彫刻を見るのは好きなのに、ロダンがわからない。
私の中では広隆寺の弥勒菩薩を最上としているので、それとは水と油のように思えるロダンは好みではないからか・・?
みんなが言うロダンの精神性ってなんだろう?
わからなくても、見たらなにか掴めるかもしれない。
先達の勧めに従い、期待と不安を胸に「ロダンとカリエール」展に足を運んだ。
二人の思想・作品の共通点を探りながら見てゆく。
モデルとなった人物の表情、たたずまいから滲み出す人間性。
人間の顔って、年月を重ねると、もともとの美醜を抜きにして、かなり中身が現れるものなんだなあ。結構、顔イコールその人そのものだな。
モデルがいる場合は、その人のモニュメントとしての彫刻・絵画なんだろうか。
今まで、画家が何故自画像を描くのかわからなかったけれど、そうか、その時々の自分と向き合いたいのね。そんな気がする。
私が画家だったら、その時々の自分と向き合い、それを残しておきたいという心境になるのだろうか。不思議だ。
カリエールの絵は、優しくて、ちょっと悲しくて、夢の中で見た風景のように儚い。
カリエールに手をひいてもらって、ロダンの方へ歩いてゆく。
ジャンヌ・ダルク!
こわ!これは、私には想像もつかない苦悩と恐れを抱いたまま、死んだ人の顔に見えた。
死んだジャンヌ・ダルクを表現したものではない。(多分。解説を読んでないのでわからないけど)
生きている状態の顔なのだが、抱えているものの大きさに潰されて生気を失ってしまっているのか。
初めて、ロダンの表現力がわかったような気がした。(汗) やれやれ。
行って良かった。「ロダンとカリエール」展。
外に出て、雨に打たれている「カレーの市民」を見て、急に作品の重さが伝わってきたりして。
>ジャンヌ・ダルク!
こわ!これは、私には想像もつかない苦悩と恐れを抱いたまま、死んだ人の顔に見えた。
私も、拙blogに書こうと思っていたのですが・・・、とても意外でしたよね。
一緒に展示されていた写真もよかった。
展覧会の様子を、うまく写真と文章で紹介されています。とても参考になります。
なんだかね、観るにもエネルギーが要りそうで今その力が私にないんです(笑)
でも、見逃さずに行きたいな・・
ロダン(の良さ)がわからないなんて、ビートルズを認めないのと同じくらいわからないことなのかもしれないと思って今まで黙っていました。
ロダンの力にはひれ伏してしまいましたが、やっぱり好きにはなれませんでした。
だって・・、デフォルメの仕方が生理的に受け付けないのです。
でも、今回発見があったように、わからないなりに見に行くのはいいことだと思いました。
写真を褒めていただきありがとうございます。
常設展のほうも撮りましたが、ブレブレで全滅でした。(笑
また、挑戦してみます。なんたって、コルビジェですから・・。
えーと、芸大美術館でバルラハ展というのをやっていますが、わたくしめからのオススメです。
先日makoさんがご覧になった、ケーテ・コルヴィッツになにか共通点を見出せるかもしれません。
相変わらず、ロダンの良さってなんだろう?と、宿題の持ち帰りになりましたが、カリエールの絵がやさしく抱きとめてくれたので、大変満足して帰ってきました。
でも、いつかは「こんなに良かったんじゃないの!」という日がくるのかもしれない。
昔は、梅原龍三郎、全然わからなかったのに、今は大好きですから。
わりとすいていましたが、それでも展覧会を観る(とくにロダン?)のは気力・体力が要りますよね。
わたしも前日しっかり眠って英気を養ってから行きました。
神経を集中して観るというだけでも疲れるのに、作品の力があればあるほど、そしてそれを自分に取り込もうとする気があればあるほど、やられます。
取り込めた分、生気をもっていかれるようです。
あっけらかーんと、好きだなー、と楽しめる展覧会もあるのですが・・・、モノによりけりですね。
たとえ今回逃しても、ロダンはきっとまた来ます。だって、日本人、ロダン大好きですもの。
ロダンが苦手、というよりは良さがわからないというお話。弥勒菩薩とは180度違いますからね。浄化された死後の世界ではなくて現世の苦悩と愛に満ちたどろどろした世界との違いでしょうか。ミケランジェロに深く影響を受けた話や弟子カミーユとの悲恋の話など。
でもこの写真が素晴らしく見えるのは無意識のうちに後ろの正面さんが体感している「ロダン」かもしれませんね。
もしかして、ロダンって本当はわかり易いのではないだろうか、と今回見て思いました。ただ、私がわからないだけ。
このカレーの市民の手だって、ほんとの手はこうではありません。
弥勒菩薩の手だって、もちろんほんとの手とは似ても似つかない。でも、ロダンはわからなくて、弥勒菩薩には惚れ惚れする。
何でしょうかね?私ってガンコものなんでしょうか?
みんながロダンを褒めて、わたしだけわからないのは寂しいですが、仕方ないですね。
もう少し、いろいろなものを見て、目が肥えればいつか良さがわかるかもしれませんから、修養を積みましょうかね。
>ロダンの招待券があるのにまだ見ていません。プラドも藤田嗣治もまだです。
わー、招待券!是非ご覧になって、感想をお聞かせ下さい。芸大美術館のバルラハ展も、出来れば、是非。
>でもこの写真が素晴らしく見えるのは無意識のうちに後ろの正面さんが体感している「ロダン」かもしれませんね。
そうかな!!嬉しいです。
この、無意識というのを私は大切にしています。
これの積み重ねが、きっといつか大きな力になるのだと信じています。
だったら、行って良かったなあ。ロダンとカリエール。