たそがれロ~ド、たそがれ浪漫

定年後のセカンドライフに突入したたそがれオヤジ。その新たな再出発のドタバタ、そして夢と希望を書いてます。

藤村操「巌頭之感」

2006-03-12 | 司馬さん憧憬
司馬さんの「街道をゆく36・本所深川散歩、神田界隈」を読んでいる。
そのなかにこんなことが書いてあった。
 少年には事蹟がない。
 だから記録されることがまずないのだが、ただひとつ、自殺をしたという事歴だけで、『世界大百科事典』(平凡社)に一項目が割かれている少年がいる。藤村操(1886~1903)である。
 明治36年(1903)5月22日、日光華厳の滝に身を投じた。満年齢でいえば、16歳と10カ月にすぎなかった。

藤村操の遺した文章が「巌頭之感」として有名だ。
その全文が知りたくてインターネットを探してみた。
あった、便利なものである。
巌 頭 之 感

悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て
此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
オーソリチィーを價するものぞ。萬有の
眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の
不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は
大なる樂觀に一致するを。

親切なことに、読み方まで載っていたのでこれも引用する。
ゆうゆうたるかなてんじょう、りょうりょうたるかなここん、
ごしゃくのしょうくをもって このだいをはからむとす。
ホレーショのてつがく、ついになんらのオーソリチィーを
あたいするものぞ。ばんゆうのしんそうは ただいちごん
にしてつくす、いわく「ふかかい」。われ このうらみをいだ
いて はんもん、ついに しをけっするにいたる。すでに
がんとうにたつにおよんで、きょうちゅう なんらのふあん
あるなし。はじめてしる、だいなるひかんは だいなるらっかん
に いっちするを
このような文章を16歳の少年が書くことができたとは・・・。59歳、慙愧の念、切なり。

司馬遼太郎記念館 菜の花色に染まる

2005-02-01 | 司馬さん憧憬
2月12日は、司馬さんの命日だ。司馬さんが好きだった花にちなんで「菜の花忌」といわれる。
それに関するこんな記事を見つけた。
司馬遼太郎記念館 菜の花色に染まる
街ぐるみが、司馬さんをしのんで菜の花を献花するとは。。
司馬さんの人柄がしのばれて、いよいよ懐かしさをそそられる。

また、行きたくなってきた。。。

大阪散歩・その3

2004-12-16 | 司馬さん憧憬
大阪四天王寺の「石の鳥居」。
お寺に鳥居だ。
この石鳥居は鎌倉時代のものだそうで、重要文化財に指定されています。そこにかかる額には「釈迦如来 転法輪所 当極楽土 東門中心」の文字があります。

鳥居越しに寺の中の伽藍を写すのが普通なのに、なぜか外を撮ってしまった(苦笑)。

司馬さんの本に、昔は四天王寺がある上町台地が海に向かって突き出ていて、大阪湾越しに沈む夕陽に極楽往生を願う行(ぎょう)があったと書いてあった。そんな行があったくらいなのだからさぞかし絶景だったのだろう。
そのことしか、頭になかったたそがれオヤジの視線は西にしか向いてなかったのだ。
そして、さらに鳥居の下から西を撮った。

とても夕陽などみられる場所ではない、見られたとしても絶景とは言えないだろう。
こうした宗教的に重要な場所を惜しげもなく開発・都市化という名の下に切り捨ててきた日本人。
とても、宗教的な民族とは言えないだろうな。

大阪みやげ

2004-12-13 | 司馬さん憧憬
土産の一番目は司馬遼太郎記念館で買った司馬さんの本。
ほとんどの本を古本で買うたそがれオヤジだが、この本はブックオフでは見つけられないだろうと諦めて購入した。
ずしりと重い「街道をゆく」展の本で本では見られない挿画がいっぱいだ。

二つ目はネットでみつけた司馬さんが生前よく買っていったという近鉄小阪駅前商店街「山甚」の「すずめの卵」という菓子。
だが、店のお嫁さんらしき人に聞くと司馬さんが好きで量り売りで買っていったのはこの菓子ではないらしい(この豆菓子はいまはつくっていないという)、まあ司馬さんも食べただろうということでこの「すずめの卵」を買って帰る。
このお嫁さんから「先生は髪が真っ白でよく目立つんですよ、(奥さんと)お二人で歩いていらっしゃいました・・」という話を聞いて、司馬さんの街へ来たんだなぁ・・とうれしくなるたそがれだった。

三つ目は、大阪へ行って来るというと息子からリクエストされた阿み彦のシューマイ。
息子が小さいときに連れて行って、すっかり気に入って時々食べに連れて行ったり、土産に持ち帰ったりしたものだ。
もう10年ぶりくらいなのだが、オヤジさんがおぼえていてくれたのがうれしかった。
家用と友人用に10人前を買い込んで帰った。久しぶりの大阪の味だ。

階段国道

2004-10-09 | 司馬さん憧憬
司馬さんの本(正確にはNHKの「司馬遼太郎の『街道をゆく』」について書いた本)のなかに「階段国道」という言葉が出て来た。
本州最北端竜飛岬へおりていく車が通れない階段道が国道指定になっているという。
おそらく、日本でただ一カ所だという。
さっそくインターネットで検索。

竜飛岬の階段国道
なぜこんな国道ができたかというと、ほかのHPには
お役所の役人が国道指定の際、地図を見ただけで国道に指定し、後に車の走れない階段道だと気が付いたといういかにもお役所仕事の結果出来たそうです。
http://www.ogaemon.com/zatugaku/kaidankokudou.htm
と書いてあります。
腹を立てていいものやら、笑っていいものやら・・・複雑(苦笑)。。


猫の渡来

2004-10-03 | 司馬さん憧憬
司馬さんの文章の中から(ご本人は「道草」と言ってます)

飼い猫のルーツはエジプトだというが、日本にやってきたのは9世紀頃だという。
その事情が面白かったので、ログに書いた。
当時の中国は遣唐使でおなじみの唐の時代だった。
唐から厖大なお経を船で運んだその中には、ねずみも紛れ込んだらしい。
教典の紙がねずみに食べられないよう、猫にお守りをさせ海を越えさせたという。
これが今のペットブームの発祥なのかも。。。

四天王寺

2004-10-03 | 司馬さん憧憬
たそがれオヤジは以前十数年のあいだ大阪に住んでいた。
しかし、四天王寺という名は知っていても、行ったことはない。
当時のオヤジの目は京都や神戸の方へ向いていて、大阪ではもっぱら食べることばかりだった。
そんなオヤジに、司馬さんの文章が教えてくれたのが以下。

大阪の上町台地(大坂城もこの台地上にある)という古代においては唯一の地盤堅固なところ(いまの大阪はほとんどが海だったのだ)の南の端に、聖徳太子建立といわれる四天王寺がある。
いわゆる浪速の津へ入港した中国、朝鮮の船が四天王寺を見て、「日本は思ったよりも文明国だ」と思わせるための大伽藍だったらしい。
この上町台地の南端の四天王寺から見る夕陽が絶景であった。四天王寺から西を見ると神戸の一ノ谷に沈む夕陽が素晴らしかった(今も地下鉄の駅名に「四天王寺夕陽丘」というのがあるがこの夕陽の景色によるのだろう)。
この華麗に沈む夕陽を見ながら阿弥陀浄土を想う瞑想の行「日想観」が中世盛んに行われたという。

ということで、司馬さん追っかけのたそがれオヤジにまた行ってみたいところができた。
この冬には、司馬遼太郎記念館(近鉄大阪線の八戸ノ里と河内小阪の間にある)と四天王寺に行ってみたいと思っている。
また、楽しみが増えた。

司馬さんの庭

2004-09-21 | 司馬さん憧憬
anikobeさんの「小鳥の落し物」を読んでしばらく後、敬愛する司馬遼太郎さんの次の文章に気づいた。
anikobeさんのお庭とおなじだ。
建った早々は5、6本の孟宗竹が植わっているだけの造りだった。
 笹が落ちかさなるままに捨てていると、鳥が運んだのか実生のクスノキが2、3本育ちはじめ、いつ生えたかシュロ竹がひともと、さらには山土に根がのこっていたらしく、黄色い花をつけるエビネ蘭までが生いしげって、なにやら山ふもとの一角を切りとったような風情になってきた。
(5、6年でこうなるのか)
 と感心し、日本というのは実が落ちれば育って、禿山をつくることのほうが困難だと思ったりした。人の立ち入りをゆるさぬ古代築造の仁徳陵はもとより、近代につくられた伏見桃山陵でさえ、いまは人の足の踏みわけの叶わぬ密林になりはてているという話を聞いたことがある。
日本という土地は、なにもしなくて放っておくと「人の足の踏みわけの叶わぬ密林」になってしまい、「禿山をつくることのほうが困難」なほど豊かな自然に恵まれている。
恵まれすぎていて、そのめぐみを忘れてしまっているんだね、今は。