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本朝徒然噺

着物・古典芸能・京都・東京下町・タイガース好きの雑話 ※当ブログに掲載の記事や写真の無断転載はご遠慮ください。

熊谷花火大会

2005年08月20日 | つれづれ
自称「花火ヒョーロンカ」の私は、夏になると毎週末のように花火大会を見に出かけます。
夏だけでなく、10月にわざわざ茨城県の土浦まで行ったこともあるほどです(土浦花火大会は、全国の花火師のコンクールを兼ねている大きな大会です)。

この日は、埼玉の熊谷(くまがや)まで足を伸ばしてきました。
熊谷花火大会を見るのは今回で3回目ですが、この花火大会の魅力は、何と言っても広い河原でゆったりと座って見られることです。また、打ち上げ場所も広いので、1尺玉がバンバン打ち上げられるのもうれしい限りです。

ガタゴトと電車に揺られ、熊谷に到着。少し早めに会場へ着きました。ゆったりと見られるとは言っても、打ち上げ時には広い河川敷が人でほぼ埋まります。平らな場所はすでに埋まっていたので、土手に陣取りました。ビニールシートは必須アイテムです。

熊谷花火大会は、企業協賛型です。企業がスポンサーとなり、花火を提供するのです。そのため、それぞれの花火を打ち上げる前に、提供企業の名前や宣伝文句がアナウンスされます。
企業から提供される花火のほかに、「メッセージ花火」というのもあります。個人協賛型の花火で、スポンサーとなって花火を提供すると、自分の花火の打ち上げ前に好きなメッセージを読んでくれるのです。家族や友人、結婚相手、恋人などに対するそれぞれの想いが述べられていました。

協賛企業のほとんどは地元の企業です。まさに「地域密着型」の花火大会といった感じです。
それぞれに趣向を凝らした花火が打ち上げられますが、なかでもひときわ観客の目を引いたのは、ヤギハシという地元百貨店の提供する花火です。
ヤギハシはこの花火大会で毎年大掛かりな花火を上げています。観客の多くはそれを知っているので、打ち上げ前にヤギハシの名前がアナウンスされると大きな歓声がわき起こっていました。
スターマインが連発されたあと、クライマックスには1尺玉が何十発も打ち上げられるのです。同時に4発の1尺玉が打ち上げられるなど、都心の花火ではまずありません。
1尺玉の連発で締めくくられると、会場からは大きな拍手が起こっていました。
まるで花火大会のフィナーレであるかのような盛り上がりですが、ヤギハシ提供の花火が終わった後も、まだまだ打ち上げは続きます。

花火大会が終わって熊谷駅に向かうと、駅は大混雑で、改札を通るまでにかなりの時間がかかりました。
電車も相当混みそうだったので、帰りは新幹線に乗りました。しかし新幹線のホームにも、花火帰りと思われる人がかなりいました。遠くから見に来た人も結構いるんだなあ……と思いました。

首都圏での夏の花火大会は、これでほぼ終わります。夏の終わりが近づくと一抹のさびしさを感じずにはいられませんが、ダイナミックな花火で、行く夏を存分に楽しむことができました。


<本日のキモノ>

土手で花火見物 麻の葉の浴衣に博多織の献上八寸名古屋帯 

土手にビニールシートを敷いて座るので、白地の浴衣は避け、汚れてもいいものにしました。
淡いベージュ地の、麻の葉柄の綿麻浴衣です。6月にこれを着た時には、半衿、襦袢、足袋をつけて単の綿着物の代わりにしましたが、今回は半衿と襦袢をつけず、浴衣として着ました。
そのため足元も、素足に下駄ばきです。歩きやすいように、右近型の焼き桐下駄にしました。
帯は博多織の八寸名古屋帯です。
電車に長時間乗って出かける時は、半幅帯を文庫に結ぶのではなく、博多織や麻の名古屋帯をお太鼓に結ぶと、椅子に背中をぴったりとつけられて楽です。半幅帯に比べると見た目も少しきっちりとした印象になるので、少し遠出をするときにもそれほど違和感がありません。



東京湾大華火祭

2005年08月13日 | つれづれ
東京の花火大会のフィナーレを飾る「東京湾大華火祭」が行われた。

隅田川の花火大会に匹敵するほどの観客動員数を誇る花火大会なので、会場周辺は例年ごった返している。
そのため今年は、晴海(はるみ)に設置された有料観覧席のチケットを購入。
自由席だが、椅子も設置されているし、障害物がほとんどないので花火もよく見えた。

少し早めに会場に着いたら、まだ人もまばらだった。遠くに雷の音が聞こえ、雲行きがあやしかったので屋根のある位置の席をキープ。
するとまもなく、にわか雨が。
前のほうの席をキープしていた人たちもいったん屋根の下に避難して雨やどりをしていた。
雨はしばらく降っていたが、打ち上げ開始30分くらい前になって止んだので、順延されることもなく予定どおり打ち上げが開始された。

尺玉の連発や、一尺五寸玉のほか、まるでカーテンのような形を作りながら連続して打ち上げられるスターマインなど、広い海上に打ち上げられる花火ならではのスケールの大きさで、とても見ごたえがあった。

花火が終わり、大混雑の通りを延々と歩いて駅にたどりついた直後に、また雨が降ってきた。
花火の間や歩いている間に降らなくてよかった……。

<本日のキモノ>

波に千鳥の浴衣

竺仙の「波に千鳥」の柄の浴衣に、博多織の献上名古屋帯。
足元は、素足に塗りの千両下駄。塗りの下駄は、夏のみに履きます。白木の下駄や焼き桐の下駄は通年履けます。
帯留、根付、ハンカチがわりの豆手ぬぐいもすべて千鳥にして、「千鳥尽くし」にしました。

千鳥の帯留と根付
千鳥の豆手ぬぐい

朝顔柄の日傘は、何と浴衣生地で作られているのです。

浴衣地の日傘




原爆忌

2005年08月09日 | つれづれ
8月9日は、長崎原爆忌。6日は広島原爆忌で、長崎と同様、今年も平和祈念式典が行われた。

どちらも毎年この日を迎えるたびに、戦争と平和について多くのことを考えさせられるのだが、私はとりわけ、長崎の原爆忌に深い感慨をおぼえる。

広島に原爆が投下されたのは午前8時15分。長崎に原爆が投下されたのは午前11時2分。
なぜ投下時刻に開きがあるのか、ご存じだろうか。

実は長崎は、米軍による8月9日の原爆投下候補地としては、2番目だったのだ。
第1候補地は、福岡の小倉だったのだという。小倉に軍需工場があったのが、その理由の一つであろう。
しかし当日、小倉の上空は雲が厚く垂れ込めていた。
そのため投下目標が定められなかった米軍は、晴天に恵まれていた第2候補地の長崎に移動し、原爆を投下したのだという。

私が生まれたのは、この小倉である。細川忠興によって整備され、礼法で有名な小笠原氏によって長く治められた城下町で、海と山に恵まれた良い所だ。
戦時中、両親はまだ小学生だった。父はそのころ大分に移り住んでいたが、母は小倉にいた。
もしもこの時、小倉に原爆が投下されていたら、私はこの世に生まれていなかったかもしれないのだ。
それを考えると、実際に戦争を体験していない私でも、とてつもなく恐ろしいものに身の震える思いがする。
と同時に、不幸にも原爆によって命を落としてしまった人々、今なお後遺症と闘っている被爆者の方々、そして、戦争で亡くなったすべての人のことを思い、悲しみを禁じ得ない。


私は、「反戦」「平和」を主義主張として掲げているわけでもないし、首相による靖国神社参拝に異議を唱えるわけでもない。
しかし、先で述べたようなことを考えると、戦争は決して繰り返されてはならないのだと、切に思う。

両親は、自らの戦争体験をあまり多くは語らなかったが、それでもやはり、戦争を体験した世代として次の世代に残していくべきことがあると考えたのだろう、長崎のことも含めて、折を見て私たちに話してくれた。
普段、両親のお説教を聞く時は内心反発していたことの多かった私も、その話になると素直に、神妙な気持ちで聞いたものだ。
そして今になってみると、子どものころに両親から実体験に基づく話を聞かせてもらえたことは、とても貴重だったと思う。

戦争を我が身で知っている世代は、着実に少なくなっている。
戦後生まれの世代のそのまた子どもの世代になると、様々な点で物の見方や考え方が違ってくるのは避けようのない現実だろう。
しかし、戦争体験談を聞いたこともないという「戦後生まれジュニア」の世代にも、戦争を知っている世代、あるいはその人たちから話を聞き知っている世代が語り継いでいくことによって、何かを感じ取ってもらうことはできるはずだ。

沖縄戦の体験者の話のことを「退屈だ」とした某校の先生のように感受性のレベルが高くない人もいるかもしれないし、自分より上の世代の人の言うことにまったく聞く耳を持てない人もいるかもしれないし、インターネット上の「仮想現実」のなかで生きている人たちにどれだけ「現実」が通用するかもわからない。
しかし若い世代のなかにも、「もしも自分がそのような目にあってしまったら」と我が身にひきつけて考え、そのことで何かを感じ取れる人は、きっと少なからずいると思う。

歴史に「if(もしも)」はあり得ないと言われる。
しかし、「もしもあの時自分の街に原爆が落ちていたら」「もしも自分が戦時下に生まれていたら」と考えると、その恐ろしさに「悲劇は決して繰り返してはいけない」と感じることができると思う。

人間は想像する生き物だ。その想像力を、発展性のあることに生かしていかなければならない。


神宮外苑花火大会

2005年08月01日 | つれづれ
神宮外苑花火大会へ行ってきました。
この花火大会に行くのは、今回が初めてです。
平日なので、あらかじめ有休をとって行きました。
なぜそこまでしてこの花火大会へ行こうと思ったかというと……。

花火の打ち上げ前に、松田聖子のライブが開催されたからです!

神宮外苑花火大会は、神宮第二球場が打ち上げ場所になっており、神宮球場、国立競技場、秩父宮ラグビー場、神宮軟式球場が観覧場所になっています。各会場とも、チケット購入制です。
どの会場でも、花火の打ち上げ前に様々なアーティストがライブをするそうなのですが、今年は国立競技場に松田聖子が出演するというので、早くから話題になっていました。
そのニュースを聞いて、すぐにチケットを買ったのです。
私は、松田聖子のアイドル時代からのファンで、アイドル時代の彼女の歌は、今でもほとんどすべてフルコーラス覚えているほどです。やはり、子どもの頃に覚えたことは忘れないのでしょうか。
今年はデビュー25周年記念のコンサートツアーが行われるのでぜひ行きたいと思ったのですが、残念ながらチケットがとれませんでした。
そこで、「せめてこのライブで聖子ちゃんの歌を生で聴こう!」と思ったのです。


松田聖子のライブの前に、安良城紅さんと小柳ゆきさんのライブが行われました。
客席も次第に盛り上がっていき、「聖子ちゃん」の登場が近づくと、みんな今か今かとワクワクしながら待っていました。
私と同世代、あるいはもっと上の世代の人はもちろん、若い人のなかにも「聖子ちゃん目当て」で来た人が結構いたので意外でした。

そしていよいよ、「聖子ちゃん」の登場です。
白い、天使をイメージしたような衣装で、さっそうと現れました。
客席からは大きな歓声がわき起こりました。
往年のヒット曲が次々と歌われ、客席も大いに盛り上がっていました。
間にはさまれる軽快なトークは、さすがにベテランの貫禄です。

アイドル時代の松田聖子のファンは、男性が圧倒的に多かったのですが、いつの頃からか、女性のファンのほうが多くなってきました。
自身の結婚・出産とともに、同世代の女性の心をうまくつかんできたのだと言えます。女性ファンをどれだけ作れるかが、人気の秘訣のようです。
彼女と同世代の女性ファンが、自分の子どもを連れてコンサートに行くというケースも、最近は多いようです。若い人が増えている理由の一つに、そういったこともあるのでしょう。

約30分のコンサートでしたが、客席も完全燃焼という感じで、とても充実していました。
ライブの最後は、往年のヒット曲のなかから、夏にぴったりの曲がメドレーで歌われました。
最後の歌「夏の扉」が終わったところで、最初の花火が打ち上げられるという演出になっていました。
コンサートで盛り上がった客席が、花火の打ち上げ開始でさらに盛り上がっていました。

花火は、打ち上げ会場が近いうえ、低い位置に上げられるので、なかなか迫力がありました。
風下になっていたので煙で少し見えにくくなってしまったのと、スターマイン系の花火だけだったのがちょっと残念でしたが、貴重なライブも見られたし、とても楽しめました。
松田聖子が、花火大会のイベントで屋外ライブを行うのは、初めてのことだそうです。
初めての試みで、しかもとても盛り上がったのでうれしいと言ってくれたことが、ファンとしても大きな喜びです。


<本日のキモノ>

竹の柄の綿絽

白地に竹の柄の綿絽。
祇園祭のときと同じコーディネートです。

松田聖子のライブの時は、このキモノ姿で、団扇で定番のリズム(往年のアイドルの曲に合わせたリズムです……わかる方はわかると思うのですが……)をとりながら歌っていました(^^;
でも、この格好で盛り上がって声援を送っているのはさすがに目立つのか、こちらのほうに向かって手を振ってくれた(ような気がした)ので、うれしくなりました。まあ、気のせいかもしれませんが……。




地震

2005年07月23日 | つれづれ
関東地方で、震度5強の強い地震が発生。

京都への日帰り旅行プラン「1day京都」を申し込みに東京駅のJR東海ツアーズへ行く途中、電車が上野で止まってしまった。
「関東地方で強い地震がありましたので、運転を見合わせます」というアナウンス。
電車に乗っている最中だったので全然気が付かなかったけれど、そういえば少し「ガクン」と揺れたかも……。

線路の点検が終わったらすぐ動きだすだろう、動きだしちゃえば、上野から東京まではすぐだし、座れてるし、まあいいや……。
と、のんきに構えて本を読んでいたのだが、しばらく経っても一向に動きださない。
ま、まずい、このままではJR東海ツアーズの営業時間が終わってしまう……。
急いで電話をかけて、とりあえず注文だけすませた。注文を受けてくださった方に事情を話し、電車がとまっているので少し遅れるかもしれないことを告げて、そのまま車内で待つ。

電車が止まってから、早1時間が経過。まだ動きだす気配はない。
JR東海ツアーズの閉店時間が迫ってきたので、タクシーに乗って行こうと思っていったん駅の外へ出たが、空車はまったくつかまらず、タクシー乗り場には長蛇の列。いつもはタクシーの長い列ができているというのに……。
しかたがないのでまた駅に戻って、しばらく待つ。
しかし、構内アナウンスによると、運転再開までにはまだ当分かかりそうだという。

遅れることを電話で知らせているとはいえ、あまりにも遅い時間になってしまったらどうしよう……。遅くまで待たせておくのも悪いし、出発は翌日の早朝なので、どうしても今日受け取っておかなければ困るし……。

地震発生から約1時間半後、やっと、地下鉄銀座線が運転を再開した。
やはり、東京で最初に開通した地下鉄だけあって、こういう時いちばん最初に運転を再開させるのだろうか。
渋谷から浅草までの区間、主要な駅をいくつも通っている路線なので、銀座線の運転再開はかなり重要かも。

JRの駅でアナウンスを聞いて、急いで銀座線の駅へ移動。
人がおおぜい詰めかけているのでは? と思ったが、それほどでもなく、スムーズに乗れた。
銀座線の日本橋駅からJR東京駅八重洲口までは歩いて10分もかからない。

午後7時ちょっと前に、JR東海ツアーズに到着。
休日は6時までの営業なのでカウンターはすでに閉まっていたが、店の入口はまだ開けてくれていた。
新幹線の切符の払い戻しや乗車変更をしに来たと思われる人たちも、店にある券売機の前にかなり並んでいた。
無事に切符を受け取ったが、JR線はまだ運転を再開していない。
仕方がないのでまた日本橋へ。
上野に戻って、少しずつ運転を再開した路線を使いながら帰途についたが、山手線でも運転再開までに3時間かかったようだ。
すべての路線が運転を再開するのに、JRでは最大で7時間かかったという。
これが平日だったり、もっと大きな直下型地震だったりしたら、いったいどうなってしまうのだろう……と思うと、ちょっと心配である。



トマトの皮

2005年07月01日 | つれづれ
お昼をゆっくり食べる時間がなかったので、社内に設置されているコンビニ自販機で、ミートソーススパゲティーを買った。冷凍されているものが、温められて出てくる形式である。

いざ食べようとしたそのとき、ふと、パッケージに小さく書かれている注意書きが目に入った。

「ミートソースの中に、トマトの皮が入っていることがありますが、品質には問題ありません」

…………。
あまりにも当たり前すぎることを書いた注意書きだが、もちろん、冗談で書いているわけではないらしい。

わざわざそんなことわり書きをするということは、つまり、「ミートソースの中にトマトの皮が入っていましたよ!」というクレームをつけてきた消費者が実在したという証なのであろう。
生まれてこのかたトマトの皮を食べたことのない、とてもお上品な方か、よほどの偏食家がつけたとしか思えないクレームだが、そういった稀有な人のクレームも想定して注意書きを入れなくてはならないとは、まったくセチガライ世の中になったものだ。

私は、トマトを食べるときは、普通に皮ごと食べるけどなぁ……。
そして、皮ごと食べても、お腹こわしたり体調に異変をきたしたりしたことは、いまだにないけどなぁ……。


明月院

2005年06月26日 | つれづれ
鎌倉の明月院へ行った。

このお寺はあじさいの名所で、この時期はいつも人が多いのだが、今年は「義経ブーム」のせいか、いつにも増してすごい人出になっていた。

花のほうは、今年は雨が少ないせいか数も少なく、小さめだった。

境内には、あじさいの花を抱えたかわいらしいお地蔵さんが(冒頭写真)。
このお地蔵さん、数年前から登場したのだが、パステルカラーのイヤリング(?)のようなものがついていて、かわいらしい。見ていて何となくほのぼのする感じだ。

この後、新宿の末廣亭へ行ったのだが、長蛇の列ができていたので、入場を断念。
ドラマの影響なのか、最近、寄席にはずいぶんとお客さんが増えているようだ。

しかたがないので、伊勢丹デパートで、浴衣売り場を見てから帰った。
浴衣売り場は多くの人でにぎわっていた。店員さんたちも、みんな浴衣を着ている。
私もキモノを着ていたので、店員さんにやたらと声をかけられずにすんで楽だった(笑)。


<本日のキモノ>

麻の葉の浴衣に博多織の献上八寸名古屋帯

麻の葉模様の綿麻浴衣を、半衿・襦袢・足袋とあわせてキモノ風に。
襦袢は、麻の二部式襦袢を使用。夏は、下に着るものを調節して、少しでも涼しくなるようにしなければ……。
帯は、博多織の献上八寸名古屋帯。
根付は、前日に歌舞伎座のロビーで購入した、金平糖をかたどった根付。アップの写真を撮り忘れたので残念なのだが、まるで本物の金平糖みたいなのだ。パッケージには「まちがっても食べないでください」との注が書かれていた(笑)。
金平糖の色が、あじさいをイメージさせる感じで、この時期にはちょうどよかったかも。

暑かったので、足袋は早くも麻足袋に。木綿の足袋と比べると、とても涼しい。
前日に買った、右近型の焼き桐下駄をさっそくおろした。



菖蒲

2005年06月19日 | つれづれ
葛飾区にある、堀切菖蒲園へ行った。

今年は、菖蒲や紫陽花の咲き始めが遅かったようで、6月の中旬を過ぎているというのに、ちょうど見ごろという感じだった。
例年の花期にあわせているのか、堀切菖蒲園の開園期間は、この翌日までとなっていた。
せっかく見ごろになっているのに、ちょっともったいないなあ、と思った。

のんびりと午後から出かけて、京成電鉄・堀切菖蒲園駅に到着。駅の近くにあった「お持ち帰り寿司」のお店で茶巾寿司と穴子きゅうり巻きと箱寿司を買い、菖蒲園へ向かった。
このお持ち帰り寿司のお店は、大将とおかみさんだけで切り盛りしているような、小さなお店だった。店先のガラス窓の向こうで、大将が酢飯を作っている。
注文を聞いて、大将が酢飯をつくる手をとめておかみさんを呼ぶと、すぐに奥からおかみさんが登場。
大将は、すでにできあがっていた茶巾すしと箱寿司を手早くパックに入れ、そのあと、手早く穴子きゅうり巻きにとりかかる。
その間、おかみさんは時々酢飯をしゃもじでかきまぜながら、大将から渡されたパックのふたをしてビニール袋に入れていく。
すばらしい連携プレーだ。寿司をさわるような作業は必ず大将が行い、寿司をさわるのに妨げとなる作業はうまく女将さんが引き継いでいく。
良い状態のものを手早く出そうとする大将の考えがよく伝わってくる感じだった。
ちなみに、寿司の内容からわかるとおり、関西寿司(京風寿司)のお店である。

菖蒲園に着いて、まずは「花より団子」、さっそくお寿司を食べてみた。
穴子きゅうり巻きも、箱寿司も、ふんわりと絶妙の力加減で作られている。
茶巾寿司の玉子は、ふわっとしていてなめらか。
おいしくて、あっというまにたいらげてしまった。
持ち帰り寿司にしろコーヒーショップにしろ、チェーン店が立ち並ぶ駅の多い昨今だが、堀切菖蒲園の駅前には、こういった昔ながらのお店が、まだたくさん残っていた。

おいしいお寿司でお腹を満たした後は、不思議とゆったりとした気分で菖蒲を見ることができた。

紫陽花「隅田の花火」
↑堀切菖蒲園へ行く途中、紫陽花(あじさい)の小径があった。これは、「隅田の花火」という品種。


<本日のキモノ>

単の綿紬に博多織の八寸名古屋帯 千鳥の裾模様

あっという間に6月も半ばを過ぎ、あと半月足らずで薄物<盛夏(=7、8月)に着る、透ける着物>の季節になってしまう。今のうちに、6月の着物をもっと楽しまなければ! というわけで、着物で出かけることに。
今日は、外を歩いて回るので、木綿の単(ひとえ)に。実はこれ、浴衣なのだ。
しかし、いわゆる普通の浴衣とは生地の織り方が異なり、柄も絵羽付け(広げると一枚の絵のように柄がつながっているもの)になっている。裾模様は千鳥の柄。
盛夏に浴衣として着ることはもちろんだが、透け感も少ないので、6月下旬や9月上旬に、半衿・襦袢をあわせて単(ひとえ)の綿紬の着物としても着られるようになっていて便利。

6月なので、襦袢は夏物、半衿・帯揚げもすべて絽に。
人によっては、6月の初旬は半衿を塩瀬にすることもあるようだ。半衿が塩瀬なら、帯揚げも絽ではなく普通のものにする。半衿を絽にしたら、帯揚げも絽に。
6月の半衿の用い方については諸説あるようだが、6月に入ったら、半衿も帯揚げもすべて絽にするのが一般的なようだ。もちろん、襦袢も単(ひとえ)ではなく絽などの夏物に。

帯は、博多織の「やたら縞」の八寸名古屋帯。
帯締めは、涼しげに見えるよう、幅の細い三分紐にして、帯留を使用。



関西弁AIBO

2005年05月17日 | つれづれ
ソニーの犬型ロボットAIBOに「関西弁版」が登場する。
AIBO本体に関西弁版の「カスタムデータ」をセットすると、AIBOが関西弁をしゃべるようになるらしい。

「お手」「おすわり」などと話しかけると、「なんや?」と言ったり、持ち上げると「落とさんといてや」と、ちょっとひねた物言いをしたりもするそうだ。

ここまではまあ許せるとして、納得いかないのは「もうかりまっか」。
こんなこと実際に言う関西人は、もはや皆無であろう。
しかも、どういう文脈で出てくるかというと、「はじめまして、もうかりまっか」である。
初対面のあいさつの後にいきなり「もうかりまっか」なんて、関西弁以前に人間としてありえないだろう。
推測するに、このAIBOは、関東の人が、関東人の考える関西弁や関西人のイメージで作り上げたのではないだろうか。

男性の言葉と女性の言葉と二つのパターンのAIBOが用意されているようだが、どちらも、正統派の関西弁(といっても、大阪と京都と神戸では言葉も違うけれど)が用いられているかは定かではない。

どうせなら、「古い大阪弁をしゃべるAIBO」とか「正調の京都弁をしゃべるAIBO」などがあればいいのになあ……。

文楽(人形浄瑠璃)の太夫、竹本住太夫さんのインタビューを聞いたことがあるが、彼のしゃべる大阪弁はまさに「古き良き大阪弁」という感じだった。今の若い人にはとても使えないような。
そして、「古き良き大阪弁」というのは、どっしりとした貫禄とそこはかとない品のあるものであり、決して初対面の人に「もうかりまっか」というようなものなどではない。

核家族化に拍車がかかる今、せめてAIBOにおじいちゃんおばあちゃんの代わりとなって古い言葉をしゃべってもらえば、子どもの語彙力の低下も防げるかもしれないのに。

そういえば、まだ祖母が生きていたころ、わが家では「往生した」という言葉が普通に使われていた。
「往生した」とは、関西以西の地域ではわりと広く使われていた言葉で、「大変だった」という意味だ。
「今朝、電車が止まってしもうて、往生したわぁ」などといった具合である。
関西では似たような意味の言葉で「難儀した」というのもある。

今、関西に行っても、こういった言葉を耳にすることがほとんどなくなってしまった。
「もうかりまっか」などより、ずっと響きのいい言葉だと思うのだが……。

もしも「古き良き関西弁をしゃべるAIBO」が実現したら、ぜひ全国各地の言葉でも作ってもらいたいなぁ。
「江戸弁のAIBO」というのも見てみたい。


樹齢1200 年の藤

2005年05月04日 | つれづれ
3連休2日目。

今日は、埼玉県春日部市の牛島というところへ、またまた藤を見に行った。

東武野田線の「藤の牛島」という駅から歩いて15分ほどのところにある藤園、普段は民家の敷地内になっているのだが、この時期だけ有料特別公開しているのだ。

ここには、特別天然記念物に指定されている、樹齢約1200年の藤がある。

とても大きな藤棚で、花房も、最も長いところで約2メートルと、とても見応えがあった。

房の長いところは、まるで藤の「のれん」のようになっていた。
長い花房の間から顔をのぞかせると、踊りの「藤娘」の一場面を思い起こす。
本当に、「藤娘」の大道具のような、大きな花房だった。
着物で、日本髪に藤の花かんざしといういでたちだったら、本格的に「藤娘」風の写真を撮れたのに……、残念(笑)。

かなり歩くことが予想されたので、私は洋服にスニーカーといういでたちで出かけたのだが、園内で一人だけ、着物を着ている人を見かけた。飛び柄で花をあしらった、春らしい色の素敵な紬だった。


牛島の藤を堪能した後、東武電車に乗って一路浅草へ。
浅草見番の近くにあるお店で少し早めの夕食をとった。
この店に来ると必ず頼むだし巻き玉子など、おいしい一品料理を食べながらビールを楽しみ、その後、筍の釜めしと豆の釜めしで旬の味覚を堪能した。

店を出てから、浅草演芸ホールへ。
すでに夜の部がはじまっている時間だったが、かなり立ち見が出ているということだったので、ちょっと時間をつぶして、仲入り(休憩時間)を過ぎたあたりから入ることに。

すぐ近くにあるロックスビルの中をひやかしていたら、某ブランドの素敵なブラウスが安かったので、ついつい購入。海外からの直輸入のため、通常の20%~50%オフになっているという。
国内で販売されているブラウスの平均価格(注・あくまでも、私が目にするブラウスの平均価格なので、真の平均価格よりも低い可能性大)くらいだったので、お買い得だった。
着物もそうだが、浅草では、他の街に比べると安い相場で、結構良いものを入手できることが多い。
もちろん、観光客向けの雑多な店も多いが、慣れて見る目ができてくると、掘り出し物を見つけられるのではないかと思う。
こういったところも、浅草の魅力の一つである。

いい買い物ができてホクホク気分のまま、浅草演芸ホールへ。
すでに仲入り(休憩)が終わっている時間だったが、まだまだ立ち見の人がいた。
終演までそれほど長い時間でもないし、立ち見でガマンすることに。
トリは柳家小三治師匠。「天災」という噺を、独特の飄々とした語り口で演じていて、なかなか味わいがあった。