の事・体調など
帰宅後の体調の不安から、退院を先伸ばしする計画を立てていましたが、
明日8月11日(火)に退院する事になりました。わずか1日の延長しかならず。クソッ(笑)

術前から手術日を入れて9日間、
長いようで短かったような、長いような?

腎臓ガンと発覚した日から、極度の不安の為、ネット検索した日々。

なので、おおかたの情報は知りつくし、ほぼ想定内の出来事しか起こらず、手術に関しては余裕があったのは事実だ。

が、しかし、想定外の事も2つ起こった。それは帰ってからPCで時系列を追って書いていきたい。

全く何も知らないほうが、その人の性格上良い事もある。書き方によっては不安を助長する場合もあるだろう。

そこは丁寧に説明を付け足しながら書く様に気を付けたい。
経験した事を、事実だけを書いていく。

その為に毎日の様にナースやDrを捕まえて、質問をぶつけてきた。

恐らくウザイ患者になったであろう事は想像できる。

最新鋭の知識と機器が集まった高度先端医療センターが併設されている大学病院なのだから、最新鋭の治療が行われているのは間違いないだろう。

だからといっても、医師や看護師の技術や人間性も最新鋭とは限らない事を付け足してもおく。

手術当日から退院までの行われた治療や出来事を簡単にまとめたものと、

医師や看護師、その他の人とのやりとりをmakoto色を入れながら日記風に書いたモノと、二種類を用意してある。

自分の手術前に腎臓ガン手術をした先輩方のブログで情報を得た様に、自分のブログが、これから腎臓ガンの手術をする人の「想定内安心」に、ひとつでもお役にたつ事を願って。