maidoの”やたけた”(ブログ版)

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国についての妄言-11 ところで国て何やろ?-3(再録)

2021-07-24 16:05:49 | 支離滅裂-妄言虚説

それならば、動物学的な人種で国を形成すれば良いかと思えば、是は民族よりももっと難物。
自然界で人間ほど交雑しやすい種は無いのではないかと思うほどで、所謂「純血種」などは現実には存在しない、と言っても間違いではないでしょう。
人種が違うといっても、動物学的には同じヒト科の一属一種の中での事。
人種による差というのは、雑種のワンコロの毛色や顔付きの違い程度の物でしかないんですねぇ。

それを無理に分けるとなれば、コーカソイド(白)、モンゴロイド(黄)、ニグロイド(黒)ではあまりにも大まか過ぎるでしょうし、オーストラロイド(オーストラリア原住民)やアイヌ等のどの区分に入るかの定説が無いものや、それぞれ多種多様な混血をどういう基準で何処へ分類するのかという難問があります。
細分化すればしたで、部族とも呼べない小集団になって、ここでも又混血の問題が出てきます。

様々な文化の差異を無視して人々を種だけで括るというのは、何よりも人類の文化への冒涜で、あまりにも馬鹿馬鹿しく、現実的ではありません。

民族も人種も決め手にならないとすれば、宗教?
是こそあまりにも細分化されすぎていて、全世界にモザイク状に分布している現実や、同宗異派の対立の激しさを考えれば現実的では有りません。
その上我が身を思えば無神論とまで行かずとも、それに近い人々にとっては全くの空論に過ぎません。

政治的な信条というのは、宗教と非常に近似しているので、これも決め手になり得ません。
社会主義国家の勃興と終焉を見ると、理想を掲げて単一の政治的な信条で国家を運営するために旧勢力を打破しても、権力を握るとやがて変質腐敗し、己が打倒した旧体制に近いものになって行くようです。
当初の理想を守ろうとする所謂「原理主義」は、極端に走り暴力的となり。到底為政者の道とはなり得ないことも宗教の場合と酷似していると思うんですがねぇ。

困ったことに、現実の世界には成立の経緯が様々な国が存在しています。
とくに他の国々の政治的戦略的な意図や力関係によって独立させられたり、併合あるいは分割された国では、内外での紛争が常に勃発しています。
この状態を解決するには、多様性を認め合い、それぞれの立場を尊重するしかないんですが、これとてもルールを無視するのがいたのでは夢物語。
悩ましいことにそういう手合いが必ず出てくるんですなぁ。
こうなってくると、そもそも「国」という区分けが必要なのか?という疑問さえ起きてきますねぇ。

乱暴ですが「国」をもっと身近な物に置き換えてみると町内会ですなぁ。
タコ部屋みたいなアパートだけで町内会やというて、ヤクザみたいな奴が町内会長。
稼ぎは召し上げられて、それでも足りんかったら近所の町内会を脅してお金を巻き上げてくる。
かと思えば、ボスが居座って、たいしたこともせんのに高い会費を取って、他所の町内会にはエエ格好して、贅沢をして、住民は不満。
そうかいうて、役員改選しても取り巻きどもが票を纏めるから結局は大して変わらん。
町内会は有るものの、住民はバラバラ、何軒か気の合うもの同士で固まって、お互いにしょっちゅう揉める。
大きな町内会で、払った会費に見合う仕事をしてくれるのは結構やねんけど、他所の町会のやり方がイカンと喧嘩を始める。
言うたら何やけど、無い方がエエ町内会もあるのとちゃいますか?

町内会の役員は回り持ちで、当たった人は誠心誠意で手弁当、細かい取り決めが無うても住民の程度がエエので、上手いこと治まってる。
こうは中々いきませんねぇ。

国家が徴収する税金と暴力団が脅し取る場所代は、合法的か非合法というだけで、権力(暴力)を用いて働きもせずに他人の稼ぎを無理やり横取りするから同じだ、という説がありますね。
暴力団が競争を通じて独占的な地位を確保すれば、国家という名を得るようになる。(ピエール・ルミュー)
固着した盗賊集団の定期的な略奪行為の歴史が積まれて、「税金」との名で包装された。(マンサー・オルソン)
なるほど、我が国の場合も、国という組織の第一目的は、お上が国民から金を吸い上げる道具、という気がせんでもないねぇ。
これは明治維新がお上の入れ替わりでしかなかったということかいな?
それにしても官が多すぎまっせ、重心が上がり過ぎると転覆するよ。

さて気を取り直して、「国」という管理組織をかんがえると、そういう組織は必要充分な機能を果たすことが出来れば、出来るだけ小さく安上がりなのが良いことは間違いありません。
それでは、どんな形態の国がよいのかとなれば、理想には程遠く、多くの問題を内包しているとはいえ、アメリカ合衆国の形態が一つのヒントになるように思います。

各州は文字通り多民族で構成され、立法、司法権をもって連邦を形成しています。
自治領は、市民権を持ち米全国への旅行や移住は自由です。
ただし大統領選挙での選挙権は無く、上下両院議員を議会へ送ることは出来ません。
国家元首は米国大統領で米国が外交、防衛権を持ちます。
自治政府は選挙で選ばれ米国内法と抵触しない範囲での内政自治権を持ちます。
自治領が連邦の一員となる事が可能と認められれば準州に、次いで州に昇格しそれに伴って義務と権利、責任が増します。

もう一つのヒントはEU(European Union=欧州連合)です。
果たして欧州連邦(European Federation)にまで進化できるか?期待を込めて眺めているんです。

それでは、アジアでEUのようなものが出来る可能性となると、これは幾ら楽観的に考えても難しいでしょうねぇ。
中共の唱える「一国二制度」をそのまんま受け取るほど脳天気な人はいないと思います。
一党独裁である以上中共政府=中国共産党で、外交を含むの全て方針は中国共産党規約から逸脱することを許されません。
そしてそこには、

社会主義の道を堅持し、人民民主主義独裁を堅持し、中国共産党の指導を堅持し、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想を堅持するという四つの基本原則は、われわれの立国の本である。
社会主義現代化の建設の全過程において、四つの基本原則を堅持し、ブルジョア階級の自由化に反対しなければならない。
2002/11/14、全人代で一部改正採択(人民日報より)

ということが繰り返し謳われています。
香港では既にこの原則へ向かっての軌道修正が行われつつようで気懸かりですねぇ。
一貫しているのは中国共産党による覇権の確立であり、その根底には全アジアの共産化を目指した中国共産党工作要綱の亡霊が未だに潜んでいるように思えます。
さすがに昔のようにマレーや、ボルネオ、返還前の香港で猖獗を極めた共産ゲリラによる戦術は取らないでしょうが、事あるごとに「武力行使も辞さない」と臆面も無く恫喝する姿勢はまだまだ続くでしょうねぇ。

日本も含めて、自由主義世界での民主主義も未だ成熟しているとはいいがたく、こういう連邦制が世界規模で広がる可能性はといえば、紛争解決に武力が幅を利かし、いわんや部族抗争に明け暮れている国すらある今の世界の状況では「否」としか言えないのが残念です。
しかし、「何時かは出来る」という夢は持っていたいですねぇ。

国についての妄言-10 ところで国て何やろ?-2(再録)
2004/12/22:初出(旧OCNホームページ)
2021/07/24:再録

【あとがき】
国についての妄言(再録)は今回で最終回となります。浅学菲才を顧みず、思う所を只書き散らしただけで、我ながら支離滅裂、妄言にも程があると呆れております。
香港が危惧していた通りとなり、ミャンマーも先が見えません。中共は”一つの中国”という手前勝手な主張を振り廻し、恫喝と横紙破りの戦狼外交を進めています。
覇権主義が通用しなくなる日は来るんでしょうかねぇ?



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