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私は門徒-5/5(完)

2005-07-11 13:44:01 | 支離滅裂-妄言虚説-私は門徒

全編を通しで書いてからアップすりゃぁエエんでしょうが、思いつく毎に書き足しております。
加うるに、構成力皆無、その上無自覚に同じ事を繰り返していうような年齢の門口に差し掛かっております。
そんな理由(ワケ)で、今までの記事と多々重なる部分がありますが、何卒ご容赦ください。


さて、「私は門徒」というてるくせに、浄土真宗関係の本はほとんど読んでおりません。
小学生の頃に講談社偉人シリーズの「親鸞上人」を読んだ朧な記憶はあるけど、こんなんは勘定に入りませんわ。
他には大人になってから「歎異抄」を読んだくらいですねん。

「阿弥陀如来の衆生をあまねく救う本願に感謝し全てを任せきる」のが門徒としての信仰のあり方。
「よろしゅう頼んまっせ、前払いでお礼いうときまっさ。ナンマンダブ、ナンマンダブ。」それでエエんですよ。
と直ぐに開き直るあたりが我ながら可愛気ないねぇ。

ウチの宗派は浄土真宗本願寺派、所謂「お西」なんです。
そもそも、西やら東いうて枝葉が分かれても根は一緒ですやんか。
衆生を解脱に導く「光明」そのものである阿弥陀如来の絶対他力を信じるのは一緒。
呪い、祈祷、霊魂、幽霊、怨霊、地獄、極楽、仏滅、大安、迷信の類を一切否定するのも変わりは無い。

それはそれとして、この間、野田の「二十一人討死の跡」を見ましてね。⇒ここ
どうも背景がよう判らんので、その頃の浄土真宗についてちょっと調べたんです。
ほんのちょっと上面だけをサラッと見ただけでも改めて驚いた、エライ宗教ですなぁ。

後に権力と結びつくまでの初期の浄土真宗の僧は、正式の受戒を受け官から度牒(ドチョウ)を得た官僧ではなく所謂「私度僧」。
自分で勝手になっただけで、官からはなんの保護も無ければ権威も無い、いわば野良坊主、乞食坊主と同じ扱い。
それが肉食妻帯して、身分制度、主従関係を否定する教えを広めるんやから、支配層や既成教団はたまったもんや無い。

官に認められてないから当然寺領なんぞは無いし、当然領民も居らん。
領田の代わりに福田と称して信者の自発的な寄進だけが頼り。
ところが支配層や既成教団にとっては、寄進は本来ならば自分の取分で、それを浄土真宗に横取りされた、と思うから穏やかでない。
その上、門徒になった領民は言う事をきかん。
これでは目の敵にされても仕方無いんですねぇ。

「親子は一世。 夫婦は二世。 主従は三世」てな封建制度を真っ向から否定してますねんで。
「封建領主と家臣、領民の主従関係は現世での一代限り、阿弥陀如来との関係は未来永劫」というんですからねぇ。
同宗でさえあれば百姓も武士も上下関係無しの御同行、という事は主君や地主の権威を認めんいうことですやんか。

権威を認めんだけや無しに、身分やそれによる差別を否定したんですなぁ。
それまでの宗教では救いを与えられんかった当時の下層民も、ただ「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えるだけで同行として扱ってもらえた。
それが証拠に、他宗の寺が無い地区にも浄土真宗の寺は大抵あるんですねぇ。
浄土真宗が各地で一揆や家臣の造反の芯になったのも無理はおませんなぁ。

ちなみに一向宗というのは他宗派が浄土真宗を呼んだ呼び方で門徒自身は一向宗という言葉を使わんかったそうです。
「一向(ひたすら)」に念仏を唱え、浄土へ往生することを信じ、従来の権威や権力に恐れ入らない。
そういうどころから一向宗と呼ばれたのやないかといわれてますねぇ。

それに、既存宗教が売り物にしていた加持祈祷、呪いの類を真っ向から否定してるでしょ。
禅宗は別やけど、その他の天台、真言、日蓮宗なんかにとってはどえらい営業妨害でっせ。
神さん系にしてもお札が売れんようになる。
そら目の敵にされますわ。

その否定仕方の強烈さたるや、驚く他は無い。
門主が病気になった際、要らんお世話で朝廷が他宗の坊主に病気平癒の加持祈祷をさせたんですて。
幸い病気は快癒したものの、「我宗の呪いで治した」と等とあらぬ事をいわれる懸念が起きたんやそうです。
その結果、折角健康になった門主が宗義を護る為に自害した、というんやから唯事やないねぇ。

ともかく、団結力があって、ありとあらゆる身分階層を縦横に結んでるから始末が悪い。
本来なら口もきけん身分差も、同行という事で対等になる。
敵対している領主同士の家臣であっても、同宗という一事で強い連帯感を持ち、場合によっては協同して主君を蹴倒す。
何の事はない、縦割りの封建制度の社会秩序に対して、横の連帯を武器にする民主解放戦線ですがな。

十六世紀が一番戦闘的で激しかったみたいですねぇ。
証如は摂関家と結んで、摂津守護細川晴元の依頼で門徒宗を動員し三好元長を滅ばしてるんでっせ。
その動員力と戦闘力に危機感を抱いた細川晴元が今度は日蓮宗、六角定頼と組んだんですなぁ。
ほんで当時の本拠地の山科本願寺を焼き討ちにしたんですて。
後に二十一人が討死してまで、細川晴元一味から護ったのはこの証如です。

マゴマゴして万一敵にまわしたら難儀やから今のうちに潰しとけ、てなもんですやろね。
それで本拠地を求めて移ってきたのが、後に大坂城となる石山やったんですなぁ。
石山に移って一年後に野田村に証如が出かけた時に摂津守護細川晴元と日蓮宗の一味が襲ったんです。

このときに野田村の門徒二十一人が討死をしながらも証如を守り抜いて戦うたんやそうです。
細川晴元と日蓮宗としては、なんとしてもこの危険な宗団をつぶしたかったんでしょうなぁ。
日蓮宗(法華宗)というのは特に浄土真宗を敵対視してたみたいですねぇ。

織田信長が石山本願寺の退去を求めたことから起きた石山合戦は、これから40年ほど後に起きます。
後の大坂城の原型となった石山本願寺は、城としても優れた建造物やったそうです。
当時の浄土真宗の寺の基本形は太鼓櫓を設けて、頑丈な土塀をめぐらし、場合によっては堀まで備えてたらしいね。
なるほど、今でも何となく寺の雰囲気が違うのはそういうことやったんですなぁ。

この時代の浄土真宗というのは、日本全国で被支配者が支配階級に対して起こした争いの大元締め。
相模の後北条氏、越後の長尾氏、三河の徳川氏なども家臣や領民の造反を喰らって、禁教礼を出してますねぇ。
何れも一旦は禁じたものの、浄土真宗の根強さに手を焼いて、結局は後になって禁教を解かざるを得なかったようです。

薩摩島津氏だけは特別で、領内一切念仏停止、浄土真宗を厳禁し、禁を犯せば死罪という厳しさやったそうです。
門徒や無いか?と疑いを掛けられたら、白状するまで拷問して白状したら死罪にするから、白状してもせんでも変わらへん。
明治維新まで徳川時代三百年、ず~っとそうやったいうんやから余程浄土真宗が怖かったんでしょうなぁ。
そんな中でも薩摩藩内では隠れ門徒が、明治維新まで山中の洞窟や海上の船で「講」を開いて頑張ってたんですて。

ほんで本山の方はどうかというと、勢力を二分して弱体化させる狙いにはまって東と西に分かれてしもたんです。
権力に擦り寄って教団は安泰になったものの、身分制度を社会秩序の根本に据える為政者に迎合せざるを得んようになった。
この辺りから、「阿弥陀如来のもと全ての人間は平等」という本義が怪しゅうなったんですねぇ。

明治維新以後も天皇制による国家の枠組みと、本来の浄土真宗の理念「全ての人間は平等」は相容れませんやんか。
そらそうでっせ、皇族、華族、貴族を抱えた天皇制や階級で機能する軍隊組織には都合の悪い思想やもんなぁ。
結局個々の信者は別として、教団としては親鸞の原点に帰る事はなかったんですねぇ。

こうしてみると、宗教は組織化されて経義が精密になるほど他者への寛容さが失われますねぇ。
寛容さの欠如は他者への攻撃を正当化し、結果、民衆を救うどころか災厄をもたらすような気がして仕方ないんです。
それに悪しき民族主義がくっ付くといよいよもって手が付けられませんなぁ。

イスラム圏での紛争も何やら日本の十六世紀の状況に似通っているような感じがします。
常に思うんですが、我々ほとんどの日本人が持つ宗教に対する健全(絶妙?)な間合いの取り方は大したもんでっせ。
それに加えて、他の宗教に対する寛容さは、これからの世界ではかけがえの無い貴重な物ですねぇ。

節操が無くええ加減(チャランポラン)やったればこそ、戦国時代以降同じ国民同士で争わんで済んだんですやんか。
例外は切支丹の島原騒動ぐらいですやろ。
宗教みたいなもんは、人生の彩り、刺身のツマ、いうたら洒落のアクセサリーですがな。
人に平安をもたらすべき宗教がが殺し合いの元になるてな事は愚の骨頂。

人を救うための物が争いを生むとは本末転倒も甚だしい、これ程あほらしい事はおません。
そんな事いうてたら、爆弾仕掛けられるやろか?

2005/07/11

私は門徒-1/5


私は門徒-4/5

2003-12-27 13:38:03 | 支離滅裂-妄言虚説-私は門徒

今日は今は亡き愛犬「どん」の命日。
2000年の今日、いつも走り回ってた庭の、お気に入りの日向ぼっこしてた場所に埋めてやったんです。
人間でさえ、「死んだら五蘊が虚空に飛び散って無に帰ってお終い、残った身体は単なる物質。霊魂、幽霊や怨霊などは有ろう筈がない。」という親鸞さんの意見は、まったくそうやと思うんですよ。

理はそやけど、情ちゅうもんがおまんがな、単なる物質とはいえ、生ゴミと一諸には出来まへん。
人間のお墓も、死んだ人の為見たいやけど、アレは生きてる人の為のもの。
葬式も一緒。
中には見栄でする人もあるかも知らんけれど、自分を納得させて心の平安を得る為や無いのかなぁ。
「立派な葬式で、故人もさぞ喜ぶやろ」てなこと言うてるけど、まさか本気や有るまい。
故人が喜んでるかどうか、どないして判るねんな?「お棺あけたら喜んでた」いうのは怖いでっせ。
「故人の声が聞こえる」というなら一回耳鼻科で見てもろうた方がよろしい。
「わたしゃ霊と交信出来ますねん」なんてのは虚言症か、配線が縺れてまんねんで。

ただし「生きてる人間の意識の中には霊魂が存在できる」と思うてます。
仮に霊魂というてますが記憶、想いの類で、所謂、霊魂不滅説や霊魂信仰のような世迷い事、淫祠邪教のそれと区別する為に斜体で霊魂と書く事にします。
「何を抜かすか、この不信心者奴が、仏敵退散!」という方々もいてはるやろうけども、それはそちらのお好きなように思いはったらヨロシイ。

私は、意識の中に存在せんようになったら、所謂、霊魂は消えて無くなると思てますねん。
一時(イットキ)忘れてても、思い出したら「♪呼んだ?」と霊魂も再登場。
そういう意味では「祖母」も「親父」も「どん」もその他多勢ご一統さんも、皆んなまだ私の意識の中で生きてますねん。
出番の多い少ないはあるけれど、それは堪忍してちょうだい。
直接の面識が有ろうが無かろうが、実在していようが、架空の存在であろうがお構いなし。
例えば、今私が「ニブツヒメノミコト」を思えば、ちゃんと私の意識の中で女神が艶やかに存在してますねん。
しかし、独立して存在してるんでは無く、飽くまで私の意識の1部。
考え、思い出してくれる人がいれば良し、居らんかったらどうしようもない。
「こういう風に思い出して欲しい」とか「左の横顔は止めといて」なんて注文も一切出せません。
全くもって霊魂てのは、貴方任せの立場の弱~いもんですね。

例えば、1000人が阿弥陀如来を思い念じたら、1000種類の御仏が夫々の意識に存在する。
絵画、彫刻なんてな物は、人に限らず、花や風景、はては想念が生み出した霊の形を現した物やなかろうか?
ここらが技術と芸術の決定的な違いかな?
架空の存在の仏さんとなると、凡人凡夫では、元になる何らかの見本が無いことにはピッタリ有ったイメージを思い浮かべる事が出来かねるんですなぁ。
そこで、サンプルとなるのが仏像、仏画の類でっしゃろ。
まぁ、いわば大衆食堂の蝋で作ったサンプルでんな。
主役は人間、仏像を工芸、美術、骨董品の枠を越えて、無闇矢鱈に大層に大事にするのもどうかと思いますなぁ。

御仏は決して仏像の中には存在してないんでっせ。
してたら畏れ多うて売買できまへんで。
ここを取り違えると、妙な事になるんですねぇ。
聖地を取ったとか取られたとか、ホンマの聖地は自分の心の中にある筈やんか。
その辺りは、どんな宗教でも一緒やなかろうか?

そうか言うて「脚が悪けりゃおビンズルさんの脚さすったら治る?線香の煙を悪い所に当てたら治る?そんな事が有ったら病院が要るかいな!」と馬鹿にしてはいけません。
「♪気から病(ヤマイ)と、気から病と言う~わ~いなぁ♪」と河内音頭にあるように、人間のような精密センサー満載のバイオシステムでは気の持ちようという、甚だ曖昧模糊としたものが、痛みの感じ方などに相当影響するんですね。
大事な情報が次々に入ってくると、さして重要な情報でない軽い痛みの信号はフィルタリングされるんでしょうかね。
忙しい時には感じんかったのが、落着いたらたまらんほど痛くなるいうのはよう有りまっせ。
人にもよるけれど、深刻な悩みを抱えている時なんぞ、胃潰瘍は数時間で出来るといいますなぁ。
まさか?言うたら「寝る前になかったニキビが朝出来てるやろ。体の中と外の違いだけやんかいな」と友達の医者が言うてました。

偽薬で効果が現われる事も結構あるそうです。
三半器官が成長途上の小学生くらいとか、胃に問題がある方は無理として、軽い乗り物酔いならビタミン剤でも効きます。
此れは何度も経験済み。
ただし、相手がこちらを信用してなかったら全く効きません。
「イワシの頭も信心から」あながち嘘や無いんですねぇ。
ん?これは信用されてるか、されてないかの「踏絵」に使えるかも・・。
怪しからん事に、本物の薬のくせに効果が無いというが往々にしてあるんですなぁ。

「迷信、呪いの類を一切認めん」親鸞さんのお言葉はキッパリしててエエけれども、如何にも日本的な「原則として」という骨抜き道具を使わせて頂いてます。
台所には荒神さん、仏間には仏壇と天照大神の神棚が同居、私の部屋には氏神さんの難波神社の稲宝来。
正月には年神さんの依代(ヨリシロ)の門松飾って、墓参りした足で初詣。
股貼り膏薬、無節操、大概エエカゲンな門徒でんなぁ。

それでも、最後の最後には成仏させたげるというねんから、
阿弥陀如来さんはエライ!
これやから門徒は止められまへんねん。

2003/12/27

私は門徒-5


私は門徒-3/5

2003-12-14 13:34:40 | 支離滅裂-妄言虚説-私は門徒

こないに長なるとは思わんかったなぁ・・・。
別に私は浄土真宗を布教しょうてな、大それたおこがましい気持はおません。
人の好みは十人十色、真言結構、天台上等、モルモン教でも拝火教、キリスト、ユダヤ、回教、オシラさまからビリケンさん何でも好みで信じるも良し、信じんも良し、それこそ憲法で保障された信教の自由。
ただに何にせよ、あんまり狂信的なんや暴力的な方は身近に居て欲しないなぁ。
毎月縁日(エンビ)に生贄の喉掻っ切って、カリー女神に捧げるとか、「満月の夜は首狩や♪」てのは許して。

そこまで行かんでも、ごく身近にそう言うのを見てるからねぇ。
極親しい知り合いの嫁さんが、過激なキリスト教もどきの一派にはまってしまいましてね。
子供連れて布教に走り回って、家の中は放ったらかし。
家に帰ると仲間に引きずり込もうとギャンギャン責められ、挙句は「悪魔!」と罵られたらたまりませんで。
寝不足と心労で目が虚ろになってましたわ。
「どないしょう?」と相談されても、まさか「一緒にその宗教に狂いなはれ」とも言えんしねぇ。
そんなん収拾のしようがあれへん。
とうとう別れてしもたもんね、今でもその「何やらの塔」いう宗教ありまっせ。
最近は幾分穏やかになったんやろかなぁ?
「あんなんに凝ったんは、俺にも責任が有ったんんやろか」としばらく悩んでましたわ。
その後再婚して、ごく普通の幸せな家庭をもてて先ずは良かったんですけどねぇ。

20才の頃、異国で「貴方の宗教は?」と聞かれて、モゴモゴ言うのが口惜しいてね。
さりとて「無宗教や」とも「仏教徒や」と大きな顔で言い切れん。
そのモヤモヤが吹っ切れたのは40才過ぎてから。
どっかに引っ掛ってはいたけれど、思い詰めるような性格や無いし、言わば不急不要の問題やったしね。
生まれてこの方40年間何と無く、何んにも知らん「仏教徒風味」。
今も何んにも知らんのには大して変りは無いけれど、「貴方の宗教は?」と聞かれたら、ためらい無く「仏教徒や!」と言えますねぇ。
ところが、残念なことに、誰もそんな質問してくれませんねん。

さてさて、実際に親鸞さんと言葉を交わした唯円さんが生きている間にも、嘆きに嘆くほど変質した浄土真宗は、戦国期に蓮如たらいう権謀術数に長けた大俗物、大怪物、見方によっては大偉人が出て、一層ワヤにしてしもた。
折角、唯円さんが精魂込めて書いた「歎異抄」を自分等に都合が悪いもんやから「かえって門徒衆を惑わす。」と禁書扱いにして、合理性、平等の精神に満ち溢れた親鸞さんの教えを曲解、腐敗変質させて、教団=自分の勢力増大の道具にしたんですなぁ。
下手な大名は足元にも及ばん全国組織、それが反織田勢力と連帯した。

この頃の浄土真宗は、カルト宗教に似た性格が有ったらしいね。
宗教と政治若しくは権力が結びついたら、必ず何処かで血が流れるんですなぁ。
お陰で大阪の町じゅう石山本願寺攻防戦の血生臭い旧跡だらけ。
播州三木の別所一族も、城内に門徒が大勢居て「皆寄りそうて、浄土へ参ろうぞ」と親鸞さんが聞いたら仰天するような事を言うて、徹底抗戦を主張したから、早期の開城が出来ず悲惨な事になったという穿った説もあるくらい。
人を救うためだけに居てはる阿弥陀如来さんと南無阿弥陀仏の感謝の言葉を勢力争い、権力闘争、はては戦、人殺しの道具にしたらアカンがな。

己の延命安楽の為に為政者に擦り寄って生き延びた西本願寺、徳川幕府に擁立してもろた東本願寺もどっちもどっち。
時の支配者の都合のエエように、御用宗教に成り下がって、口汚くいえば信者を騙し続けてきたんでっせ。
親鸞さんの法灯を継ぐとは。とてもや無いが恥かしゅうて言えんやろ?
教団内部では江戸時代にも学僧が研究していたと言うけれど、一般の信者には知らされてなかったんですなぁ。
ズーッと時代が下って明治になってからやっと「歎異抄」一般に知られるようになったというから、その間の浄土真宗の坊主に骨のある奴は居らんかったいう事やねぇ。

その後も政府は身分制度と人間の上下関係で生じる差別を残したままで秩序を維持しようとしつづけるんですねぇ。
軍にとっては階級をなくしたんでは機能しませんから、自由民権運動どころやない、社会主義に負けず劣らずに危険な思想でっせ。
その厄介な思想を持った宗派の筈が、支配者階級に阿諛迎合して、相も変らず似非親鸞さんの教えを説き続けたんですなぁ。
それも始祖の親鸞さんが持とうともしなかった教団を守る、ひいては自分等を守るために、天皇家所縁(ユカリ)のお方を妻に迎えたり、宗派内部の勢力争いで揉めにもめたりしてるんやから、私如き市井のオッサンに罵られてもしょうがないのとちゃいますか?

箕輪の超光寺、高槻の法善寺は別でっせ。

親鸞さんは「阿弥陀如来さんの前で、自分を限りなく無に近づけて解脱しなさい。出来んかっても心配せんでエエねんで。阿弥陀如来さんが救うてあげると約束してくれてはる。人間に限らず命というものは儚いもんや。その儚い命を精一杯生きなはれ、生かしなはれ。」と言うてる筈やで。
ひょっとしたら是は私の誤解、曲解かな?
誤解、曲解、それでもかめへん、自分が納得してるねんから。
(ホ~ラ、直ぐに開き直ってしまうのが、オッサンの悪い癖・・・)
しかしながら、親鸞さんの教えをそのまんま実行したら、浄土宗の坊主は路頭に迷うねぇ。

「ああせぇ、こおせぇ」と指図がましい宗教はワタシャお断り。
現世の御利益で釣ろうと思うても、その手にゃ乗らん。
恥かしながら、清浄無垢とは程遠い、煩悩の塊、欲にまみれた卑怯未練な能書きたれの助平オヤジ。
それでも「救うてあげる」とおっしゃるから有り難いやおまへんか。

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。
               「歎異抄、第三章」


宗教的な知識の有る無しで浄土成仏に差は付かん。
小ざかしい理論理屈の有る無しやない、「光明」を信じるか、信じんか、それすら問題や無い。
俗世で善根、善行を積んで自力の善(果たしてそれも本当の善かどうか?)をあてにして浄土成仏したいという、阿弥陀如来さんが「衆生をあまねく救うてあげる」と言うてるのに、それをよう信じ切れん、所謂善人でも往生を遂げられるねん。
まして、自分自身の力では到底煩悩を脱けることが出来んで、煩悩まみれであるけれど、「光明は有る」と無条件に信じてまかせきってる、凡夫、俗人、即ち悪人が浄土往生を遂げられん筈が無いやないか。
心配せんでも人は何れ死にまんがな、その時は阿弥陀如来さんに任しといたら、あんじょうしてくれはりまっせ。
大丈~夫!My friends♪
< /勝手な解釈>

我儘勝手な浄土真宗の門徒で「門徒物知らず」、坊主飛び越えて阿弥陀如来さんと直接契約。
ご先祖拝んで、一族の神さん、氏神さんはじめ日本の神さんご一同さまを尊んで、お日さんに手あわせ、媽祖に関帝さんにもお参りさしてもらいまっさ。

切支丹とアッラーは悪いけど、肌が合わんから失礼させてもらいます。
どちらさんも御免やっしゃ、阿弥陀如来さん、よろしゅう頼んまっせ。

2003/12/14

私は門徒-4


私は門徒-2/5

2003-12-13 13:24:07 | 支離滅裂-妄言虚説-私は門徒

戯言ついでにもう一寸、数多宗派の有る仏教の中で、まだしも納得出来るのが、浄土真宗。
ウチの宗派やから、思いっきり身びいきが入ってます。
それも本職の坊主から見たら異端、仏敵と言われそうな全く我流の浄土真宗。
身過ぎ、世過ぎで金儲けの方便に、坊主屋がしたり顔で説く浄土真宗は部分的に納得出来ん。
極々たまに、私の想いに近いことを言う僧侶に出会う事もあるけれど、教団に属して徒党を組んでるねんから、心底信用しずらいなぁ。
在家で浄土真宗を研究して、信じてる人の方が、生活の具にしてないだけに、信用できるような気がする。

人に教え諭すように、チョイト高みから物を言う坊主が多いけれど、元々の親鸞さんの教えはそうでは無かろ?
阿弥陀如来さんを絶対仏(こういう言い方は多分無いやろね)として、このお方は衆生を解脱に導く「光明」そのもので、いたるところに満ちている「意志」で実態は無いと言い切っています。
「一心に念仏して浄土はあると信じなさい。それだけでよろしい。後は一切私が引き受けた。いつでも見ててあげる。」という意志が、この世の遍く所に満ちてるんやそうです。
実体がない筈の、阿弥陀如来さんの仏像があるのはどういうこっちゃ?
それは、抽象的な観念は、俗人凡夫、匹夫野人には中々解り難いから、目で見える形で示しただけやそうですなぁ。
仏像を通して「光明」の存在を感じやすくするための道具やそうで、仏像そのものはただの木や銅、 そんなもんが有り難かろう筈が無い。

浄土は何処に有るかと言えば絶対座標としては無い、とこれもキッパリしてますなぁ。
相対的な観念やから、あると思えば何処にでも有る、頭の中にもある、目の前にも有る、是は手近で至極便利、電車賃も要らんがな。
念仏は呪文やない、阿弥陀如来さんへのお礼の言葉やそうで、それも先祖や何かの為にや無く、おのれ自身の為に感謝の言葉として唱えるんやそうな。

浄土宗、浄土真宗は言わば当時の新興宗教。
天台、真言宗みたいな呪い、祈祷めいた事は一切無し。
「霊魂、幽霊や怨霊などは有ろう筈がない。死ねば色(物質)、受(印象・感覚)、想(知覚・表象)、行(意志などの心作用)、識(心)の五蘊が虚空に飛び散って無に帰ってお終い、残った身体は単なる物質。仏滅、大安?そんなもんは迷信や。」と至ってハッキリ、キッパリしてます。
親鸞さんは「弟子を取らん」と明言していたそうな。
真仏・性信・唯円は弟子やないのんかいな?と旦那寺の住職に訊いたら「あれは門下や」はぐらかされてしもた。
親鸞さんは人と人の関係は対等であるべきやと主張してはりました。
師匠と弟子という言葉は上下関係やと嫌い抜き、もっぱら「同行(どうぎょう)」「同朋(どうぼう)」、同じ目的を目指す仲間という意味の言葉を使うてはったんですね。
主従の上下関係で成り立つ武士階級がのさばりだした鎌倉時代に、これは危険思想ですわなぁ。
決して反権力ではないんです。
根底で権力、差別を認めんだけ、それが支配階級には困るんですね。

同じ頃に全く性格的に違う宗派が起こってますね。
何処とは言いませんが、こっちは戦闘的で強要、脅迫、恫喝が得意。
組織的で最初から自身に権力構造を内包してたように思えます。
迫害された、弾圧された、と言うてるけれど、喧嘩を売ってやられただけとしか思えん。
こちらは多分に呪術的なところが有るようです。
その末裔が沢山の流派に分かれて、今でも噛み合いをしてますねぇ。
最大の流派は日本国の中枢に喰いこんで、「宗教とは別や」と言い張ってるけれど、そんなもん言うてる本人も信じて無いやろ。
しかしながらその組織力は大したもんで、末端まで指揮命令系統が整備されて、政治、金儲けに利用するにはお誂え向き。
最初から、その目的で入信した信者も多いやろうなぁ・・・。
私、集団に生理的な嫌悪を抱くという、いたって困ったところが有りまして、とにかく気色悪いんですわ。


私、〇蓮宗とか某創価〇会とか、〇明党と名指ししてませんで。
早とちりせんようにお願いします。

元に戻って、その後の身分制度を下敷きにした封建時代にも、支配する側にとって、この思想は具合が悪い。
有力な信者のご機嫌をとって、一般信者を前世がどうの、地獄極楽で脅して、権力機構の一部として身分差別を容認どころか、推進してきた既存宗教にとっては何が何でも潰さんと、己が危ない。

それはそうとして、親鸞さんはいわゆる教団じみた物を持たんかった、というのは本当らしい。

法然、親鸞と出だしは至って好ましかったのに、親鸞さんの死後、瞬く間に変質が始まった。
現代の我々にとって、親鸞さんが想いを凝らした浄土真宗の姿を垣間見ることが出来るのは、ご自身が書き残したものと、老境に入った(89才と伝えられてますねぇ)親鸞さんとのやりとりを記した、青年唯円(20才やったそうな)が書いたとされる「歎異抄(たんにしょう)」。
私、これを読んで遅まきながら改めて仏教徒=門徒になりました。
元々、家の宗派が浄土真宗やから門徒なんやけどね。
仮に家の宗派が他のんやったら、本家分家をどうこう言う親戚何かの都合があるし、隠れ門徒になってたやろね。

「歎異抄」は常陸の国(茨城県)の水戸近在の浄土真宗僧、唯円さんが常日頃の不審な所、難解な部分を直接に親鸞さんに教えを請うと、遥けくも京へ上って、聞き書きした「親鸞聖人御物語(しんらんしょうにんおんものがたり)」が元になっていると考えられてます。
在所の同宗の皆んなの疑問に答えるべく、それを持って又常陸の国へ帰ったいうからご苦労な事ですなぁ!
書名が「異(違)いたるを嘆く」と有るように、既に始まっていた変質を正す為に書かれた文章で、唯円さんというフィルターを通ってますし、後半の第十一章以後は明らかに唯円さんの考えそのまんまでしょうね。
念の為にお断りしますが、唯円さんの考えが間違うてるとか、どうとか居うてるんとちゃいまっせ。「親鸞さんの言葉そのままでは無いやろう」と言う意味。

「親鸞さんの言葉として引用している部分は、親鸞さんの直話として信用するに足りる」とされているようですね。
最期に「云々」とあるのが「親鸞聖人御物語」から引用した文章や、という見方が間違い無さそうです。
「歎異抄」については、出来れば、先ず原文を先入観無しに読んで、一体これはどう言う意味や?と自分の頭で熟成発酵させて、自分なりの解釈をするのが大事や無いかいな?と思います。
何回も音読すると、頭の中にモヤッと何と無く理解したような感じがしてくるんですわ。
それから解説している本やサイトをご覧になる方が良いのでは無かろうかと思いますねぇ。
最初から回答つきのを読んで、手っ取り早く、他人の解釈を鵜呑みにせん方がエエと思うんです。
折角の思索の機会を自分から投げ捨てるのは勿体無いし、あんまり安直過ぎはしまへんか?
原文はWeb上に山程有りますが、残念ながら、全部何らかの形で注釈がついてますねん。
付いてると見たくなる、見てしまう、のは至極当たり前の人情やしねぇ。

注釈解説抜きの原文(読み下し文)を見てみたい方は ここ
(浄土真宗東本願寺所蔵の写本から刊行された物を元にしています)

どうも話が長うてイカンなぁ・・・。
次回でお終いにします。(多分・・)

2003/12/13

私は門徒-3


私は門徒-1/5

2003-12-12 13:21:17 | 支離滅裂-妄言虚説-私は門徒

私は仏教徒ですねん。
今更、何を言い出すねんな?とお思いでしょうが、突然脈絡のないことをアップするのが好き。

通った幼稚園がお寺の経営でした。
毎朝大きな仏壇に手を合わせてから始まるんです。
お釈迦様の紙芝居見せられて「ルンビニ園は花盛り♪」てなお遊戯してましたね。
お寺とは3kmほど離れてたんで、お寺の方はあんまり馴染みが無かったんです。
ところが中学で住職の子供の息子は1年上、娘は5年下と同窓生になって、後になって知ったんですが、ウチの宗派と偶然同じ浄土真宗本願寺派。
何やかんや有って、結局お墓もそのお寺に移転させてもろて、お参りにも来てもろてます。

若い頃(20代半ばまで)は自分が仏教徒という自覚は無かったですねぇ。
長男やから家の宗派ぐらいは知ってたけれど、まぁ家の紋くらいにしか思ってませんでした。
今のお寺に世話になるまでの旦那寺は豊前小倉、当然墓も其処に在ったから遠かったねぇ。
親父は出張ついでに寄ったりしてたけれど、私等は数えるほどしか行った事がなかったですなぁ。
月参りに来てもらっているのは大阪市内にいてた頃のお寺さんで、空襲で寺が焼けて、そのまんまお寺なしの借家住まいのお坊さん。
いたって、お寺やお墓には縁が薄かった。

法事や何かで読経の後、法話めいたことを聞かされるんですが、生意気盛り。
「何を建前論ばっかり並べてからに、偽善の固まりや無いか。胸糞の悪い。」と不埒な事を思いながら話の粗探しをしてました。
僧侶のお方全員がそうやというてるんとちゃいまっせ。
むしろ大多数の僧職に付かれている方々は、世の為、人の為、日夜真摯に研鑚努力されているのは重々承知。
中でも今の旦那寺の超光寺や、高槻の法善寺のご住職は立派なお方やと感服しております。
これから先のお話はそこのところをよ~くご理解の上でお願いします。
(これで大丈夫・・。)

高校1年の担任がクリスチャン。
事あるごとに聖書やらキリストが顔を出すんですわ。
何でも逆らいたい反抗期の真っ盛り。
逆らうには先ず聖書なるものを読まん事には話しにならん。
幸い姉妹が通うてた学校がミッション系で聖書は何冊も有る。
何で何冊も有ったんやろなぁ?
ところが全部新約聖書。
聖書と言うのは旧約と新約の2種類有ったんですねぇ。
仕方が無いから旧約は図書館で借りてきた。
旧約の方は独特の臭みはあるけれど、結構色っぽい話もあってそれなりに面白かった。
けど、一体これの何処が有り難いねんな?

新約の方は参った・・、読み終わった頃には逆らう気も失せてしまいましたわ。
こう言う宗教を信じる連中が信じられんようになった。
悪鬼、魔神を信じてる連中が首狩りするなら、エエとは言わんけど、まだ理解できる。
何で「大いなる愛」を信じてる人間が、原爆落として、焼夷弾で女子供を焼き殺せるねん?
「大いなる愛」は自分等仲間内だけの話しかいな?
「悔い改めよ」とあんたに言われる筋合いは無いわい。

その内に東南アジアをウロウロし出すと、どうも日本と僧侶の感じが違う。
ヒョンな事からタイにはまり込んで、これ又行きがかり上、チェンライの近所の田舎寺に数千円の寄進をさせてもろたんです。
ほんなら、横座りに座らされて、なにやらゴニョゴニョ住職が言うて、横から突付かれるままに、頭下げたり合掌したりしてたら、お米と花びらをパラパラッと撒いたかと思うと、前髪をチョッキンと切られた。
どうやら簡易得度式やったらしい。
幸い、首から下げる有り難い仏さんを頂戴して、無罪放免になったから良かったようなもんの、うかうかしてて丸坊主にされて、黄色い衣で朝の早うから御飯貰いに、裸足で托鉢に行かされては一大事と若干焦りましたね。

帰ってきてから調べたら、あちらは小乗仏教(Hinayana)、日本は大乗仏教(Mahayana)。
小乗なんてのは大乗仏教側の悪口雑言で、実に失礼な話ですなぁ。
上座部(小乗)仏教は修行による個人の解脱を目指してるんやそうで、片や大乗仏教は利他救済、人間全体の平等と成仏を売り物にしてるというから、何やら切支丹と同じ偽善の匂いがしますがな。

しかし元々、お釈迦さんは一体どう言うてはったんやろ?と思ってもシャカは自分では何も書き残していませんし、同時代に書かれたと確証が有る物も有りません。
お金が無いから大層な本はよう買わん、岩波文庫の「ブッダのことば」「ブッダの真理のことば 感興のことば」などを買うて来て読んだんです。
シャカ(Sakya)て個人の名前かと思えば、ネパール辺りに居てたアーリア族の中の1支族の族名らしい。
日本なら熊襲(クマソ)や国栖(クズ)みたいなもんかいな!
釈迦牟尼仏、悉達多(シッタルタ)、ゴータマ等と書くと話が混乱するからシャカで行きますわ。
これにしても、シャカ入滅後数百年経って書かれたらしいし、多分元はサンスクリット。
日本語になるまでに、何重にも翻訳を重ねてるやろうし、何処までがどうやら?
しかし、これを読む限り「自分自身の修行によって悟りを開け、その為には一切の煩悩、俗世の地位、財産、家族への愛情さえも捨てなさい。」というんですね。
「犀の角のように、荒野を一人で雄々しく進め」てな言葉が随所に出てきます。
昔はネパール、インド北部には犀が沢山居ったらしいですなぁ。
それは置いといて、言うてる事が無茶でっせ!
人類全部が教えの通りにしたら、絶滅しますがな。

ど素人の戯言(ザレゴト)ながら、日本の大乗仏教の妙な所は、実は全く別物やのにシャカを始祖としているんですね。
シャカの教えを、一体どういう風にヒョコ曲げて、すり替え、こじ付けしたら、加持祈祷やら戒名代で字数が違うとか、そんなことが言えるのか?
相当薄めて、角を丸められたとはいえ東南アジアの上座部仏教には面影が残ってるから、シャカを始祖とするのはまだしも納得出来るんです。
何で日本の仏教はこんな事になったんやろ?
ハタと気が付いたのは、そうか直輸入と違うんや!Kapila(カビラ=迦丐羅)城城主Suddhodana(ジャウボンワウ=浄飯王)の王子Gautama Siddhartha(ゴータマシッタルタ=瞿曇悉達多)とは全く別物、中国製の釈迦に違いない。
ホンコンの夜店で買うて来た地元の小姐們(ネエチャン等)が広東語で歌とてる「早安少女隊」のCDを「モーニング娘」の本物やと思い込んだようなもんやんか。
そうそう、「シャカに説法」て英語では、Don't try to teach your grandmother to suck eggs.(おバァちゃんにタマゴの吸方を教えようとするな。)って言うんですなぁ。

もっともっと希釈された残り香程度の物が日本の禅宗等にも残ってる気もするけれど、あまりにも飾りや雜物が混じりすぎてるような気がします。
それすら到底、俗人凡夫には実行不可能。
俗人凡夫どころか、日本の「不許葷酒入山門(精のつく野菜は修行を妨げ、酒は心を乱すから、こういう物の現物は勿論、口にした者も清浄な寺内に入るんは許さへんで)」とデッカイ碑を建てた寺の坊主がニンニクのきいた餃子で生ビールをキュ~いうのを我が目で見てます。
それも下っ端とは言え本山の役をしてるそうな。
私、酒が嫌いやからお茶飲んで精進潔斎、どっちが俗人か判れへん。
「おい、アンタとこの山門に建ってる石に書いてある文句は冗談かいな?」と言うたら「これは俗人には酒に見えるやろうが、酒や無い」てな詭弁で逃げよるんです。
実際ロクな同級生は居らんなぁ!(お互い様やけどね)

あんまり他所の宗派の悪口を言うてると「地獄落ちや!」とか「成仏出来んぞ」と言われるんやろうけど、幸い門徒には地獄は存在せんし、阿弥陀如来さんがキッチリ浄土へ入れてくれはるんですなぁ。
結局、門徒にまで行き着かんかったねぇ。
次回はちゃんとやります。(その積り・・。)

2003/12/12

私は門徒-2