国会予算委員会での安倍首相や大臣、官僚の醜い自己保身にはうんざりします。さっさと、認めれば良いものを嘘を嘘でごまかし、「知らない、記憶にない、言ってない」と開き直っている限り国民の理解は得られるはずがありません。
醜いものを見た後は、美しいものを見たくなります。先日、蓮の名所の蓮池公園を紹介しましたが、高知県安芸市の安芸城址にも白蓮が開花しているニュースを見ましたので行ってきました。安芸市中央部の土居というところに安芸城址があり、外堀には、夏になると白蓮が咲きほこっています。
いかにもお城があったという感じがします。
堀には睡蓮も植えられていました。
毎年この時期に「白蓮まつり」が開催されています。今年は7月23日でした。
安芸城址にきたので城の跡も見てきました。
古代から安芸地方を支配してきた安芸氏の居城で1308年、安芸親氏によって築かれたといわれています。
狭い道を少し登ると三の段があります。
さらに登ると本丸のあった山頂につきます。
本丸のあった山頂からの展望。
安芸氏は土佐国東部で最大の勢力を誇るようになりましたが、安芸国虎の時代に、1569年、土佐統一をめざす長宗我部元親に攻められ、激戦の末に敗れました。その時、内通者が毒を入れた井戸も残っています。
元親の死後、家督を継いだ長宗我部盛親は関ヶ原の戦いにおいて西軍に所属したため改易となり、山内一豊が土佐一国を与えられ、重臣の五藤為重を安芸に配しました。為重は居留地として安喜城を選んだが、元和元年(1615年)の一国一城令により城ではなく「土居」と称しました。以後、明治時代に至るまで「安芸(安喜)土居」として五藤氏が居住しました。土居の周囲には家臣団の武家屋敷が整えられ、現在も土居廓中(どいかちゅう)として現存しています。 安芸城址には安芸市立歴史民俗資料館と
安芸市立書道美術館が建てられています。
ぜひ、安芸市にもお越し下さい。