高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

ディオゲネスとアレクサンダー大王  善者と武力権力

2023-01-25 17:22:46 | 日記

ふたりの問答で、アレクサンダー大王が、ディオゲネスに、じぶんが怖くないのか、と訊ね、ディオゲネスは、大王が善いひとなら怖くないが、善いひとでないなら怖い、と答えたそうであるが、この問答は、教えるものが多い。この賢明なふたりだから、関係は均衡を保っている。ディオゲネスが愚者なら、アレクサンダー大王が善いひとだ(怖くない)と気づいた途端に、横着になるだろう。だから大王も武力権力を行使せざるを得なくなる。 ぼくは、賢明であって武力権力を持たないことの悲惨さを経験した者なのだ。この世の八割は愚かである。どうしても武力権力は、賢明な者にとってこそ必要である。どれほど賢明でも武力権力を持たない王はありえない。愚かな者には懲罰が必要だ。善者のこの世における宿命そのものから、このことは帰結する。ぼくは、第一の人生から、このことをよく知った。厳しさが必要なのは、人間の限界状況である。


どのような者も武力権力を欲する。いわんや善者をや。


ぼくの内では、「無礼者への怒り」という情念が たぶん最も強い情念の一つである。それを免れているのはぼくの実母のみではなかろうか。ぼくの母はぼくには じつに不思議な神秘なひとだった。


ぼくはじぶんの怒りに素直になろう。
愛におとらず怒りがぼくを導くだろう。