高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

1/21.22

2023-01-21 23:33:35 | 接続録
1「人間になる路」に生きているかどうかの一判別基準5PV
2西郷隆盛とプーチン大統領5PV
3ガブリエル・マルセル 形而上的日記 第二部 翻訳3PV
4偽善も人間らしい2PV
5ヤスパースやマルセルを読むのと読まないのでは、人生に天地の差がつく2PV
61月15日 過去のアクセス解析 閲覧数 142 PV 訪問者数 57 UU1PV
7花も実もある出来損ないである学者は殆どいない1PV
8月曜休館の日1PV
9”道徳律は甘えの法則である”1PV
10ヤスパース『哲学』翻訳 第三巻「形而上学」「第三章 超越者への実存的関係の諸々」3 1PV

1文系の勉強をしている者に、世のなかのことを知る暇は無い7PV
2偽善も人間らしい2PV
3ヤスパースやマルセルを読むのと読まないのでは、人生に天地の差がつく2PV
4花も実もある出来損ないである学者は殆どいない1PV
5「人間になる路」に生きているかどうかの一判別基準1PV
6”道徳律は甘えの法則である”1PV
7ヤスパース『哲学』翻訳 第三巻「形而上学」「第三章 超越者への実存的関係の諸々」31PV
8ガブリエル・マルセル 形而上的日記 第二部 翻訳1PV
9西郷隆盛とプーチン大統領1PV
10無関係として完成される人間関係


「人間になる路」に生きているかどうかの一判別基準

2023-01-21 18:45:56 | 日記


 
ぼくには、身内であれ、知人であれ、殺してやろうと思う者が何人かある。そういう気持は歳を重ねて減退するどころか、ますます奥深く強く本気のものになる。ぼくは通常の日本人とは異なる人間生成の路を生きているらしい。そういうぼくが思うのは、そういう気持があるかぎり、ぼくは生きるであろうし、愛を知る人間として生きるだろう、ということだ。どうも一般の日本人たちこそ、正しい「人間になる路」から、歳とともにどんどん逸れているようだ。これは当然のことだとぼくは思う。若い時から、人間になることを、世間との妥協のために諦めて、世間教に〈生きて〉きた者たちだからだ。
 
 
「ますます自分になってゆく者」にとって、ぼくの在り方は当然のことだ。