高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

じぶんの真心を理屈で裏切ることはできない

2023-01-09 23:38:45 | 日記

じぶんの真心を理屈で裏切ることはできない

2023年01月09日(月) 23時30分50秒


人間は、じぶんの真心を、じぶんの理屈でもって、試しに裏切ってみる、ということを敢えてやることができる。そして、敢えてやることができるのは、「試しに」やってみることまでであって、それを越えてほんとうに「裏切る」ことはできないことを、知る。真心はじぶんの必然であって、じぶんの自由はこの必然と一致することでしかないことを知るのである。ほんとうに裏切ったら破滅と死しかないことを悟るから。
 
 
このことを知ってぼくはほんとうに嬉しく思う。自由は遂に恣意ではないことを悟ったから。
 
この必然は愛であり、ぼくの愛は実在するから。 
 
 
自由は、自由にしていられる間は、錯覚を生んで、何でも自由であるように思わせる。しかし遂に、自由には或る厳格な規範が内在することを知るにいたる。
 
 







じぶんの魂の振動するものが真理である

2023-01-09 22:22:10 | 日記

じぶんの魂の振動するものが真理である

2023年01月09日(月) 22時19分22秒

 

他はそれに横から何も言うべきでなく、そういう言は破砕すべきである。魂への犯罪だからだ。そういう犯罪を社会的権威の名の許になす者は殺されるに価する。
 
 
同時に、すきなもののためにそういう他を拒絶するのは、純粋さの証である。
 
 
 
 







 

熱心の前に行為あり

2023-01-09 15:22:25 | 日記


 
やる前に熱心さなどあるものか。取り組んでいるうちに熱心になる。


もちろん、アラン的な意志合理がすべてではないことは知っているから、ヤスパースやマルセルに取り組んでいるのだ。

とくにマルセルの、具体的に引き込む力はずごい。ヤスパースと並行して取り組んで精神に平衡がとれるようになったのにすぐ気づいた。













他者への奉仕を制約する、志に懸ける個人主義的な無制約的生の正しさ・決断

2023-01-09 02:45:38 | 日記



 
当たり前のことだが、自己を懸ける志があれば、一般他者への奉仕は条件下に置かれる。一時的な錯覚も起こしてはならない。この意味で、無制約的行為は、自己の探究と実現の志が多くの場合実体であるような、真の個人主義的生に、とくに特有なものである。
 
 
 
ふらふらしている者が他者奉仕をしても感心したことではない。何のための社会制度なのか。自分勝手と志に生きることは違う。たしかに紛らわしい面もあるから、志への決断で分離する。決断が、他者の無責任な批評を根本的に無効にする。 とくに日本でよくあることだが、そこに偽善しか見れない者はそれだけで低劣な人種なのだ。