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makoto's daily handmades

日々暮らすだけの生き方
写真の二次使用は許可しませんので悪しからず

お手伝い 8月20回目 直売所

2024-08-22 04:42:23 | 労働

この日も午前6時前から収穫作業。

開店前に収穫物の梱包と値付け、販売レイアウト、品出しの順番を決めて、あとはお並びのお客様への商品説明。

商品説明は、今日の販売品目と数量のご紹介です。

そろそろ早生種が終了するので、今後の販売予定をご紹介することの方が多くなりました。

今年は何度も「暑さで果樹が負けちゃって…」と言い続けたことやら。

夏の暑さだけじゃあなくて、本当は冬の暖かさにも負けているンです。

冬の休眠期に果樹が休めないと、寝不足のまま労働するのと同じで、うまくいかないンです。

だから冬はキッチリ寒くなってくれないと。

今年はサクランボ、梅が不作で、沖縄のパイナップルやマンゴーもあまりよろしくないとのこと。

さらに千葉の梨も微妙との報道も。

そりゃあ、日本はもう温帯の気候とは言い難いものね、仕方がありません。

だがしかし、私の兄は悩めるオトコ。

今年の収穫が少ないことに気を揉んでいます。

おそらくこれまでは父がある程度「大丈夫、心配するな」と声をかけていたのでしょう。

その父が今年は入院中で果樹園の様子を知りません。

いくら母、義姉、私が声をかけてもダメなんですよねぇ。

そして、本人の病気もよろしくないンです。

進行性の病気ですから、結果的に今の治療方法では進行は止められず。

かと言って、次の治療方法も一か八か状態。

サッサと次の治療をすればいいものを、農作業の都合で先延ばしにしようとする兄。

 

農業経営者の兄の苦悩なんて私には分からないです。

私はそんな責任を負う気もなければ、なんなら農地なんて処分すればいいものを…と思うだけです。

それが兄にはできないよです。

うちはすでに失われた本家から分家して兄が13代目。

どうせ8代目までしか名前を遡れないし、しがない農家なのに。

父はたいそうな農業関連の栄誉を受章してけれど、兄は面倒くさがって全部辞退しているから無冠です。

だからもう全部無しでも構わないのに。

兄には治療に専念してもらっても一向に構わない…それは私の勝手なんでしょうね。

 

さて。

この日は父のお見舞いに行ったところ、一見して調子が悪そうでした。

額を触ると、これまでで一番熱がある感じ。

焦る気持ちを抑えて、父に声をかけましたが反応が薄いです。

かけているメガネのレンズが汚れていたので、キレイに拭いていたところ、看護師さんが登場。

熱が出てしまったことを告げられました。

たぶん父はこれからずっと、いい日と悪い日を繰り返して次第に弱るのでしょう。

終末期とはそういうもの、と冷静に受け止めています。

この日は

ただ兄にはどうにもならない焦りがあって、私よりもずっとつらいはず。

誰の目にも父の最期が近いことが分かるし、兄自身の病気は進行が止まらない、農作物が不調気味、後継者がいない、家族の問題…そりゃあ焦るよね?という感じです。

兄自身のV字回復も、ほぼ無さそうです。

私は奇跡を信じないし、神頼みをしません。

淡々と状況を観察して、シミュレーションをするだけです。

これからも悔いなく実家の農作業をお手伝いして、何も悔いを残さない、これが私の目標です。

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 8月19回目 直売所

2024-08-21 07:58:27 | 労働

この日も午前6時前の収穫からお手伝いスタート。

直売所には開店待ちの方がお並びになっていました。

開店前の商品説明で「もうお並びにならなくても、午前中なら販売していますよー」とお伝えしました。

毎年のことですが、お盆を過ぎると、メイン農産物は巨大化するのに、需要が減るンです。

だから、メイン農産物のファンの方には「お盆過ぎにご来店ください」とお願いしています。

そうすると行列に並ばなくても十分お買い上げいただけるものなのですけれどね(汗)

 

さて。

この日は閉店後の会計作業のお手伝いは無かったので、午後3時過ぎに実家を出発。

父の病院に立ち寄りました。

この日は調子が良くなっていて、点滴はブドウ糖液だけ。

会話もよく分かりました。

ただ…元気になったせいで、経鼻チューブを自力で抜いてしまいました。

当然、拘束がきつくなりました(涙)

父はしきりに「ベッドが狭いのに交換された」と不満を言っていまして。

仕方なく私が「ゴメンね、私じゃあ交換できないみたいなの。お医者さまに言ってね」と言うしかありませんでした。

 

ただ、前日に父の兄姉、甥が立ち寄ってくれましたが、そのことは覚えていませんでした。

父は「友達が来た」と言っていたので名前を尋ねましたが聞き取りがうまくできません。

本当に友達が来たとは考えにくく、また名前にも聞き覚えがありません。

また、多少の幻視があるのか「車が来て危ない」とか「今開けた窓を閉めてくれ」とか。

これまでよく分からなかった言葉が少し明瞭にはなったからこそ、幻視に関わる発言もハッキリ聞こえてしまいます。

それと、実家の農産物を持ってきて見せました。

私が「病院だから食べさせてあげられないけど、こんなに大きいのが取れるようになったよ」と見せると、ニッコリと笑顔を見せてくれました。

こんなに元気なら、次の施設に移る日も近いかもしれません。

ただ期待し過ぎは禁物。

それは亡き祖父の時に経験していることです。

日々心揺さぶられる程の体調の波を見せつけられて、期待と裏切りを感じながら次第に弱る祖父を毎日見続けたこと。

それは忘れられない経験で、私の30代に暗い影を落としたトリガーになってしまいました。

だから期待し過ぎないで行きましょう。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 8月18回目 直売所

2024-08-20 08:44:47 | 労働

暑いですねぇ。

この日も早朝5時半に実家到着。

収穫、梱包、値札付け、販売等など。

昼食を挟んで、閉店作業と会計で終わり。

いつもなこととは言え、直売所も折り返し地点まで来ました。

このまま最後まで走り抜けたいです。

 

さて。

この日は午後3時半に実家を出発して、父の入院先までバイクで行きました。

シャワーは浴びず着替えただけですので、ちょっと気恥ずかしいです。

この日は、父の兄弟のうち、次兄、姉4、姉5の3人が従兄Kさんが連れてきてくれました。

私はその面会の合間に会ったので、正味2分くらいの面会でした。

でも、父の声にちょっとハリが出てきて、前日よりも格段に聞き取りやすくなりました。

誤嚥性肺炎が良くなっているンだなぁ、と。

私が実家で収穫した果実を持参していたので、見せてみました。

だがしかし、小さ過ぎて廃棄予定だったものだったので、かえって不安にしてしまったかも。

反省です。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 8月17回目 直売所

2024-08-19 07:09:51 | 日記

この日はやっと数量制限なく販売ができるほど、収穫量が増えました。

早朝の直売所準備から始まって、午前6時から収穫作業スタート。

午前中までのお手伝いでしたが、たくさんの方にご訪問いただきました。

 

さて。

午後は帰宅してから父と面会してきました。

前日よりは少し意識がはっきりしているようには思いますが、これはV字回復なんてしないぞ、と感じる状況です。

私が「じゃあ、これで帰るよ、またね」と声をかけると父が「帰る」と言うのです。

私「お父さん、どこに帰るの?今、熱があるから家には帰れないのよ、ここに居てね」

父「送ってくれ」

私「この病院がイヤなの?」

父(首を振る)

私「それなら、前の病院の方がいい?」

父(首を振る)

私「前の病院はイヤなの?」

父(目をつぶる)

私「あの病院はイヤなのね。それなら、お母さんにそのことを伝えるよ、いい?」

父(目をつぶる)

 

父はあまり声を出せない状況で、私には父が言っていることが聞き取れません。

でも少しですが会話が成立したので、母に電話でこのことを伝えました。

ホントは実家に帰りたいンだろうな、とは思うのです。

でも今はそれはできません。

なにせ手すりがない、介護ベッドがない、介護ベッドを置く仕様の部屋になってない…。

それ以外にも不備ばかりで、サッと動かなければならない時期に、いくら私が言っても「動かざること山のごとし」を貫いた母と兄。

でも母と兄を責めても、過ぎ去った時間は取り戻せないのです。

前日よりは少し回復している父を見て、安心はできないよなぁ、とも思うのです。

父が今後V字回復なんてしません。

緩やかに少しずつ悪くなるか、急激に悪くなるか、の2択です。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 8月16回目 直売所

2024-08-18 04:49:09 | 労働

この日も直売所の片付けと準備から始めて、午前6時前には収穫作業に突入。

収穫量が増えて、販売数も増えたので、なかなか大変になってきました。

早生種の終盤に差し掛かってきたので、早生種の大玉が収穫できるようになってきました。

1週間前までの100人超の行列は無くなりました。

無い状態の行列ほどイヤなものはなく、今の十分な収穫量の時は50人くらいの行列ですから、因果なものです。

近隣の果樹仲間ではこれを「二十日悩み(はつかなやみ)」といいます。

毎年、8月20日前後はお客様が激減します。

ちょうど早生種の一番最後の収穫時期と、中生種の取れ始めの頃で、せっかく大人気の早生種の超大玉が収穫できるのにお客様が激減ですからねぇ。

それでも今年は今のところ毎日売り切れですから、二十日悩みは乗り越えられそうです。

 

さて。

この日は、父の元にお見舞いに行くことにしました。

現在入院している大学病院には誤嚥性肺炎が寛解するまでのあと10日くらいしか入院できないそうです。

パーキンソン病やレビー小体型認知症の治療や検査もできないとのこと。

私にしてみれば、母はなぜ医師に食い下がらないのか?という思いがありますが、仕方がありません。

母にその気がないのですから。

それならば悔いなくお見舞いだけはしたいと思ったのです。

その大学病院は、私の自宅からバスで20分ほどの場所。

父とは30分くらい面会できました。

そして、父は私のことはちょっと分かるみたいですが、何を話しているか全然分かりませんでした。

それに…身体が垢だらけ。

以前入院していま介護医療院での扱いがとても悪かったンだな、と一瞥で分かりました。

こんな施設に父を入院させることを認めざるを得なかった自身が情けないです。

恐らく父の命の灯火はそう長くないです。

あと1か月くらいかな、もっと短いかもしれません。

そんな予想が経つのも、19年前に亡き祖父の日々刻々と悪くなる状況をつぶさに見てしまったから、と言えます。

父が実家で過ごすことは、この先ずーっとないのです。

自分の諦念の先にあるものが、この状況だと想定していたこととは言え、堪らないです。

そして今後、父は気道切開や胃ろうをやるかもしれません。

父のQOLはどうなんだろう…。

同居していない私がとやかく言うことはできないんだよなぁ、と思うと、何も言えません。

私の諦念のせいで父をいい介護、いい医療に繋げられなかった結果なので、一身にその負い目を感じなければなりません。

でも仕方がありません。

私にはそれができなかった、諦めた、ただそれだけです。

今私にできることは、一生懸命実家の農業を手伝うことくらいです。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 8月15回目 直売所

2024-08-17 04:12:04 | 労働

この日は台風接近のため、雨の中での収穫作業からスタートです。

私はMIFさんのお古のカッパしか持っていません。

登山をしていた頃の上着もありますが、当時はLLサイズでしたから、これもブカブカ。

来季は新しいカッパを買うか…と思うほどでした。

で。

台風でも直売所を開きたい兄と母。

私は1時間だけ開店なら許せる(開店待ちの行列を作ってほしくないという思い)、義姉は臨時休業でいい、と意見が別れました。

結果、私が開店待ちの方を行列ができないように定時よりも早めに開店して午前中だけの営業にしてもらいました。

 

それでも台風、しかも高齢者避難情報が発令している中での開店ですから、やはり不安がよぎります。

皆さま、直売所へお買い物に来ている場合ですか?と。

 

私の実家が丘の上に果樹園を作って70年あまり。

初代である祖父の意向で、直売シーズンは毎日対面販売で開店と決めました。

これまで終日臨時休業したのは、祖父の葬儀の時だけです。

だから台風でも開店が当然という考えが兄にはあるようです。

だがしかし、今後は大型台風が頻発し、現状で開店前から行列ができるのですから、そうも言ってられない状況です。

この辺りの判断は、兄には難しいのでしょう。

いつも通りであることが兄の安心感に繋がっている以上、私にはどうにも止められないのです。

私は経営者ではありませんから。

 

普段は数量制限をしている農産物もありますが、今回は全ての農産物に数量制限なしで販売しました。

はやく売り切って、早く直売所を閉店したいからです。

ご近所の方の中にはここぞとばかり、大量買い…。

私が「Yさん、そんなに食べ切れますか?」とお声がけをしたところ「こんな時じゃあないと買えないじゃあないか、いいんだよ、ひとにあげるンだから」だそうです。

くれぐれも傷む前にたべてくださいねー、と私の切実なお願いするしかありません。

 

で。

台風の特別対応でしたが、今後、台風だからといってこのような対応をするとは限りません。

しかも定刻前に開店したのも、何年ぶりなのか?という状況でした。

 

私が子どもの頃、台風だとメイン農産物の果実が木から落ちないか、子どもながらにヤキモキしました。

両親や祖父母がカッパを着て、夜中の暴風雨の中、作業に出かけるのです。

それを家の中から兄と2人で見送る心細さと言ったらありません。

繊細な性格の兄はみるみるうちに顔が青ざめるし、私もどうにも不安で「お兄ちゃん、みんな大丈夫かな?」とか「お父さんとお母さん、こんな暗い中見回って大丈夫かな?」とか。

でも私は夜だから次第に寝落ちします。

兄は全然寝られないタイプだったから、起きて待っていたそうですけれど。

今も繊細な性格の兄は、台風に憂鬱になるみたいです。

私は経営者ではありませんから、憂鬱よりも、作業手順の変更、着替えの準備などを淡々とやり過ごしています。

私は兄ほど繊細な性格ではないことが幸いです。

↑台風前日のぶどう畑。

この品種は、もう収穫の終盤ですから果実がスカスカ。

ぶどうは台風で落果しません。

理由は果実そのものがツルの変形だから。

ツルは丈夫ですから。

メイン農産物は落果しやすいので、棚の張り方や重りなど工夫して落果を防ぎます。

 

さて。

父の容態は、結局それほど良くないです。

今の病院はだいたい2週間しか入院できず、次は介護医療院かホスピスかという選択肢です。

介護認定は、要支援2から一気に要介護4です。

もう父にはまともな医療を受診するという選択肢が無くなっています。

父が主治医からパーキンソン病とレビー小体型認知症の疑いがある、と言われて1週間。

なんだよ、ンなこと、医師免許もない私が1年も前から私が疑っていて、絶対検査してもらって、と両親と兄に訴え続けていたのに、今更どうなっているンだ?

で、その治療なり投薬はしないってことですからねぇ。

もう一気に終末期医療ですか、もう母と兄が好きにしてよ。

それなのに、この後に及んで私に「今後どうしよう」なんて尋ねる母と兄。

私に、あなたがたの好きにしなよ、しか言えない状況にしておいて、私に判断を押し付けないでほしいです。

これは祖父の時にもやられたンです。

なぜ祖父の孫の私に判断を押し付けるのか?という呆れる行動をしていたンです。

また今回もか…。

ずるいよな、そんな時だけ私を引きずり出すンだから。

私は常に「やるか、やらないか。ONかOFF、0か1しか判断はない」という言葉を発しています。

ゆえに判断を押し付けられるのでしょうね。

まだ父とは意思疎通がある程度できるそうですから、なぜ父に聞かないのか?と尋ねれば「声が聞こえない」という母。

だからさっさと補聴器作って、と言っていたのに。

それなら紙に書いて、YES/NOを指さしてもらえ、と言えば、できるかどうか分からないという母。

それなら、YESはまばたき1回、NOは何度かまばたきしてもらいなさい、と言えば、それを嫌がる母。

もうどうすればいいのか、私には分かりません。

まばたきもできないほど、父が衰えているのかどうかも、私は6週間も会ってないのだから分からないのです。

何を言っても、私の言葉は母や兄には響かない…それが今の私の現状です。

だから、私に判断を押し付けるのは止めて欲しい、ただそれだけです。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 8月14回目 直売所

2024-08-16 04:56:26 | 労働

この日は、今期初の土砂降りに当たりました。

いつも通り収穫作業を午前6時から開始しましたが、通常ならその前にぶどうの地方発送の梱包資材を作業スペースに並べるのですが、そこは屋根なしの場所。

たまたまぶどうの地方発送がなかったので、準備しなくて良かったのです。

もし雨に当たっていたら…恐ろしい…。

通り雨とは言え、1度濡れた梱包資材や段ボール箱は使えませんからねぇ。

土砂降りの中、開店待ちの行列にお並びの方には大変申し訳無い気持ちですが、仕方がありません。 

 

そうこうしているうちに、父が入院している病院から母あてに電話が来ました。

父の転院が急遽決まりました。

場所は実家の最寄り駅から5駅先の大学病院。

その手続きで母が午後外出になったので、私の残業決定。

ここのところ、私は朝5時半に実家に行って、午後3時半まで作業、途中昼食と昼食のかたづけがあるから20分中抜けするだけです。

かなり体力的に不安があるものの、往復の通勤時間はバイク運転ができるので、自身の体力づくりができていると実感しています。

 

さて。父の病状ですが、タン除去がかなり大変で、タンが詰まって窒息死は覚悟しておいてほしい、と転院先で言われたそうです。

それと同時に胃ろうを勧められたそうです。

胃ろうか…。

父の父(私の祖父)は、両親が結婚する前に亡くなったのですが、胃がんで胃ろうもしたそうです。

子どもの頃から何度となくその時の様子を聞かされていたので、父が胃ろうを嫌がるだろうな、と想像できます。

とはいえ再び誤嚥性肺炎を罹患する原因にもなります。

母も兄も胃ろうに反対しているし、私も同調しています。

タン除去の喉の切開は提案されなかったものの、母はなかなか状況が読み込めないというか、分っていないのでしょう。

近い将来喉の切開は避けられないはずですが、そこに思いが至らず。

 

私が1年前には父の異変に2つの病気を挙げていたのに、全部無視されてきて忸怩たる思いがやがて諦念になりました。

母や兄にいくら訴えても、なにも心に響かず、結果がこれかよ…。

私の言葉を何一つ信用されない苦しさを経験しました。

この苦しさは一生自分について回るのか、と思うと堪らないです。

やっぱり自分は三つ巴の共依存の外側にいて、私は日本語を話しているはずなのに、どうして私の言葉を理解してもらえないのだろうか、と悩み続けた日々の苦しさを今、突きつけられています。

ずっと、子どもの頃から信じてもらえないと悩み続けた結果が、これなのか。

情けないです。

 

父は80歳ですから、十分長生きなのだと思うことにします。

ただこの春、父が農作業の合間に「Tじいちゃんが85歳まで生きたから、自分も85歳を目標にする」と言っていた言葉が忘れられません。

父は婿養子なので祖父(Tじいちゃん)とは血の繋がりがありません。

だから私は「85歳なんて無欲だなぁ、お父さんのお母さんは91歳まで生きたンだから、91歳まで頑張ってよー」と言っていたのが懐かしいです。

私にできる親孝行は、実家の農作業を手伝うくらいです。

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 8月13回目 直売所

2024-08-15 04:53:05 | 労働

この日もぶどうの地方発送の梱包準備をしてから、メイン農産物の収穫をしました。

この日は丘の上の果樹園での作業だったので、朝日がキツくて、収穫のタイミングが微妙です。

光の当たり方でどうしても見極めづらくて。

収穫1年生の私には難しいモノの、やらなければ覚えられません。

 

私は観光農園の収穫体験が大嫌いです。

理由は収穫体験なんてしたところで、プロが見極めた農産物の方が絶対美味しいから。

素人が1個や2個収穫したところで、たいてい大失敗です。

それくらい素人の目は見極めがヘタクソです。

私もまだまだプロの目には程遠く、経営者である兄には絶賛迷惑かけている従業員です。

それでも経験を積まないと上達はしませんから、兄には我慢をしてもらっている最中です。

 

さてこの日は、昼近くになってT君がやって来ました。

T君は兄の生産者仲間。

T君のお姉さん、YちゃんはT君とともに私と同じ習い事をしていたので、小学生の頃からの顔なじみです。

兄が開口一番「T君、直売所開店してよー」でした。

T君は週2〜3日だけ直売所を開店している状態です。

私の実家の直売所は毎日開店なので、T君の直売所の閉店日はこちらの直売所にお並びになる方が多くて…という具合です。

そして日々私が直売所の開店前に商品説明や入場制限を取り仕切っていることをご存じでした。

T君から「お客さんから聞いたよー。うちは人員不足でできないからいーなー、手伝ってほしいくらいだよ」とおっしゃっていただきました(汗)

いや、私だって好きでやっているのではなく、人前で話すのが苦にならないだけのこと。

兄もT君も、直売所の前に行列ができると憂鬱な気持ちと吐き気がして気持ち悪くなると話していました。

そんな農園主の実情を、お客様は知らないのよねぇ(汗)

そんなメンタルフルボッコな農園主達の姿を見ていると、私には同情しかありません。

というのも、兄は持病もさることながら、直売シーズンは食欲がみるみる落ちてしまいまして、現在はやつれて見えるくらいです。

絶対持病のためにはダメなんですよねぇ。

生産者同士で励まし合っている姿は、お客様に見せられないよなぁ、でもこれが現実。

兄もT君も「終わる気がしない」とか「メイン農産物が足りるのか心配」とか「台風どうしよう」とか、負のスパイラルに陥っています。

傍から聞いていると「なんとかなるさ、なんとかするんだよの精神で、自分を奮い立たせて頑張りなさいよ」と言いたくなるのをグッと我慢です(苦笑)

 

さて。

この日、直売所の電話応対をしていたら、父の主治医からの電話がありました。

母に替わったところ、なにやら話し込んでいます。

この日、初めて知りましたが入院中の父が2度目の誤嚥性肺炎にかかっているそうです。

そして誤嚥が多いので鼻から薬剤投与したいとのこと。

 

ほー、それでも父をあの病院に入院させたままにするんだ、スゴイ精神力だな。

はなから私はあの病院の介護医療院に入院させることは大反対だったのに、そのまま入院させたのは母でしょう。

 

と私は呆れていました。

ところが、ここに来て母が父の主治医に「転院したい」とやっと申し出たそうです。

そりゃあそうよねぇ、誤嚥性肺炎で緊急入院して完治したのに、入院中に2度目の誤飲性肺炎だものね。

母からすれば青天の霹靂と感じているようですが、あの病院じゃあしょうがないよねー。

母は「お父さんは入院したら良くなって帰ってくるって思ってたのに…」の言葉が悲しかったです。

私があれだけあの病院はダメだ、良くならない、家に帰宅できなくなると言い切ったのを、母は何一つ感じ入ることなかったんだ、と。

やっぱり私は母から何一つ信頼されていないンだな、私の言葉は母には刺さらないンだ、と諦念です。

だからせめてもの父親孝行として、父に会いたいと言っている人全員を父に会わせてあげたいです。

父の姉達が会いたいと言ってくださっているので、少しでも父の認知力があるうちに会わせて欲しい、と母にお願いしました。

だがしかし、私の言葉がどれほど母に刺さるのか、私には分かりません。

所詮、私は三つ巴の共依存の外側の人間です。

外側からいくら呼びかけても、聞こえていないのだから、どうしようもありません。

私、日本語話者なのですが、私の日本語では通じないみたいです。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 8月12回目 直売所

2024-08-14 04:20:22 | 労働

この日もぶどうの箱詰め準備をしてから、メイン農産物の収穫作業から。

これだけ猛暑が続いても、朝6時の段階では果樹園の草には朝露がタップリとついているので、長靴で作業をします。

この長靴がねぇ…足がとってもムレます。

登山靴(ゴアテックス、ビブラム底タイプ)では、重いことと、草丈に負けるのでどうしても長靴を履きます。

すると汗が止まらない、汗に吸い寄せられるように蚊が飛び回るモノです。

私は喘息があるので蚊取り線香の煙が全くダメ。

虫除けスプレーも咳き込みの原因に。

虫除けミストがやっと…と言う状況です。

日焼け止め塗りまくりの肌で、これ以上肌に負担をかけるのは避けたいところです。

ま、日焼け止めなんて、汗で流れて、とっくにシミだらけの顔ですけれどねー。

シミやシワがあっても、ステキな笑顔で誤魔化せる、と割り切りました。

ただ、以前、アトピーで少々悩んだ私は、再発再燃しなければいいだけのことです。

 

この日でF叔母は、徳島の自宅に帰りました。

F叔母がこれまでの期間、朝の開店準備や昼食づくり、家事を手伝ってくれていたので大変助かりました。

今回、F叔母には私がリクエストした形で、かんてんパパのコーヒーゼリー、杏仁豆腐、フルーツゼリー等を作ってもらいました。

ゼリーの素なので簡単で美味しいので、直売シーズンに食欲が無くなる兄や母は、少しはリフレッシュできたかなぁ?と思います。

F叔母に疲れが溜まりすぎないといいな、と思っています。

この日は、朝6時から午後3時半まで、昼休憩30分でしたからちょっとキツかったです。

でもどうにか乗り切れました。

直売所には開店前からお客様が行列を作っています。

私はその入場制限等を担当していますが、兄はその行列を見るだけで憂鬱で吐き気がしてしまうほど繊細な性格です。

だから、お客様の行列整理や商品説明は私が担当しています。

兄は時々私に「お休み、おつにする?」と尋ねてくれます。

でも、吐き気がするような作業を兄に任せるのは気の毒すぎます。

だから「休みなんて要らないよ。ニイチャンが苦手な作業は私がやるから、気にすんな。私は万事お手伝い優先の生活だよ」と励ましています。

 

そういう訳で、口下手で不器用な兄が少しでも楽になるよう、私は店頭で人員整理頑張っています。

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 8月11回目 直売所

2024-08-13 06:09:02 | 労働

この日も収穫からお手伝いなので、朝5時半に実家に到着。

まずは地方発送用のぶどうの梱包作業の準備をしてから、メイン農産物の果樹園へ。

この日は丘の上の果樹園で、しかも朝日が眩しい地形です。

果実の収穫のタイミングが分かりづらくてクラクラします(泣)

強烈な夏の朝日で、色の判断が分かりづらくて…。

かと言って、泣き言を言えば、兄や母の負担が増えるだけですから、何度も何度も角度を変えて確認しました。

 

果実の自動収穫機の研究が進んで来たとはいえ、実用化はまだまだ難しいのは、太陽の角度によって、色の判定が難しいそうです。

しかも私の実家のように住宅街に囲まれていると、住宅の灯り、街灯、車のヘッドライトの影響もあるそうです。

あと10年しても、恐らく実用化しないと言われているし、あと10年後も今の気候だったら、メイン農産物の果樹が枯死でしょうからねぇ。

ちなみに経営者の兄の生存率はどんなものなのか、私には分からないものなぁ。

今年はメイン農産物がどうやらどこも不作らしいです。

メイン農産物を求めて、大産地の方が当方の農園を巡っていらっしゃっています。

その割には、大産地の農産物のCMやってるじゃないか、とも思うわけです。

他県のこととは言え、おいおい、農政担当よ、どうなってんのよ…とは思うわけです。

自県の状況を分かってますか?不作で他県まで遠征してくる消費者を生み出してますよー、って。

 

さてこの日は久しぶりに地方発送用の段ボール箱づくりをしました。

私は小学生の頃から社会人2年目までだいたい14年くらい夏のお手伝いでやっていました。

今回はぶどうの段ボール箱ですが、道具類はほぼ同じだったので、やってみればできるものです。

 

基本的に実家の直売所は、私が実家で暮らしていた頃までとほとんど変わらないのです。

ゆえに私が直売所のことで困るほどのことは発生しません。

ちょっと教えてもらえば、すぐにできちゃうことばかりです。

道具類も多少の電動化、機械化は進んでいますがあまり変わりません。

 

ゆえに兄や母に重宝がられるのですが、それはそれで微妙なんですよねぇ。

この日、たまたま電動運搬車を扱っているのを義姉が見かけたようなのですが、義姉が微妙な表情をしていたみたいです。

義姉には扱えない道具を私がいとも簡単に扱って、使いこなしていたからだそうです。

これはF叔母から聞いた話なので、話半分で受け止めることにしました。

私は自分にできることを精一杯やっているだけです。

父が施設に入所している今、父の代わりにはならないけれど、持病持ちの兄や母が悔いなく農業ができる体制を支えたいです。

次回も楽しくお手伝いしたいです。