司馬さんの「街道をゆく36・本所深川散歩、神田界隈」を読んでいる。
そのなかにこんなことが書いてあった。
藤村操の遺した文章が「巌頭之感」として有名だ。
その全文が知りたくてインターネットを探してみた。
あった、便利なものである。
親切なことに、読み方まで載っていたのでこれも引用する。
そのなかにこんなことが書いてあった。
少年には事蹟がない。
だから記録されることがまずないのだが、ただひとつ、自殺をしたという事歴だけで、『世界大百科事典』(平凡社)に一項目が割かれている少年がいる。藤村操(1886~1903)である。
明治36年(1903)5月22日、日光華厳の滝に身を投じた。満年齢でいえば、16歳と10カ月にすぎなかった。
藤村操の遺した文章が「巌頭之感」として有名だ。
その全文が知りたくてインターネットを探してみた。
あった、便利なものである。
巌 頭 之 感
悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て
此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
オーソリチィーを價するものぞ。萬有の
眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の
不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は
大なる樂觀に一致するを。
親切なことに、読み方まで載っていたのでこれも引用する。
ゆうゆうたるかなてんじょう、りょうりょうたるかなここん、このような文章を16歳の少年が書くことができたとは・・・。59歳、慙愧の念、切なり。
ごしゃくのしょうくをもって このだいをはからむとす。
ホレーショのてつがく、ついになんらのオーソリチィーを
あたいするものぞ。ばんゆうのしんそうは ただいちごん
にしてつくす、いわく「ふかかい」。われ このうらみをいだ
いて はんもん、ついに しをけっするにいたる。すでに
がんとうにたつにおよんで、きょうちゅう なんらのふあん
あるなし。はじめてしる、だいなるひかんは だいなるらっかん
に いっちするを