maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

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☆☆☆ お薦め与太話 ☆☆☆
支離滅裂-迷想迷夢-地震対策の妄言 目次 をアップしました。(2015-01-18 )、OCNのHPにアップしたのは 2005/02/19 でした。

虚々実々-喜愛香港 目次 をアップしました。(2016-11-12)
虚々実々-心筋梗塞顛末記 目次 をアップしました。(2016-11-12)
支離滅裂-迷想迷夢-白姫伝説 目次 をアップしました。(2018-09-17)
支離滅裂-迷想迷夢-雨上がりの妄言2004-05-21 をアップしました。(2021-04-18)
虚々実々-U.S.A.-1964-目次 を更新しました。(2022-01-08) NEW

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神さん-4/4-貴布袮、貴布禰、貴船?

2021-08-28 13:28:54 | 支離滅裂ー妄言虚説ー神さん

先日、年始の挨拶に西日本を回りまして、久し振りに小倉の長浜にある貴布袮神社にお参りしたんです。
長浜と言うのは、企救の長浜「企救の高浜」と呼ばれていた小倉から門司の大里までの海岸線で、今は埋め立てられて見る影もないんですが、白砂青松の見事な浜辺だったそうです。

豊国の企救の長浜ゆきくらし 日の暮れぬれば妹をしぞ思ふ
(豊前の国の企救の長浜を歩き続けて、日が暮れてきたら愛しい女(ヒト)を思い出して、もぉたまりまへんわ。)

豊国の企救の高浜たかだかに 君待つ夜らは小夜ふけにけり
(豊前の国の企救の高浜みたいに、背ィ伸びするようにあんたを待ってたら、夜はもうふけてしもたやんか、あ~ぁ。)

と万葉集にも詠われてるんですが、余り有名な歌やないねぇ。

私の直系の先祖で、生没がはっきりしているのは文政五年(1822年)生、明治三十六年1903年没の傳四良という人が一番古いんです。
それより前は現時点では詳しい事が不明なんですわ。
天正の末に豊後から豊前に流れて来たと言うんですが、はてホンマかいな?
少なくとも文政五年(1822年)から昭和十年(1935年)の間の100年以上は長浜に住んでいたのは間違い無いんです。

此処でいう「長浜」は「企救の長浜」の東端近い砂津川の西に在った漁師町の町名なんです。
玄海灘、枯木灘、遠く周防灘へも出漁していたそうです。
新幹線の高架で南を、道路拡張で北を削られ浜辺は埋め立てられて、道路で分断された長浜の一部と埋立地を一緒にして末広町などと言う町が海との間に出来てしもたんです。

それでも住民の入れ替わりはほとんどなく、狭い町の中は家族みたいなもんで、70年も前に大阪に出ていったウチを未だに覚えてくれてるんです。
「何時頃からあんまり顔ぶれが変わってないんですか」と訊いたら、「長浜が戦争で丸焼けになってからよ」
丸焼け?第二次大戦の小倉空襲では焼け残った筈やがなぁ?
「イ~ヤ、長州との戦争いな!」
オイオイ、それは又話が古いなぁ、高杉晋作が奇兵隊連れて攻めて来た時の話しかいな!

その長浜の鎮守さんが貴布袮神社。
神主のいない小じんまりしたお宮さんで、地元の氏子がお守りしてますねん。

2~3年前にもなるやろか?
お宮さんの鈴の綱を変えたいんやけど、と突然貴布袮神社の氏子総代さんから電話がありましてね。
何で又ウチに電話してきたんかと思ったら、昭和十六年(1931)に親父と大伯父2人が今の綱を寄進したんやそうな。
そら70年も経ったら傷むわねぇ。
変えるにしても一言断りを言うとかんと、大阪からお参りにきて、親父の寄進した綱はどないした?と言われたらいかんじゃろ、と電話してきてくれたんやそうな。

「新しい綱はどうしますねん?」と訊くとこれから町内に芳賀帳を回すんやて。
鈴の綱ちょな物は2階や3階から垂らすんや無い。
1階の梁からでんがな。
いくら軒が高いいうても、何十mも要るで無し、幸いロープはウチに売るほど有る、実際に売ってるんですけどね。 「しかし、麻のロープのそないに太いのは無いねぇ・・・。ナイロンやったら切れッ端が有るけどなぁ」と話したら、「ナイロンでもかまへん、幾らで分けてもらえるやろ?」
ウチにしたら3mや4mの長さのロープは売り物にもなれへん。
捨てるのにもお金が掛かるから無料でエエけど、房や上の取り付けの細工はどないする?と訊くと、さすがは元漁師町、「綱の細工ならお手のモンやから任せといて!」
ほんならと宅急便で送りました。
産廃の処理費考えたら、喜んで貰えるだけでも儲けもんでんがな。
「年寄連中が昔取った杵柄で上手い事取り付けたから、見においで」と言うてくれたけど、そうそう気軽には行けまへんで。

そうこうしている内に、氏子一同からの礼状と綱の写真、雲丹の瓶詰めがダンボール一箱届きましてん。
元々が半端物を使って貰ったのに、気づづ無いなぁ・・・、と思いながらもありがたく頂戴したんです。

年明けの挨拶回りで、長崎、佐世保、博多と済ませて、JR小倉駅北口のビジネス・ホテルまで辿り着いての翌朝、5時に目がさめたがすることが無いんですねぇ。
「そうや、久し振りに貴布袮さんへお参りしょう。」しかし外は真っ暗け。
丑の時参りや有るまいし、真っ暗けのお宮さんてのは、あんまり気色のエエもんやおまへんで。
下手をしたら賽銭泥棒に間違われかねん。
暇つぶしに風呂に入って、ジリジリしてたら7時前にやっと薄明るうなってきました。
ホテルから歩いて5分チョットですねん。
何回もこのホテルに泊まってるんですが、いままでにお参りしてないのは怪しからんね。

六地蔵さん、向うに見えるのは新幹線の高架
先ずは港の入り口の六地蔵さんにお参り。
子供の頃長浜に来ると、真っ先にこのお地蔵さんに必ずお参りしたんですわ。
漁師町やから、お地蔵さんの世話にならんといかんような、海難や事故が多かったんでしょうねぇ。
舟溜まりの傍らに並んでる六地蔵さんの横手には、漁網に掛かった物らしい仏像の欠片なども並んでいます。
ありあわせの花とはいえ、それぞれに供えてあるのを見ると心が和みますねぇ。
形だけでも「まんまんちゃん、アン」とお参りして、道を渡ってお宮さんへ行きました。

なるほど「任しておくれ」と言うだけあって上手い事加工してくれてます。
さすがは漁師町のお宮さんですなぁ。
鈴の綱の写真を撮るにはまだ少々暗いので、アッチコッチ念入りに眺めたけれど、例の万葉歌碑の他には得体の知れん大砲の玉、底引きで掛かったらしい珍しい岩が据えてあるくらいでさしたる物は無し。

小さなお宮さんやから、隅から隅まで廻っても、そうは時間が潰れまへん。
正面に戻って、何とか写るやろう、と写真を撮ってたら人の気配がしますねん。
おばちゃんが境内の掃除をしてはるんですわ。

「おはよう、ご苦労さんです」と挨拶したら「おはようございます。あなたもしか大阪の〇〇さんやないね?」
え~っ、私この人知らんで?何で判ったんやろ?
「はいそうですけど、失礼ですが以前にお会いしました?」
「いんやぁ、そうやないかなぁと思うただけいな」
「何で?」
「この朝の早ようからお参りするのは、長浜のモンか元此処に居ったモンだけでしょう。鈴の綱を眺めてて、大阪の言葉なら〇〇さんに決まりやろうもん」
ほんの短い挨拶の言葉を大阪弁と判断して、瞬時に本人特定まで持ってくるとは、何と恐ろしい推理力やおまへんか!
それより何より、昭和の始めに長浜から出ていったウチの苗字がスルッと出てくるか?

「アンタご存知やろが、末広にご親類が1ッ軒残ってなさるが、寄りなさったですか?」
「え~っ、そうですか?いや全く知りませんでした。」

大阪に帰ってからウチの婆さんに訊いても判らん。たった一人生き残っってる父方のオバサンに訊いたらどうやら、江戸時代に分家した遠~い親戚で、養子養女が何度か続いて苗字は同じでも付き合いはして無いそうです。
もっとも、90歳近いお年やから何処までがどうかははっきり判らんのですがね。

「XXさんへ寄んなさった?」
「いや、お寄りしてませんねん」
XXさんというのは氏子総代なんです。
綱が上手い事付いてるかを見に来ただけで他に別に用事もなし、幾ら何でもこの早朝に突然挨拶には行けませんがな。

ど~です、このこじんまりした佇まい。
そうこうしている内に、鳥居のところが集合場所になってるのか小学生が集まりだしました。
てっきり年寄りばっかりの息も絶え絶えの街かいなと思ってたら、そうでも無いんですなぁ!
これが私みたいな余所者にまで「おはようございます!」と挨拶してくれるんです。
一しきりスズメの群れみたいにガヤガヤやってましたが、時間が来たのか口々に「行って来ま~す!」と言うんですよ。
エッ?と周りを見てもわたししか居て無い、慌てて「行ってらっしゃい!がんばってな!」というと、小走りで元気に登校して行きました。
朝から嬉しいねぇ、この町が出所(デショウ)で良かったなぁ。

再開発の計画が持ち上がってるらしいのが少々気がかりですわ。


2004/07/14:初出(旧OCNホームページ)
2021/09/06:再録

【妄言虚説-神さん 3/4】【妄言虚説-神さん 1/4】


神さん-3/4-何で又、神さん?

2021-08-20 09:49:03 | 支離滅裂ー妄言虚説ー神さん

実は、マゴ共にお前のおじいちゃんはなぁ、その又前はなぁ、と書いて置いてやろかいな?と調べてたんです。
嘉永までは記録も有るし、直の先祖やから話は簡単。
ところがそれ以前の事となると、文献と伝承が頼り。
天正に跳んで、あろう事か和銅、その又先は海を渡って中国の戦国春秋、挙句に周まで行ってしもた。

嘉永までは間違い無い、途中がスッポ抜けてるけれど、天正も丸っきりの嘘でもなかろう。
けれど、それ以前となると御伽噺というか眉唾もの。
まして、和銅以前何んぞは、それこそ記紀編纂に絡んで、急遽つじつま併せに捏ね上げたに違いない。
本来の伝承の本系帳の方は、「天皇家より四代も古いというのは少々具合が悪いから、秘密にしてた」等と言うてるけど、書かれた時期はどうやら平安の一寸前まで位までしか遡れんらしい。
総本家は「伝来の古い文書をその時期に写本したんや」と言うてるが、その原本のカケラも無いそうやから、大きな声では言えんけど、説得力に欠けますなぁ。
こうなると、虚実の決め手なんぞが在るで無し、かえって気楽で、それも面白かろうと調べてたら、訳が判らんようになってしもた。

何時もの悪い癖で、元々やろうと思ってた事はそっちのけになってしもて、ついつい枝葉の横道へ迷い込んでしまいましてね。
メモの積りで打ち込んだ、神さんがらみを纏めようかいな?と思ったけれど、見事に失敗、又もや支離滅裂な妄言になってしまいましてん。

神話も学問として研究したら大変でしょうが、ド素人の気楽さで文庫本等を頼りに調べてると中々面白いんですわ。
日本の土着の神さん方は、ヤマト国家が成立する過程で、服従させたり帰順させた、それぞれの部族の神を、名、形、性格、時には性別まで変えられて、ヤマトのアマテラス系の神話に組み込まれて行ったんですね。
そこそこの勢力の部族の神の場合は、自分等の神であるアマテラスの兄弟姉妹、親族にしたりするから、突然妹神が湧いて出たりするんですよ。
部族の神もやけれど、部族の首長や部族そのものも神として描かれてるらしいんですなぁ。
読めば読むほど輻輳して、神さん同士の関係が判り難いというか、元々が整理されてないみたい。

しぶとく抵抗した連中の神さんでも、無視出来ん勢力の場合は懐柔策でしょうなぁ、神として神話に組み込んで、弱小勢力の連中の神さんは可愛そうに化け物、魔物にされたりしてるようです。

古事記に「尾のある人」として出てくるのはウチの先祖らしいで、と言われても、そんな奇怪な有尾人では嬉しゅうないね。
どう書かれているかといえば、

「古事記 中巻」
從其地幸行者、生尾人、自井出來。其井有光。爾問汝者誰也、答曰僕者國神、名謂井氷鹿此者吉野首等祖也。
即入其山之、亦遇生尾人。此人押分巌而出來。爾問汝者誰也、名謂石押分子。今聞天神御子幸行。故、参向耳。此者吉野國巣之祖。
【概ねこんな意味ちゃいますか】
それから行くと尻尾のある人が井戸から出てきたんです、井戸の中は光ってますねん。「あんた誰?」と聞いたら、「私地元の神でイヒカ言う名前ですわ」此れが吉野のオビトの先祖でんがな。
ほんでから、その山に入っていったら、又尻尾の生えた人に出会いましてん。此人岩を押し広げて出て来たんでっせ。「あんた誰?」と聞いたら、「私地元の神でイワオシワケです、いま天の神さんのお子さんが来はると聞いたから出てきたんですわ」此れが吉野のクズの先祖でんがな。

「日本書紀 巻三 神日本磐余彦天皇  神武天皇」
至吉野時、有人出自井中。光而有尾。天皇問之曰、汝何人。對曰、臣是國神。名為井光。此則吉野首人部始祖也。更少進、亦有尾而坡磐石而出者。天皇問之曰、汝何人。對曰、臣是磐排別之子。排別此云飫時和句。此則吉野國樔部始祖也。
【概ねこんな意味ちゃいますか】
吉野まで来た時に、井戸の中から出てきた人がありまして、井戸の中は光ってて、尻尾がおまんねんで。「あんた何者やねんな?」と天皇が訊ねたら、「私この地元の神でイヒカいうなまえです」これが吉野首人部の先祖ですなぁ。さらにちょっと進んでいったら又尻尾の有るのんが、今度は岩を押しのけて出てきたんです。「あんた何者やねんな?」と天皇が訊ねたら、「私イワオシワクの子です」。排別はオシワクと読んでね。此れが吉野クズの部(ベ)の先祖でんがな。

尻尾があると言うのが気に食わんけど、ヤマトに敵対したような形跡はおませんなぁ。
ウチの先祖の本流は、日向から四国を経て紀ノ川、吉野川流域に移ったとされてるんですが、一部は残留したか置いてきぼりか、兎も角日向に残ったらしい。
今でも宮崎県から福岡県東部にかけて、読み方は違うけれど同じ苗字がパラパラッと居てるようです。
もともと、ヤマトとの間には友好関係が有ったのかもしれませんねぇ。

してみると、ウチの神さんは「アマテラスの妹」とも取れるような書かれ方をしてるのも頷けるかな。
山師、採鉱の働き人(ハタラキド)の一族の神としては破格の扱いやけれど、出番が至って少ない。
神さんもやけれど、人間様の方も、善悪どちらの方でも、歴史に登場するような大それたんは居りませんねぇ。

どっちみち、人間は人間から生まれるんやから、皆んな元を辿れば百二十八代どころか原人までつながってる筈でんがな。
証拠いうたら、今現在人間として生まれてるんやから、これほど確かな事は無い。
桃から生まれたとか、「先祖は確かにカササギでほれ此通り、過去帳にも乗ってます。マゴの鳴き声なんかカササギそのまんまでっしゃろ」とか「先祖はヤマタのオロチでおます。ベロの先が2つに別れてるのんが証拠」てな人がいてる訳が無い。

先祖がまことしやかな作り話をでっち上げたか、そんなしょうも無い事せぇへんかったか。
子孫が面白がって言い伝えたか、あほらしいから子供には言わんかったか。
丸っきりの嘘とまでは言わんけど、家系や系図てなもんは、そんなもんでっせ。
系図をでっち上げる専門の職業や、系図の売り物も有ったらしいですなぁ。
「源氏の出物おまへんか?」「今切らしてますなぁ。輸入物で広開土王はんのんでよかったら安うしときまっせ」てなこと言うてたんやろかねぇ?

先祖が神さん、天皇、将軍であろうが、水呑百姓、雑魚採漁師、紙屑拾いで有ろうが、自分個人の値打ちとは何の関係もあれへん。
中国の誰やらも「何ぞ貴種あらん!」と言うてますがな。
ただ面白いから、子や孫に話の種にと思うたけれど、やっぱりハッキリしてる六代くらい前で止めとこかなぁ?と只今思案中ですねん。

2003/12/28:初出(旧OCNホームページ)
2021/08/20:再録

【妄言虚説-神さん 2/4】【妄言虚説-神さん 4/4】


神さん-2/4-清浄なもの

2021-08-19 09:53:24 | 支離滅裂ー妄言虚説ー神さん

火や水を「清浄なもの」と屈抜きに納得してしまうのは何でやろね?
太陽が昇ると訳も無く嬉しなる、思わず拝んでしまう、暗闇を恐れた何万、何十万年も昔の記憶が残ってるんかいな?と思うんですが、太陽、月、星、や風、水というのは神の原型でしょうなぁ。
日本の神話には、太陽=アマテル、月=ツクヨミ(ム)はいてるけど、星の神さんは異様に少ないのと違うかな?

「日本書紀 巻二 第九段」
一云、二神遂誅邪神及草木石類、皆已平了。其所不服者、唯星神香香背男耳。故加遣倭文神建葉槌命者則服。
【概ねこんな意味ちゃいますか】
こんな話もおまっせ、二人の神さんがよこしまな神やら草木、石のたぐいのガチャバイの神を全部やつけたんやけど、星の神カカセオだけが降参せんかっってん、ほんでシトリカミタケハヅチノミコトを加勢にやったら降参しましたわ。

一書曰、大神遣經津主神・武甕槌神、使平定葦原中國。時二神曰、天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請先誅此神、然後下撥葦原中國。是時、齋王神號齋之大人。此神今在于東國[楫+戈]取之地也。
【概ねこんな意味ちゃいますか】
ある書では、オオカミがフツヌシノカミとタケミカヅチノカミをアシハラナカツ国を併合しに行かそうとしたんです。その時に二人の神が天に悪い神が居てる言いますねん。其の名前をアマツミカホシ。またの名前をアマツカカセオいうんです。まずこの神をやっつけてちょうだい、ほんならアシハラナカツ国を併合します。この時イワヒノウシというイワヒの神が言うには、あの神は今東国は香取の地に居ります。(な~んや、出雲に居てへんのかいな!ほんなら安心)

と出てくるだけや無いやろか?
天津甕星(アマツミカホシ)=天香香背男(アマツカカセオ)は余程しぶとくヤマトの出雲侵略に抵抗したみたいですねぇ。
出雲から香取まで追い詰められるまで降参せんかったようです。
香取て今の千葉県香取神宮のある香取やろか?
武甕槌神が香取神宮の祭神やから、そうかも知れんねぇ、出雲からは遠いでっせ!

古事記では此最期まで抵抗する役割は建御名方神(タケミナカタノカミ)で、大岩を担いで抵抗するんですが、科野(信濃)の国の州羽(諏訪)の海に追い詰められるんですね。
ほんで「科野(信濃)の国からは出ません」と約束して許されるんです。
建御名方神(タケミナカタノカミ)と星とのかかわりは何処にも書かれてません。
直接の関係が有るか無いかは判りませんが、諏訪の御柱の祭りは土着の神の匂いがしませんか?
天津甕星(アマツミカホシ)も最終的には香取の地から出ない、という条件で許されてるようですなぁ。
古墳に描かれた星や星座の壁画はどうやら大陸直輸入らしいし、妙見にしても、道教の影響で後から紛れ込んだ信仰のようやしねぇ。

黒潮に乗ってやってきた「海人」は多勢の星の神さんを持ってたと思うけどなぁ。
住吉三神はオリオンの三ッ星等と比定する説もありますが、話としては面白いんですがねぇ。
海洋民にとっては、太陽よりも重要な月がアマテルの弟、二番手でもうひとつ精彩が無いのも、ヤマトが海や航海に縁が薄いからや無いのかな?と思いますねん。
東南アジア海洋民族の名残は、ヤマトの王権が確立する過程で消えてしもうたんでしょうなぁ・・。

前回日本の神さんの一つの典型は、清浄、静謐やと書いたんですが、実はそうとばかりもいえませんねん。

「日本書紀 巻二 第九段」
然彼地多有蛍火光神、及蠅声邪神。復有草木咸能言語。
【概ねこんな意味ちゃいますか】
そやけど其処には蛍火が輝く神さんやら、ガヤガヤと五月蝿い、言う事を聞かん神が居てまんねん。其の上、草や木にも精霊がおって物を言いよるんです。

と書かれ、

「古事記 中つ巻」
豊葦原千秋長五百秋之水穂國者、伊多久佐夜藝弖有那理、
【概ねこんな意味ちゃいますか】
豊葦原の千秋の長五百秋の水穂の國は、えらい騒がしいやないか
以為於此國道速振荒振國神等多在
【概ねこんな意味ちゃいますか】
ゴンタクレの暴れもんの土着の神が仰山居るからやろう

と書かれた國神(クニツカミ)は、ほとんどがヤマトの神に覆い被されるように、整理統合追放されたんですが、ドッコイ名を変え姿を変えて、しぶとく生き残っているような気がします。

それが、もう一つの典型である土俗的神さんでは無いのかなぁ、そうで有って欲しいなぁ、と思いますねん。
概ね、この手の神さんの受け持ちは、農、鉱、工、漁、商業関連の現業系の神さん。
祭りともなれば、氏子と一緒くたになって境内を駆けズリ回ったり、山に登る、海に飛び込むという騒がしい(蠅声=サバエなす)陽気で地域密着型の神さん。
それでも、本神事は厳かにひっそりとやってる場合が多いようですね。
何れにしても古来の日本の神さんは、歴史や由来、仕来りは有っても、いわゆる教義(doctrine)はないんですなぁ。
教え導くのは無し。

たまに七難しい教義が有ると、大抵、金儲けにでっち上げたまやかしの神さん。

時代が下ると、道教やら陰陽道の影響で、生身の人間やった人も神さんに、はては物が御神体などというのも現われて、何の事は無い元の「伊多久佐夜藝弖有那理(エライ賑やかな事)」に近い状態なったんです。
ヤマトの神さんが仏さんに押されて、締め付けが緩んだんでしょうかね。
神さんそのものは変わらんでも、それを飯の種にしょうかというのが現われて、元々、教義等という鬱陶しい物が無かった我が国の神さんに、得手勝手に矛盾だらけの小理屈、屁理屈を創り上げて、ヘバリ付け、やれ霊験がどうたらと生臭~い事にしてしもたんですなぁ。
それも金儲け、縁結び、災難避けあたりまではは可愛かった。
挙句のはては、神国たら何たらいうて戦争をおっぱじめる道具にしたり、現人神(アラヒトガミ)などという飛んでもない事を言い出して、問答無用で国民を戦争に巻き込むネタにしたんでっせ。

日本の神さんは下世話な事にかかずり合わんと、清浄な存在で清々しいだけで充分でっせ。
國神さんも、皆んなの生業(タツキ)が上手い事行くように見ててくれたらよろしいねん。
見てるだけでっせ、くれぐれも踊子さんにはノータッチ、マーナーを守って頂戴ね。
八百万の神さん、泥芥にまみれんように頑張ってね、頼んまっせ!

俗界の人間がお供えしたり、お賽銭上げるのは自分の満足の為。
神主に誑(タブラ)かされて、賽銭の多寡で扱いに差をつけたりしたらあきまへんで。
そんな事したら、あんさんの値打ちが下がる、そうでしゃろ神さん。
神主は所詮俗世の住人、全部が全部とは言わんけど、美味いもんも食べたい、エエもんも着たい、神主の寄り合いでハバを効かせたい。
その為に神さんをダシにしてるだけやんか。

しかしエライもんで、現代の我々も理論的にどうこうや無しに、心の根底に「存在そのものを尊ぶ」という、古代の神さんとのお付き合いの仕方を、脈々と継承してるように思いますね。


2003/12/26:初出(旧OCNホームページ)
2021/08/19:再録

【妄言虚説-神さん 1/4】【妄言虚説-神さん 3/4】


神さん-1/4-Xmasの妄言

2021-08-18 10:15:30 | 支離滅裂ー妄言虚説ー神さん

宇宙の秩序の源である、無限なる神は、人知の及ばぬ領域の象徴。
神は人の世に超越し、ただ存在するのみ。
人は不遜にも、神を敬う事に飽き足らず、無限であるべき神を、己が物として卑賤な知恵と未熟な言葉で創った。
人の心の平安の為にこそ存在するべき、人によって創られし神は、邪悪なる人間によって、己を正当化し、他人を苦しめる賎しき具に貶められた。


(こういう似合わん事を書くというのは、体の調子が悪いんかいな?)

日本の神さんと他国の神さんの違いは同じ「神」という言葉で表してるけど全く違うのとちゃうやろか?
ついつい字が同じなだけに、勘違いしてしまうけれど、狂信的な信者と言うのは日本の神さんに本来存在せぇへんのとちゃうかいな?
日本書記、巻第二十一、橘豊日(用明)天皇の段に「天皇信仏法尊神道」と書かれてますね。
読み下し文やと「天皇(すめらみこと)、仏法(ほとけのみのり)を信(う)けたまい神道(かみのみち)を尊(たふと)びたまう」となるそうです。

仏は信じて、神は敬う。
信じるのと、敬うのでは皆目意味が違いますやんか。
信じる事は自分の思考、行動の規範とする事につながりますわねぇ。
敬うというと「謹んで礼を尽くす」単にこっちが大事にするだけの一方通行、何の制約も受けません。
「論語、雍也編」にも「務民之義、敬鬼神而遠之。可謂知矣」と取りようによっては「敬うふりをして、親しいお付き合いを避ける」と真に持って不遜不敬な事が書かれてますね。
してみると生贄に人間を殺してた商(殷)は兎も角として、昔の東アジアではこう言う神の捉え方が一般的やったんかいな?

もっとも、ヤマト政権の成立の過程では、同じ神を祭ることを服属の証にしてるようですねぇ。
同盟関係や素直に降参した部族、氏族の神は自分等の神話に組み入れて、抵抗してコテンパンにやっつけられた神は抹消されたか、化け物妖怪にされてしもたみたい。
大国主のように、部族、氏族、あるいはその指導者、首長が神として語られてる節も有るし、ゼウスやアラーとはかなり雰囲気が違いますなぁ。
神さんをめぐるゴタゴタが一応治まったと思ったら、舶来の仏さんが渡ってきて、又もや勢力争い。
トコトンやるのかと思えば、実は神さんは仏が姿を変えてるんや、てな上手い事というか、訳の判ったような判らんこじ付け詭弁で、両方の顔を立てて納めてしまうあたりが、何とも言えませんなぁ。
大儀と名分、建前を重視する国々から取り入れたものを、グダグダに揉み解して、言い換え、すり替えで角を取ってしまうのは、その頃からの得意技?
この辺の感覚が、宗教絡みの争いを「たかが神さんのことで何でそこまで?」と理解し難い原因の一つや無いかとも思いますね。

たかが神さん」てな事は相手を見て言わんと、怖~い事になるからご用心。
「神を冒涜した汚らわしき異教徒に死を」てな事言うて、アラムートからハシシュ中毒のアッサシンを派遣されたら大変やがな。
そういやぁ、日本の神社でお祓いの時に野州麻(大麻の繊維)を神主が振り回すのは、昔は日本でも神と交流するのに大麻を使うてたんやろかねぇ?
大麻を大騒ぎして取り締まってるのに、もっと強烈な幻覚症状を起すサボテン(多肉植物?)の仲間が園芸店で野放しで売られてるのは何でやろ?
オット、コースアウトしそう・・。

アルラーフ・アクバル、アルラーフ・アクバル、ラーイラーハ・イルラッラー(神は偉大なり、神は偉大なり、アルラーのほかに神はなし。)
と喚かれても、私の頭に浮かぶ神はニフの女神、アマテラスさんとかエベッさん、せいぜい気張ってもスサノオの命。
たまに、シバとかカーリ、ヴィシュヌ、ガネーシャが出てくるけれど、これはカレーを食べた後だけ。
豚まんを食べた後は天帝、天后、天聖娘娘が出て来やすい。

余談ですが「古事記」これはエエ本ですなぁ。
出来たら現代語訳してないのがよろしいでっせ。
何がエエというて、チョッコラ一寸何を書いてあるのかが判らん。
まるでクイズか判じ物。
すらすらと読めん上に、同じところを何回も読んでも、中々前にも読んだとは気付かん。
一回買うたら、長持ちする事この上なし。
書かれてる事がよう解らんから、妄想の背中に跨って、あらぬ方へ飛び放題。
何十年たっても新鮮。
「読了した、皆んな解ったもうエエわ」という気にはなりまへん。
前漢(初元12年=BC168)馬王堆漢墓の彩色帛画(ハクガ)に、神武東征に重要な働きをする八咫烏(ヤタガラス)が描かれていたように、相当大陸の神話の影響が見受けられますねぇ。

「日本書記」もそうですけど、こっちの方は官が目的をもって作ったいうのがそもそも胡散臭い。
ヤマト政権の補強の道具やろね。
明らかに中国の正史、高句麗史、その他諸々の文献の内容を後から取り込んで、それに有力な氏族の伝承を無理やり吸収合併したらしく、辻褄合わせをするのに見事に失敗。
ヤケクソになってしもたんか「こんな伝承もあるよ」と書いてあるから余計にややこしい。
内容に年代の明らかな矛盾や、事跡の重複、同一人格の別名登場等が沢山あって、どう言う意図でこの違いが生まれたんやろう?と考えるのも面白いですねぇ。
本文が愛想無いだけに、幾らでも枝葉が伸ばせて、これを発射台に、史記、魏志倭人伝、唐史、隋史と踏み迷って、帰って来れんほど遊べますなぁ。

それはそれとして、ぶっちゃけた話が、日本の神さんというのは、本来その存在を尊ぶもので、一部の仏教や耶蘇教、回教みたいに「ああしなさい、こうしなさい」と教え諭し導き、生活上の細々とした事に一々規則やら制限を設けて、はてはお節介にも「極楽、天国への道案内をしましょ、ただし条件があるよ、私の言う事を聞いてその通りしなさい。爆弾持っていって異教徒を殺しなさい。」てな指図は一切無し。

神に向かって又は神域に立って、一時(イットキ)なりとも厳粛な気持になって、ヘヘェ~、と敬うだけ。
あくまで透明で清浄な神域の中で、敬虔な気持になれるのが値打ちですなぁ。
出来たら神主、神職もウロウロして欲し無いくらい。

天神さんでも、クリスマスでも、楽しかったらOK!普段は仏教、道教、無神論でも「メリークリスマス♪」言うのは香港でも一緒。
実はそれが一番平和な、神さんとのお付き合いの仕方かも知れませんねぇ。


2003/12/25:初出(旧OCNホームページ)
2021/08/18:再録
【妄言虚説-神さん 2/4】