渾身の女川レポート!
8月17日朝7時半頃に女川運動公園にあるバス停に降り立つ。
天気予報に反して暑くなりそうな青空。
女川町は漁の町であり山あいの町である。
女川運動公園に近い場所に仮町役場がある。お掃除の女性によると8時が始業時間だそうだ。
前もって清水地区にあるときいていた震災ガレキの置き場への行き方を聞く。
ほどなくそれらしい場所が見えてくる。丈の伸びきったヨモギのような夏草が一面を覆う。

そのなかの手近ながれきの山に寄る。脇を涸れた小川が通っているのでそこを伝ってがれき山の横に
出てみる。草は覆うわ、プラスティックも木屑も雑多に混在しているわで、長く積み置きされたまま
ということが分かる。災害がれきはにおうと思われたが、気になるにおいは無かった。
自然発火するともいわれたがその様子も見られない。

震災ガレキに似つかわしくないゴミ袋らしいものがあるなと思っていたら、なんと不法投棄らしい。
あとで、不法投棄に警告する看板に出くわした。
涸れた小川の川原にすわって朝食代わりのトマトジュースを飲む。
しばらくして数ミリくらいのアブのようなのがジュース缶の口を狙って飛んできた。
こんなにごみのあるところでわざわざ私のトマトジュース? ごみの山といってもアブ(のような)が
食すに足るものはもはや見つけにくいということか。
道に戻る。家々の基礎だったところをまたぐ。玄関のタイルの上に立つ。
ここに誰か住んでいればこんな不法なことは許されないと思って、かなしい。

少し向こうにもうもうとほこりを立てている場所がある。近づくと、警備員がものものしいマスクをして
立っている。写真を撮らせてもらう。ほこりの場所は「コンガラ」と称する不燃物の仕分け場所だ。
資源としての分別か。

山側に、仮設住宅がある。女川にもある。不思議は無いはずだが、虚をつかれた気分。
マスコミで聞いた色んな事情を思って近づけず。遠景。

町を挟みつける森林の中で色を変えて立っているのは杉と思われる。他には枯死した木はなさそう。
手前の倉庫らしき建物に「がんばっぺ 女川!」と。

方向を転換して海を目指す。道すがら、廃墟にでくわす。女川原発の「宮城県原子力防災対策センター」
と書いてある。調べてみていわゆるオフサイトセンターがこれだと分かった。
外観を残してあとは一切合切を破壊した津波の勢いが目の当たりとなる。
隣にあったのは宮城県原子力センターでやはり廃墟であった。
女川原発事情を良く知らなかったため、この光景にはどきっとした。女川原発は再稼働されるのだろうか
とも思った。


不法投棄の警告看板を過ぎ、もうもうたる土煙をあげるトラックをかわしながら港らしきあたりに着く。
建物が無くて岸壁が壊れたままの様子に、去年訪問した大船渡市三陸町越喜来崎浜という地名が思い浮かぶ。
沈下した土地に海がしみ込んでいる。転がった石の上の花束。辛い思い出がひとつ、ここにもある。


目を転じれば湾を形作る向こうの岬の麓に何かの建設が始まっている。これがうわさのサンマ漁のための
冷凍冷蔵庫か。その反対の岬側にはすでに完成した建物も見えた。

津波にさらわれた当時の写真にある建物の多くは片付けられているが、未だにぽつんぽつんと残された
建物もあるのはなぜだろう。威力を偲ぶよすがか。
七十七銀行の行員を悼む仮設の花壇があった。銀行はすっぽりと津波の下に隠れたそうである。

高台にある立派な女川町地域医療センターに行ってみる。ここまでは津波も来るまいと思われたが、
実はここにもやってきた。もともと町立病院だったが、昨年、介護施設とともに公設民営の医療センターに
なったそうである。

更に近くの山を登り(階段160段)そこにある熊野神社から女川町を見下ろす。
左下の建物が女川町地域医療センター。神社は初めそこにあった。移築されて今の高さに。
おかげで神社は津波の被害から免れた。


神社の横から下る道が参道だったらしいが、もう人が通わなくなって夏草が舗装の割れ目からも
立ち上がっている。この道を下って、女川町の中心部を後にすることにした。

石巻に行くために乗りたかったバスの次の便が3時間後と分かった。
女川までの道中、歩いてみたいと思った万石浦をこの際歩こうと決心。
これは道沿いの鉄路。何も通らないのでこの上を歩いてみた。


猛烈に暑く、汗だく。水とスポーツ飲料を交互に飲みながらの、まちがいなく強行軍。
誰かを誘わなくて良かった。
知りたかったことが判明した訳ではない。しかし、知りたい現地には行くものだとは思った。
(お)
8月17日朝7時半頃に女川運動公園にあるバス停に降り立つ。
天気予報に反して暑くなりそうな青空。
女川町は漁の町であり山あいの町である。
女川運動公園に近い場所に仮町役場がある。お掃除の女性によると8時が始業時間だそうだ。
前もって清水地区にあるときいていた震災ガレキの置き場への行き方を聞く。
ほどなくそれらしい場所が見えてくる。丈の伸びきったヨモギのような夏草が一面を覆う。

そのなかの手近ながれきの山に寄る。脇を涸れた小川が通っているのでそこを伝ってがれき山の横に
出てみる。草は覆うわ、プラスティックも木屑も雑多に混在しているわで、長く積み置きされたまま
ということが分かる。災害がれきはにおうと思われたが、気になるにおいは無かった。
自然発火するともいわれたがその様子も見られない。

震災ガレキに似つかわしくないゴミ袋らしいものがあるなと思っていたら、なんと不法投棄らしい。
あとで、不法投棄に警告する看板に出くわした。
涸れた小川の川原にすわって朝食代わりのトマトジュースを飲む。
しばらくして数ミリくらいのアブのようなのがジュース缶の口を狙って飛んできた。
こんなにごみのあるところでわざわざ私のトマトジュース? ごみの山といってもアブ(のような)が
食すに足るものはもはや見つけにくいということか。
道に戻る。家々の基礎だったところをまたぐ。玄関のタイルの上に立つ。
ここに誰か住んでいればこんな不法なことは許されないと思って、かなしい。

少し向こうにもうもうとほこりを立てている場所がある。近づくと、警備員がものものしいマスクをして
立っている。写真を撮らせてもらう。ほこりの場所は「コンガラ」と称する不燃物の仕分け場所だ。
資源としての分別か。

山側に、仮設住宅がある。女川にもある。不思議は無いはずだが、虚をつかれた気分。
マスコミで聞いた色んな事情を思って近づけず。遠景。

町を挟みつける森林の中で色を変えて立っているのは杉と思われる。他には枯死した木はなさそう。
手前の倉庫らしき建物に「がんばっぺ 女川!」と。

方向を転換して海を目指す。道すがら、廃墟にでくわす。女川原発の「宮城県原子力防災対策センター」
と書いてある。調べてみていわゆるオフサイトセンターがこれだと分かった。
外観を残してあとは一切合切を破壊した津波の勢いが目の当たりとなる。
隣にあったのは宮城県原子力センターでやはり廃墟であった。
女川原発事情を良く知らなかったため、この光景にはどきっとした。女川原発は再稼働されるのだろうか
とも思った。


不法投棄の警告看板を過ぎ、もうもうたる土煙をあげるトラックをかわしながら港らしきあたりに着く。
建物が無くて岸壁が壊れたままの様子に、去年訪問した大船渡市三陸町越喜来崎浜という地名が思い浮かぶ。
沈下した土地に海がしみ込んでいる。転がった石の上の花束。辛い思い出がひとつ、ここにもある。


目を転じれば湾を形作る向こうの岬の麓に何かの建設が始まっている。これがうわさのサンマ漁のための
冷凍冷蔵庫か。その反対の岬側にはすでに完成した建物も見えた。

津波にさらわれた当時の写真にある建物の多くは片付けられているが、未だにぽつんぽつんと残された
建物もあるのはなぜだろう。威力を偲ぶよすがか。
七十七銀行の行員を悼む仮設の花壇があった。銀行はすっぽりと津波の下に隠れたそうである。

高台にある立派な女川町地域医療センターに行ってみる。ここまでは津波も来るまいと思われたが、
実はここにもやってきた。もともと町立病院だったが、昨年、介護施設とともに公設民営の医療センターに
なったそうである。

更に近くの山を登り(階段160段)そこにある熊野神社から女川町を見下ろす。
左下の建物が女川町地域医療センター。神社は初めそこにあった。移築されて今の高さに。
おかげで神社は津波の被害から免れた。


神社の横から下る道が参道だったらしいが、もう人が通わなくなって夏草が舗装の割れ目からも
立ち上がっている。この道を下って、女川町の中心部を後にすることにした。

石巻に行くために乗りたかったバスの次の便が3時間後と分かった。
女川までの道中、歩いてみたいと思った万石浦をこの際歩こうと決心。
これは道沿いの鉄路。何も通らないのでこの上を歩いてみた。


猛烈に暑く、汗だく。水とスポーツ飲料を交互に飲みながらの、まちがいなく強行軍。
誰かを誘わなくて良かった。
知りたかったことが判明した訳ではない。しかし、知りたい現地には行くものだとは思った。
(お)