腎臓がん物語 桜が舞い散る頃までは…

2015年5月末日、左腎細胞癌発覚
8月手術、同年11月多発肺転移。
バツイチ独り暮らし46歳

改めて 病理結果 報告

2015-09-05 15:57:29 | 病理結果

手術からちょうど1ヶ月後の、2015年9月4日に病理結果を聞くためだけに外来に出向いた。

採血と採尿がある事を事前に知っていたわりには遅めの到着。

悪い結果が出た時、ショックでどうなるかわからない。

なんせ最悪の印象を入院中に医師から言われている。

退院後、
「俺は、精神的に壊れるかも知れない」
と思うほどの1ヶ月だった。

心配する弟と彼女が付き添ってくれた。


胃が痛い…


泌尿器科外来前の待合室。

相変わらず自分と同年代の人はいない。

弟と彼女には悟らねない様にしていたが、不安からくる緊張は極限状態だ。

ステージ4と言われるのが濃厚な為に、
まるで死刑判決を言い渡される前の被告人になったような気分だ。

でも、俺は何も悪い事はしていない。

なんでこんな目に合わされるのか…



しばらくして診察室から呼ばれた。
久しぶりの主治医の声。


診察室のドアに手をかけるが、
開けられない。

入りたくない…怖い…

しかし、ここまできて逃げる訳にはいかない。弟と彼女が後に並んでいる。



ドアを開ける。

「makotoさん、こんにちはぁ」

医師の笑顔の挨拶。


俺は、医師がまだ結果報告を言わないように、あの時の事を抗議した。

俺「先生!術後にゲロタ筋膜を越えて腸に癒着してたなんて言うから、この1ヶ月どんだけしんどかったわかりますか!?」

主治医「いや、それは聞かれた医者としては嘘を言う訳にはいかない」


俺「え?俺が聞いたんですか?」


主治医「そう。先生の見た印象はどうでしたか? と」

主治医「それだけを言ったんじゃないけど、makotoさん悪いとこしか覚えてないでしょ?」


俺「は…い…」



主治医「まぁ、でも結果が良かったしね。pT2aです」





!!…力が抜けた…




安堵感で崩れ落ちそうだった。


主治医「癒着が固かった(癒着が広範囲にひどい事の意味)から実際、腸に浸潤してる印象だったんですよ。でも良かったです」


とりあえず、ラッキーだったらしい。

当初、本当にヤバかったみたいだ。


俺「嚢胞性だった?」

主治医「いや、淡明細胞癌です」


当初の診断は、左嚢胞性腎細胞癌といわれていた。

嚢胞性は三種類の分類があり、どれも予後が良いと言われる。

しかし、調べていくうちに嚢胞があるというだけで、嚢胞性とは限らない事がわかっていた。


「嚢胞を有する、左腎臓淡明細胞癌」

結果 pT2a N0 M0 G2>G3




もう、これだけで万歳だ。

 

 



最悪ステージ4が濃厚だったのだ。

しかもその場合、単純な転移ではなく、
ゲロタ筋膜を越えていたとしたら、それは癌が全身へ飛び散っている事を示唆していた。

 




ただし、安心は出来ない。

病理結果の表にあるように、
癌の異形度の総合評価は、最悪のグレード4。

紡錘細胞癌という一番異形度が高い、所謂、顔つきの悪いのが混ざってしまった。


しかし、この大きさの悪性度の高い癌なのに、現時点で転移が見つかってないのは奇跡だ。



みんなの願ってくれた想いか?

ブロ友さん達も本気で願ってくれた。




再来月の11月、最初の3ヶ月検査がある。

造影CTでの検査だ。

早い人はここで転移が見つかる。

しかし、そんな事を考えていたら普通の生活は出来ない。

なんとか精神状態を保つ生き方が必用だ。


でも、ホントに疲れた1ヶ月だった。



願って頂いたブロ友さん、友人、家族、本当にありがとうございました。


感謝の気持ちで一杯です。

ランキングに参加しています。 よろしければポチッとお願いします♪ にほんブログ村 病気ブログ 腎臓がんへ
にほんブログ村