先日、終了してしまったが、「立原道造記念館」で
「立原道造の世界 絵画・建築設計図を中心として(前期)」が展示されていた。
立原が東京帝国大学で建築を学んでいたのは昭和のはじめ。
その頃の大学(しかも帝大)ではどんな授業をしていたのか、ほんの一部ではあるが知ることが出来て面白い。
このポスターの絵(上手くてびっくり!遠くから見たときは写真かと思った)は様式の勉強のため写真を模写したものだが、当時はこんな課題が出されていたのだなあ。
今ならスライド見せて、この様式の特徴は・・、とサラッと述べておしまいじゃないだろうか。
天下の帝大もまだまだ西洋の建築の模倣を学ぶ時代で、のんびりしていて楽しいなあ、と思いながら展示を辿ってゆく。
立原が尋常小学校5年のときの歴史のテストが展示されている。
歴史 第五学年 男組(男組って!) 立原道造
問五 あなたは源氏と平氏とどっちが好きですか。 (それは、)なぜ。
(1)好きな方・・・{ 平氏 } なぜですか・・・{戦争にも強いし、しづかにやさしいから。}
(2)嫌ひな方・・・{ 源氏 } なぜですか・・・{戦争には強いけれど、らんぼうだから}
私も平氏が好きだよ~!立原少年!
それにしても、どっちが好きでも、何故でも、点数が貰える設問だね。
わら半紙にガリ版刷りの、手作りの問題はとてもあたたかい。
今日びの業者テストではお目にかかれないぞ。
でも、争いごとは嫌いだろうと思っていた立原少年の「戦争に強い」ことが美徳であるという認識にはびっくりだ。
さすが、軍人さんが存在する時代の男の子だなあと思った。
教育はのんびりしているが、日清・日露戦争があり、さらに中国へ進駐するという時代・・・・、これはこれで厳しい。
~ちょっと~
私、日中戦争のことを書くのに(上記、さらに中国へ進駐・・のくだり)、シナ事変と打ってみたのですよ、そしたら「支那」って変換しないのね!
私は祖父母がこの戦争のことを語るとき、「シナ事変」と言っていたので「日中戦争」はいまいちピンときません。
そういえば、この言葉は差別的に使われたことがあるということで、通常使わなくなったと聞いたことがあります。
わたしにとっては「支那」はなんかステキな感じがする言葉なのですが・・・、ちょっと残念です。
彼は、あそこでひとつの完成形なのですね、きっと。
いろんな才能と、健康。この世に出てくるとき、どちらかを選ばなければならないとしたら、どっちを取ろう?
わたしなんて、きっと、「どちらも、そこそこで」なんて言ってきたのに違いありません。ゲッソリ。
高校の先輩が芸大の建築の先生ですって!
tarutaruさんの高校って、なんだか、すごい。
私の高校からは芸大に行った卒業生はおろか、大学の先生なんていないだろうなあ。
やっぱ、フツーだ。
模写って重要なんですかね。
模写するためには対象をよく見るからでしょうか。
なんて、改めて認識したりして。
でもこんな模写みたいな実技はついこの間までやっていたんじゃないでしょうか。高校の先輩がいまは芸大の建築科教授です。当時こんな類の絵を描いていたように記憶しています。
健太郎さんもお忙しいご様子、お互い健康に気をつけて頑張りましょう。
言葉って難しいものですね。
言葉があるから文明があるのだし、言葉があるからより深く傷付け合うこともある。
このことを(本文の支那について)書くと、こんなちっぽけな私のブログでも荒らしに合うかもしれないなんて危惧を抱いたものです。
悪意があるかどうかを判断して欲しいとも思いますが、実際にその単語を使われることが不愉快だと受け取る相手がある以上、気遣う必要はありますね。
「シナの夜」!私のシナイメージがここからきているかもしれません。
中国っていうとすぐ、毛沢東が浮かんじゃう・・・。
色っぽくはないですよね、あのオジサンじゃ。
南京町、どうして南京なんでしょう。
北京町じゃ語呂が悪かったのかしら。
私も行きたい。でも、行けない。
華正楼の肉まん(これなら新宿タカシマヤにあるのだ!)で我慢しよう~。
「支那ソバ」といえば私なんぞは今の「ラーメン」ですかね。 でも支那もChinaをそのままあてたものですからかの有名な「支那の夜」といういい歌を差別するというならば「中国の夜」?「中華の」??
今頃になってどっかの国のお役人は「この字は使ってもいい」なんて馬鹿なこと言っておりますが困ったものです。 漢字文化の国ですからフランスのように言葉を大切にしなければいけないと思いますしそれが教育の奥の深さを物語る要因の一つにもなると感じます。
明日あたり 「南京町」・・・いえ中華街へ行こうかな・・・・。