良い子、悪い子、こまりん子

幼児教育20余年。多くの子ども達を育て、ママ達の悩みに耳を傾けてきました。辛口アドバイスも含め、子育ママ達にエールを!

言葉はステキ

2009-03-09 10:01:02 | つぶやき
 先日、一人で横浜駅に近いおそば屋さんに入りました 頻繁に行く、というわけではありませんが、もう10年以上も前からのお気に入りのお店で、おそばが食べたくなると、わざわざ、そこに出かけようと思うお店です
 すでに2時を過ぎて、ランチとしては中途半端な時間でしたので、幸い、待たずに入れました。
 店内は、その時間ともなればビジネスマンよりもご年配の方が多く、みなさん、のんびりとお食事をされているようでした。

 私のお隣の席には、70歳くらいの男性がおいでになり、お一人で天ざるを召し上がっていました。テーブルの上にはお酒の徳利もあり、まさに楽しみながらお食事をなさっているご様子でした そば屋でのお酒は、昔から粋で、おいしいのだそうです
 人がお食事をされているのを、ジロジロと見るのは決して良い趣味とは言えませんが、人を観察することが好きな私は、ついつい、電車でも、公園でも、レストランでも、ちょっと気になってまわりの人をこっそりと見てしまいます
 
 中でも、人が「お食事をしている様子」には、とても興味があります。なぜなら、人が「食べている」時は無防備とでも言うのでしょうか・・・その方の普段の生活の様子や、環境、お人柄のようなものまで見えてしまう、そんな気がするからです
 特に、一人で食べる時は、同席している方への配慮の必要もなく、まさに人は「素」の状態で「食べる」行為に没頭します。
 おそば屋さんのおじいさん。とてもおいしそうに天ぷらを食べ、そして、やっぱりおいしそうにお酒を飲まれていました
 私は自分が注文したおそばが来るまで、思わず「どうぞ!」と父にするように、お酌をして差し上げたい・・・そんな気持ちになりました
 そのうちに私のおそばがやってきて・・・私も「素」で、おいしくいただきました

 そのうちに・・・その方が席を立たれて、レジに向かわれました。
きれいに畳んで置かれたおしぼり、きちんと揃えて箸置きに置かれた割り箸・・・ レジから声が聞こえました。
 「いやー、おいしかったですよ ゆっくりと食べさせていただきました。ありがとうまた来ますよ。ごちそうさま!おいしかった
 そう言われた後、わざわざ厨房のほうに向かって笑顔で手をあげられ、出ていかれました。
 私まで、とてもうれしくなりました いつものおいしいおそばが、もっともっとおいしく感じられました

 こういう「ひと声」を、私は最近、あまり聞いたことがありません。
大阪育ちの私は、すぐに誰とでも話してしまいます 良くも悪くも世間で言われる通り、関西人、特に大阪人は、知らない人とでもフレンドリーに?!話してしまい、関東では疎まれる傾向もあるのでしょう
 私も例に漏れず、タクシーでは黙って乗っていることができませんし、いろんなお店でも、ほとんど黙ってお買い物を済ませてしまうことはありません
 それプラス、食好きの私は、お食事をする場所では必ず「おいしかったです ごちそうさまでした」とか、「こんなおいしい○○、久しぶりにいただきました。おいしかったです 本当にごちそうさまでした!」とか、「もう△△の季節なんですねえ。今日は初ものをいただきました おいしかったです!」とか・・・ 声をかけてしまいます。
 そういう私の印象を、「よくしゃべるオバサン」と認識されている方も多いことでしょう

 でもね。
私は、このおそば屋さんでのおじいさんの「ひと声」を聞いて、あらためて思ったのです。
 『やっぱり、このようにお声をかけることは、お互いにとって気持ちの良いことではないか』と・・・
 それが、「ごちそうさま」のひと声でも良いですよね。
ただレジを見て、黙々とそこに表示された金額をお財布から出して支払い、出て行く・・・これでは、あまりに殺伐としていませんか?
 もちろん、人には性格がありますから、引っ込み思案の人や、恥ずかしがり屋さんは、そんなにペラペラと人とは話さない、話せない、とおっしゃるでしょう
 でも、それでもなお、その方の「声にならないような密やかな声」の「ごちそうさま!」も、単なる支払い時の「ニコリ」でも、心がこもっていれば、必ず相手には伝わるもの
 
 私が、よくお顔を合わせる母子がいます。
私立の伝統校に通う低学年のお嬢さんとお母様。やはり、どこか少し近寄りがたい空気を漂わせています それは、その親子の品格であり、お嬢さんが制服を着てご近所を歩いている限りは、その近寄りがたさは学校の品格を表すものでもあり、凛としたその雰囲気に私は好感を持っています
 でも でも
たぶん(いえ、きっと!)その方も私のことを「よく顔を合わせる近所の人だ」ということは、認識なさっているでしょう。
 ところが、そのお母様はなぜか、絶対に会釈さえもなさらないのです 完全にお互いに顔を合わせてすれ違っても、そのお母様は全くそこには誰も歩いていなかったかのように、まっすぐ前を向いて進んでいかれます。
 むー、私は不思議でならないのです・・・
入らぬお節介ではありますが・・・きっとお母様がそうであれば、あのお嬢さんも、あっ、この人、知っている!と思う人相手にも、会釈をする女性にはならないでしょう。

 どうしてなんでしょうねえ・・・ほんのひと言、「おはようございます」と声をかけあうだけで、そこにあたたかい空気が生まれ、ほんの一瞬であっても、人と人との間に和やかな、柔らかい関係が築かれるのに・・・ 声を出して挨拶をしなくても、会釈だけでもやっぱり同じ空気は生まれるものです。
 あのお嬢様は、そういうことを知らず、いえ、感じる経験もなく、大人になっていかれるのでしょう

 話し好き、おしゃべりなお父様やお母様こそが良い親ですね、と言いいたいわけではありません
 でも、ちょっと人に気持ちを伝えることで、その場が豊かになる・・・その場が和む・・・その場が明るくなる・・・そんなことを、親の背中をみることによって、子どもが自然に身に付けていけたとしたら、こんなに素敵なことはありませんね


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