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makoto's daily handmades

千葉県茂原市・上総国二之宮橘樹神社に行きました

ことの始まりは、最近の旧国一之宮巡りで上総国(千葉県中部)を地図上で見ていたら「橘樹神社(たちばなじんじゃ)」の文字をみつけました。
昨年7月29日に袖ケ浦市を訪れた時に「たちばな通り」、同11月12日に川崎市高津区の橘樹神社に訪れたことで、千葉県にある橘樹神社を知ったり、弟橘媛(おとたちばなひめ)伝説があることを知りました。

でも地理的には、私のお気に入りの美術館であるホキ美術館からそこそこ近いので、ホキ美術館が再会したら行こうと思っていました。
でもホキ美術館は10月25日、台風21号の水害で被災し、いまだ閉館中。

そこで今回は一之宮と二之宮に行くことにしました。
トップ写真は、橘樹神社の社殿です。


鳥居が4つありました。









狛犬ちゃんは3対あります。
でも1番社殿に近い位置にあった狛犬ちゃんは阿像の首から先がありませんでした。
たぶん破損によるものと思います。





こちらの像は説明文はありませんが、楠木正成像とお見受けしました。
とても細かい彫刻でした。
もし間違っているようでしたらご指摘ください。
狛犬像も同様ですが、肉眼では彫刻されている文字がほぼ読み取れませんでした。
理由は苔が生えているからです。
間接法の拓本ならもしかしたら読めるかもしれませんが、苔で拓本も少々難しくなっているように思いました。
なお古い石像や石碑の苔や汚れを落とすと風化した石が剥落することがあるので、簡単に掃除すればいいというモノでもないのが難しいところです。

古い石像や石碑であるほど、風化もするし、当時の技術では石への彫刻が浅くて
剥落しやすかったりします。
拓本程度の力加減でも剥落するので、気軽に拓本できないのが残念です。

ほかではあまり見たことがない石碑です。
元々は神社の入口にあった表示を五分割してモニュメントにしてあります。
社名は橘樹神社ですが、石碑には橘神社となっているので、倒壊して「樹」の文字が破損したのか、それとも元々橘神社の表記だったからかは説明文がなかったです。

境内の吾妻池です。
神社は周辺よりも少し高い地形にあることが多いですが、こちらは近くに丘があるのに比較的平地で、境内に池があることで、石碑に苔が生えやすいのかな?と思いました。

日露戦争凱旋紀念碑。
これまで日露戦争関連の石碑はいくつも見てきましたが「凱旋」の文字が入ったモノは初めて見ました。
揮毫は乃木希典陸軍大将。
日露戦争関連の石碑には乃木大将の揮毫が多いのですが、私には「凱旋」の文字が物悲しく感じます。
日露戦争は国内的には勇猛果敢な日本の大勝利ですが、国際的にはロシア革命勃発による偶発的日本の勝利(判定勝ち)なので、凱旋の文字は合わないんじゃあないかと思うのです。
ただし、日露戦争から100年以上経った時代の私がそう思うだけで、当時は凱旋と意気揚々とした空気感だったのでしょう。

ネット情報でこちらの境内にはネコちゃんがいることを知りました。

撫でられても寝たままの黒猫ちゃん。

隣の黒猫ちゃん。
ほかに小さな黒猫ちゃん、ハチワレちゃんが2匹。
全部で5匹のネコちゃんがいました。
とても人なつっこい感じでひとしきり遊んでもらいました。
しゃがみ込んでネコちゃんを撫でていたMIFさんのお尻の下で2匹のネコちゃんがじゃれ合うとか、なかなかのべた慣れ具合でした。

ここから上総国一之宮玉前神社に向かいました。




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