goo blog サービス終了のお知らせ 

夢民―ゆめたみ―

現実逃避といわれようと、
日々の生活の中に
心地よきことや楽しきことを探し
記録してみるカナ。

三十路女、味噌にふりまわされる・・・の巻。

2005-06-07 10:25:23 | 商店街ヨモヤマ話。
それは金曜の午後3時26分、職場にかかってきた一本の電話から始まった。

着信を見ると、朝から買物に出てきた80過ぎの老婦人からだ。
一軒家で独り暮らしの彼女は、
頭はしっかりしているものの多少年齢の割には老けていて
白髪で耳も遠く、腰は曲がり、歯が欠け、
何故かいつも唇が黒くなっているのが気になる。

私は、彼女が商店街に来る人々の中で一番の癒し系と思っている
洋服を着てこそはいるが、横溝正史原作の映画から出てきたような風貌。
(もしデビューさせるなら
    八つ墓村の双子のおばあさんが中り役になると密かに思っている。)
話し言葉や一挙一動が、
今では古き良き『昭和』時代を記憶から呼び起こすのだ。

先ず、女性でも自分を『オレ』という点
(大正生まれの祖母もそうだった。)
身だしなみはデザインより実用性
(良く見るともんぺの様なのをはいている時も

病院の待合室で隣に座った人が足が悪いと言えば
『家に帰れば4本もあるし、オレはなくても歩けっから』
と杖をプレゼントしてヨッコラドッコラと気合で歩いてくる。
帰りのバスに間に合わなくても
『急いで怪我したら話になんね~べ~、
      体に聞いてゆっくり歩くんだ~』
と次のバスを1時間でも
2時間でも(来ても気づかないで乗らないとそうなる)のんびり待っている。

そんな彼女が職場の前を通ると思わず声をかけずにいられない
目の前にいるのに
通りを挟んだような大きな声の会話は、それだけで滑稽だ
職場の人間も客も
道行く人も信号待ちの車の運転手さえも私たちに釘付けになる。
耳が遠いというだけなら他の常連客もいるが、
これだけ周りをほほえましさで巻き込んでくれるのは彼女の個性だ。

着信番号でそんな彼女の丸い顔がすぐに浮かび、何事か?と思いながらも電話をとる。

「アノナ~、今日ナ~、
    味噌がネグなったからヨ~、買いサ行ったんダ~。」
(今日、味噌が無くなったので買いにいったんだ。)

私「ん~、ンダよね~!」
 (うん、そうだったよね~)

「ンでナ~、
    今おまかないすっかと思っテ~、袋見たら~、味噌がネェんだヨ~。」
(そして、今夕飯の支度をしようとしたら袋の中に味噌がないんだよ。)

私「ア~?なんで~?」
 (あら、どうして?)

「ナ~ンボ袋の中ナ~、底まで見てもナ~、お菓子しかネ~んだぁ。
  おれは味噌買いサ行ったんだがら~、
          まちげぇねぐお菓子と味噌買ったんだ~。」
(いくら袋を底まで探してもお菓子しか入ってない。
    私は味噌買いに街まで行ったので
       間違いなくお菓子と味噌を買ったはずなんだよ。)
「店の人がまちげ~たんだべ~!入れんのわすっちゃだ~!
  オレは~、レジんとこまでナ~、
   重い味噌とお菓子とよ~、両方持って行ったんだがらナ~!」
(店の人が間違えたんだよ!きっと袋に入れんの忘れたんだよ!
   私はレジのとこまで、重いと思いながら
    味噌とお菓子の両方持っていった覚えがあるもの!)
「店サよ~、電話かけっかとおもったんだげんちょヨ~、
  番号みあたんね~がらオメ~さかけてみたんだ。
   オメ~から店サ電話してグんねガ~?」
(店に電話しようと思ったけど番号見つからないので
  あなたのとこにかけてみたの。あなたから店に電話してくれない?)

私「いいよ~、もし味噌あったらどうすんの~?」

「オレはまだ買う物あったのによ~、
    全部済まねがったがら~、月曜もまた行くんだ~。
  ほん時までよ~、冷蔵庫サ入れて
        取っといてくいよ~、って言ってくいよ」
(私はまだ買い物あったのに
  今日全部済ませられなかったので月曜も行くの。
    その時まで冷蔵庫に入れて
       取っておいてちょうだいって言っておいて。)

私「ん~、わがったよ~
 (はい、わかりましたよ!)

彼女の一つ一つ途切れ途切れで
ゆっくり時間をかけながらのしゃべり方。
田舎でも珍しくなった方言のイントネ~ション。

人に迷惑かけまいと一挙一動に一生懸命な様子と
年齢から来る、その自意識と体の反応の時差。

その時差さえもタノシミに変えて待たせてくれる方言。
それを表現したくてややこしい同時通訳入りだが、
こんなやりとりがあったのだった。

私は午後からの勤務だったが、今朝彼女が
「味噌が無いから味噌買いに行く」
と言って歩いていたとは聞いていた。

早速彼女行きつけのスーパーに電話する。
3回、10回、15回とコールしても出ない・・・何故?
職場には誰もいない為、
勤務時間の終わる17時をじりじりしながら待つ。

17時、仕事場を閉めスーパーに向かった。
丁度その店の奥さんがレジにいた。
しかし、夕方のスーパーは忙しく客が並んでいる。
しかも、常連さんばかりなので会話が途切れる様子もない。
車で30分の場所で18時にトレーニングの為に夫と待合せていた私は
時間を気にしながらも
すぐに必要となるであろうスポーツドリンクを手に並ぶ。

やっと順番がきた
のに「ん~?見たことある。奥さんどっちからだっけ?」って、
手を止め顔を覗き込んできたので、いきなり自己紹介させられる。
やっと用件を言うと
「あら~、『重いから袋でなくてリュックさ入れてやっかんね~』
  って背中に当たんないようにリュックの底にちゃんと入れてやったのにな~
と言うではないか

すぐに電話・・・と思ったが電話帳に無い。
今の電話帳には個人の電話番号がなく企業だけしか記載が無い

すぐに近くのタクシー会社に入る。
経緯を話しながら「いつもここに来る○○の○○さんの電話番号わかる?」と聞く。
「わかんね~、コレ見ろ~」と古い電話帳を渡される。
故人となった夫の名前で載ってるはずと教えてくれ電話も貸してくれた。

時間は17時半をまわっている。電話があって2時間過ぎている。
20回のコールのあと彼女が出た

「マチガイダッタ~
  さっきな~、オレの方で店サ電話して間違いだった~って言ったド~
(間違いだった!
  さっき自分で店に電話して味噌無いのは間違いだったと言ったよ。)

一気に脱力・・・私の2時間を越える焦りは無駄だったのか

でも憎めないおばあちゃん。
だから婆ちゃんにふりまわされたなんて思いもしなかった。
でも、『貴重な時間を味噌ごときに振り回されるとは』とは思った

そして夫に「今から出ます」とメールして、
待合わせに30分遅れて行くのだった



唄のチカラ。

2005-06-01 23:14:38 | 商店街ヨモヤマ話。
先週末の東京行きは
期せずして『戦争』というものがつきまとった。


まず、古謝美佐子さんは
平和を願って歌い続けている。

基地に働きに行く途中で事故死した父親や
28才から未亡人で子供3人を育てた母親の思い出
子や孫に対する想い
そして今回は、
尼崎の電車事故で突然亡くなった照明チーフとその家族に対する心境
数日前のニュースで聞いた日本兵生存に対する想い。
(土曜の時点では疑惑報道がなかった。)

そんないろいろな事を思い
突然家族を失う悲しみの辛さや
人と人が殺しあったりしないようにと
平和への祈りを込めて唄っている。

特に『黒い雨』
この唄の時は、何千回唄っても涙がでてしまうとのこと。

そして『唄会』の翌日
帰る前にもう一度AZさんと会いたいと言うと
「靖国神社を取材に行く約束があるけど、一緒でいいならそこで。」
と言われた。

実家のご先祖様が
『海軍で台湾かどっかから靖国神社の鳥居にする木を運んだ』
という伝説?がある私と弟は
その真偽が明らかになる期待で待合せ。
(結果は、漠然としすぎて調べようがない。)

そんなこんなで今日は
「今回の東京行きは、~戦争を考える~みたいなサブタイトルか?」
と考えつつ職場で古謝さんのCDを聴いていた。

すると、いつも来ているオネエサマ達が来た。

いつも「今日は何した?」「何買った?」の世間話。

それが今日は
「妹達元気か?」    「死んだ。5~6年になるわ。」
という会話から何故か
「戦争終わったのは昭和20年?だったどな」「んだ。」
「あの時、うちの妹が3歳だったんだ。」  「では戦争わかんね~な~。」 
「あんたは戦争わかってるか?」 「わかってるわよ~。小4だった。」
と戦争の話になっていった。

この町に飛行場があり
敵機がうようよと頭上をまわり
飯炊きすれば、その煙の元に爆弾落とすので
防空壕に畳を2枚重ねてふたをして
火を使わないでスモモを主食にしていたとか。

何故か特攻隊のお兄さん達が学校に来ていて
裏山の上まで行くと
町全体と海までが見えると教えてもらったとか。

この町にも戦争があった。

戦時中の話を聞いたのは初めてで驚き。

遠い時代 遠い世界の記憶が すごく身近をとりまく。

「戦争をわかるのは80歳以上だろうな~。」
「弟に戦争の話すると
  テレビの見すぎだ!と言われて怒られるんだぁ。」
という2人の言葉には
辛い時代や その時代に生きた自分達が
忘れられ 誰にも理解されなくなり
取り残されていく不安を感じてるようだった。

平和ボケの毎日に放たれた一つの石。

自分のチカラが『国』をひいては『家族』を救うと
信じて疑わず一心に命をかけた沢山の兵隊さん。
戦いに巻き込まれたたくさんの人々。

平和を願う唄は
聴く人の心に染み込んで
平和でなかった記憶の悲しみ苦しみをすくい出し
それを知らない人に語らせ
新に真の平和を願わせる。

そんな唄のチカラを感じた日。

どこかで聞いたような話。

2005-05-25 22:28:25 | 商店街ヨモヤマ話。
初めて会ったのに
特大の三角袋にたくさんおせんべいをくれたおばあさん。

「こんなに私が頂いていいんですか?」
と私が聞くと
「いいのよ。私の分はこっちにあるでしょ?」
見れば同じ分だけ持っている。

「どうしたんですか?」
と聞くと
「いつも病院の待合室で会う人がねいろいろお菓子くれるの。
  週に1度なのに必ず一緒になってお友達になったから
   このおいしいおせんべい分けてあげようと思ったんだけどね・・・。」
「?」
「今日はいなかったから電話したら
  今日は具合が悪いからお休みしたんですって
   ・・・だからあなたにあげるわ、食べてね!」
って、
ちょっと待って

具合が悪いから休みって、
学校じゃなくて病院なんですよね
しかも県立の総合病院

どっかで誰かがネタにしてたような話だけど
本当にあるんだね~

・・・本人はいたって真面目で矛盾に気づいてないし

おいしいおせんべいでしたよ~!
ゴチソウ様でした


商店街の猛者!

2005-05-24 23:04:44 | 商店街ヨモヤマ話。
生まれも育ちも福島なのに30年大阪に住んでた女性。

言葉もまるっきり関西弁で
顔なじみになるまではちょっと怖かった。
(イントネーションやテンポがハキハキしていて
  怒られてるのかな~と思ってしまう・・・。)

最近は言葉にも慣れてきて
いろいろな世間話出来るので会うのが楽しみ!

値切り方の話から
まわりまわって田舎の商店街の話に!

近隣の商店街は不景気すぎて麻痺しているのか
どうせ買わないんだろうと
客が入ってきても『いらっしゃいませ』もない店が多い。

そんな店に行った時は
「『ごめんくださ~い?誰もいないの~!』って何度も言ってやんねん。
  奥にいるのがやっとのそのそ出てきよったから
 『いらっしゃいませ』も言えん店なら何にも買わんで帰るわ!
 って言ってやったら『いらっしゃいませ』ってボソボソ言ってん(笑)」
強い!気持ちいいほど強い

「どんなに値切っても値切られても
 『おおきに』て一言言えば嫌がる客はいないワ!そうやろ?
 買ってもらったら『ありがとうございました』って必ず言わんと
  客は2度と来ないもんなんや!って言ってきてやったら
   次に行ったら顔見る前に『いらっしゃいませ』って出てきたワ。
 あの兄ちゃん、言ってやった事ちゃんとわかったんヤナ~(笑)」
頼もしい、頼もしすぎる

商店街の建て直しとして
接客アドバイザーをやって欲しい
一消費者として職場一同でラブコールを送ってしまいました
挨拶は商売事抜きでも 人間同士の基本ですもんね~

※関西弁部分は聞きなれていないので
  不自然に書かれたところがあるかもデス。


お迎えが来た。

2005-05-23 13:41:40 | 商店街ヨモヤマ話。
今日出勤して一番先に聞いたのが
こないだ書いたばかりの
80歳になったばかりなのに「早くお迎え着て欲しいワ!」
が口癖だったおばあちゃんの訃報。

実感がわかない・・・でも淋しい。

思い起こせば先週の火曜に「なんだか頭痛いんだわ~・・・。」
といつになく元気がなく
「それは心配だね~。」と同僚が声をかけると
「今から医者サ行って診てもらうんだ~。」と言っていた。

その後医者の帰りに見かけると
顔に打ち身があった。
「どうしたの!」と声をかけると
「オメェ~、これはヨ~
  昨日草刈すっかと思って
   鎌に手伸ばしたら石段とっから落っこちたんだわヨ~。」
と言っていた。

同僚と
「頭痛いなんてどっか打ったんでないのかな~。
  こんな時こそ個人医院より総合医院の方が安心でないの?」
「いやいや、個人医院だって医者は医者だもん
  顔見てあんなだったらちゃんとそこも診るよ~。」
なんて話していた。

原因はわからないけど
最後に見た姿がその時だっただけに心残りだ。

思い切って
「総合病院にも行ってみたら?」と声をかけていたら・・・。
(でも、年金暮らしでは
病院通いもままならないってぼやいてたしなぁ。)

ガスが長時間つけっぱなしで
ガス会社から連絡が行くも応答なし。
朝になっても電気もつけっぱなしで見に行くと
台所で食事の支度をしてた最中だったらしく
包丁を投げ出し倒れていたらしい。
救急車で運ばれたが一番近い総合病院でダメで
いわき市の方の総合病院まで行ったが助からなかったということ。

娘さんやお孫さんが
時々様子を見に行ったり
自分の家や温泉に連れてったりしていただけに
いない時に限って!と、すごく残念。

孫の結婚や出産
就職した孫が仕事帰りに家の修理してくれた事
亡くなった旦那さんの酒好き
娘さん達の事
楽しげに嬉しげに懐かしげに
お話していた顔が思い出される。

なんだか寂しい。

老いての一人暮らしの侘しさをしみじみ思う。