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国についての妄言-5 日本社会に偏見はない?(再録)

2021-06-18 09:12:17 | 支離滅裂-妄言虚説

韓国中央日報と言えば、朝鮮日報、東亜日報と並ぶ全国紙です。
そこに芸能の面から見た日本の記事でこんなのが掲載されてました。

日本を訪問し、それら(=文化の多様性)を観察しながら得た最も大きな所感の一つも、日本社会の「偏見のなさ」だった。
日本で最も成功した歌手は、何といっても桂銀淑(ケ・ウンスク)だ。
日本歌謡界のトップスターになった韓国歌手。
ケ・ウンスクという韓国名を使う同氏を軽く受け入れたのは、日本にせこい偏見などはないとの意味なのではなかろうか。
(中略)
(日本は)われわれを余裕に見下ろしながら、良いものは全部取っていこう、との構えだ。
それなら、韓国に残るものは何だろうか。
ひょっとすると、それが「独りぼっちの韓国」の歪んだ肖像の下に残された文化貧困の現象ではないものか、少なからず懸念される。
趙英男(チョ・ヨンナム、歌手、韓国中央日報)

これ又意外な意見ですなぁ!
てっきり「日本は外国人(特に韓国朝鮮人)を偏見を持って差別している」と言われるかと思えば、まるっきり逆ですねぇ。
日本社会に「せこい偏見などはない」と感銘を受けるということは、韓国社会は我々が想像できないほどの閉鎖的な面をもっていると自覚してるんですね。

そう言えば韓国のテレビでは日本語の歌を、例え韓国人でも歌うことができないんですねぇ。
最近はライブで歌うのは解禁されたと言うことです。
数ある外国語の歌が全部駄目なのかと言えば、そうではなくて日本語だけがそういう扱いを受けてるんですね。
ところが中高生は、日本のアイドルの歌の歌詞をハングル文字で書いて、一生懸命覚えてるんです。
そういうのを見るとホッとしますなぁ。

国内のマスメディアをいくら規制指導しても、衛星放送やWebもありますし、為政者にとってはやりにくいことでしょうねぇ。
ただし、韓国国内のプロバイダーから北朝鮮のサイトへは接続遮断、というような強硬な措置を政府がとっています。
それにしてもその気になれば完全には防げませんよねぇ。

それに「良いものは全部取っていこう」といっても有形の文化財ならばともかく、統治時代でも消せなかったんですから、無形の文化は消そうとしても消えないと思いますがねぇ。
「文化貧困」を懸念するのは全くの杞憂だと思うんですが・・・。

李承晩(イスンマン)から盧泰愚(ノテウ)までの時代は、「文化侵略」を防ぐ目的で、日本文化が韓国で紹介されるのを厳しく統制していましたねぇ。
「文化侵略」などという言葉は如何にも被害妄想的な感じがする、と思うのは偏見でしょうか?
特に朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の頃は印刷物は一切持ち込み禁止でした。
同じ頃中華民国(台湾)も日本の印刷物の持込を禁じていました。
これは、所謂共産主義に関した物や、当時の政権にとって都合の悪い情報を遮断する目的だったそうです。

ところが、九州の放送局の電波は済州島、光州、釜山、蔚山辺りでははっきり届くんです。
これは釜山に入港していた時も、NHKの気象通報を船のラジオで聞いて天気図を書いていたから間違い有りません。
当時30代の人々は、植民地時代に日本語教育を受けていますから放送内容を理解できるんです。
印刷物だけを規制したところで大して効果は無かったと思いますねぇ

船員として40年前初めて上陸した時に税関で厳しくチェックされて、全くそういうことの無い国で育った私は、初めて実は日本というのは自由な国である事に気付いたんです。
船にやって来た釜山の船舶代理店の金さんが、食堂に置いてあった古い週刊新潮を読みふけっていたのを思い出します。
別に目くじらを立てるほどの危険思想が書いてあったとは思えないんですがねぇ。

金大中(キムデジュン)で少し緩まって、今の盧武鉉(ノムヒョン)になるとかなり開放された感じがします。
しかし依然として規制は残ってるんだそうです。

今も残る反日感情は愛国教育の結果であって「こんな物は交流が活発になればいずれ消える」てな事を思うのは前回の「意地とアッサリ」にも関連する執着の無さで、先方にすれば理解できないのかもしれませんなぁ。

確かに、わが国は芸能にかかわらず、料理や行事など何処の国の物でも取り入れてます。
前回でグダグダ書いた将棋もそうですが、そのまま丸ごと取り入れるのではなく、都合の良い部分だけを取り込んで微妙に醤油味にしてしまうんですねぇ。
エスニック料理などはその最たるもので、真面目に本場の味に拘っていると大規模展開など出来ないどころか、早晩その店は潰れること間違いなし。
もしくは本場の味に拘るマニアックな客だけを頼りに、それこそ路地裏営業で頑張るかでしょうなぁ。

是は何も日本に限った事ではなく、海苔巻は韓国の遠足のお弁当の定番です。
韓国風にアレンジされて酢を使ってないので、見た目はそっくりでも味はかなり異なります。
名前もキムパッ(プ)と韓国風、名前は同じオデンでも見た目がかなり違うのと逆ですねぇ。
ただ、海苔巻は韓国が元祖で日本はそれを真似たんだ、と思い込んでいるあたりが、日本での韓国料理に対する認識と大きな違いですね。

風俗習慣でも、ものの見事に面白い楽しい部分だけをためらいも無く受け入れてます。
世界中の風俗習慣で金儲けのタネになりそうなものは、原型をヒョコ曲げてでも商業ベースで味付けして商品化するのは見事としか言いようがありません。
日本のクリスマスをみたらキリスト教国の人間は腰を抜かしまっせ・・・。
是は偏見の無さというよりも、節操の無さではないかとおもうんですがね。

北方騎馬民族もチャランポランな南方海洋民気質に染まってしまったんでしょうか。
それとも文化の伝播の行き止まりで、唐渡り、舶来を珍重してきた長い歴史に培われた、海の向こうからのものに対する憧憬が、未だに有るんでしょうかねぇ。

2004/11/13:初出(旧OCNホームページ)
2021/06/18:再録

国についての妄言-4 ⇔ 国についての妄言-6

 

 



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