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ぐんま歴史訪問記2

2009年04月05日 | まち歩き

4月に入り、桜もようやく咲き始めました。

新年度を迎え、新しい人との出会いの季節。まだまだ落ち着かないですが、今年も自分のペースで、健康で過ごせて行けたらと考えています。

さて、先日は群馬県の国分寺史跡(高崎市)に行ってきました。

国分寺は、奈良時代の天平13年(741年)、聖武天皇が国ごとに僧寺と尼寺 を建立することを命じ、後に僧寺が国分寺といわれるようになりました。

750年頃には主な建物が完成し、金堂や7重塔を囲む築垣や南大門など壮大な規模であったそうです。

現在では、金堂や7重塔の基壇や築垣などが復元され、資料館も併設されています。

今は、昔の興隆の面影をわずかに残すのみですが、当時の災害や政治情勢を憂い、国家安堵を願って建立された国分寺の規模や数を考えると、中央集権国家を確立した聖武天皇の当時の政治力が卓越したものであったことが窺えます。

史跡にいく1つの楽しみは、発掘による明らかになった遺構から類推して当時の容姿を思い浮かべることであると思います。

史跡には当時の人々の生活、考え、願いなど多くの痕跡が残されており、それを紐解くことにより、現代人にも多くの知恵を与えてくれますね。

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当時の国分寺復元図

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7重塔の復元した基壇

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復元した築垣。古代と同じ棒で土を固める版築という工法で造ってあります。