歴史と旅と少しのグルメ

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ぐんまの歴史訪問記3(前橋市大室公園)

2009年04月19日 | まち歩き

先日、春の陽気に誘われて前橋市にある大室古墳群に行ってきました。この古墳群は、公園事業として整備され、今では、古民家や遊び場、芝桜など整備され多くの人でにぎわっています。少し桜の満開時からは過ぎていましたが、そよ風に揺れる桜はとても綺麗でした。

さて、大室古墳群は、前二子山、中二子山、後二子山の3つの前方後円墳を中心に形成されています。

この古墳は、6世紀初めに造られた前二子山古墳を始め、100m級の古墳なため、古代群馬の有力者の墓であることが想定でき、「日本書紀」に書かれている豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)をはじめ、その子供たちの墓だという説もあります。

前二子山古墳の後円部には横穴式石室があり、羨道と玄室(遺体や副葬品が在るところ)が長く、玄室にはベンガラで赤く塗られていました。

また、中二子山古墳は、もっとも墳丘が大きく、中堤には円筒埴輪や人物埴輪が数多く配列されていました。

以前紹介した保渡田古墳の処でもお話ししましたが、埴輪は、葬送の儀式を再現するために古墳にたてられたもので、家長や首長の儀式を表していると言われています。

この地域のもっとも栄えた時期がこの中二子山古墳の造成時期に重なるのかもしれません。

というのもこの後造られた、後二子山古墳の後円部石室前には、儀式に使われた土器の一部が復元されていますが、土器の年代からすると、6世紀後半から7世紀前半にかけてのもので3期に分かれることがわかっています。

ということは、数十年の間に、3期にわたって儀式が行われたということは、支配力が弱まってあらたな古墳をつくることができないために、儀式や追葬を同じ古墳で行った可能性も考えられます。

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前二子山古墳の玄室。副葬品の出土状況も再現されています。

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中二子山古墳の中堤上の埴輪群。円筒埴輪。人物埴輪など人々に支配者の威厳を知らしめるのにも効果があったでしょう。

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後二子山古墳の石室前の儀式を再現。3期にわたる土器類が在ります。

葬送や権力交代の儀式がここで行われたのでしょうか。

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桜が綺麗でした。

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芝桜も植えてあります。今週あたりは見頃かも。公園も広く、遊び場としては良いですよ。


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