maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

喜愛香港-000 先ず最初に予防線

2003-11-14 06:38:26 | 虚々実々-喜愛香港

ご紹介する予定の中にはダイヤモンド・ヒル(鑽石山)の不法難民住宅、沙田の鴿焼き鳥屋台の群れ、ライチーコック(茘枝角)近くにあった麻薬患者収容所、九龍城砦(ガウルン・センチャイ)など消えてしまったものも沢山有ります。
予定は未定ですので、ひょっとしたら端折るかもしれません。

Web上に香港の紹介記事は数え切れないほど有ります。
路地裏大好き貧乏人の maido は、そう言う記事が相手にしないような、しょうも無い事を、これ又しょうも無い思い出と一緒に、香港の普段着の魅力をご紹介したいなぁと思っております。
出来れば「香港街道地方指南」(香港の地図と言えばこれしか有りません!毎年発行されています。似たような紛らわしい亜流が沢山でていますが、これがダントツに信頼性が高くてお薦めです。日本でも売ってるやろか?)を見ながら読んでいただくとエエんですけどねぇ・・。

一部「食べまくり」「花鳥風月」などと重複する部分も有るやも知れませんが、大目に見てちょうだい。
流行、廃りの激しいのが香港の特徴。
おまけに街の様相も刻1刻、常に変っています。
数ヶ月前に行った粥麺屋が美味かったからと、次に行ったらブティックになっていた、等と言うのはしょっちゅうです。
実際に行かれる場合は、事前にお調べいただくのが安心でしょう。

言葉の表記ですが、廣東話(廣東語)というのは難物で、普通話(標準語)で四声という声調が、六声、厳密に言えば九声あるというのですから、到底カタカナでは正確には表記し切れません。
漢字で書こうとすれば、通常のフォントに無い文字、特にもっぱら表音に使う口偏の漢字等が厭になるほど有ります。
元の字形を書いたほうが良いかな?と思う場合は(人+尓)、(人+尓+下に心)等と書くかも知れません。
発音とのズレを承知で、カタカナで書く場合が有りますので、よろしくご理解ください。
面白い事に、普通話(標準語)よりも日本語と読み方が似ているのが多いんです。
日本語は呉音、唐音、漢音が入り乱れていますが、何れも古い中国語の発音ですよね。
沖縄県の言葉に平安時代の言葉の残骸が残っているように、中原から離れた廣東には日本に漢字が伝わったのと同時代の音が生き残っているんじゃないでしょうか?

電話を掛けると「ハイハイ!(係係)」と言ってくれるだけでも嬉しいやおまへんか!
そうなんです、Yes は「ハイ」なんですね。
母音、2重母音が多いのや、撥音が目立つのあたり、目をメェ、歯をハァ、木をキィ等と言う大阪弁と似た聴感なので親しめます。(思い込みかなぁ)
英語、普通話(標準語)が通じないような所を選ってウロウロすることが多いので、大抵の事は身振りや筆談で通じますが、片言でも知っておくともっと便利です。
廣東話には普通話(標準語)にあるソリ舌音が無くて、日本人は(ヤップンヤン)、普通話の日本人(ゥルュゥペンルゥェン)の発音にてこずっている香港人を見ると「オーッ、仲間よ!」と思ってしまいます。ちなみにご存知でしょうがホンコンは廣東話、普通話ではシャンクゥワン、何処の事かいな?と思いますね。

ご紹介する所には、少々(かなり?)治安が悪いとされている地域も有ります。
昼間は何という事も無い新興高層団地が、夜になるとトンでもない危険地帯になったりします。
日本でも同じでっせ。
有名な飲茶屋(陸羽)で、朝っぱらから殺し屋(殺手)が客の富豪を拳銃で射殺したり(2003年)、繁華街のMTR(地下鉄)の駅で、宝石店を襲った強盗団と警官隊が銃撃戦(2001年)なんてな事が有る所ですから、運も少しは必要でしょうね。(無責任な事を言うてますなぁ・・)
もっとも、街全体の治安状態は大阪、東京と大して変らないと思います。

もしこの記事を参考にされる場合は、あくまでリスク自分持ちでお願いします。


大っきく出ましたが、行き当たりばったり。
私が初めて香港に行ったのは、1967年頃から始まった香港の暴動、文革のあおりで赤旗乱立、東方紅ガンガン、グルカ兵大忙しの大騒動がようやく下火になった 1971年(昭和46年)でした。
香港島の銅鑼湾と九龍のホンハムを結ぶ最初の海底トンネルが開通したのが翌1972年(昭和47年)。
自動車は九龍と香港の間はフェリーに頼るしか無かったんです。
「〇民」という船名が付いた白黒のフェリーが人と自動車を積んで、縦横に走っていました。
香港のフェリー全盛期の最期に間に合った訳です。
ビクトリア(九龍、香港島間の海峡)を渡る手段はフェリーの他には「ワラワラ」という小船。
言わば海上タクシー、通勤時間にはこれが群がってましたね。

直行便が少ない頃は、東南アジア何処へ行くにも、一旦ここに来ん事には、ど~にもなりませんでした。
国内の旅行屋が客の無知に付け込んで、法外な料金で航空券を売りつけていた頃でもありました。
何処へ行くにしても、とにかく香港まで来て、ここで最終目的地までの切符を買えば「ホンマかいな?」というほど値段が安かった。
便数も多いし、怪体な所へ行く便も豊富。
日本で全行程を買うのと較べたら、1回の費用で2,3回余分に旅が出来ましたね。
それ以後、海底トンネルで自動車が往来出来、地下鉄が走り、海岸線が埋め立てられ、「ワラワラ」は絶滅。
空港は遥か彼方に移転、高速道路が空中を走り、長い石段がエスカレーターになるなど、行くたびに変貌する街に驚きながら 30年以上が過ぎました。

まさかと思った中国への返還も終わり、SARS に痛めつけられても香港は香港。
基本的に何でも有りの気風が肌に合うというか、カラッとした上昇志向の働き者が多い街市(市場)、ガジャガジャした下町、大阪の昔の路地を持ってきたような古い人情が残った裏通り。
何と言うても、人々の目つき顔つきに張りがおます。

少し田舎に行けばレッサーパンダやコブラも居るという意外に豊かな自然。
離島に渡るとと自動車皆無、移動は脚と自転車などという所も有ります。
明朝末期やアヘン戦争にまつわる歴史的な奥深さも魅力です。
嬉しい事に、食べ物が安くて美味い!
訪問を重ねるごとに病気に取り付かれ、終に大阪の次に好きな街。
(実は大阪の次に好きな街は仰山有って、長崎、香港、小倉、サウスサンフランシスコ、天津、その他、全~部同着2位。)

例によって、後の事は始めてから、ボチボチ考える事にして、先ずは今は無き「九龍城砦」にでも行きましょうか?

2003/11/14

 

喜愛香港-001 九龍城砦(ガウルン・センチャイ)-1 

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