歴史と旅と少しのグルメ

ぐんまを中心とし、日常の気ままな話題を書き込みます。

ぐんまの歴史探訪2010(高崎観音山古墳)

2010年05月23日 | まち歩き

最近は、天候も良くなって、暑い日が続きますね。今日は雨ですが、農作物にとっては、恵みの雨です。しかし、このまま梅雨に入るのもいやなので、からったとした晴天もほしいものです。

さてひさしぶりにぐんま県内の歴史探訪で高崎市にある観音山古墳に行ってきました。この古墳は、高崎市の東部、烏川の支流、井野川の台地にある前方後円墳です。この古墳は6世紀末の築造とされており、古墳王国群馬の隆盛期のものといえます。この古墳の特徴は、その埴輪と副葬品です。特に後円部にある横穴式石室入り口付近からは、王とみられる武人のほか、巫女、馬、鷹匠などの人物埴輪が出土しました。これは、葬式を表したとも、王の継承式をあらわしたものとも言われています。またもう一つの特徴は石室にあった副葬品のすばらしさとその国際性です。金環、銅製轡、ガラス小玉のほか、韓国の百済 の武寧王(ぶねいおう)の古墳から見つかった獣帯鏡と同型が副葬されていました。また銅製の水瓶は奈良の法隆寺や中国の北斉の古墳からも見つかっています。この観音山古墳に埋葬された主は、大和朝廷に限らず、百済や中国など大陸とも深い関係にあった有力者であり、上毛野(かみつけぬ、古代の群馬)は巨大な力を持った豪族に支配されていたことがかんがえられます。埴輪や副葬品の数々は近くの群馬県歴史博物館に常設展示されています。実物を見るとその精巧さ、美しさに目を奪われてしまいます。皆さんも是非ご覧になってください。

002

整備された観音山古墳

005

後円部に石室があり、人物埴輪が並んでいました(右下部分)

003

巫女や全国的にも珍しい三人童女などが並んでいました

014

水瓶や獣帯鏡、大陸文化との深いつながりがわかります