良い子、悪い子、こまりん子

幼児教育20余年。多くの子ども達を育て、ママ達の悩みに耳を傾けてきました。辛口アドバイスも含め、子育ママ達にエールを!

叱らない親

2009-03-13 21:51:59 | こまりん子、こまりんパパママ
昨日、電車に乗っていると、ドアのところに立っている母子2組を見つけました
何かのおけいこの帰りらしく、どちらの親子も、きちんとこざっぱりとした格好をしていて、親の手にはいかにも手作りらしいおけいこバッグがありました。
 ところが、年長さんくらいに見える彼女達(子どもは、女の子でした)は、ドアが開くたびにふざけて手を出したり、足を出したりして、キャッキャ騒ぐのです
 電車の中でふざけていること自体、私は気に入らなかったのですが、それにも増して、危険だなあ、と気になりました 実際、ドアが閉まる時に、何度も子ども達の手や足があたり、それを感知してドアが開きます
 母親達は、必死に?!おしゃべりに興じ、時々「○○ちゃん、ダメでしょ」「やあねえ、そんな悪いことしちゃあ。やめなさーい」  う゛―、おわかりになるでしょうか、このママ達のブリっこ的な叱り方
 本来は、すたすたと歩いていって、子ども達にも、親にもガツンと注意すべきなのかもしれませんが・・・さすがに私にはそのガッツがなく、見ているとムカムカと腹が立つので、違う車両に乗り換えました

 子どもは大抵、親が見ていなかったり、親が何も注意をしないと、必ず誰かと一緒に、調子に乗って平気で悪いことをします
 それがどんなに不道徳なことか、それがどんなに危険なことか、の真髄がわかっていたとしても、「私だけ、ぼくだけじゃない」というズルい思いが頭をもたげ、強気になるのでしょう
 まさに、悪ふざけであり、興味本位でやってのけるのです。
これは、どんなに真面目と言われる子どもでも、多かれ少なかれ、この傾向があるものです

 だからこそ
親がそれを見過ごしてはいけない、と思います。こういう悪ふざけをし、ましてやそれが人に迷惑をかけたり、危険だったりする時には、「火を噴いたように」叱らないといけません
 いつもは優しい笑顔のお母さんが、鬼の形相で怒った・・・こういう恐怖にも似た記憶、経験の積み重ねが、子どもにメリハリをつけさせ、しっかりとした「今はふざけても良い、今はふざけてはいけない」という「道徳スイッチ・マナースイッチ」を育てることになるのです

 教育的レベルの高いご家庭では、さまざまな面で子どもを躾け、厳しく苦言を呈していらっしゃる、とは思います。
 けれど、もしかしたら、そのポイントがちょっとズレているかもしれない・・・そんなことはありませんか?
 それに、ポイントがズレていなくても、母親が自分では厳しい苦言と思っていることが、子どもにとると、たんなるダラダラのお小言・・・になっていないでしょうか?

 ここ数年、私がよく苦笑してしまうこと、それは。「我が家は躾に厳しいです」とおっしゃるご家庭の子ども達が・・・
 「ママは、いつもうるさい!」と平気で言いうこと あまり、子ども達は「親の厳しさ」を実感していないようです。
 それは、お母様の厳しさが「空回り」している、ということなんですね、残念ながら

 一人っ子や、第1子のお子さんにありがちなことですが、いつも、親と同じ感覚で暮らしていたり(大人の中で、大人と同じように、という意味)、「お兄さん」「お姉さん」として、ある意味、親から一目置かれて暮らしている子達は、自分が幼い子どもである、という自覚がありません。
 すっかり、自分のことを「大人と同じような存在」だと思っています
 親も、子どもであることは当然わかっているものの、「大人と子ども、という大きな境目」を自覚していません。そのほうが、生活が楽だからです

 躾や家庭教育を真剣に考え、さまざまな本を読んだり、著名な育児評論家の講演を頻繁に聞く・・・というような人でも、この例外ではない、と私は思っています。
 それに、今の時代は「誉めて育てる」時代。こういう社会の流れの中に身を置き、家庭生活の中で「各人が居心地よく暮らす」ことを大事にすれば、親は気づかぬうちに、人を育てる立場における毅然とした態度(時として、横暴な、です)を忘れてしまっている・・・

 正直に申しあげて、ここ5,6年は、「ここぞ」という時に、大きな声でバシッと叱りつけるお母さんを見たことがありません。
 みなさん、かわいくチャーミングな声で「だめよ」とか「ほら、何してんの」程度のことしかおっしゃらない・・・ブーーーー、です

 子どもは、生まれた時から確かに「一個人」です。
しかし、実際には、大いに尊重されるべき「知能や知識や経験」を十分に持った大人ではありません。人間としては「一個人」ではあっても、まだまだ未熟で、未経験な生き物なんです
 白紙で生まれたわが子を、それこそ、人間的にも人格的にも、立派な「一個人」にするために、親は親になったその瞬間から、親としての自覚を持って、日々努力をし、わが子を毅然と教育していかなくてはなりません

 現代は、多くの幼稚園の先生、保育園の先生も、みな、子ども達と「お友達のような」関係を築き、フレンドリーに、穏やかな、差し障りのない?!毎日を送ります。
 家庭でも親たちは、子どもとの気まずい時間や葛藤は「自分自身を疲れさせることだから」という理由で、一様に優しく、声を荒げず、叱責することなく、「注意を喚起する」程度で和やかに暮らします。
 お母様方がおっしゃる「厳しい躾」は、時には自分を満足させるだけの自慰的行為にしか見えない・・・そんな気さえすることがあります

 子どもが大きくなった時・・・
 「いやー、あのママの(パパの)豹変ぶりはすごかったねえ・・・あのトーンで怒鳴られると、ああ、ママは(パパは)本気だな、と思ってすごく怖かった
 などと、懐かしい思い出として語ってもらえるような、そんな「かみなり」を落とす迫力・・・親としての心意気・・・私は必要だと思いますよ


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