たそがれロ~ド、たそがれ浪漫

定年後のセカンドライフに突入したたそがれオヤジ。その新たな再出発のドタバタ、そして夢と希望を書いてます。

台風一過の青空

2004-09-30 | 日々のこと等
昼休みに散歩してきた。
台風一過、抜けるような青空。
青空のはしに、台風の名残か、白い雲が数点流れている。
風は少し強いが、爽やかで気持ちがいい。
今日、30度を超えるというが、空は秋。
今日で、1年の3/4が終わる・・・。

息子との会話・2

2004-09-30 | 日々のこと等
前回からかなり時間がたってしまったが・・・。
時間がたつこと自体が、会話が進まない証拠だ。

話題は、横断歩道を取り上げてみた。
横断歩道を渡るとき、ユックリと渡っている歩行者を見て、止まって待っているドライバーはどんな気持ちでいるか?
「そろそろ歩かないで、サッサと渡れよぉ」と思っているのでは?とついつい急ぎ足で渡ってしまうたそがれオヤジなのだが、息子の反応やいかに?

息子は、物心ついてずっと大阪の北部、いわゆる北摂で育っている、あまりきれいじゃない関西弁に染まっている感がある。
見ていると大阪弁でいう「いらち(せっかち?)」な性格に見えたからオヤジと同じような答えが返ってくると期待?していたのだが、さにあらず。

「おれは、別に気にならないなぁ。特に急いでるわけじゃなし、急いだからって大して違わないからなぁ」との答え。
まあ、模範的な答えで少し見直す(笑)。

この間、1、2分少々。。。
こうして語りかけてくるオヤジのことを、どう思っているのやら。。。(苦笑)。

台風一過

2004-09-30 | 日々のこと等
9月29日(水曜日)
台風が接近中。
ちょうど運良く退勤時には雨は止んでいた。
返却期限がない本を返しに図書館に寄って、帰る。
この間、ほんの5分くらい降られただけで、おおむね降られずに帰宅できた、ラッキー・・である。
結局、台風は北の方に反れ、雨、風ともそれほどのことがなく済んだ。
隣県の三重の被害が甚大だったのに比べ、ありがたかった。
少しの距離の違いで、これほどの明暗が分かれるのだな。

ムーンライトステージ

2004-09-29 | 日々のこと等
今週末の2、3日(土、日曜日)鶴舞公園でムーンライトステージ2004が行われる。
洋楽や馬頭琴、中国琵琶、それに和太鼓まで幅広い演奏を野外で聞くことができる。
昨年も一日聞きに行ったのだが、この時期にめずらしいほどの肌寒さで閉口して途中でリタイアした記憶がある。
たそがれオヤジの「アジアの音」好きになったリポーさんの馬頭琴をまた聞くことができるのが楽しみだ。
それに、一度聞いてみたいと思っていたティンティンの中国琵琶もプログラムにある。
この前の幼稚園運動会の友人家族の二歳になる下の男の子が太鼓好きで、友人は朝の仕事が早いのでたそがれオヤジが誘っても8時以降になる場合はつきあわないのだが、この日の和太鼓は別格らしくまた孫代理といっしょに鑑賞できそうだ。
さいわい、週末はなんとか天気も回復しそうで、楽しみ、楽しみ・・・。

坂本冬美コンサート

2004-09-29 | 日々のこと等
9月28日(火曜日)
坂本冬美コンサートへ行って来た。奥方と一緒だ。
友人からいただいた優待券で1500円で見られた。
4階席の2列目、舞台は遙かかなただ。
100円ショップで買った望遠鏡が、「無いよりマシ」という程度に役に立つ。
コンサートは予想以上に楽しかった。
ライブのコンサートは、歌そのものよりトーク、衣装、そして観客との一体感を楽しむものだと思うが、申し分なかった。
艶やかな着物姿はもちろん、めずらしい洋装(どう表現していいか、わからない・・苦笑)あり。
太鼓あり、歌謡浪曲あり。
司会や観客との掛け合いも爆笑もの。
一緒に行った奥方がめずらしく来年も見たいと漏らしていたほど、彼女の評価は都はるみより上であるらしい・・・・(たそがれオヤジにとっては、都はるみは別格)。
コンサートのあと、中華料理で遅い食事を取り、帰宅。
酔って風呂も入らず、バタンキュー。充実の一日・・であった。

リーオ・オーケストラ

2004-09-28 | 日々のこと等
9月25日(土曜日)
名鉄リーオ・オーケストラのコンサート。
リーオ(LEEO)は、リトルワールド・エスニック・アンド・アース・オーケストラの略でインドネシアの竹楽器アンクロン、そしてスチールパン、アフリカンパーカションで編成された市民
オーケストラ。
2005年に開催される国際博覧会「愛・地球博」に向けて'98年に結成された。

さて、ここではオーケストラを構成する楽器のことを書き残しておく。
まず、アンクロン
竹と竹が当たってとても澄んだ美しい音を出す楽器で、1つのアンクロンで1つの音階を出す。従って曲を奏でるためには参加する人たちがこころを合わせてひとつになって演奏する必要がある。
みずから応募したあらゆるレベルの人が参加するオーケストラの主要な楽器としては当を得ている。
次いで、スチールバン
カリブ海のトリニダードトバコで発祥したドラム缶から叩き出した楽器。これが打楽器かと思えるような柔らかな音色だった。
そしてもうひとつがアフリカン・パーカッション。要するに「アフリカの鼓」だ。

音楽監督をした久米大作氏がHPにこんなことを書いている。
楽器編成はインドネシアの竹製楽器アンクロンを中心に、トリニダートのステイ-ル・ドラム、そしてアフリカのジェンベ等。オーケストラというより楽団ってほうが似合いますが、サウンドはそんじょそこらの市民オーケストラには負けません!っっていうか負けないように日々がんばっています。 
講師にはS・ドラムが原田芳宏氏、アフリカンパーカッションがラーテイル.シー氏を迎え、強力な布陣。予備校の呼び文句みたいになってきましたが、ここは落第なし!全員合格。何に合格かって?人生にですよ、じんせい!

人生に合格した人たちの明るさが印象的なコンサートだった。

リーオについて、なにか書き残しておきたくてインターネットから調べながら書いた。
まとまりのない文章になってしまったが、お許しあれ。

きのう(9月26日)の暦・・・

2004-09-27 | 日々のこと等
9月26日(日曜日)
昨日の暦は、いまさら遅いのだが。。。。(苦笑)

前にもログに書いたが、26日も統計上台風襲来の回数が多い日。
1954(昭和29)年の「洞爺丸台風」、1958(昭和33)年の「狩野川台風」があり、1959(昭和34)年には明治以後で最大の被害を出した「伊勢湾台風」が襲来した日でもある。

そして、1904(明治37)年のこの日、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が亡くなっている。新聞のコラムにも小泉八雲を取り上げたのを2紙ばかり見た。
たそがれオヤジはこの人のものを読んだことはないのだが、敬愛する司馬遼太郎さんがよくこの人のことを書いているので、いつかきっと読むことになるだろう。

ニセおじいちゃん

2004-09-27 | 日々のこと等
9月26日(日曜日)
友人の娘の幼稚園の運動会に招待され奥方と一緒に出かける。まだ足指の骨折が痛いはずなのに、よほど可愛いらしい(微笑)。
友人はたそがれオヤジの中学の同級なのだが、奥さんが若いので子供も4歳の娘と2歳の息子だ。孫が欲しいオヤジにはかっこうの「孫代理」で「ジイジ」と呼ばせてヤニさがっているのだ。
運動会は、スポーツセンターの室内運動場を借り切って行われた。園児の割にギャラリーがいやに多いなぁという感じ。二階の3面が観客席になっているので見やすい。
プログラムに「おじいちゃん、おばあちゃんといっしょ」というのがあった。当然のようにしゃしゃり出る(笑)。まわりを見渡して「一番わかいおじいちゃんだ、、」と独り言(笑)。
ゲーム自体は箱に入った何物かを孫といっしょに持ってポールをまわって帰ってくるだけの単純なもので張り切ったわりには拍子抜け(笑)。
それにしても若々しいお母さん方が多い、わが奥方も二十数年前はあんなふうに若々しかったのかと思うと、感慨が深い。
運動会は午前中で終わり、昼食をいっしょに食べ、帰る。
なにをしたというわけじゃないが、疲れた・・・。
歳だな(苦笑)。

癒しロボット「パロ」

2004-09-27 | 日々のこと等
9月25日(土曜日)
名古屋大学の講義を終えて、ボーリング大会の集合まで時間があったので、見たいと思っていた癒しロボット「パロ」を見てきた。
ちょうど愛知万博半年前というイベントに参加のパロである。
予想通り可愛い(笑)。
ほ乳ビン乳首のような充電器をくわえているのが、ますます可愛い(笑)。
真っ黒な目を眠そうに閉じたり、ひらいたり、時々愛らしいキュゥとでもいうような声をもらす。
撫でる手に反応して、首をもたげたり、尻尾を動かし、手を動かす仕草がなんとも愛らしい。
子供たちに混じって、たそがれオヤジもしゃがみ込んでしばし覗き込む様を、奥方に話すとそれは「変なオジサン」そのものだと言う。
たそがれオヤジとしては、せめてパロを偵察に来た「ロボット会社の開発者」くらいに見て欲しいのだが。。。。(苦笑)

9月25日、大忙し

2004-09-27 | 日々のこと等
9月25日(土曜日)
5時30分起床、最近やすみはこの時間に起きて散歩に出ているが、「歩く図書館」をするには段々光度が不足気味になってきた。いつもと違うルートを取ったので1時間ほどかかった。
9時に家を出て、名古屋大学へ向かう、オープンカレッジを受講するためだ。地下鉄が開通して家からでも30分くらいで着いてしまう。
今日の講義は「愛と変身の物語:ヨーロッパ絵画でギリシア神話を読む」
絵画を見るための基礎知識をギリシャ神話とのかかわりの中で教えてもらった。歴史好きのたそがれオヤジには結構とっつきやすい分野かも。
絵を鑑賞するのは結局のところは感性の問題だと思うのだが、絵画の背景を知るということは「歴史物語」を読むのようで、別の楽しみがありそうだ。
感性不足のたそがれオヤジにも、絵画を楽しめそうである。
午後からは、職場関係のボーリング大会だった。
情けないことに2ゲームして100点台、110点台しかでない。
なにしろ、トップピンからボールが逃げていくのだからどうしようもない・・・。
ほんと、ど下手。。。
4時に終わって、5時30分(開場、6時開演)から名鉄リーオ・ミュージック・キャンプ2004。約2倍の競争率で抽選に当たったものだ。
奥方が足指の骨折が完全でないためにパス、代わりに友人を呼びだして一緒に鑑賞する。
「名鉄リーオ」は
世界民族楽器オーケストラ「LEEO(リーオ)」は、リト
ルワールド・エスニック・アンド・アース・オーケストラの略称で、インドネシアの
竹楽器アンクロン、そしてスチールパン、アフリカンパーカションで編成された市民
オーケストラです。2005年に開催される国際博覧会「愛・地球博」に向けて'98年に
名古屋鉄道により結成され、さまざまな活動を行っています。
とある。
プロではない人たちの民族楽器の演奏が楽しそうだった。
太田裕美の歌も懐かしかったし、二胡の音も美しかった。
8時30分に終演。
ここまでで、相当に疲れたが、呼び出した友人と一緒ではここで終わるわけがない。
当然のように「いっぱい」ということになり、帰宅は11時過ぎ。
風呂も入らず、バタンキューのたそがれオヤジだった。

アクセス状況

2004-09-25 | アクセス状況
一度も100アクセスを超えられなかった・・・。
ログが書けなければ、アクセスも減るのは当たり前。ファイト!

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読書

2004-09-24 | 日々のこと等
たそがれオヤジの趣味は読書だ。それしか書くことがないほど「無趣味」だった。
しかし、読書といっても読むスピードは速くないし、読みとる力もない、第一、最近は記憶力が弱っておなじ本を二度買うこともなんどかある。それどころか、読み終わっても前に読んだ本であることを思い出さないことさえあった(苦笑)。
こういうことから、たそがれオヤジの場合、読書というより「本を買う」こと、それ自体が趣味だったみたいだ。
「本を買う」ことで、その本を読んだと自分に錯覚させようとしていたような気がする。

しかし、今年の5月に定年後の過ごし方のひとつの試みとして図書館へ通いはじめて、本に対する態度がちがってきた。
前ほど、本を買わなくなった、買いたいと思わなくなった。なにしろ、読みたいと思う本がたいていは図書館にあるのだから。
以前は、「買う楽しみ」が優先され、買ってしまうとそれで満足したような気になり、「積ん読」(読まずに積み重ねておくだけ)になってしまっていた。
今は、読みたいと思う本から読むことができる。読みたいと思う本であるからオヤジの感受性も以前よりは敏感になっている・・と自分では思っている。
敏感になって本を読むから、次から次へと読みたい本が出てくるが、その欲求を図書館が受け止めてくれるようになった。以前なら読みたい本を探すのが大変で(たそがれオヤジの本の供給元はブックオフに限られていたので・・)読めないままに忘れてしまうことが多かった。

もうひとつの変化の元は6月からはじめたブログだった。
色々な人が集まるブログのネットワークの中で、本についての話題もある。それぞれが書き手を感動させた本だ。
そうすると、その本を読んでみたいという欲求が起こってきた、以前のたそがれオヤジならおそらく読んでない本を読んでみたいと思うようになった。ブログがオヤジの読書の範囲を広げてくれた。
  anikobeさんの「ごんぎつね」
  真蘭さんの「介護と恋愛」
  紅蓮さんの「神様の木」(紅蓮さんご本人が作者であった!!)
  薄浅葱さんの「エイジ」
ここ最近にブログで見つけた本である。書き手が感動された本をオヤジも感動を共有できるか、一度読んでみたいと思っている。
たそがれオヤジのホーム図書館の鶴舞図書館にはどの本もそろっているようだ、楽しみである。

小学生の時の夢はなんですか?

2004-09-24 | 自分史
くろまるさんの幸せになるための100の質問状、第5弾は『小学生の時の夢はなんですか?』
立て続けの質問でチョイしんどい(苦笑)。

くろまるさんの質問状に、イチローの小学校の卒業文集が載っている。題もそのまま「夢」である。
小学校にしてすでに鈴木一郎少年は『ボクの夢は、一流のプロ野球選手になる事です。』と書いている。
一郎少年は、そのために激しい練習をし、その結果を自ら評価し、それだから「プロ野球の選手になれるはずだ」とまで言い切っている。
まさに、夢を実現したと言っていい。それにしても、イチロー自ら中日に入るのが夢だと言っているのに。。。。
中日ドラゴンズは、至宝をむざむざオリックスに取られてしまった(泣)。

ところで、たそがれオヤジ自身の「夢」なのだが、まったくそんなものが記憶から浮かんでこない。
引っ込み思案で虚弱だった小学生像しか浮かんでこない。
「遊び」のログで書いたロビンソンクルーソーとか、「太閤記」の秀吉とか、そんな本の中の主人公にあこがれることはあったかもしれないが、現実的な夢?を持った記憶がない。
このまま書いていくと、ドンドンくらくなっていきそうで、取りあえずここまでとしておく。
そのうちに、「こんな夢を持っていた!」という明るい記憶もよみがえるかもしれないから。

これまでの質問には比較的「明るい」記憶がよみがえり、楽しい作業だったが今回の質問はオヤジにとっては「つらい自分棚卸」になった。つらい自分にも眼をそむけることなく「自分棚卸」を続けていくことができるか?「しあわせになるために」乗り越えなければならない壁なのだろう。

たそがれオヤジのペット

2004-09-21 | 自分史
たそがれオヤジでも、小さいとき犬を飼ったことがある(正確には飼ってもらった・・かな)。
幼稚園の頃だ、どのくらい飼っていたのか記憶にはないが、庭の隅に泣きながら埋めた記憶がある。
いま思えば、焼け跡のままの庭だったような気がする。

その後、ペットというと息子たちが小さい頃に文鳥を飼ったことがある。当時は大阪に住んでいて、盆・正月の休みに籠に入れて二度ばかり移動した。可愛いペットだったが、息子たちがじゃれ合っている時に踏みつけたかなにかで死なせてしまった。狭い部屋だったからね。。。
その後、もう一度鳥を飼った、インコだったかな。これはちょっとしたスキに逃がしてしまった。
それ以来、ペットというものは飼っていない。

ペットを見ていると、赤ん坊や小さな子供を見ているようでとても可愛いと思うものの、親としての経験から「ネコ可愛がり」する反面「面倒がりの短気」であることがよくわかっており、可愛いからといって飼う気にはならない。
確かに、いれば散歩の友に、また癒しを与えてくれるパートナーとして好都合だとは思うのだが。。

こんなたそがれオヤジにピッタリの癒しペットを見つけた。
癒しロボット「パロ」である。
どういう基準で選ばれたのか、よくわからないがギネスブック選定の「世界一の癒しロボット」だそうな。
確かに愛くるしい姿をしている、オヤジは今このパロが欲しくてたまらないのである。
昨日の敬老の日、おふくろになにもしてやれなかったので「パロを買おう」とけしかけたのだが、歯牙にもかけてもらえなかった(苦笑)。
自力で買うため、「パロ貯金」をはじめるつもりのたそがれオヤジである。

ちなみに、パロの実物が23日~26日まで名古屋の愛知万博の関連イベントで見ることができるらしい。
時間をつくって見に行ってみるつもりである。

司馬さんの庭

2004-09-21 | 司馬さん憧憬
anikobeさんの「小鳥の落し物」を読んでしばらく後、敬愛する司馬遼太郎さんの次の文章に気づいた。
anikobeさんのお庭とおなじだ。
建った早々は5、6本の孟宗竹が植わっているだけの造りだった。
 笹が落ちかさなるままに捨てていると、鳥が運んだのか実生のクスノキが2、3本育ちはじめ、いつ生えたかシュロ竹がひともと、さらには山土に根がのこっていたらしく、黄色い花をつけるエビネ蘭までが生いしげって、なにやら山ふもとの一角を切りとったような風情になってきた。
(5、6年でこうなるのか)
 と感心し、日本というのは実が落ちれば育って、禿山をつくることのほうが困難だと思ったりした。人の立ち入りをゆるさぬ古代築造の仁徳陵はもとより、近代につくられた伏見桃山陵でさえ、いまは人の足の踏みわけの叶わぬ密林になりはてているという話を聞いたことがある。
日本という土地は、なにもしなくて放っておくと「人の足の踏みわけの叶わぬ密林」になってしまい、「禿山をつくることのほうが困難」なほど豊かな自然に恵まれている。
恵まれすぎていて、そのめぐみを忘れてしまっているんだね、今は。