まど

細く開いた窓を覗いてみると、そこにはNikonD70Sを前に困惑している女がひとり・・・

まあるい背中

2008-02-12 21:54:44 | Weblog

祖母が亡くなりました。

生年月日があの「前畑ガンバレ!」の前畑秀子さんと同じでしたが、彼女より13年も頑張ってくれました。

祖母は父親を幼少の頃亡くしました。
当時は女性が一人で子どもを育てられる状況にありませんでしたので、幼い祖母は里子に出されました。
長じてお屋敷奉公をし、そこで家庭婦人としての一切の教育を受けましたので、大変お行儀が良く、言葉も丁寧な人でした。
晩年は家事も出来なくなりずっとソファーに座ったままでしたが、いつも膝がしらを揃え、きちんと膝の上に手を重ねているのです。
たまに私が行くと「うしろの正面ちゃんは、なんでもちゃんとやっていなさるから・・・・・。」と言ってくれました。
ほんとは全然ちゃんとやっていないので耳が痛かったのですが・・・。

なにしろ、十数年前にリンパのガンにかかり手術をして、起き上がれるようになると、朝の検温までには髪を整え、ベッドの上に座って看護婦さんを待っていたような人です。
そんな祖母から本当に褒められたならどんなに良いかと思いましたが、持って生まれたものが違うと諦めるしかありません。

私の子どもを膝に乗せる祖母。

この頃はコンパクトカメラしか持っていなかったので、写りがいまいちですが、実によく祖母の人柄が出たと思っています。

最期の5日間だけ病院で過ごしましたが、亡くなる前、意識が朦朧とする中、「お米を研がなくちゃ」と言っていたそうです。

さようなら、おばあちゃん。
またいつか会いましょう。
そのときは、本当に「ちゃんとなさったわね。」と言ってもらえるよう、頑張ります。

 


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6 コメント

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Unknown (健太郎)
2008-02-14 07:52:05
おはようございます。
私はこの写真を見たときに亡き母を想いだしコメントをさけました。 

末っ子の私はいつまでたっても末っ子のままに母と別れましが、 怖い存在であったと同時に財布から千円札を何枚かを「これXXXちゃんに上げるんだよ」と訪ねる度にいつも渡してくれもした母でした。 いつまでたっても薄給の末っ子だったのだと思います。 何故か涙腺が膨れてきましたのでこの辺でやめます。
失礼しました。
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またいつか会えます。 (うしろの正面)
2008-02-14 13:04:53
健太郎さん、コメントありがとうございます。

男性と女性では母親に対する気持ちが微妙に違うものですよね。
私は出産・育児を経験して、改めてその苦労を肉体を持って経験したので、例えば映画を見るような感じでその実体が判るような気がします。
男の人は幻燈を見るように、夢のようで、なつかしく、あたたかく、美しいものなのだと思います。

本当に年老いても、肉体が弱っても、たとえ子どもの顔さえ判らないようになっても、心の支えですよね。
生まれたときは裸んぼで生まれてきましたが、母が抱き取ってくれました。
母を失ったその時こを、世の中にひとりぼっちで、裸で放り出されたような気がするだろうと思うのです。

千円札のお話、泣きそうになりました。
いなくなっても、ずっと有難く、いなくなったからこそなお懐かしい。
でも、いつかきっとまた会えます。絶対です。
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Unknown (mako(雑感ノート))
2008-02-22 03:25:36
うしろの正面さん、こんばんは。

収納の整理をしていて、アルバムを捲ってしまうと、もう駄目です。いつの間にか周りが暗くなってきて...。
そんなことを思い出させてくれるいい写真ですね。

「本をまたいではいけません」
「畳のへりを踏んではいけません」
「テーブルに腰掛けてはいけません」
「お百姓さんの苦労を考えて、お米の一粒も残してはいけません」

お釜を洗うとき、残った米を口に入れる母でした。
医者の祖父、銀行員の父の長女でしたが戦中戦後の苦労は大変だって様です。

私は、遅い子でいたので、祖父母との記憶はありません。

ショギング後、芝生に寝転んで、青空を眺めていると
空の向こうに、おやじ、おふくろ、早く逝ってしまった友人等々の顔が浮かんできます。
何とも言えない気分になります。
みんな私を助けてくれた人達です。
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立派な生き方 (うしろの正面)
2008-02-22 12:50:10
makoさん、こんにちは。

アルバムの中と記憶の中でしか会えない人の数が増えてゆきますね。
特に戦争を乗り越えて今の豊かさの基礎を作ってくれた世代の人達との別れが多くなっていきます。
よく、年金たっぷり出る世代で良かったじゃない、なんて言われる世代ですが、当たり前です。
makoさんのお母さんのようにお釜に残ったご飯も無駄にしないで次の世代を育ててくれたのですから。
多分、ご自分は食べないでも子どもに一口でも多く、と思い、さらにお百姓さんへの感謝も忘れない。
歴史に名は残らずとも、天晴れな日本の母たちです。
ああ、今の日本人はそういう人たちに育ててもらったのにどうしてこんな風になっちゃったんだろう。特に、私。

私も亡くなった人のことを思い出すときは空を見上げます。
空の上から見ていてくれるような気もするし、こちらの思いも伝わるような気もします。
千の風になって、というのは本当ですね。



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そうだったんですか・・・ (tarutaru)
2008-02-29 01:40:38
鎌倉の雪が昔見た映画のワンシーンのような懐かしさやなぜか人の温もりまで感じてしまいました。
おばあちゃんが亡くなられたんですか。
心の中に大きな穴が開いてしまいましたね。

>「うしろの正面ちゃんは、なんでもちゃんとやっていなさるから・・・・・。」

おばあちゃんは千の風になってあなたをずっと応援していてくださいますよ。でも時にはちゃんとしないでさぼっていても笑ってみていてくださいますね。
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ちゃんとやっていなかったのが、ばれたと思います。 (うしろの正面)
2008-02-29 12:25:46
tarutaruさん、そうなんです。
ばーちゃんが死んでしまいました。・・・・・。

雪にとじこめられて、はるか遠くにあっても、その中に人がいて、日々の暮らしがあるのだと思うと、そんな景色もなんだかあったかいように見えます。
母親の存在も同じようだなと思います。

>時にはちゃんとしないでさぼっていても笑ってみていてくださいますね。
・・・時には、だったら良いのですが。
私、明日出来ることは今日はしない、というとんでもない女なので・・・・。(汗)
祖母は家族を守ることを一番大切に考えた人だったので、その分心配症でした。
一族みんな、「おばあちゃんに言うと心配するから秘密にしておこう」と、いろんなことを隠していました。
今頃、全部ばれて、あちらで呆れ返っていると思います。(笑)
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