歴史と旅と少しのグルメ

ぐんまを中心とし、日常の気ままな話題を書き込みます。

歴史探訪記(武蔵国分寺跡)

2010年01月11日 | まち歩き

昨年暮れに東京都の国分寺市にある武蔵国分寺跡に行ってきました。前々から市名にもなっている武蔵国分寺に興味がありました。前に上野(群馬県)国分寺の際もご紹介しましたが 奈良時代の天平13年(741年)、政治の混乱や社会不安の続く国内を仏の力で国を安定させるために、聖武天皇・光明皇后は、全国60余国に国分寺(僧寺)・国分尼寺の建立を命じました。武蔵国分寺の伽藍は、757年から765年の間に整備されたと考えられ、僧寺と尼寺の周辺の住居跡も含めると東西1.5km、南北1kmにも及ぶ全国でも最大の伽藍であったといわれています。元弘3年(1333年)の新田義貞と鎌倉幕府方の分倍河原の戦の際に焼失したと伝えられています。市では、僧寺地区を歴史公園として整備するため、中枢部である、講堂跡・金堂跡・推定鐘楼跡の構造・規模・配置を確認する調査を行っています。それにしても当時は京都・奈良が中心であったにもかかわらず、これだけの規模の伽藍が造られたという事は、当時は、天皇の権力が遠く関東にも行き渡っていたということが分かりますね。これだけの規模の発掘や整備は大変でしょうが、貴重な史跡を後世に残すのは現代に生きる私たちの大きな役目であると思います。金堂や講堂の建物を復元しなくても、その場所に行って、当時の情景に思いを致すそんな想像力豊かなこどもが育つようにすることが大切と感じました。

1195

国分寺僧寺金堂跡、当時の礎石も残っています。今後基壇の再整備が予定されています。

1198_2

国分寺僧寺復元予定図

Photo

1204

7重塔跡(上記位置図の塔跡1)、この西側にも塔跡2が発見されています。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 初売り2010 (ぐんま前... | トップ | 歴史探訪記2010(福島県... »
最新の画像もっと見る