手術からちょうど1ヶ月後の、2015年9月4日に病理結果を聞くためだけに外来に出向いた。
採血と採尿がある事を事前に知っていたわりには遅めの到着。
悪い結果が出た時、ショックでどうなるかわからない。
なんせ最悪の印象を入院中に医師から言われている。
退院後、
「俺は、精神的に壊れるかも知れない」
と思うほどの1ヶ月だった。
心配する弟と彼女が付き添ってくれた。
胃が痛い…
泌尿器科外来前の待合室。
相変わらず自分と同年代の人はいない。
弟と彼女には悟らねない様にしていたが、不安からくる緊張は極限状態だ。
ステージ4と言われるのが濃厚な為に、
まるで死刑判決を言い渡される前の被告人になったような気分だ。
でも、俺は何も悪い事はしていない。
なんでこんな目に合わされるのか…
しばらくして診察室から呼ばれた。
久しぶりの主治医の声。
診察室のドアに手をかけるが、
開けられない。
入りたくない…怖い…
しかし、ここまできて逃げる訳にはいかない。弟と彼女が後に並んでいる。
ドアを開ける。
「makotoさん、こんにちはぁ」
医師の笑顔の挨拶。
俺は、医師がまだ結果報告を言わないように、あの時の事を抗議した。
俺「先生!術後にゲロタ筋膜を越えて腸に癒着してたなんて言うから、この1ヶ月どんだけしんどかったわかりますか!?」
主治医「いや、それは聞かれた医者としては嘘を言う訳にはいかない」
俺「え?俺が聞いたんですか?」
主治医「そう。先生の見た印象はどうでしたか? と」
主治医「それだけを言ったんじゃないけど、makotoさん悪いとこしか覚えてないでしょ?」
俺「は…い…」
主治医「まぁ、でも結果が良かったしね。pT2aです」
!!…力が抜けた…
安堵感で崩れ落ちそうだった。
主治医「癒着が固かった(癒着が広範囲にひどい事の意味)から実際、腸に浸潤してる印象だったんですよ。でも良かったです」
とりあえず、ラッキーだったらしい。
当初、本当にヤバかったみたいだ。
俺「嚢胞性だった?」
主治医「いや、淡明細胞癌です」
当初の診断は、左嚢胞性腎細胞癌といわれていた。
嚢胞性は三種類の分類があり、どれも予後が良いと言われる。
しかし、調べていくうちに嚢胞があるというだけで、嚢胞性とは限らない事がわかっていた。
「嚢胞を有する、左腎臓淡明細胞癌」
結果 pT2a N0 M0 G2>G3
もう、これだけで万歳だ。
最悪ステージ4が濃厚だったのだ。
しかもその場合、単純な転移ではなく、
ゲロタ筋膜を越えていたとしたら、それは癌が全身へ飛び散っている事を示唆していた。
ただし、安心は出来ない。
病理結果の表にあるように、
癌の異形度の総合評価は、最悪のグレード4。
紡錘細胞癌という一番異形度が高い、所謂、顔つきの悪いのが混ざってしまった。
しかし、この大きさの悪性度の高い癌なのに、現時点で転移が見つかってないのは奇跡だ。
みんなの願ってくれた想いか?
ブロ友さん達も本気で願ってくれた。
再来月の11月、最初の3ヶ月検査がある。
造影CTでの検査だ。
早い人はここで転移が見つかる。
しかし、そんな事を考えていたら普通の生活は出来ない。
なんとか精神状態を保つ生き方が必用だ。
でも、ホントに疲れた1ヶ月だった。
願って頂いたブロ友さん、友人、家族、本当にありがとうございました。
感謝の気持ちで一杯です。
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