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城下町小幡探訪

2008年03月22日 | まち歩き

城下町小幡は現在の群馬県甘楽町で、町のところどころに城下町の風情が残っています。戦国時代は武田24将にも数えられた小幡氏が支配していました。

1615年には織田信長の二男信雄に小幡が与えられました。信雄は、信長の死後、徳川家康と組んで豊臣秀吉と戦った小牧長久手の戦いが有名です。しかし、秀吉と勝手に和睦するなど武将としての力量は評価されていません。むしろ、文化人としての才能があったらしく、小幡でも楽山園(智者ハ水ヲ楽シミ、仁者ハ山ヲ楽シム」という『論語』の故事から名づけられたらしい。)という庭園を造営し、江戸時代初期の池泉回遊様式として国史跡に指定されています。

小幡は約150年にわたって治められました。初代信雄から七代信富までの墓が今は崇福寺の旧境内にあります。現在は織田家の子孫は墓を管理していないそうです。(スケートの織田信成君はこの子孫ではないようです。)

旧陣屋の中小路に面して造られた「喰い違い郭」。戦の時の防衛上に造られたとか。また、下級武士が上級武士に出会うのを避けるため隠れたともいわれています。小幡は半日もあれば、ゆっくりと散策できる範囲です。4月になると桜が開花して旧城下町とのコントラストも美しいので皆さんのぜひ行ってみてください。

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「楽山園」

(現在整備中、平成24年度までかかるそうです)

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「織田家宗家7代の墓」

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「喰い違い郭」

昔の武士は道を歩くのにも気を遣いました。

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「雄川堰と旧城下の町並」

雄川堰は生活などに利用されてきた用水路。この付近は桜の名所でも有名

甘楽町ホームページ

http://www.town.kanra.gunma.jp/cgi-bin/odb-get.exe?wit_template=AM040000


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