良い子、悪い子、こまりん子

幼児教育20余年。多くの子ども達を育て、ママ達の悩みに耳を傾けてきました。辛口アドバイスも含め、子育ママ達にエールを!

食へのこだわり

2009-02-06 10:01:11 | つぶやき
 昨日、都心のデパ地下のパン屋さんで、会計をするために並んでいる時のことです
 真後ろに並んでいた人の携帯電話が鳴りました すぐに「もしもし」と電話に応える声が聞こえました。若い男の人?男の子?の声です。
 ちょうど、列が曲がり角にかかったため、少し振り返ってみると、20歳そこそこ・・・というあたりでしょうか。大学生のようでした。
 彼のトレイの上には、小型のバケットとフォカッチャが乗っていました。どちらも「焼きたて」の札が立っていたものです。

 「もしもし・・・今?○○○でキャッシャーに並んでるよ。・・・うん、これから、歩きながらパンを食べるの。・・・焼きたてなんだよ。早く喰いてー。・・・わかってるって!ママはいつもしつこいからな・・・はいはい、・・・うらやましいって?はっはっは、焼きたてだからね。・・・了解!じゃあね。」

 真後ろで話すわけですから、男の子の言葉ははっきり聞こえます 受け答えから、お母さんが「今何してるの?」と聞いた後で、焼きたてのパンを食べるあなたが羨ましいと言い、本題の何か大事なことを確認した、念押しをした、ということであることも推察できます。
 まあ、二十歳を過ぎた大の男が、公共の場で電話に出て、平気で「ママ」なんて言うなよ!と、思わず呆れる方もたくさんおいでになるでしょうが 私は何となく笑えました。
 私のまわりには、こういう典型的な「首都圏の甘ちゃん少年」はたくさんいますし、私は、彼らが普通に社会人として成長していくのならば、こういう甘やかされスタイルは彼らの育った環境によるものであって、別段、批判されるべきものではない、と思っています
 
 それはさておき・・・
彼と同じ年頃の息子や娘を持つ私としては、彼の電話の会話のみならず、「彼そのもの」を大変興味深いものと感じました。
 なぜなら、ほんの短い時間、パン屋さんで前後に並ぶ・・・というだけの関係でしたが、たったそれだけで、「彼の家庭環境や生活スタイル」が見えた気がしたからです

 デパ地下のパン屋で、わざわざ焼きたてのパンを買い、「焼きたてだから、早く喰いてー」と思っている彼の食に対する意識、好み・・・これで、彼の家庭の食文化も見えてくる そう思いませんか?
 
 私たちはよく、人との相性を判断する上で「同じ価値観を持っているかどうか?」ということを重要視します。
 私は、この価値観の中には「その人との食に対する価値観」というものも含まれている、と思えてなりません。
 食事、食生活、そういう『食』全般に関するその人の持っている意識は、一つの人を形成する文化です。
 もちろん、人には食材や調理方法の好き嫌いはあります。ですから、ここで言う「価値観」とは、好き嫌いという好みではなく、「食へのこだわり」とで言うのでしょうか。
 つまり・・・
 「食べることは、生きていくための手段」これだけの観点から食事を捉えている人。
 「生きるための糧」以上のものを、食事や食生活に求めたり、感じたりしている人。
 
 すでにご存知の通り、私はかなり「食にこだわりたい派」です。
パンは○○屋の△△でないと食べない、とか、お米は必ず○○県の△△さんのところからお取り寄せをしたものでないと満足しない、というような頑固?自己満足的なこだわりではありません
 おいしいものが大好きなので、それを食するためには、かなりの努力もしますよ、というタイプです ですから、「別にお腹がいっぱいになるんなら、何でもかまわない」という人とは、きっと食に対する価値観は違う、と言えるでしょう

 飽食の時代になり、巷で言うところのA級であろうと、B級であろうと、世の中のグルメブームはすたれません。こうなると、一過性の流行に使う「ブーム」という言葉は、もう「食」当てはまらないかも知れませんね。
 しかし、これほど世の中が食生活に敏感に反応する時代になっても、「お腹がいっぱいになるなら、何を食べても一緒、何でもいい」という感性しか持ち合わせていないとするならば??
 やっぱり、その人の育った環境が「食に対する意識の低い環境」だったのだと思うのです

 誤解を招かないために、敢えて注釈をつけますが、私は「食に対する意識の低い環境」が悪い、と言っているのではありません。良い、悪い、は道徳的なことを論じる時以外は、その人の「好み」に左右されるものです。
 あくまで、ここで言いたいことは、その人の食に対する意識は、育った家庭環境に左右されますね、ということです

 食事は、肉類以外のものは、非常に季節に左右されるものです。
現代のように、温室栽培やバイオテクノロジーを駆使した野菜栽培が出回るようになっても、ほとんどが外国からの輸入、養殖がメインの魚介類になっても、やはり日本人は、「季節の恵み」としての食材を意識しています。
 こういうことを「食」に感じる感性のある家庭(ぐっと絞っていえば、そういう母親)では、さまざまな条件から季節感が薄れていく現代でも、やっぱり食卓には多少の季節感があるでしょう

 また、味覚に敏感な人は、さまざまなものを食べて、それを何らかのかたちで「知ろう」とした人です。「知らせよう」とした家庭、母親、であるとも言えますね
 食生活における最も基本的な疑問「これは・・・何ですか?」というものがなければ、じゃがいもを食べても、さつまいもを食べても同じですし、鰯でも鯵でも何でも良いのですからね
 それに、「あたたかいうちがおいしいから、冷めないうちにどうぞ」と言われてもまったく何も感じず、平気で冷めたものを食べて・・・おいしいともおいしくないとも感じないとしたら??

 要するに。
「食」に限らず、それが服装であっても、教育であっても、「こだわり」があるか、ないか、というのは、大きな価値観の違い、となるのだと思います。
 
 そして、真っ白で生まれてきた子どもが成長する上で、一番大きな影響を受ける両親や家庭の「価値観」が、その子の「価値観」を育てる上で大きな役割を果たすでしょう

 焼きたてのパンが食べたいと思った彼。
歩きながら食べるというお行儀云々はさておき、あったかくて、外がパリパリ、中がふわふわに焼き上がったフランスパンのおいしさを知っているのです。フランスパンとは全く趣の違う焼きたてのフォカッチャも、彼の好物なのでしょうね
 たぶん「焼きたてを食べるの?ママ、うらやましいなあ!」と彼に言ったであろうお母さんは、やっぱり息子を育てていく上で、食生活にこだわりを持っておられる方で、多かれ少なかれ、それが知らず知らずのうちに息子に影響した、と言えるでしょう

 食文化は、「食べるもの」そのものだけではなく、「食べ方」にも関わってきますし、もっと大きく広がれば、食器のような「器」にまで興味は広がっていきます。
 「食べる」という行為は、生きるために必要不可欠なものであり、動物、獣でもそれは同じですが、食べ方や道具となると、人間生活特有のものですね。それが「文化」ということでしょう

 どんな家庭で子どもが育つか?
 どんな母親に育てられるか?
子どもに大きく影響する・・・ですね


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