maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

02-渡航準備-U.S.A.1964-No.2-再録

2022-04-09 07:24:38 | 虚々実々-U.S.A.-1964

えらいこっちゃ!

「アメリカに行かしてやろうか」と言われた時は、テッキリからかわれていると思いました。
当時はアメリカなんてのは夢のまた夢。
自分にも行けるチャンスが有ろうなどとは、ハナから頭に有りませんでした。
何よりも、渡航が自由化されてない。
何しろ沖縄に行くのにパスポートがいった時代ですからねぇ。
外貨も厳重な為替管理で、ヤミドルなどが在ったらしいけれど、身の回りでは全く目にする機会もなし。
何をどうしたらエエのやら、全く見当もつきません。

〇〇クラブの大阪事務所に挨拶に行って、交換学生プログラムの理事さんにお話を聴いた。
このお方、当時梅田に在ったアメリカのフイルム会社代理店の社長さん。
派手目の上着に万年筆からライターまで舶来。
さすがに、いでたちが違う。
困った事に、話に英語が仰山混じってて、畏まって聞いてるものの、実は理解出来ん。
コンサレート言わんと領事館言うてくれたらええのに..。
「すんません、それ何のことでしょう?」とあんまりしょっちゅう訊くもんやから、段々ご機嫌が..。
「他所のクラブさんは、選抜の段階からウチでまとめてお世話してるんですよ。お宅みたいに途中で急に派遣したい言われるとねぇ」
選抜?幸いそんなもん無かったからエエようなもんの、一体どんな方法で選抜するのか?
「日常会話くらいは出来ないと恥かしいからねぇ」
「Go ahead!(ゴォーアヘ~=前進)」「Anchor let's go.(アンカーレッコォ=投錨)」なんてのは知ってるけど、日常には使わんでしょうね。
多分、いや全く出来ません、恥ずかしいでしょうねぇ..。
皆さん週に1回集まって、会話の練習してはるらしい。
「出来たら、それ参加させてもらえますか?」
「既に皆さん相当進んでるから、途中から参加してもねぇ」と、速い話がアカン言うてるんです。
身元引き受けの手紙も、アメリカのクラブの地区事務局と連絡を取って、一括で入手してはるねんて。
身元引受けの手紙がないと日本の旅券、アメリカのヴィザが貰えないらしい。
「今更追加で言うのもねぇ」と、これ又アカンのです。
「何とかこちらで用意します」言わんとしょうがない。
「あちらにお知り合いはいてる?」
1人だけ居てるがな、親父の隣に座った Elmer さんが。
「一体どう云う文面の手紙が必要か知ってるの?」
「知りません、教えてください」

何があろうとも、コイツの身元は引き受けた。
保護、監督、指導は任せてください。
不法就労はさせません。
間違っても行方不明不法残留などは絶対にさせません。
全ての責任と義務は私が負います。
政府には一切迷惑をお掛けしません。

是は凄いなぁ..、親兄弟でもここまでは請け負いかねますね。
果たして、こんなん書いてくれるやろか?

要点を書いてもらったけれど、これをどないして英語にしたらエエ物か?
中学以来英語を7年余り習ったのに、泣きそう。
送り出す地元のクラブも何しろ初体験。
「アンタが行くんやから、行く本人が聞いて準備するのが一番手っ取り早い、頑張ってね!」と声援はしてくれるけれど、手助けなし。
しかしココでめげてはアメリカへ行けん、忍び難きを忍び、耐え難きを耐え、何とか洋行するぞ、と悲壮な覚悟。
「英文手紙の書き方」てな本を、梅田の本屋で立ち読みしたり、手当たり次第、色んな人の助けを借りて、手紙を書いて送りました。
返事が来るまでの待ち遠しい事。
訳の判らん手紙が来たと、捨てられてへんやろか?宛先不明で返ってきたらどないしょう?
返事が来た時の嬉しかった事。
喜んで開けて読んだら、ン?「友人が身元引き受けをしてくれることになった。貴方の Address は彼に教えた。何れ本人から手紙が届くと思う」
大丈夫かいな?
数日後今度は Roger Hanson さんから手紙が来た。
ちゃんと身元引き受けの要件を満たした手紙が入ってる。
同封された別の手紙に、
「我々は貴方を歓迎する。ところで一体貴方はどういう人?」
おいおい、そんなんで身元を引き受けてくれはったんかいな!
豪儀なお方ですなぁ!これはエエ人に違い無い。
相手もアバウトなら私も単純。
それに住所を見たら South Sanfrancisco ん? San Mateo と違うなぁ?
クラブは San Mateo に派遣する気でいるのに South Sanfrancisco へ行っても問題無いのかなぁ。
一体位置関係はどうなってるんやろ?
まぁ、行ってから訊いてもエエか。

辞書と首っ引きで大汗をかいて、何とかお礼の手紙をでっちあげて、そうや!写真を送ったらエエンやと思いつきました。
ところが自分の適当な写真がない、山やら犬の写真ばっかり、何時も写真を写す役割やと、自分の写真て無いもんですよ。
顔が判らんといかんやろうし、さりとて免許証の写真ではあんまりや。
結局、木曽営林署のおっちゃんが写してくれた、空木岳山麓、東川本谷の流木に腰掛けてタバコを吸っている写真を同封しました。
しかし、足元に背負子置いて、タオルで鉢巻してるがな、どんな奴やと思うやろか?

さて、それからの半年は、渡航のための手続きに山ほど書類を書きました。

大阪府庁の外事課に旅券を申請し、当時神戸にあったアメリカ領事館に身元保証の手紙を添えて、ヴィザを申請し、と全部本人が行かねばなりません。
現在のように旅券発行の専門の事務所などはありません。
海外渡航する人は、公務又は業務渡航が大部分で、旅券発行に数か月かかりました。
黒革の表紙に金箔の菊の紋章が入った 立派な旅券に、一冊ずつ外務大臣が肉筆で署名していた事でも、発行数が如何に少なかったかが伺えます。
さて今度は航空券、これは〇〇クラブの大阪事務局が、正規の交換学生のグループに追加してくれました。
とはいえ、書類一式持って来てください、と航空券を取り纏めているJTBの天王寺営業所から連絡があって、又もや大量の書類を書く羽目になりました。
応対してくださった課長に、ほとんどの準備を自分でやったと話して、呆れられるやら、驚かれるやら。
このお陰で、後日、添乗員のアシスタントのアルバイトのお声が掛かったんですから、何がどう幸いするか判らんもんですねぇ。

ジタバタしている内に、出発の日が近づいてきました。
送り出すクラブのメンバーに、当時の大阪市長と親しい方が居られて、何かの折りに話をされたらしく、アメリカに行くのならばと、大阪市長からサンフランシスコ市長への挨拶状を託されました。
住んでいる市の市長からも、サンマテオ市長への挨拶状を託されました。
ハイハイと預かったものの、はて相手の市役所へ行って、受付か何かで「預かってきたから届けに来ました」言うんやろか。
その英語の文句を、どっかに書いとかんとイカンなぁ..。
何やらどんどんエライ大層なことになって来ましたねぇ。
二十歳そこそこの学生に挨拶状を託すなどとは、余程人の往来が少なかったのでしょうね。
〇〇クラブからはバナー(飾りの小旗>)を沢山預かりました。
行く先々でクラブの例会に出席して、出来るだけ沢山交換してくるよう依頼されました。
簡単に言うけれど、一体どうしたら例会に出席できるのか、見当もつきません。
これ又、何とかなるやろう、とお預かり。
アメリカに行くという実感がまだ沸かず、まして自分が外人に混じって生活する、というイメージも全く掴めませんでした。

2003/02/25:初出
2022/04/09:再録

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