たそがれロ~ド、たそがれ浪漫

定年後のセカンドライフに突入したたそがれオヤジ。その新たな再出発のドタバタ、そして夢と希望を書いてます。

五月の風・・

2005-05-02 | 自分史
引越しの支度に飽いて散歩に出た。
昨日の雨があがって爽やかな五月の空が戻ってきた。
歩きはじめは少しヒヤリと感じるほどの爽やかさだ。
歩き出しながらふと思い出したのが「五月の風と・・」というテレビドラマの台詞の一部。
それをインターネットで探してみた、便利なものだ。
ドラマは「天国の父ちゃん、こんにちは」というタイトル。
森光子演じる未亡人が苦しい時に口ずさむ詩が「貧しいからあなたにあげられるものといったら、柔らかな五月の風と、精一杯愛する心だけです。でも結婚してくれますね」。
1960年代というからもう40年ちかく前のことだ。
ついさっきのことでもおぼえていられないのに、こんなに昔のことでもおぼえていることもあるのだ、人の頭脳はふしぎだな。

あの時言えなかった「ごめんなさい」を言ってください

2005-02-15 | 自分史
「幸せになるための100の質問状」
「あの時言えなかった「ごめんなさい」を言ってください 」という出題。

今年はおやじが亡くなって7回忌だ。
晩年は毎年のように入院を繰り返していた。
病気のせいか、ワガママになったおやじをお袋は自分の疲労を押して手厚く介護していた。
それを脇で見ているたそがれオヤジは、ヤキモチではないがお袋を苦しめるにっくきオヤジ、、という目で見ていなかったわけではない。
臨終こそ自宅近くの病院だったが、それまでは家から遠く離れた病院だった。
完全看護の病院だが、そこにお袋は毎日のように通っては泊り込んだ。
おやじに付きっ切りになったお袋の隙間を埋めるように、当時は大阪に別居中だった奥方が月の半分以上を名古屋で過ごすようになり、お袋の疲れたときにはおやじに付き添って病院に泊り込むこともあった。
たそがれオヤジも隙間の隙間を埋めるため2度ほど泊り込んだことがあるのだが、夜になると気持ちが虚ろになるのか、息子のたそがれの顔もわからなくなってしまい夢幻の中に迷い込んでしまうおやじを見た。
そんなおやじが哀しくて、ついつい何度もしっかりしろと声を荒げてしまったたそがれだった。

病いのせいで、知らず知らずそんなふうになってしまうおやじだから、もっとやさしくするべきだったのに、逆に荒々しくあつかってしまった苦汁の過去の記憶。

おやじよ、不幸な息子で「ゴメン・・・」。

10年前の自分になんと声をかけますか

2005-02-09 | 自分史
「幸せになるための100の質問状」
「10年前の自分になんと声をかけますか?」という質問。

10年前といえば48歳、まだ50代に足を突っ込む前の頃だ。
大阪から名古屋へ転勤になり大阪に奥方と息子ふたりを残して実家に単身赴任していた。
単身赴任した直後こそ月に二度くらい大阪に帰ったりしていたがそれも間遠になっていった。
実家への単身赴任だから生活にはなにも困らないのが足が遠のく一因にもなっただろう。
だが、家族はやはり一緒に住んで生活してこそ家族といえる。
息子たちの少年期の変貌をたそがれオヤジはほとんど知らずに過ごしてしまった。
「おい、たまには大阪に帰って息子たちの顔を見て来いよ」と言ってやりたい。

それから、ちょうど10年前の夏勤続25年の休暇をもらい両親とたそがれ夫婦4人で北陸を旅行した。
和倉温泉・山中温泉二泊のささやかな旅だったが、このあと父親は急速にからだを悪くして入退院を繰り返すようになった。
「おい、親孝行はできるうちにしておけよ」と言ってやりたい。


やりたかったのに、やらなかったこと・・外国語

2005-02-07 | 自分史
「幸せになるための100の質問状」
「やりたかったのに、やらなかったことはなんですか?」という質問。
この質問は10月31日の出題、、3ヶ月ばかり遅れている(苦笑)。
以後、遅れていくばかりだろうが必ず達成しよう(意地)。

欲望が強くない・・というのはこのblogで何度も書いたような気がする。
「やりたい」と思うことはいくらでもあるのだろうが、この場合は「強くやりたい」と思ったことの意味だろうが、思い浮かぶことはほとんどない、ただ流れのままに流されてきたような気がする。
それでは、あまりに味気ないからとりあえずここでは「外国語」を書いておく。

外国語といっても、一応英語だ。
それも英会話ではなく、英語の本を読めるようになりたい、と何度も思った。
英会話は、たぶん慣れと反射神経の問題である、使う機会がないのに習っても仕方がないと思った。
英語読本は、習えば進歩するものだと思うから、志を立てることは何度もあったが、その都度挫折している。
とはいっても、まだ時間は残されている。
なにかの本にリタイアしても頭脳の体操のために、投資(世界経済を見つめる)と外国語をやったほうがいいと書いてあった。
リタイア後はたっぷり時間もあるだろうから最後の挑戦をしてみるつもりだ。



人生のターニングポイント

2005-01-31 | 自分史
「幸せになるための100の質問状」
「今までの人生で、ターニングポイントはいつでしたか ?」という質問。

子供の頃、5歳くらいだと思うが、肺門リンパ腺という病気にかかった。
いわゆる小児結核だったらしい。
戦前は、結核は不治の病だった。
たそがれがかかったころには、ペニシリンが使われるようになり、母親がたそがれオヤジを背負って毎週ペニシリンを打つため通院してくれ、そのおかげでなんとか治癒した。
この病気のおかげで、「息子は虚弱で、小学生までの寿命」と思いこんだらしく、ずいぶん甘やかされて育てられたらしい。
この病気にかからなかったら・・・・というifはある。

次の転機は大学受験かな。
大学は、地元の国立大学と東京・京都の私立大学を受験した。
幸いにして、3カ所の大学、いずれにも合格できてどこへ入学するかはたそがれ自身の選択次第だった。
この時、東京か京都を選んでいれば、少なくとも4年間親元を離れての自立期間があったことになる。「花のお江戸」か「花の都」で4年間暮らせばもう少しあか抜けたたそがれオヤジができあがったのではないかな・・・というifがある。


そして、もうひとつはいま現在だ。
昨年から「定年目前」ということで、いままでになく活動的になっているたそがれオヤジである。
歩くことにも、読むことにも、旅することにも、そして新しいことに首を突っ込むことにも、かなりどん欲になっている。
この現在の「たそがれオヤジ」を続けていくことができれば、人生のターニングポイントと言えるのではないか。

ターニングポイントにいるという自覚を持って、生きていきたいね。

最も感動したこと・・

2005-01-19 | 自分史
「幸せになるための100の質問状」
「今までで一番感動したことは?」という質問。

感情のボルテージはあまり高い方じゃないから、「感動」している状態そのものが実感がない。
例えば、24時間テレビの100キロマラソンのゴールとか、アテネオリンピックの野口やシドニーオリンピックの高橋の優勝とか、思わず涙を溢れさすことはある。
箱根駅伝の勝者より、トラブルを起こしてしまった走者がもがきながら走る姿にも眼がうるむ。
だが、これらが「一番感動したこと」か、というとどうも実感がない。
他人の栄光や奮闘に感動するのは、なにやら寂しすぎる。
個人的に、それに匹敵する大きな出来事、例えば大学入試に合格とか、子供の誕生とか、プロポーズとか、結婚式とか、いろいろな出来事があるが、感動した、、、という記憶はまるでない。

自分自身の出来事はその立場にいると緊張が大きすぎて、感動などしている余裕がないのかもしれない(苦笑)。


今までで一番悔しかったこと

2004-12-31 | 自分史
「幸せになるための100の質問状」
「今までで一番悔しかったことは?」という質問。

あまり欲望がなく、忘れっぽいため「悔しい」という記憶があまりない。
無理矢理に「悔しい」記憶をたどってみる・・・。

たそがれオヤジは、ひとりっ子。
小さい頃はからだも弱くて、友達もあまりいなかった。
だからというわけでもないだろうが、取っ組み合いの喧嘩の経験がない。
言ってみれば、暴力にからきし意気地がない、暴力による苦痛に耐性がないのだ。

で、これまでに「いわれのない暴力」を受けた記憶が4度ある。
一番古い記憶は小学生の頃、そして一番新しくて中学生の一年生。
それから後は、幸か不幸か経験していない。
暴力の場所を避けてきたのだろう、逃げて来たのだろう。

「負け犬」の記憶、これが一番悔しいことかな・・・?

12月10日は「三億円事件の日」

2004-12-10 | 自分史
こよみのHPが教えてくれたこと。
12月10日は「3億円強奪事件発生の日」。
昭和43年と言うから、たそがれオヤジもまだ学生のころ。
たそがれは44年に初任給3万円で就職している。
その頃の3億円なのだからいまの貨幣価値ならもう一桁位があがるくらいの莫大な金額。
事件発生後に生まれた若い方でも、この事件のことはテレビなどで見たことがあるのでは?
1968年(昭和43)年、東京・府中市の東芝工場の従業員に支給されるボーナスを積んだ乗用車が、白バイ警官に扮した犯人に強奪される「三億円事件」が起きた。多くの物証がありながら捜査は迷宮入りし、1975年(昭和50)年に時効を迎えた。この事件以降、多くの会社が給料の支給を手渡しから口座振込に切替えるようになった。
こんな莫大な金額を手に入れた犯人は、その後どのような人生を送ったのだろうか?
想像のかなたである・・・・。

13年

2004-12-09 | 自分史
使っているプロバイダーのニフティから入会13年の連絡が来た、お祝い?ということなのだろうか。
テレビでパソコン通信の存在を知った。
それをしたいからパソコンを買ったようなものだったからパソコンを使って13年ということになる。
最初が初代ダイナブック、その後もう一度ダイナブック、そしてマックを一台使ったあとにもう一度ダイナブックを使った後、現在のバイオが5代目になる。
13年もパソコンを使っているのにその使い方はせいぜい初心者の上程度だ。
なにごとにも深入りしようとしない性格?から、色々なフリーソフトを含めたアプリケーションプログラムを使うがせいぜい上っ面を使う程度で使いこなすまでには至らない。
仕事で使っているWordやExcelも使える、、という程度でわからないことだらけだ、一向に進歩がしない。記憶力が衰えている分、退歩していると言った方がいい。
それでも、無趣味のたそがれオヤジからパソコンを取ったらこの13年はさぞ無味乾燥だっただろう。
これから何年パソコンとつき合いができるかわからないが、より一層稔りあるものであることを願っている。


プロフィール代わりに50の質問

2004-11-20 | 自分史
http://www.geocities.jp/aoi910_uduki/プロフィール代わりに50の質問


1、まず、HNを教えてください。

たそがれオヤジ です。

2、HNの由来はなんですか?

「人生たそがれ」時かな?・・・と自嘲的につけてみました。

3、性別、血液型は?

A型の男性 です。

4、差し支えなければ、年齢・職業(学年)を教えてください。

58歳の会社員 です。

5、誕生日はいつですか?また、何座ですか?

9月 おとめ座 だそうです。

6、出身地、現在地は何処ですか?

出生・現住所とも、尾張の国・名古屋 です。

7、座右の銘(好きな言葉)はなんですか?

自分にはない属性であこがれているという意味で・・「ひたむき」なんていいですね。

8、自分で自分の性格をどう思いますか?

好きじゃない です。

9、他の人には何て言われますか?

真面目そう・・・・でも、違うのは本人が一番知っている(苦笑)。

10、好きな異性のタイプなんかを教えてください。

むかしは、サユリスト でしたね。
なくなってから、夏目雅子なんか無性に懐かしく思えてくるこの頃です。

ここからは好きなもの編です。

11、好きな食べ物は?

むかしは、肉系統が好きだったが、最近はそれほどでもない。
最近は、「これが食べたい」というものがなくなったなぁ。。

12、好きな飲み物は?

ビール ですね。

13、好きなアーティストは誰?

アーティストという言い方に含まれるのかどうか?
都はるみ なんか、好きですね。

14、好きな人っている?

15、好きな本(マンガ、雑誌等)は?

司馬遼太郎・隆慶一郎の作品、もうふたりとも新作は読むことができないのが残念。

16、好きな教科は?
社会人の人は学生時代に好きだった教科は?

歴史には、強かったですね。これで点数を稼いだ(笑)。

17、好きなテレビ番組は?

最近は、ほとんどテレビを見なくなりました。
PCの世界で生きてます(笑)。

18、好きなスポーツってありますか?
見るのでもするのでも。

駅伝・マラソンはよく見ます。
これからシーズンですね。

19、好きな動物は?

動物は飼ったことがないからわからないですね。
犬を飼うなら、大きくならない種類がいいと思います。

20、その他に好きなものありますか?

花を見るのが、好きになりたい・・・そう思うこの頃です。


ここからは嫌いなもの編です。

21、嫌いな食べ物は?

食わず嫌いで、、納豆・漬け物
最近、青魚の匂いがなんとも嫌に思うときがある。

22、嫌いな飲み物は?

特にないけど・・・

23、嫌いなアーティストとかいますか?

う~~ん、わからない

24、じゃあ、嫌いな人は?
または、嫌いな人のタイプでも。

細木数子、デビ夫人など

25、嫌いな本は?

英語・カタカナが多そうな本

26、嫌いな教科は?
社会人の人は学生時代に嫌いだった教科は?

数学はダメでしたね
英語も好きじゃなかったけど、なんとか点数は死守しましたね(笑)。

27、嫌いなテレビ番組とかあります?

最近は、見てないからわからない。

28、嫌いなスポーツとかは?

スポーツの面白みがあまりわからないヤツですね。

29、嫌いな動物は?



30、その他に嫌いなものはありますか?

自分が嫌い


ここからはパソコン、インターネット編です。

31、ネット歴は何年ですか?

十数年、パソコンを買ったのはパソコン通信がしたかったから。

32、パソ、ネットを始めたキッカケは何?

テレビのドラマで、パソコン通信を知ったから。
ちょうどその頃に、安い初代ダイナブックが発売されたから。

33、主な用途はなんですか?

今は、インターネット

34、ネットで知り合った友達とかいますか?

います

35、その人に実際に会ったことはありますか?

まだ、ありません

36、会ったことのある人は感想なんかを。
ない人は会ってみたいですか?

機会があれば、逢ってみたいですね。

37、チャット派?メール派?

両方

38、ネットで買い物とかしたことありますか?

1、2度

39、オンラインゲームに興味ありますか?

まったくありません

40、ネットとか、パソコンに対しても不満とかありますか?

不満を持つほど、やってないかも。


ラスト10問です。頑張ってくださいね。

41、携帯電話持ってますか?
メール派? 電話派?

持ってません

42、新聞をよく読みますか?

たしなむ程度には、読んでます

43、ニュース番組、ニュースサイトは良く見ますか?

テレビはニュース番組しか見てないかも。
ニュースサイトは、常時立ち上げてます。

44、家族構成を教えてください。

母親・妻・長男・・・・現在4人です。

45、兄、弟、姉、妹で欲しいのは誰?

妹が、欲しかったです。
内藤洋子、、って、知らないでしょうね(笑)。

46、幽霊とか、おばけとか信じますか?

信じてないけど、こどもの頃はほんとうに怖かったですね。

47、利き腕はどっちですか?

右利き、です。

48、あなたの長所を教えてください。

う~~~ん、自分が好きじゃないから、いいところが見つけられないですね。

49、では、短所は?

だから、全部嫌い

50、50問お疲れ様でした。最後に一言お願いします。

疲れはしないけど、とても読んでもらえそうにないlogだね(苦笑)。


入院

2004-11-09 | 自分史
11月6日(土曜日)
友人の2歳になる息子が喘息の発作で入院したので、見舞いに行った。
友人は中学校の同窓だから、たそがれオヤジと同年。
二度目の結婚で娘のような奥さんだ。
結婚する前から、子供ができたら「孫」あつかいしようと決めていた。
だから、4歳の娘と2歳の息子には「ジイジ」、「バアバ」と呼ばせている、たそがれは実質は2人の「孫」持ちである(笑)。
この2歳の孫の入院は2度目だ。
生まれた直後にウンチが出ない病気で直腸を手術した。普段は元気な可愛い孫だが体質的に少し弱いところがあるみたいで気にかかる。

で、ついでに自分史的に我が家の入院の歴史を(笑)。
たそがれオヤジ自身は幸い入院の経験はない。
子供の頃、虚弱だったがそれでも入院するまでにはならず、その後は盲腸もやってない。その意味では幸せ者である。
父親は晩年は大腸のポリープやら、喘息やらで毎年のように入院を繰り返していたが、これは老齢で仕方がないことかもしれない。
母親は、たそがれとおなじで入院経験がない、その血をひいたのだろうな、たそがれは。
一度だけ、父親の入院の看護疲れか、病院で倒れ救急患者として一夜を明かしたことがあるがこれは入院とは言えないだろう。
奥方は、一度だけ大腸腫瘍の手術のため1週間ほど入院の経験がある、たそがれが単身赴任中のことだった。
上の息子は、骨折で1度、下の息子はマイコプラズマ肺炎?で1度、それぞれ入院している。
父親を除けば、まあまあ健康家族に分類してもいいのだろう、ヨカッタヨカッタ。


誰に似てる?

2004-11-08 | 自分史
紗雪さんのblog「紗雪のいろはうた」のネタに便乗(笑)。

たそがれオヤジはけっこういろんな人に似ていると言われた。
記憶に残っている一番最初は「舟木一夫」。今のふっくらした感じの彼じゃなく、デビュー当時のやせていた頃の彼。
当時はまじめな高校生って感じであったから、学生服でデビューした舟木一夫にいっそう似ていた。
そう言えば、以前カラオケでよく歌った舟木の持ち歌「修学旅行」に出てきた男の子、これがたそがれに激似ていた(笑)。

次ぎに記憶があるのは、「篠田三郎」。当時ウルトラマンをやっていたんじゃなかったかな?
親戚の女の子から「お兄ちゃんに似てるぅ」って言われたものだ(当時はまだ「お兄ちゃん」だったのだ! 笑)

さてその次は歌舞伎の片岡秀夫(今の「片岡仁左衛門」)。
これはスナックに呑みに行っていてそこの女の子?(というより、元歌舞伎の女形だったらしい)から「似てる、似てる」って言われてヤニさがっていた(笑)。
たしかに目元がくぼんでいて、目尻のわらいシワあたりが似てないこともないかな・・と自認(笑)。

この頃を境に、「誰々に似ている」とは言われなくなった。老境に足を踏み入れたらしい(苦笑)。


一番がんばったエピソードは

2004-10-20 | 自分史
「幸せになるための100の質問状」
次は「一番がんばったエピソードは?」という質問。

もともとあまり頑張らない人だから、がんばった記憶はあまりないですね。
無理矢理にがんばったことを思い出してみると、まずひとつあった(笑)。

大学の卒業論文。
追いつめられないとやらないのは、昔からの性格でとうとう締切日前日徹夜で書き上げて提出したこと(苦笑)。勉強で徹夜するなど、後にも先にもこれ一度という意味では記憶に値するかも(自嘲)。

もう一つは、大阪から本社へ転勤する10数年前のこと。
昼間は通常の業務をこなし、夜に後任者への引継書を作ったとき。
この時は、通勤の時間も惜しくて会社近くのビジネスホテルに泊まり込んだ。
こうして苦労して作った引継書だが、後任者にはほとんど参考にされなかった(苦笑)。

そして、今。
今年、会社で定年退職予定者を対象にしたセミナーに呼ばれて、定年まで2年少々であるという事実を強く認識させられた。
定年後の自分に対する不安をうち消すかのように、目立って活動的になった(笑)。
それまでは、土曜・日曜の休みにはほとんどすることがなくブラブラしていたのだが、色々なことに首を突っ込むようになった。
今では、土日は平日よりも忙しくしていて休む暇がなくなっている(苦笑)。
今が、一番がんばっているのかもしれない(笑)。

たそがれオヤジの職歴

2004-10-20 | 自分史
「幸せになるための100の質問状」
次は「職歴は?」という質問。

まあ、オーソドックスな質問だが、あまり他の人が読んでも面白みがないだろうな(苦笑)。

昭和44年 4月 機械メーカー入社
         3ヶ月実習後経理課配属(ソロバンもできないのに毎日毎日伝票を計算、
         絶対に一度で合わなかった、それなのに今もソロバンを使っている・・笑)

昭和46年 2月 本社(所在地:名古屋)経理課配置替
         (会計関係の仕事から、財務関係の仕事へ)
         この頃、奥方と出逢う。

昭和49年12月 関係会社出向(所在地:桑名市)少人数の会社で、庶務・経理全般を
         やらされる。
         正式に婚約する直前に出向の辞令が出て、おかげで「冷やかされる」のを
         まぬがれた。 ホッ!。

昭和54年 2月 出向を解かれ、大阪営業所(所在地:大阪市北区)へ転勤
         ここも少人数で、庶務・経理全般業務
         子供ふたりは大阪育ち、奥方までも大阪の水に馴染んでしまった。
         今や、オヤジだけ孤立(苦笑)

平成 4年 2月 やっと本社(所在地:名古屋)へ転勤
        (両親が名古屋在住のため、親元へ、という温情人事があった)
         総務関係の業務に従事
         この間、単身赴任(逆単身というやつ)。
         単身だが、親元ゆえ気楽な生活(笑)。
         父親の死ぬ前から、奥方が介護の手伝いのため名古屋に帰り同居をはじめる。

平成10年 7月 工場へ転勤
         3年間に、3カ所の職場を替わる。
         この間、片道2時間の通勤にグッタリ・・・。

平成13年 7月 関係会社出向(所在地:名古屋)
         健康保険関係業務に従事
         現在に至る。

懐旧録風:煙突掃除、薪割り

2004-10-19 | 自分史
たそがれオヤジの記憶では、子供の頃は台所は瓦斯だった。
ただ、風呂は薪を焚いていたので煙突があった。
煙突掃除は身軽な子供の役目、時々タワシのようなのが先について長い竹を使って煙突の中を掃除するのだ、今じゃとてもあんな高いところに登れないなぁ。

薪を焚くので、当然薪を作る仕事もあった。ほとんどは購入していたようだが、たまには父親がどこからか仕入れた木ぎれを割り、その手伝いをさせられていた。

風呂といえば五右衛門風呂だ。
たそがれオヤジの家にはなかったが、母親の実家が小学生頃まで五右衛門風呂だった。
浮いた丸い板きれにうまくバランスを取りながら、風呂にからだを沈めていくのが楽しかったのをおぼえている。