こよみのHPが教えてくれたこと。
シルバーラブの日この「老いらくの恋」の記事を書いたのが当時産経新聞社にいた司馬遼太郎さんだったという。
1948(昭和23)年、歌人の川田順が弟子の大学教授夫人とともに家出しました。当時、川田順は68歳で、3年前から続いていた教授夫人との恋の行く末を悲観して、死を覚悟しての行動でしたが、養子に連れ戻されました。その後2人は結婚しました。 川田が詠んだ”墓場に近き老いらくの恋は恐るる何もなし”から「老いらくの恋」が流行語になりました。