先日、高知龍馬空港周辺の戦争遺跡を回るツアーに参加しました。田んぼのなかにぽつんとあるこんもりしたもの。それは
これは「掩体」です。掩体壕とも言いますがこちらでは掩体と呼ばれています。
高知龍馬空港は1941年から1944年にかけて、軍用飛行場として三島村の家や田畑が国に強制的に買い取られて作られました。住民は戦争に勝つため反対もできず涙を流しながら土地を離れていき、1500人の三島村は消滅しました。
1944年から海軍航空隊の偵察搭乗員の訓練基地として機上練習機「白菊」が55機配置されました。
そして、その飛行機を格納するために作られたのが掩体です。
見学したのは7号掩体と呼ばれています。7つの掩体が今も残っており「前浜掩体群」として南国市史跡に指定され保存されています。垂直尾翼が入るように上に切れ込みがあります。
天井にはセメント袋の跡が残っています。これを作ったのは中学生や近所の女性、高知刑務所の受刑者、朝鮮半島から強制的に連れてこられた人たちです。そのため素人が簡単に作れるよう土を盛り上げて型を作り、その上にセメント袋や布を敷き詰め、その上にセメントを流し込んで、固まったら土を取り除いたそうです。そのためにセメント袋や布のあとが今も残っています。
戦争末期にはここにあった練習機白菊の多くは特攻機に使われました。隊員と白菊は鹿児島の鹿屋基地に移り250キロ爆弾2個をつり下げ、ただでさえ動きの遅い練習機ではたどり着くことも困難な無謀な出撃でした。以前にフジテレビ系列の高知さんさんテレビが『くらき南めいの彼方へ~練習機「白菊」特攻隊』というドキュメンタリーを放送しました。また、水戸黄門を演じた西村晃さんは徳島白菊隊の隊員だったそうで機体が故障して引き返して終戦を迎え命拾いしました。
飛行場をまもるためにトーチかが作られていましたが今も残っています。
厚さが40cmもあり頑丈なため、戦後、取り壊すのもたいへんなため農機具などの倉庫に利用されてきたようです。
空港から川を隔てた香南市には戦争中に撃墜されたグラマンF6Fのプロペラとエンジンが保存されています。1981年に吉川漁港の近くで漁網にひっかかる物があって困るということで潜水夫が潜って引き上げました。それを地域農産物物産館の一部を使って展示しています。物産館が近くに移転したため普段は開いていませんが香南市の教育委員会に申し込めば一人でもシャッターを開けてくれるそうです。
旧日本軍機は引き上げて展示しているところは日本各地にありますが米軍機はここだけだそうです。パイロットの死体は墜落当時浮いてるところを引き上げられ近くに埋められました。指には結婚指輪があったそうです。終戦後米軍が遺体を掘り返して持ち帰りました。
三十数年海中にあったにもかかわらず傷みも少なくゴムパッキンはまだ使えるほどの品質だったそうです。それほどの工業力のある国と無謀な戦争をしたということです。
空港からさらに離れた香南市夜須町手結の海岸には「震洋隊慰霊碑」があります。戦争末期に海軍がエンジンのついた二人乗りのボートに爆薬を積んで敵艦に体当たりするという水上特攻のために作った海軍の部隊がここにありました。ところが終戦を迎えた8月15日の翌日16日に謎の出撃命令が届き、出撃準備中に爆発事故が起こり若い隊員達111名が亡くなったのです。死ななくていい命が失われました。
裏には亡くなった方の名前が刻まれています。
こうした戦争の悲惨さを知らない、知ろうともしない総理が日本の舵取りをしていることに不安を感じたことでした。