1970年代のことですが、私は会社員として東京に勤務していました。情報機器の展示会で富士ゼロックスのブースで三省堂発行、平井昌夫著「ことばの百科事典」をいただきました。私は技術系で、小説は嫌いではなかったが、読書に割いた時間は、技術の学問に比べれば短かったです。
したがって「ことばの百科事典」は新鮮な座右の書で、いつも机を上に置いて参考にしました。
平井氏は、1908-1996、現在の東京都大田区千束生まれで、1933年、東京帝国大学文学部哲学科を卒業しました。日本語教育者であり、日本語学者でした。それなのに戦前は唯物論、ローマ字運動に熱心で、当局に睨まれていました。しかし、職業は日本語教育、日本語学でした。
戦後はしばらく科学技術分野で働いていたが、1949年から心が国語に集中するようになり、言語障害児教育を含んだ国語教育、文章表現、話し方に関連する著書が無数です。多情多感の人だったと思います。
上のことばの百科事典は、彼の情報知識を事典風に集大成したものです。ものすごい言葉情報収集家で、彼の家は資料を分類したファイルでいっぱいだったでしょう。そのファイルを事典にまとめたのでしょう。
言葉に弱かった私には貴重な事典でした。私の会社は社会に通用する会社言葉に熱心で、文書基準を設けていたので、会社言葉の基本は学びましたが、社会生活に役立つようなものではありませんでした。その点、平井氏の百科事典は社会言葉を広く集め、非常に有用でした。
私は、社会人として活動できる言葉を使いこなせることは非常に重要と思っています。思考は言葉知識に左右されているからです。ギリシャ哲学ではロゴス(言葉)が重視されました。キリスト教では「ロゴスは神であった」という表現があります。現代キリスト教信者でもこの言葉は理解がむずかしいでしょう。
中国古典が言葉の宝庫であることは、仏教、儒教を勉強すればすぐ理解できます。日本人は大和朝廷ができてから中国から資料を日本に運ぶことに命をかけてきました。中国に行っても、そこで読むことより集めることに注力した日本人が多いと思います。(注)現代日本人も同じです。海外に行って資料集めに奔走しています。しかし、近年は永住する人が確実に増えています。
現代では中国より日本の方が中国3000m年の言葉に詳しいと思います。現代の中国人は、共産主義(唯物論)のせいで、言葉を自由に学べず、思考が不自由になっている恐れが大きいと思います。
現代、言葉があふれる日本では、日本人が言葉に食傷し、言葉を「知らない」「学ばない」人が増えていると感じます。具体的に言いますと、言葉知らず、思考できずで、人間関係が不調、社会的孤立者が異常に増えています。結婚しない、結婚しても離婚する、子を産むことや、育てることを嫌うなど悲劇的事態が起こっています。貧困だけが理由ではありません。言語障害が大きな問題です。
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