たそがれロ~ド、たそがれ浪漫

定年後のセカンドライフに突入したたそがれオヤジ。その新たな再出発のドタバタ、そして夢と希望を書いてます。

アクセス状況

2004-10-31 | アクセス状況
あはっ、、700に1つ足りない・・・・。
二度目の700台を狙っていたのに、残念。。。

過去1週間の閲覧数とランキング

日付 閲覧数 ランキング

10/30(土) 55pv -位(62013 ブログ中)
10/29(金) 87pv -位(61522 ブログ中)
10/28(木) 81pv -位(61080 ブログ中)
10/27(水) 139pv -位(60551 ブログ中)
10/26(火) 118pv -位(60153 ブログ中)
10/25(月) 153pv -位(59624 ブログ中)
10/24(日) 66pv -位(59133 ブログ中)

過去4週間の閲覧数とランキング

週 閲覧数 ランキング

10/24~10/30 699pv -位(59133 ブログ中)
10/17~10/23 621pv -位(55662 ブログ中)
10/10~10/16 574pv -位(52193 ブログ中)
10/03~10/09 758pv -位(48781 ブログ中)


じゃすみんちゃんへブックマーク

2004-10-29 | 日々のこと等
「ジャスミンのかほり」というブログをブックマークに登録しました。

やさしいパパが撮る可愛いじゃすみんちゃんの画像が素敵なサイトです。
2002年1月16日生まれ。現在、2歳7か月。

好きなこと:泳ぐこと、食べること(焼肉)、アンパンマン、早起き。
       ママ、お兄ちゃん?パパ?
       冷たい床で寝転ぶこと。
       ガラスのコップでお茶を飲むこと。
       イナイイナイバァをすること。
       二段ベッドの上から飛び降りること。

嫌いなこと:束縛されること(チャイルドシート、飛行機のベルトは特に×)。
       暑いこと。
       かまわれること。
       オムツがぬれていること。
          「ジャスミンのかほり」2004.9.2から引用
じゃすみんちゃんは、自閉症なんです。
じゃすみんちゃんを見つめるパパのやさしさが写真に、文字に浮かび上がってきます。

じゃすみんパパさんはこんな気持ちでブログを書いていらっしゃる。
医療関係者には確かに自閉症児者の特性を知っていてもらいたい。
ただ、医療関係者にのみ、それを求めるのは無理があるように感じます。
医師や看護婦、スタッフになって知識は急につくものではありませんし、自閉症と同じように医療関係者に知っておいてもらいたいと期待される疾患は限りなくあるでしょう。
やはり社会全体で啓蒙をはかること、医療関係者でなくともこどもの頃から周囲に自閉症の子が身近にいて知っているというような自然な流れを作りたいものです。
“ジャスミンのかほり”もそんなことに少しでも貢献できたらと思います。
          「ジャスミンのかほり」2004.9.24から引用
みなさんも、じゃすみんちゃんを見守ってあげてくださいね。



寒い朝

2004-10-29 | 日々のこと等
今日もきれいに晴れ渡っている、放射冷却とかで寒い。
酷暑から、ろくろく秋の準備もなく寒くなってしまったようでまだからだが寒さに馴染んでいない。
特に朝の寝起きには寒さがからだにまとわりついているようだ。
通勤途上で行き交う散歩の人たちはもう冬装備だ。
だが、家を出て動き出すとエンジンが動き始め、やはり体の中から暖かくなってくるようだ。
寒いことは寒いのだが、家にいるときほどちぢこまっている感じがなくなる。
やっぱり動くということは、活きた動き、活動なんだろう。

冬の到来が近いという新潟の方たち、復旧活動に必死な方たちはそれでもやはり寒いのだろうな・・・。

河井酔茗詩抄より:枯野

2004-10-28 | 日々のこと等
河井酔茗詩抄(岩波文庫刊)より

歩いても歩いても、はてしのない枯野のはて
山脈の上には雪がところどころ白く輝いてゐる。

ただ一人の魂だが
生きてゐるあひだ
かけめぐれるだけ駆け廻って、もう疲れた
休みたくなった。

魂が休みたくなると
ひろい、ひろい枯野へ出る、寂しい枯野よ。
枯れた日かげの下に、枯れた草原、枯れた樹木、枯れた山脈よ。

何も彼もに離れる時が來た
魂は枯野に還るのだ。
寂しいけれど、駆け廻り、駆け廻りしたわが枯野。
ひろい、ひろい、枯野のすがた。

海鳴の音も遠くなった、木枯の音も遠くなった
人聲も遠くなつた。

歩き出せば落葉踏む音、鳥の飛ぶ音
ながい、ながい、枯野の一人旅
魂の休み場所が近づいた。

魂よ、鎭まれ、日の光と共に
枯野に鎭まれる日の光と共に--
かけめぐり、かけめぐり、遂に
生命の彼方へ--

河井酔茗詩抄より:歩いた途

2004-10-28 | 日々のこと等
河井酔茗詩抄(岩波文庫刊)より

私の歩いたあとには
花が咲いた。
私の歩いたあとには
泉が湧いた。

私の歩いた時は
荊棘の途であったが
私の歩いた時は
石くれの道であつたが。

こんな美しい花が
咲かうとは思はなかった。
こんな清らかな泉が
湧かうとは思はなかつた。

たゞ一歩一歩省みて
静かに歩いた。
ただ一瞬一瞬、心から
踏みしめて歩いた。

私はやはり
いい途を歩いたのだらう。
荊棘の刺にもさされたけれど--
石のかけらにも躓いたけれど--

板東英二講演

2004-10-27 | 日々のこと等
10月23日(土曜日)
板東英二はどれくらい全国区なのだろうか?
中日ドラゴンズの選手であったことから、名古屋地区での知名度が高いのは当然だが全国ネットのテレビにも出ていることから、ローカルネタでもあるまい。
土曜日2時からウェスティンナゴヤキャッスルホテルで板東英二の講演、「板東英二のがむしゃら人生」を聞いた。講演というよりもトークショーだ。
主催は学習院大学。年2回ほど全国主要都市を巡回して開催されている無料の公開講演会だ。
ウェスティンナゴヤキャッスルと言えば、名古屋では有名なホテルでさすが学習院、豪儀なモノだ。
場所が場所だけに、少し気後れするところもあったがウォーキングのついでに立ち寄ってみた。
心配することもなくたそがれとおなじようなオジサンがいっぱい来ていた。

板東英二はもう元野球選手ではなくタレントだね、達者なものだ。
奥さんが学習院卒業ということで引っ張り出され、ギャラを聞いてもう帰ろうかと思った、、など開口一番笑わせてくれる。

6歳の時、満州からの引き上げ、貧困の中で野球漬けの青春だったようだ。
徳島商業のエースとして甲子園優勝。
中日ドラゴンズに契約金2000万で入団。
聞けば聞くほどに、すごいピッチャーだったようだ。
1年前に長嶋茂雄が、同じ年に王貞治がそれぞれ巨人に1500万円の契約金で入団したそうだからその評価のすごさがわかる。
当時はまだ1万円札が流通しておらず、千円札で2000万名古屋から持ってきたそうだ(どれくらいの嵩があったんだろうか・・・)。
その現金に目がくらんで(笑)中日に得意満面で入団した。

しかし、プロ時代は意外に短かった、入団11年目、28歳の時にご本人のいわく、クビになった。
甲子園のスーパースターもプロでは通用しなかった。
それからどういう経緯で芸能界へ転身したのか、話はなかったが並大抵のことではない、講演のタイトル通りのハングリーながむしゃらな挑戦だっただろう。

一転、「ここだけの話ですよ・・・」といいながら、話はテレビの裏話に変わる。
たとえば、クイズ番組。
むかしあった「アップダウンクイズ」では、5人の回答者。
2度間違えた回答者が回答の権利を失う。
残りの4人がわからない問題を、圏外の回答者が正解を言うとまたクイズに復帰。
「こんなことは、あり得ない」と板東さん。
「2度も間違った回答をしたアホが、他の4人のかしこいヤツがわからない答えが言えるわけがない!」
板東さんいわく、カメラが余所を移している間に答えを教えてもらっているんだ・・。(笑)
番組をおもしろく作るための細工が施されているのだ。

こんなふうに答えをある程度教えてもらえるクイズ番組だったが、ある時から様子が変わった、答えを教えてもらえなくなった。
それは・・・
あるクイズ番組、今をときめく伝説のガッツ石松がからんでいる。
ガッツ石松がなにをまちがえたか、教えてもらっているクイズの答えをひとつ間違えて答えてしまったため、他の回答者が教えてもらっている答えを回答できなくなって、脂汗を流しながらガチンコのクイズになって妙な迫力が出て視聴率があがったという。

こんなテレビの内幕を披露しながら、メディアは制作するとき色々な小細工をすることがある。
間違っても、そのまま受け取らないように、、と、一応大学の講演会らしく最後を締めたのは、爆笑を誘っておきながらもやはり「おぬし、ただ者ではないな・・」という感想だった。

それにしても、あんなにおもしろかった講演が、たそがれが文章にするとなんと感想無味なことか・・・・慨嘆

河井酔茗詩抄より:春の詩集

2004-10-27 | 日々のこと等
河井酔茗詩抄(岩波文庫刊)より

あなたの懐中にある小さな詩集を見せてください
かくさないで--

それ一冊きりしかない若い頃の詩集。
隠してゐるのは、あなたばかりではないが、
をりをりは出して見せた方がよい。

さういう詩集は
誰しも持っています。
をさないでせう、まづいでせう、感傷的でせう
無分別で、あさはかで、つきつめてゐるでせう。

けれども歌はないでゐられない
淋しい自分がなつかしく、かなしく、
人戀しく、うたも、涙も、一しょに湧き出た頃の詩集。

さういふ詩集は
誰しも持ってゐます。

たとへ人に見せないまでも
大切にしまっておいて
春が來る毎に
春の心になるやうに
自分の苦しさを思ひ出してみることです。

詩集には
過ぎて行く春の悩みが書いてあるでせう。
ふところ深く秘めて置いて
そつと見る詩集でせう。

併し
季節はまた春になりました。
あなたの古い詩集を見せて下さい。

遙洋子:介護と恋愛

2004-10-25 | 日々のこと等
真蘭さんのブログで紹介された遙洋子の「介護と恋愛」を図書館で借りて読んだ。
読み慣れない分野でなかなか読み進まなかったが、借用期限が迫り直前に一気に読み上げた。

遙洋子、最近はテレビを見ないのでわからないが、関西系のバラエティ番組で活躍していた記憶がある。
そのキャピキャピの記憶とは全く違った人物が書かれていた。
まさに、浪花おんなのド根性、ド迫力。
ホンネ、ホンネで迫る迫力に圧倒された。
深刻な話だが、大阪弁で書かれているせいか、申し訳ないが腹を抱え、涙を流しながら笑う場面もしばしばある。

介護のつらさは父親の時にいささかは体験しているが、この本に書かれているのは体験をはるかに超えている。
目を背けて忘れてしまいたい気持ちだが、いつ訪れるかわからない現実でもある。
本を読んだだけではダメ、それを現実にどう生かしていくか・・・。
それが、ないと時間のムダづかいでしかない。

道は遠い・・・

2004-10-25 | 日々のこと等
土曜、日曜日とそれぞれ20千歩、23千歩を歩いた。
いつもの河川敷や名古屋城周辺など、歩きやすそうな道を選んで歩いた。
(移動図書室でもあるからね・・)
土曜日はなんなく20千歩をクリア。
日曜日、歩き始めるとなんとなく足が重い、つらいという感覚はないが足があがってない感じがする。
片道1時間強のブックオフを目的地に往復して約15千歩。
そして午後にもう一度河川敷経由で図書館を往復して8千歩。
歩き続ければ、一日ごとに疲れがたまっていくのだろう。
二日で約30キロというところだろうか、歩き遍路は全行程1400キロということだから50倍近い距離になるから100日もかかってしまう(苦笑)。
1日3万歩近くを続けることができるようにならないと、歩き遍路は難しいかな?
しかも、今は何も荷物を背負っていない・・・・。
まだまだ道は遠いな・・・。


アクセス状況

2004-10-25 | アクセス状況
1週間600件台を回復。ありがたい。

過去1週間の閲覧数とランキング

日付 閲覧数 ランキング

10/23(土) 56pv -位(0 ブログ中)
10/22(金) 70pv -位(58682 ブログ中)
10/21(木) 107pv -位(58236 ブログ中)
10/20(水) 134pv -位(57770 ブログ中)
10/19(火) 106pv -位(57239 ブログ中)
10/18(月) 96pv -位(56638 ブログ中)

過去4週間の閲覧数とランキング

週 閲覧数 ランキング

10/17~10/23 621pv -位(0 ブログ中)
10/10~10/16 574pv -位(55662 ブログ中)
10/03~10/09 758pv -位(52193 ブログ中)

台風一過

2004-10-21 | 日々のこと等
10月21日(木曜日)
台風23号が各地に大きな被害を残して太平洋上へ去った。
昨日は、警報が出たために12時に退社の指示が出た。
かなり強い雨の中を帰宅した。
結果的にはこの前後の時間帯が一番雨が強かったようだ。
名古屋では意外に雨も風もなく通過してしまった。

先の台風の時に比較するとかなり水かさが少ない。

予報通り、予報ハズレ、悲喜こもごもの台風の強さであるが自然のエネルギーの前には人の力はチッポケなもの。

一番がんばったエピソードは

2004-10-20 | 自分史
「幸せになるための100の質問状」
次は「一番がんばったエピソードは?」という質問。

もともとあまり頑張らない人だから、がんばった記憶はあまりないですね。
無理矢理にがんばったことを思い出してみると、まずひとつあった(笑)。

大学の卒業論文。
追いつめられないとやらないのは、昔からの性格でとうとう締切日前日徹夜で書き上げて提出したこと(苦笑)。勉強で徹夜するなど、後にも先にもこれ一度という意味では記憶に値するかも(自嘲)。

もう一つは、大阪から本社へ転勤する10数年前のこと。
昼間は通常の業務をこなし、夜に後任者への引継書を作ったとき。
この時は、通勤の時間も惜しくて会社近くのビジネスホテルに泊まり込んだ。
こうして苦労して作った引継書だが、後任者にはほとんど参考にされなかった(苦笑)。

そして、今。
今年、会社で定年退職予定者を対象にしたセミナーに呼ばれて、定年まで2年少々であるという事実を強く認識させられた。
定年後の自分に対する不安をうち消すかのように、目立って活動的になった(笑)。
それまでは、土曜・日曜の休みにはほとんどすることがなくブラブラしていたのだが、色々なことに首を突っ込むようになった。
今では、土日は平日よりも忙しくしていて休む暇がなくなっている(苦笑)。
今が、一番がんばっているのかもしれない(笑)。

たそがれオヤジの職歴

2004-10-20 | 自分史
「幸せになるための100の質問状」
次は「職歴は?」という質問。

まあ、オーソドックスな質問だが、あまり他の人が読んでも面白みがないだろうな(苦笑)。

昭和44年 4月 機械メーカー入社
         3ヶ月実習後経理課配属(ソロバンもできないのに毎日毎日伝票を計算、
         絶対に一度で合わなかった、それなのに今もソロバンを使っている・・笑)

昭和46年 2月 本社(所在地:名古屋)経理課配置替
         (会計関係の仕事から、財務関係の仕事へ)
         この頃、奥方と出逢う。

昭和49年12月 関係会社出向(所在地:桑名市)少人数の会社で、庶務・経理全般を
         やらされる。
         正式に婚約する直前に出向の辞令が出て、おかげで「冷やかされる」のを
         まぬがれた。 ホッ!。

昭和54年 2月 出向を解かれ、大阪営業所(所在地:大阪市北区)へ転勤
         ここも少人数で、庶務・経理全般業務
         子供ふたりは大阪育ち、奥方までも大阪の水に馴染んでしまった。
         今や、オヤジだけ孤立(苦笑)

平成 4年 2月 やっと本社(所在地:名古屋)へ転勤
        (両親が名古屋在住のため、親元へ、という温情人事があった)
         総務関係の業務に従事
         この間、単身赴任(逆単身というやつ)。
         単身だが、親元ゆえ気楽な生活(笑)。
         父親の死ぬ前から、奥方が介護の手伝いのため名古屋に帰り同居をはじめる。

平成10年 7月 工場へ転勤
         3年間に、3カ所の職場を替わる。
         この間、片道2時間の通勤にグッタリ・・・。

平成13年 7月 関係会社出向(所在地:名古屋)
         健康保険関係業務に従事
         現在に至る。

台風の名前

2004-10-19 | こんなこと、知ってました?
台風23号が来ている、超大型だそうだ。
23号の名前は「TOKAGE」。
なんでこんな名前が付けられたか、ネットで調べてみるとさっそく行き当たったのが
さっかんさんの小部屋

アメリカではハリケーンの名前に女性の名前をつけているが、アジアの台風には台風委員会で決められた140の名前が順番に付けられているらしい。
アジアの台風の名前

あとは「さっかんさんの小部屋」をお楽しみ下さい。

懐旧録風:煙突掃除、薪割り

2004-10-19 | 自分史
たそがれオヤジの記憶では、子供の頃は台所は瓦斯だった。
ただ、風呂は薪を焚いていたので煙突があった。
煙突掃除は身軽な子供の役目、時々タワシのようなのが先について長い竹を使って煙突の中を掃除するのだ、今じゃとてもあんな高いところに登れないなぁ。

薪を焚くので、当然薪を作る仕事もあった。ほとんどは購入していたようだが、たまには父親がどこからか仕入れた木ぎれを割り、その手伝いをさせられていた。

風呂といえば五右衛門風呂だ。
たそがれオヤジの家にはなかったが、母親の実家が小学生頃まで五右衛門風呂だった。
浮いた丸い板きれにうまくバランスを取りながら、風呂にからだを沈めていくのが楽しかったのをおぼえている。