「幸せになるための100の質問状」
「今までの人生で、ターニングポイントはいつでしたか ?」という質問。
子供の頃、5歳くらいだと思うが、肺門リンパ腺という病気にかかった。
いわゆる小児結核だったらしい。
戦前は、結核は不治の病だった。
たそがれがかかったころには、ペニシリンが使われるようになり、母親がたそがれオヤジを背負って毎週ペニシリンを打つため通院してくれ、そのおかげでなんとか治癒した。
この病気のおかげで、「息子は虚弱で、小学生までの寿命」と思いこんだらしく、ずいぶん甘やかされて育てられたらしい。
この病気にかからなかったら・・・・というifはある。
次の転機は大学受験かな。
大学は、地元の国立大学と東京・京都の私立大学を受験した。
幸いにして、3カ所の大学、いずれにも合格できてどこへ入学するかはたそがれ自身の選択次第だった。
この時、東京か京都を選んでいれば、少なくとも4年間親元を離れての自立期間があったことになる。「花のお江戸」か「花の都」で4年間暮らせばもう少しあか抜けたたそがれオヤジができあがったのではないかな・・・というifがある。
そして、もうひとつはいま現在だ。
昨年から「定年目前」ということで、いままでになく活動的になっているたそがれオヤジである。
歩くことにも、読むことにも、旅することにも、そして新しいことに首を突っ込むことにも、かなりどん欲になっている。
この現在の「たそがれオヤジ」を続けていくことができれば、人生のターニングポイントと言えるのではないか。
ターニングポイントにいるという自覚を持って、生きていきたいね。
「今までの人生で、ターニングポイントはいつでしたか ?」という質問。
子供の頃、5歳くらいだと思うが、肺門リンパ腺という病気にかかった。
いわゆる小児結核だったらしい。
戦前は、結核は不治の病だった。
たそがれがかかったころには、ペニシリンが使われるようになり、母親がたそがれオヤジを背負って毎週ペニシリンを打つため通院してくれ、そのおかげでなんとか治癒した。
この病気のおかげで、「息子は虚弱で、小学生までの寿命」と思いこんだらしく、ずいぶん甘やかされて育てられたらしい。
この病気にかからなかったら・・・・というifはある。
次の転機は大学受験かな。
大学は、地元の国立大学と東京・京都の私立大学を受験した。
幸いにして、3カ所の大学、いずれにも合格できてどこへ入学するかはたそがれ自身の選択次第だった。
この時、東京か京都を選んでいれば、少なくとも4年間親元を離れての自立期間があったことになる。「花のお江戸」か「花の都」で4年間暮らせばもう少しあか抜けたたそがれオヤジができあがったのではないかな・・・というifがある。
そして、もうひとつはいま現在だ。
昨年から「定年目前」ということで、いままでになく活動的になっているたそがれオヤジである。
歩くことにも、読むことにも、旅することにも、そして新しいことに首を突っ込むことにも、かなりどん欲になっている。
この現在の「たそがれオヤジ」を続けていくことができれば、人生のターニングポイントと言えるのではないか。
ターニングポイントにいるという自覚を持って、生きていきたいね。