たそがれロ~ド、たそがれ浪漫

定年後のセカンドライフに突入したたそがれオヤジ。その新たな再出発のドタバタ、そして夢と希望を書いてます。

3月31日、エッフェル塔竣工の日

2005-03-31 | こよみ
今日のこよみのHPが教えてくれたこと。
エッフェル塔の日
1889年(明治22年)にパリのエッフェル塔の落成式が行なわれた。パリ万博に合わせて建設され、フランス人技師エッフェルが設計した。
100年以上前に建てられ、そして残っているんだね、すごい。
折りしも愛・地球博が開催中だが、100年後まで残っている建造物はあるのだろうか?

3月30日は、「マフィアの日」

2005-03-30 | こよみ
こよみのHPが教えてくれたこと。
マフィアの日
1282年(弘安5年)にマフィアの名前の由来となった「シチリアの晩鐘事件」があった日。フランスの支配下だったシチリア島で、フランス兵が土地の娘に手を出そうとしたことに反発したシチリア島民が、この日の晩の復活祭月曜日の晩鐘を合図に、フランスのアンジュー王家の兵隊を虐殺したが、その時の合言葉「フランス人に死を、これがイタリアの叫び」の各単語の頭文字を並べると「マフィア」となる。
犯罪組織として名高いマフィアもその誕生は民族運動だったんだね。

3月29日、八百屋お七火刑

2005-03-29 | こよみ
こよみのHPにはこんなことも載っているのだ。
八百屋お七の日
1683年のこの日、八百屋太郎兵衛の娘、お七が火あぶりに処せられた。お七は火事で避難した寺で小姓に一目惚れし、再び火事になれば再会できると思い、放火。大火を引き起こした。
たそがれオヤジが思い出すのは坂本冬美の「夜桜お七」(笑)。
参考:八百屋お七の真相らしきもの

休日雑記3月26、27日

2005-03-28 | 日々のこと等
3月26日(土曜日)
友人に誘われて日本昭和村に行く。
8人乗りのワゴン車なので、脚が弱ってきてあまり外出したがらないお袋も一緒に乗せていってもらう。
天気予報がはずれあいにく朝から雨。
日本昭和村はたそがれオヤジ夫婦は2度目、お袋ははじめて。
友人一家は年間パスポートを持つほどの常連。
日本昭和村は、昭和初期の里山をイメージしているが、まだ木々が植えたばかりで歳を重ねておらずまだその雰囲気が出てない。もう少し経つといい感じになっていくだろう。
パンづくりに紙芝居、野菜などの買い物、それに銭湯などで4時過ぎまで時間をつぶして帰宅。
車に乗らないたそがれオヤジができない親孝行を友人にやってもらった。持つべきは友人である。
午前中から夜まで、かなり飲んだ。ほろ酔い機嫌のいい一日だった。


3月27日(日曜日)
10時前からようやく始動、図書館に行く、歩数5千歩。
昼食後一眠りし、さらに元気を奮い起こしてウォーキングに出かける、約1時間半。重い「ローマ人の物語」(約500ページ)を読みながらの散歩で合計1万9千歩。
わずかに2万歩に足らず、、であった。
もうすっかり春の日差しなのに、真冬と変わらぬジャンパー姿で心地いいとは言えない散歩だった(苦笑)。
桜のつぼみも堅いながらもふくらんできたようだ、咲くのはいつ頃だろうか?

3月28日はシルクロードの日

2005-03-28 | こよみ
今日のこよみのHPが教えてくれたこと。
シルクロードの日
1900年(明治33年)にスウェーデンの探検家・地理学者のスウェン・ヘディンによって、廃虚になっていたシルクロードの古代都市・楼蘭が発見された。
日本人にはなぜかシルクロードは郷愁をさそう。
偶然だが昨日図書館でNHKの「新・シルクロード」を借りた。楼蘭などが豊富な写真とともに納められている。
2週間めいっぱいシルクロードの幻想にひたろうか。

「積読」状況

2005-03-27 | 「積読」の山のゆくえ
2/27~3/26

図書館から借りる本の消化で手一杯。
この「積読」状況を書くのも1ヶ月ぶり。
この間ブックオフでの購入がない。行く時間的余裕がないわけじゃないが図書館になんでもあると思うとわざわざブックオフへ足を運ぶという気にならなくなってきた。

久しぶりの「積読」消化は1冊。
臣永正廣・文 外山ひとみ・写真「ヴェトナム・ディープウォッチ」
経済開放のヴェトナムの紀行もの。ほぼ3分の1は写真で読みやすい。
ただし1995年出版のものだから、現在のヴェトナムを描いていると思わないほうがいいのかも。
以前読んだ近藤紘一「サイゴンから来た妻と娘」を思い浮かべながら読んだ。

今週の「積読」消化は1冊でマイナス1冊。

結果:「積読」 プラス1冊(11/28を起点として
   「廃棄」 マイナス54冊

アクセス状況

2005-03-27 | アクセス状況
今週は3月20日(日曜日)925位にランクイン。
925 たそがれロ~ド、たそがれ浪漫 mag21 125 ip
毎週少しずつでも増えているのがうれしい。

過去1週間の閲覧数とランキング

日付 閲覧数 アクセスIP数 ランキング

3/26(土) 83 pv 71 ip -位(165164 BLOG中)
3/25(金) 104 pv 91 ip -位(164329 BLOG中)
3/24(木) 113 pv 81 ip -位(163456 BLOG中)
3/23(水) 97 pv 70 ip -位(162475 BLOG中)
3/22(火) 127 pv 91 ip -位(161462 BLOG中)
3/21(月) 130 pv 104 ip -位(160559 BLOG中)
3/20(日) 237 pv 125 ip -位(159775 BLOG中)

過去4週間の閲覧数とランキング

週 閲覧数 アクセスIP数 ランキング

03/20~03/26 891 pv 633 ip -位(159775 BLOG中)
03/13~03/19 856 pv 577 ip -位(154423 BLOG中)
03/06~03/12 776 pv 579 ip -位(148297 BLOG中)
02/27~03/05 669 pv 508 ip -位(142296 BLOG中)

図書館逍遙3/20~3/26

2005-03-27 | 図書館逍遙
今週の図書館本は2冊。

田中芳樹 「隋唐演義①」
田中芳樹の中国ものだ。
三国志、水滸伝に比べると知られてないが、たそがれオヤジにとっては待望のものだ。
隋から唐初にかけての戦乱の頃を描いた波瀾万丈の物語、といったところだろう。
まずは第一巻、そろりそろりと発進というところか。

塩野七生 「ローマ人の物語Ⅵ・パクスロマーナ」
「ローマ人の物語」シリーズを借りるのはこれで6冊目だが、はじめて期限内の2週間で読み終えることができた。
分厚く重い本を通勤や青春18切符の旅にまで持って行った努力のたまものだ(笑)。
さて、第6巻はカエサル(シーザー)の後継者(養子)で、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの一代を描いている。
しかし、カエサルの人を見る目はおそろしいほどだ。
カエサルが暗殺されたとき、アウグストゥス(当時は本名のオクタヴィアヌス)は18歳に過ぎなかった。
それから76歳で死ぬまでの一生をかけてローマ帝国の基礎を築いた人。
塩野七生によれば、高度成長・拡大路線を突っ走ってきたローマ帝国を安定成長路線に切り替え「ローマの平和=パクス・ロマーナ」の繁栄をもたらした大政治家だ。
大帝国を築いたローマ人なればこそ、この大政治家を持ち得たのだろうか。
この大政治家がいたからこそ、大帝国を築くことができたのか。
どちらなのだろう?
かえりみて我が日本の政治の現状。
政治家の小粒さが目立ちすぎる。国の将来を見据えて国を変えていこうという政治家が見られない。現実との妥協や保身に汲々とする姿ばかりが目立つ。
現在の日本が、この政治家たちを生み出したのか?
この政治家たちがいるから、現在の日本の混乱があるのだろうか?
どちらなのだろうか?
ついでながら、英語の7月Julyはユリウス(カエサル=シーザー)8月Augustはアウグストゥスが語源となっている。



820年前の今日(3月24日)、壇ノ浦にて平家滅亡

2005-03-24 | こよみ
こよみのHPがおしえてくれたこと。
壇ノ浦の戦いの日
1185年(元暦2年)に長州沖の壇ノ浦で、源義経が率いる源氏軍が平家軍を破り、平家が滅亡した日。
平家物語のクライマックス。
義経の八艘飛び。
安徳天皇を抱いて入水する平の時子。
ふたりの武者を抱きかかえて入水する平教盛の壮烈な最期。
そして入水したが助けられてしまう建礼門院。
諸行無常を描いた絵巻の一場面である。

きみまち恋文大賞

2005-03-22 | 日々のこと等
きみまち恋文大賞は秋田県二ツ井町が町おこしの一環で恋文(恋文というのが懐かしい響きでいいね)を募集したものだ。
たそがれオヤジがこの恋文を新聞で見つけたのは神戸大震災の年、地震が起きる多分その前だったと記憶する。
作者の柳原タケさんはこの時七十数歳。そのお歳にしてこんなにもみずみずしい恋文が書けるのかと、感激しその後発刊された本を買ったりした。
二ツ井町のHPによるときみまち恋文コンテストもその後十回を数えている。
「天国のあなたへ」 (第一回きみまち恋文大賞)柳原タケ
 娘を背に日の丸の小旗をふって、あなたを見送ってから、もう半世紀がすぎてしまいました。たくましいあなたの腕に抱かれたのは、ほんのつかの間でした。
 三二歳で英霊となって天国に行ってしまったあなたは、今どうしていますか。
 私も宇宙船に乗ってあなたのおそばに行きたい。あなたは三二歳の青年、私は傘寿を迎える年です。おそばに行った時、おまえはどこの人だなんて言わないでね。よく来たと言って、あの頃のように寄り添って座らせて下さいね。お逢いしたら娘夫婦のこと、孫のこと、また、すぎし日のあれこれを話し、思いっきり、甘えてみたい。あなたは優しく、そうかそうかとうなづきながら、慰め、よくがんばったねと、ほめて下さいね。
  そして、そちらの「きみまち阪」につれて行ってもらいたい。春のあでやかな桜花、夏、なまめかしい新緑、秋、ようえんなもみじ、冬、清らかな雪模様など、四季のうつろいの中を二人手をつないで歩いてみたい。
 私はお別れしてからずっと、あなたを思いつづけ、愛情を支えにして生きて参りました。もう一度あなたのうでに抱かれ、ねむりたいものです。力いっぱい抱きしめて絶対はなさないで下さいね。

※主人は昭和一四年五月に中国山西省で戦死しました。当時の軍事郵便は検閲されました。今回そのころ自由に書けなかった思いの万分の一を書きました。すっきりして若返ったような気持ちです。
     きみまち恋文コンテストのHPから引用

きみまちというのは二ツ井町にあるきみまち阪から取られている。
明治天皇が巡幸の途中にこの阪を通られ、その風景の素晴らしさから「きみまち阪」と名付けられたという。
またこの阪において昭憲皇后が明治天皇の夏の長旅を気遣って送られた書簡が天皇をお待ちしていたというエピソードもある。

休日雑記3月19、20日

2005-03-21 | 日々のこと等
3月19日(土曜日)
青春18切符を使って旅に出る。
最後まで気持ちが決まらなかった奥方も朝に一緒に行くと言ってくれた。
たそがれオヤジの予定では司馬さんが大好きだった近江の琵琶湖を北陸線、湖西線でまわった後に京都へ入り、京都市内を散策した後花灯路を見て帰ってくるつもりだったが、司馬さんへの思い入れがない奥方には琵琶湖路はつまらないだろうと、京都だけにした。
たそがれ単独の旅立ちよりはゆっくりめに家を出て喫茶店のモーニングで朝食。
金山駅を8時33分に乗る、米原を経由して京都まで約2時間少々。
立つこともなくゆっくりと移動することができた、持参した塩野七生のローマ人の物語も少しは読むことができた。
11時前に京都着。すでに空腹をおぼえていたたそがれオヤジはさっそく昼食を考えるのだが、その前に行っておかなければならないところがあった。
念願の亀廣永のしたたりだ。
用意した地図を片手にスイスイと目的地まで(大丸百貨店を目印にして意外と簡単だった)。
家用、奥方の実家用、それに友人一家用と3本を購入。羊羹だけあってズシリと重い(これを背負って歩いたのが脚に負担がかかったか?)。
これで最大の目的がひとつクリア、あとは昼食をどこでとるかが問題。
たそがれの眼は、酒が飲めるところについつい向いてしまい奥方の不評を買うので注意が必要。
この日は運良くいいところに行き当たった。
京料理 にしむらがそれだ。
2500円で京料理のお弁当が食べられると見て、なんとなく入りにくさを感じながらも入ってみる。
薄口の上品な味で、奥方にも気に入ったようだ。その好評で飲んだビールもうまい(笑)。
さほどの量とも思えなかったがけっこう腹もふくれいよいよ京都市内の散策へ取りかかる。
今日のテーマは椿
先週買った雑誌「サライ」に椿の名所とあった哲学の道あたりの霊鑑寺、法然院が目的地。
地下鉄の東西線・蹴上から歩き始める。
南禅寺のレンガ造りの水路閣(テレビでよく見かける、→ここで動画も見られる)を見てから哲学の道に入る。
霊鑑寺は小さなお寺、知らなければほとんど見過ごしてしまうだろう(そう見えたけど、HPでみるとそうでもなさそう、公開しているときに行くと違うのかも)。椿もあったがまだ時期が早いのか、記事ほどのものでもない。
だが、めげずに歩き続ける。
3連休の初日というのに、意外に哲学の道には人は少ない。
いつもは銀閣寺から入る道を逆行しているのも感じが変わっておもしろい。
たそがれの家は浄土宗。
法然院は法然上人ゆかりのお寺になる。
意外といっては失礼だが、閑静ないいお寺だった。椿はそこここに見受けられたがまだ早いようだった。
哲学の道沿いにはいろんな店が出ている。
わらび餅で小休止、ほうじ茶のソフトクリーム、山栗の黒糖漬け(マロングラッセのような味わいがある)、どれも奥方に好評(こんなに奥方の好評に行き当たるのはめずらしい・・笑)。
銀閣寺道からはずれて百万遍を通って出町柳まで歩く。ここで4時頃。
四条か五条か、少し迷ったが四条の方が夕食を摂りやすいだろうと四条まで京阪に乗車。
四条の河原町側で店を探すがなかなかこれはという店に行き当たらない、奥方が焦れてくるのがわかる(ほとんど4時間歩き通しだから・・・)。
30分ほど歩き回って、高瀬川沿いの蕎麦の店で夕食。最後の店は奥方には気に入らなかった様子。
一日中満点というのは、やはり無理だった(笑)。
気を取り直して最後の花灯路に向かう。まだ6時前だからゆっくりと時間をとるつもりで祇園の中を通り抜ける。
いままでその気になって探すこともなかったが、けっこう雰囲気のいい店でそれなりの値段で食事できそうなのを発見する。次回に楽しみができた。
清水方面を目指して上っていくと、八坂の塔に出た。近くで見るのは初めてだ。
絶好のカメラアングルになるらしくカメラの砲列が出来ていた。ここらあたりでようやく薄暗くなる。人も多くなってきた。
適当に歩いていくと、湯豆腐の奥丹に出る。だいたいの地理的見当がついた。
ここで引き返すことに決めて、二寧坂を下りていく。
もう、灯籠など見えない人の流れをかき分けるようにして下りていく。
去年はまだ静かだった石塀小路も今年はカメラの砲列ができるほど。
それでも、奥方は携帯電話のカメラを使って何カ所かで撮影。
ここらあたりで既に歩数は2万歩を楽に超えている。
昨年は八坂神社までで終わったが、さらに青蓮院まで脚を伸ばすことにした。
人の波はさすがに清水側に比べて少なくなる。
闇の中に灯籠だけが浮かぶ感じで、華やかさは格段に落ちる。
だが、雰囲気を味わいながらゆっくりと歩くにはこちらの方がいいのかもしれない。
しかし、たそがれ夫婦は、やはり疲れていたようだ。雰囲気を味わう余裕もなく通り過ぎるのみ。
東西線・東山から烏丸線・烏丸御池を経由して京都駅。
8時前の列車に乗って名古屋着10時20分過ぎ。
さすがに疲れて風呂もそこそこにバタンキュー。
歩行は27千歩。

しかし、大変な京都土産があった・・・・。
 花粉症!!
夜中、いつものようにネットにつなごうとして起き出したのだが完全に鼻が詰まって口でしか息ができない。
鼻からは意志とはかかわりなく鼻水がしたたり落ちる状態。
今までとは違った症状に半分パニック状態。
それでも2時間くらいでようやく鼻も通ってくれて呼吸だけは楽になった。
ホッとしたたそがれであった。

3月20日(日曜日)
花粉症の峠は越えたようだが、出かける元気が出ない。
それに27千歩の後遺症か、脚の付け根が痛む。
JR高島屋で「白洲正子の世界展」、それに愛知万博を記念して開催される環境大学の記念講演会(講師はC・W・ニコル)に行く予定をしていたがあえなくリタイア。
午後に図書館にでも行ってみようとも思ったが、それもできず、結局家を一歩も出ずに一日を過ごす。
そのおかげでblogのログを幾つか投稿できたのが儲けものだったろうか。
歩行はゼロ歩。
それにつけても、わが奥方は立派である。
たそがれとおなじ距離を歩いていて、翌日はいつもと変らず動いている、見上げたものだ。







アクセス状況

2005-03-20 | アクセス状況
今週も週末を好調に過ごせて800pvを超えることができた。
アクセスip数は500台を維持。

過去1週間の閲覧数とランキング

日付 閲覧数 アクセスIP数 ランキング

3/19(土) 123 pv 80 ip -位(159060 BLOG中)
3/18(金) 135 pv 88 ip -位(158389 BLOG中)
3/17(木) 139 pv 101 ip -位(157693 BLOG中)
3/16(水) 91 pv 50 ip -位(156875 BLOG中)
3/15(火) 105 pv 64 ip -位(156096 BLOG中)
3/14(月) 147 pv 95 ip -位(155254 BLOG中)
3/13(日) 116 pv 99 ip -位(154423 BLOG中)

過去4週間の閲覧数とランキング

週 閲覧数 アクセスIP数 ランキング

03/13~03/19 856 pv 577 ip -位(154423 BLOG中)
03/06~03/12 776 pv 579 ip -位(148297 BLOG中)
02/27~03/05 669 pv 508 ip -位(142296 BLOG中)
02/20~02/26 753 pv 577 ip -位(135813 BLOG中)

図書館逍遙3/13~3/19

2005-03-20 | 図書館逍遙
今週の図書館本は2冊。

「山頭火 漂泊の跡を歩く」
自由律の俳人・種田山頭火の漂泊の一生を写真で追ったもの。
150ページに満たない本で、そのうち写真が占めるのは3分の2以上だから、文字を追うことなく山頭火の世界に浸ることができる。
山頭火の句にいくつか好きなのがあるが、この本のなかでこころに残ったものは
おちついて死ねそうな
草萌ゆる
山頭火が死に場所・「ころり往生」の場所と定めて移住した松山・一草庵で詠んだ句である。

田中優子「江戸百夢」
副題に「近世図像学の楽しみ」となっており100の絵図とその説明から成り立っている。
江戸百夢となっているが日本の絵図だけではなくアムステルダム、ポルトガル、蘇州、開封、琉球、ソウル、ジュンガルなども含み、江戸時代が単純に鎖国の状態にあったわけではないことにも触れている。
この本も160ページばかりで半分が絵図になっている。江戸の世界へイメージを飛翔させることができる。

彼岸のお中日

2005-03-20 | こよみ
春分の日・秋分の日は彼岸のお中日である。
では、なぜ彼岸のお中日になったのだろうか?
その答えはここあった。

春と秋の彼岸はそれぞれの中日を挟んで前後3日をお彼岸としています。
お彼岸の中日、つまり春分の日と秋分の日は太陽が真東から出て東西に沈みます。
太陽が真西に沈む方向のはるか向こうに阿弥陀様の西方極楽浄土があります。
お彼岸の中日と結びつけたのは中国浄土経の善導という高僧(浄土宗の開“法然”と、浄土真宗の開祖“親鸞”に影響を与えた高僧でもある。)。
その善導が著した「観無量寿経疏」に、『その日は、太陽が真東に出て真西に沈み、阿弥陀仏の国は日没のころ真西の十万億刹の彼方にある』と書いてあり、それが日本のお彼岸の原点といわれています。


春分の日

2005-03-20 | こよみ
こよみのHPの解説によると、

春分日・秋分日自体は天文学的な言葉であり、この天文学的に計算された春分日・秋分日をもとにして祝日としての春分の日・秋分の日閣議決定され官報によって正式に公布される、、ということである。
官報に載る時期は2月のはじめ、これによって翌年の春分の日が正式に決まる。
だから、もしお手元に来年のカレンダーで3月21日が秋分の日となっていてもそれはまだ正式に決定される前の仮のものかもしれない。