腎臓がん物語 桜が舞い散る頃までは…

2015年5月末日、左腎細胞癌発覚
8月手術、同年11月多発肺転移。
バツイチ独り暮らし46歳

なんだかんだで、もう10ヶ月。のつづきを書きました。

2016-03-27 12:57:13 | 回想
3つ前の記事のつづき…


えー、色々すっ飛ばしまして…

手術直後、麻酔で朦朧としている時、
病室に現れた主治医に俺が聞いたという。

「ステージ2で済みましたか?」

多分こんな感じで聞いたらしい。
俺は全く覚えがない。

しかし、主治医が答えた言葉はしっかり覚えてた。

「がんが腸に癒着していて、浸潤していると思うので、一部ステージ4」

自分から聞いた記憶がないので、
「この医者、病理結果が出る前に、なんちゅう怖い事を言うねん!」

と、怒りと不信感で憤慨したもんだ。



この、「一部ステージ4」というよくわからない言葉に後々惑わされ、狼狽えるのである。

病理結果が出るまでの1ヶ月間、精神的に参ってしまって、ヤバかった。
最初に告知された時も、転移が発覚した時も、ここまで狼狽しなかった。

後に主治医に抗議したが、
「makotoさんが聞いてきたから答えた。医者としてウソを言う訳にはいかない」
と言われた。

そ、それはスミマセンでした。


結局、3ヶ月検査で多発肺転移が判明するまで、ステージ2のまま何とか平穏に過ごせていた。

(これらの詳細は過去記事参照)




早い人は、初の3ヶ月検査のCTで肺転移が見つかる。
知ってはいたが、まさか自分がそうなるとはねぇ~ シミジミ…

なんとかギリギリセーフをくぐり抜けてきた感があったから、大丈夫と思ってた面もあったんだけど。

やっちまったなぁ。




病理結果の俺のがんの悪性度はグレード4。

日本のグレードは最近までG3までだったが、異形度の総合評価ではアメリカ同様G4が付け加わったらしい。

(ブログ内『改めて病理結果』参照)

別格に予後が悪い「紡錘細胞癌」が混ざっているから5年生存率が滅茶苦茶低い。

5年生存率なんぞ、あくまで平均値だ。
全く気にしてはいないけど。


来月の22日に頭~胸部~腹部のCT検査がある。
肺転移の増悪や他転移が見つかるかも知れないし、まだインターフェロンが効いているかも知れない。
もし悪い方の検査結果が出たら、一回推定余命とやらを聞いてみようかな?

どうだろう…?
うちの主治医、余命を告げるタイプかな?たまに変わった事言う癖があるから言うかもなぁ。


でもね、全く死ぬ気はしない。

まぁ、まだ抗がん剤もやってないし、インターフェロンの軽い倦怠感くらいで、どこも痛くも痒くもないからね。

両肺に20個くらい腫瘍が転移しているが、走れるくらい元気だ。


「ホンマに俺、死ぬんかな?」


思い残す事があまりないから、
死ぬのは嫌でも怖くもない。
仕方ないと思っている。

あくまで今はね!現時点ではね!

ただ…

がんによる、痛みや苦しさ、辛さは怖いっ!痛いのは嫌すぎる。

そこをスルーするには、そうなる前に自ら命を絶つしか方法はない。

しかし、それは無理だ。
そんな根性ないし、それを実行してしまう様な精神状態にはならない。

死を受け入れ悟るのと、

漠然と死を覚悟するのは違う。


俺?悟ってない!悟ってない!
ただ漠然とした意識の中で、
ダラダラ生きているだけ。

まだ、戦闘体勢には入っていない。
これからだな。

勘違いされるのは嫌だから、
敢えて書いておきますが、
諦めている訳ではないですよ?

諦めたら、もうそこから何も生まれない。

最後までもがき、あがいてやる。

昔のマンガで、ビーバップ・ハイスクールというヤンキーマンガがあった。

その中で、ケンカ相手に対する威嚇で発する言葉に、

『根性見せてあの世に行くかー?
あー?にぃちゃん!』

という名セリフがあった。


おおっ!根性を見せてから、あの世に逝ってやるよ!

なめんじゃねーぞっ!

誰に言ってんだ?

がんだよっ!(笑)





結局何が言いたかったのか、わからなくなってしまいました。

こんな俺ですが、よろしくお願いいたします。(笑)


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なんだかんだで、もう10ヶ月。ちょっとだけ振り返ってみる

2016-03-23 03:39:09 | 回想
早いもので、がんが発覚してから10ヶ月になります。

ブログを始めてからも250日も経ちました。



※長い事決めかねていた一人称。「俺」に統一させてもらいますね。

※お花見の集いの申込人数は、
本日現在5名です。

第1次締切は3月25日です。
(お店の絞り込む為)



さて…

去年、2015年の5月30日か31日に告知されて、8月3日の手術までメチャクチャ長く感じて不安でしたねぇ。

その間にネットで調べまくる。
ええ、まさに「趣味はがん」。

俺は意識的に「癌」と書かないで、
平仮名で「がん」と書いています。

なんか、漢字の「癌」って怖いっ!
「腎臓癌」←あぁ!怖いっ!
「腎がん」←の方が優しい(笑)

腎盂癌と区別する為、正確には、
「腎細胞癌」です。
格好付けてRCCとかは書かない(笑)



そもそも、ブログを始めたきっかけは、ネットで腎細胞がんを調べても、出てくる情報が古過ぎて参考にならない!

古い情報から先に検索ヒットする為に、目によく止まるのは、今思えば「昭和かっ!」というものばかり。

その時は何も知識がないから、
新しい情報なのか?古い情報なのか?それさえも、よくわからなかった。


今でも、たまたまググって、俺のブログに来てくれた人の検索ワードを辿ると、まだ腹腔鏡下手術も一般的じゃなく、開腹で肋骨も取ってしまうような時代の情報がトップにくる。

とにかく、「何もかもが古いっ!」
知らない者は惑わされる。

こりゃダメだ!

と思い、手術も含め腎細胞がんの最新情報をブログに書いていこうと思ったのが始まりでした。


でも、古いから全てダメという訳ではなく、現在でも重要な情報もありますけどね。

何故、国立がんセンターのHPや、
がんナビ等の信頼性のあるサイトをしっかり見なかったのか?は、今となっては思い出せない…

当初、ちょっと詳しい素人情報や代替医療ばかりがよく目に付いていたんだなこれが…

良い事を書いてある記事を、無意識に選んでいたのかも知れない。
でも、頭に残るのは悪い事ばかり(笑)




ちょっと話しは逸れまして…


だいたいの患者が同じ経験があるという、
「調べ過ぎて余計に不安になる」
という事。

最悪な悪い事ばっかりに目がいきますからねぇ。

その様子を家族や友人に見られて、
「不安になるんやったら、もう調べるな!」
と、怒られるという…
がん患者あるある。


最初はね、目につく情報が信頼度関係なく一気に入ってくるから、混乱するし、不安を更に煽られドン底に陥りやすいと思うけど、あらかた調べ尽くした後は、自ずと方向性が見えてくるから落ち着いてくるはずなんですけどね。

ただし…抗がん剤への恐怖心から、

訳のわからない、怪しい民間治療にハマったり、詐欺まがいの代替医療が「自由診療」と称して横行しているので、そっちの方向に行くと厄介だな。

この事に関して詳しく書きたいけど、書いたら荒らされそうだから止めとくけど(笑)

抗がん剤が絶対に嫌なら、俺だったら緩和ケアだけにして無治療を選ぶと思うけどなぁ。




話しは戻りまして…


最初がんが見つかった時は、どこにも転移していなかった。

ステージ1 だ。T1bとの所見。

「良かった!腎臓を片方取ったらそれで終わりやん!」

その時は、今、転移してないんなら、
それで終わりなんだと思っていた。


しかし良く調べていくと、腎臓がんってそんな甘いモンじゃないのを知った。

人生で恐らく最高の恐怖を感じた。

生きている事が当たり前の日常に、
いきなり目の前に死が現れたのだ。

もう、狼狽えるし、悲観的になるし、
絶望感が凄かった。


でも、しばらくしたら落ち着いてきた。

ブログを始めた事によって、同じ腎がんブロガーさん達と交流がはじまったからだ。

精神的にホントに支えてもらった。
感謝しても、しきれないくらいだ。

改めてありがとうございました!

ブログ村に登録している腎がんブロガーは少ない。現在27ブログ。
すでに亡くなっている人もいるし、ほぼ更新がない人もいる。
なので日常的に見ているのは10人程。

俺は他の腎がんブロガーさんの所に、
「はじめまして~」とは行かない。

俺は結構横暴な書き方もするし、
ネガティブ発言も多い。
なので、あまり好かれてない可能性もあるので、自分からはほぼ訪問しない。

だから、殆んどコメントがない。泣



同病の人と関わり、話すのは、
メンタルヘルスのカウンセリングより、気持ちが楽になる場合があります。

しかし、同病といえども、そこは個性のある人間同士。合わない人も勿論いるので、そこは良く観察してから関わっていくのが妥当だと思います。

人間関係がストレスの原因になったりすると、本末転倒ですからね。


長くなりそうなので、つづきは又の機会にします。


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