良い子、悪い子、こまりん子

幼児教育20余年。多くの子ども達を育て、ママ達の悩みに耳を傾けてきました。辛口アドバイスも含め、子育ママ達にエールを!

しいたけとレンコン

2008-12-01 10:58:56 | つぶやき
 先日、ひょんなことから、評判の高い天ぷら屋さんの食材を、そのお店でもなく、天ぷらでもなく、いただく機会に恵まれました まさに「ひょんなことから」で、決して今流行の『○○産の△△をいただく会』のような催しでもなかったのです。
 いただいたのは、「しいたけ」と「レンコン」でした。
要するに、車エビでも、江戸前のあなごでもなく、ちょこちょこっと私達がスーパーに行けば食べられる食材です

 ところがです。ひとくちいただくだけで、もう、すべてが違うんですよ 香りも、食感も、もちろんお味も・・・さすがに、かなりの驚きでした

 確かに最近では、生食用のお野菜は、味や香りにかなりの違いがある、ということはわかっていました。野菜ソムリエ・・・などと呼ばれる人がいる時代ですから、銘柄牛のように、お野菜も、かなり味に違いがある
 ただ、それもトマトやキュウリやほうれん草、にんじんのように、生で食べられるもので実感していたことで・・・
 ちょっと目先の変わったところでは、水菜やつるむらさきなど、あまり普通は生食でいただかないものを、バーニャカウダでいただく・・・という場合に、「へえー」と感心させられたくらいです。
 
 けれど、今回のしいたけとレンコン。
さすがに生食ではいただきません。ところが、火を通しても、香りも味も、本当に常々食しているものとは全く違う 似て非なるもの、とはまさにこのこと!と痛感しました。

 その二つが、どこの○○で~~~・・・のような講釈は敢えていたしません 食のブログではありませんからね。まあ、当然のことですが、しいたけもレンコンも、そのお店のご主人の「こだわりの逸品」であることだけは確か、でした

 私は、自宅でそれらを調理し(単にお味噌汁の具材にしたり、炒め物や煮物に使っただけです)、そして本当に形容しがたいほどに「美味」なお野菜をいただきながら、まったくお料理とは関係ないことを思いついたのでした・・

 『考えてみれば、人も同じ・・・』と。

 同じ格好、かたちをしている人間でも、じつは全く違う・・・そう気づいたのでした
 こんなことを書くと、「いやいや、『曲がりキュウリ』でも味は同じ!」と反論なさる方がいるでしょうね。
 確かにそうです 人が手を加えて、まっすぐにしたものは、見場が良いだけで、味に違いはない・・・見場を良くする必要はどこにあるのか?
 しかし、これはあくまで「見場を整えた」ということで、私が感服した「味」とは無関係です。私は、あくまで「味」の話しをしています。

 天ぷら屋さんのご主人にお尋ねすると、やはり、しいたけもレンコンも、確かに「○○産の△△」でした 
 生産者の研究と手間は大変なもので、私たちが普段、スーパーで簡単に手にいれているものとは、本当に「似て非なるもの」。
 
 しかし、それを求める場、求める人がいる限り、普及品と逸品はずっと存在し、同じように見えながら、全く違う機会、違う人に食されていくのでしょう
 普及品が粗悪品であるわけはなく、逸品だけが重用されるということではありません。どちらが良い、悪い、という問題ではないのです
 あくまで、「どちらを求めるか?」ですね。

 そして、逸品を育てるためには、当然、普及品を育てる以上の手間暇、研究、苦労はつきものです より良い逸品を作るためには、それ以上の努力と時間、研究は不可欠でしょう。
 普及品には普及品としての価値はありますが、けっして逸品に昇格することはない・・・そして時には、普及品を作っているつもりが、こっそりしてしまった手抜きで、たちまち普及品どころか、とんでもない粗悪品になってしまう、という危険性もあるでしょう

 手塩にかけた逸品とは、やはり、それだけの価値のあるもの、ですね 然るべき機会に、然るべき人に愛されるもの
 
 きっと人も・・・同じでしょう 
無垢で産まれた子供達。親という生産者の手によって、さて、どちらに育てられるのでしょうか?


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